25-11 : 刹那とさざ波
それは第三者の視点から見れば、始めから終わりまでに1秒もない、一瞬のできごとだった。
先手を取った死神が駆け抜け、敢えて後手に回った暗黒騎士がそれを迎え撃ち、目では追えない刹那の交差の後、その2つのぶつかる音が聞こえた。
「う……、む゛っ……!」
声になりきらない呻き声を漏らしながら、ゴーダが左手を自分の首元に押しつけている。そのあてがわれた手甲の隙間からは、首の裂け傷から噴き出した血がボタボタと音を立てて滴り落ちていた。
「我らの絶死の一振り――逃れる術なき回帰の鎌――よくも遠ざけたものよ――…………」
死神が、声の階調をわずかに変えながら、感嘆するように呟いた――しかし、その声の4つめは、沈黙するばかりで何一つ呟かなかった。
――ゴトリッ。
4つの羊のような死神の頭部の1つ、右を見つめていた頭骨が、首元から断ち斬られ地面に落ちる音がした。
「はぁ゛……ゴボっ……便利な、身体だな、リンゲルト……その首、あと3つ飛ばせば、お前は消えてくれるのか?……」
自分の血にむせ返りながら、ゴーダが皮肉を言うように呟いた。咳き込むたびに血が吐き出され、兜の口許は紫血に染まっていた。
「我らは“始祖の器”――遠い遠い祈りの声を受けた、最初の偶像――この姿形に、意味などない――…………」
「はぁ゛……はぁ゛……参、ったな……神話の、怪物というものは……ガハっ……分かり易い弱点が、あるのが、相場だが……はぁ゛……」
上体を思わずぐらりと揺らしながら、ゴーダが濁った呼吸音混じりに呟く。対する死神は、頭の1つを落とされながらも先ほどと変わらず平然とその場に立っていた。
死神が再び、無言で大鎌を振り上げる。それは本来、二振り目など有り得ない絶対の一撃必殺――神話の域に迫る存在のもたらす“死”そのものだった。
「リンゲルト……お前は、紛れもなく、死神だよ……はぁ゛……あれほど鮮烈な、死の形を、生きたまま見ることに、なるとはな……」
甲冑を自らの血で紫に染めながら、暗黒騎士が濁った声で畏怖するように言った。
「あれは本来、絶命より先行して見える、絶対の死の心象――それを目にしても尚、ここに命を繋いでみせた貴様の執念、賞賛に値する――しかし、2度目はないと知れ、暗黒騎士――…………」
3つの頭骨が順々にそう語り、具現した“死”が、鎌首をもたげる。
「既に勝敗は決した――終焉の刻ぞ――この詰み手にて、全て終わる――…………」
……。
……。
……。
「ああ……そう、だな……その通り……」
ゴーダの血の混じった声が、死神の言葉を継いだ。
……。
……。
……。
「……お前の、負けだよ、リンゲルト……」
振り上げられた死神の大鎌を前にして、暗黒騎士が、兜の内側で口許を笑わせる気配があった。
「さっきの、一撃で……私を、殺せなかった、時点でな……」
……。
……。
……。
――。
――。
――。
「……なぁ、そうだろう……外法者……」
血を零しながらそう呟いたゴーダの目線はじっと死神を見つめていたが、その言葉は肩越しの背後に向けて発せられていた。
……。
……。
……。
「……ええ、そうですわね、憎い人……――」
背後から伸びてきたしなやかな指先が、暗黒騎士の血に塗れた兜を撫でた。長い黒髪が甲冑に垂れると、いつか触れたその滑らかな感触が蘇り、鳥肌が立つようだった。頬が触れ合うほど近くで艶めかしい唇が蠢いて、耳元に直接呪いを聞かせるように鈴の音のような声が呟いた。そして吸い込まれそうな翡翠色の瞳が1つ、ゴーダの目をじっと覗き込む。
「――ふふっ」
ゴーダの両肩から両手を回し、霧のように白い絹のローブを暗黒騎士の血で濡らしながら、西の四大主“三つ瞳の魔女ローマリア”がクスクスと嘲笑を漏らしていた。
魔女の姿は半透明で、その華奢な身体越しに向こう側の景色が透けて見えていた。その身は風に舞う綿毛のようにふわりと空中を漂っていて、地に脚が付いていない。そもそも、脚にあたる部分が本当に存在するのかどうかすら判然としなかった。
それは、幻影だった。恐らく死神には見えず、ゴーダにだけ視える、あてつけのようなものだった。
「あらあら、まぁ……ゴーダ、酷いやられようではありませんの……うふふっ」
血塗れになったゴーダの周囲を、ローマリアの幻影がからかうように飛び回る。
ゴーダの首筋の傷口に頬を寄せた魔女が、端正な顔を暗黒騎士の血で汚し、小さな口から長い舌を伸ばして流れ出る紫血をベロリと舐めた。かつての弟子の目にしか見えない幻影であっても、その肉声と肉感は真に迫っていた。
「嗚呼……こんなに、血を流して……きっと、すごく痛いのでしょうね……苦しいのでしょうね……」
正面に回り込んだローマリアの幻影が、労るように暗黒騎士の胸に身体を寄せる。慈しむように瞳を閉じて、しばしの間ゴーダの腕の中に身を預けるその姿は可憐だった。
しかしほどなくしてゴーダの顔を上目遣いで見上げてきたローマリアの目は、ぎょろりと丸く見開かれ、口許は嘲笑でグニャリと歪み、そこには美しい容姿とは不釣り合いな猟奇が渦巻いていた。
「ですけれど……貴方に置いていかれたわたくしの心の痛みは、こんなものではなくてよ……うふふっ」
「…………」
「ねぇ? 何か仰ってはいかが? いつものように嫌みを言えばよろしいわ。醜い言い訳でも構いませんわよ……『助けてくれ』と、だらしなく泣きついて御覧なさい?」
「…………」
魔女の幻影の声を何度も耳にしながら、しかしゴーダは何も言わなかった。ローマリアが嘲笑を漏らすに任せ、剣を静かに持ち替え、構える。
「……何も……仰らないのね……」
「…………」
「嗚呼……貴方は、何時だってそう……今、何か一言でも口に出していれば、わたくしは貴方のことをこの“右瞳”で消していたでしょうに……全部、諦めることが出来ていたかも知れないでしょうに……」
「…………」
「うふふっ……女心は分からないのに、相変わらずそういう勘だけはよろしいのね……嫌な人ですわ……本当に、大嫌い……」
「…………」
魔女の幻影が再びふわりと舞い、“運命剣リーム”を構えたゴーダの腕に自分の腕を宿り木のように絡ませて、ローマリアの声が耳元に囁きかける。
「ええ、いいでしょう……貴方が望むのなら、たとえこの世全ての存在を敵に回したとしても、わたくしは構いません……貴方が、そう望みさえするのなら……それがわたくしの、たったひとつの望みなのですから……」
「…………」
「さあ、お行きなさい、破門の弟子よ……理不尽と不条理を、貴方の望むままにお振るいなさい……“四大主”とは、そういうものですもの」
「…………」
そしてローマリアの幻影がふわりと運命剣に身を寄せて、その刃に唇を寄せた。魔女の口づけが空間を、宇宙を、世界そのものをグニャリと波打たせて、そこに幾重にもさざ波を広げていく。
「わたくしを殺してくれなかった癖に、貴方だけ楽になろうだなんて、そんなこと絶対に赦しませんわ……――勝ってみせなさい、最強の暗黒騎士……」
……。
……。
……。
「…………こんなに嫌な女は、後にも先にもお前1人だけだ、ローマリア……」
幻影が見えなくなる直前、ゴーダが一言だけそう言った。それを聞いたローマリアの顔には、いっぱいに嘲笑の色が浮かび上がっていた。
「……アはっ」
狂気を孕んだ嗤い声だけを残して消えていった翡翠色の左の瞳は、少しだけ潤んでいるようにも見えた。




