25-5 : “英雄歴”
「この器の姿では、お初にお目にかかるかのう……」
たった1体の亡者となったリンゲルトが、大仰に手足を動かして恭しくお辞儀をしてみせた。
「そうだな……何も従えていない貴様を見るのは、これが初めてのことだ……」
剣の切っ先をリンゲルトにピタリと向けたまま、ゴーダが言った。
「カカッ、それはそれは……」
「えらく丸腰のようだが、その質素な器で私とやり合うのか?」
「無論……」
「家来どもはどうした……連中でも、足止め程度には使えるだろうに」
様子を窺うようにそう呟いたゴーダの声は、心なしか強ばっているように聞こえた。
「カカッ、生憎と、この器で喚び出すのは、この1体だけでよい……――」
コキリ。と、準備運動をするように首を捻り、“渇きの教皇リンゲルト”の眼窩が暗く光った。
「――祖国の礎を築きし“英雄”の伝説に、数だけの役者など、目障りなだけであろう……?」
……。
……。
……。
――これは……ちと、厄介かもしれないな――。
“魔剣のゴーダ”の脳裏に、そんな言葉がちらと過ぎった。
……。
……。
……。
「カカカッ」
英雄の器を借りたリンゲルトが、ゴーダの見やる先にゆらりと立ち尽くしたまま、渇いた声で笑った。
……。
……。
……。
「――余所見しておる暇があるのか? 暗黒騎士……」
背面の首元で、その声は聞こえた。
「……っ!?」
集中していたゴーダの意識がその変化を認識するよりも早く、リンゲルトが背後に回り込んでいた。首筋に、ゾワリと嫌な寒気が走る。
右脚に重心を寄せ、その踵を軸にぐるりと素早く身体を捻ったゴーダが、振り返り際に足下から頭上にかけて袈裟斬りを放ち上げた。
――ゆらり。
「見事な太刀筋よのう……。じゃが……カカッ、わずかばかり力み過ぎておるのではないか、ゴーダよ……カカカッ」
振り向きざまの一閃をゆらりとかわしたリンゲルトが、ゴーダの耳元でぼそりとそう呟いた。骨の手が、ぞわりと撫で付けさえしてくる。
「チッ……!」
骨と甲冑が触れるほどの位置にいるリンゲルトと距離を開けようと、ゴーダが舌打ち混じりに肘鉄を放った。
「――どうした? 剣の間合いの内側に入られたのが、それほど不愉快か?」
骨を砕くほどの鋭さで突き出された肘が、空気を切る。
リンゲルトの死者の声が、先ほどまでとは反対側の耳元にひやりと聞こえた。
「なっ……!」
打ち出した肘鉄の勢いで思わず重心の崩れたゴーダが、堪らずふらりと片脚を前に出した。
「カカカッ」
教皇の笑い声が間近に聞こえ、“不毛の門”の双璧に切り取られた細長い空が、視界の中でぐるりとひっくり返っていた。
「……っ!」
そしてようやく意識が追いついたときには、ゴーダの身体は地面の上に仰向けに転倒していた。
「これは傑作よ……かの暗黒騎士が蹴躓いて転げる様など、そうそう見られるものではなかろうて……カカッ」
地に転げたゴーダの顔を覗き込むリンゲルトの骨の顔は、明らかに嗤っていた。
「…………」
英雄の器を借りたリンゲルトの単純な戦闘力は、想像を上回るものだった。教皇にあしらわれ仰向けに転ばされたまま、ゴーダは無言で天を見やっている。兜の奥から、怒りに震えるような呼吸の音が漏れ聞こえた。
「ゴーダよ……せっかく、貴様の得意な単騎勝負を設えたのじゃ、もっと愉しませてみせよ……」
何も言わず倒れ込んでいるゴーダの上に屈み込み、リンゲルトが挑発するように言った。暗黒騎士の息の震えに、教皇は耳を傾ける仕草さえしてみせる。
「――の――る――」
黒い兜の内側から、ゴーダのわなわなと震える声がぼそぼそと聞こえた。
「カカカッ……」
カタカタと愉快げに嗤うリンゲルトが、首をわずかに回して耳をそばだてて見せた。
「何を喚きよるのかのう……カカカッ」
……。
……。
……。
「――私の剣は、一太刀で2度斬る、と言ったのだ……」
震わせていた声をぴたりと鎮め、ゴーダがにやりと嗤い返した気配があった。
「むっ……!」
「気付くのが遅いんだよ……愚か者」
倒れたゴーダの上に屈み込ませていた身をリンゲルトが退かそうとしたときには、既にその場は東の四大主の術中だった。
ぐっと胸ぐらを掴まれたリンゲルトが、更に力強くゴーダに引き寄せられる。
「――“魔剣一式:冑通し・顧”」
空間の一部が、蜃気楼のように歪む。始めは小指の先ほどだったその歪みは瞬きするよりも早く成長し、それは先ほどゴーダが振り上げた袈裟斬りの軌跡を逆向きに再生するように、全く同じ軌道を上から下に向けて斬りつけた。
2度目の斬撃がリンゲルトの首を直撃し、音もなくぽろりと斬り飛ばされた頭骨が自由落下していく。
「…………」
――ニヤッ。
落ちていく教皇の眼窩に点った暗い光は、にやりと揺れてゴーダを見ていた。
次の瞬間、骨の拳をぐっと握った首なしのリンゲルトが霧散したのと、ゴーダが素早く身を翻してその場を離れたのと、地面から無数の骨の槍が突き上がったのは全く同じタイミングだった。
「カカカッ……いやはや、ばれてしもうたのう……」
霧散した灰が1箇所に集合し、その場に無傷の“渇きの教皇リンゲルト”が立っていた。
「何が英雄だ、白々しい……」
立ち上がったゴーダが、糾弾するように言った。
「いつもと違って、随分と便利な身体だな、リンゲルト」
「伝説とは、姿も形もその内容も、語り継がれるたびに変遷してゆくもの……なればその英雄の像とは、まさしく霧のように移ろい定まらぬ」
ボロボロの外套をふわりと揺らして、リンゲルトが愉快そうに言った。
「それこそが“英雄歴”……民草の口から口へと枝葉を伸ばした、変幻自在の“無色の灰”よ……」
「灰を練り上げた骨の身体ではなく、灰そのものがその器の本質、か……」
“運命剣リーム”にこびり付いた灰を振るい落としながら、ゴーダが思案するように呟いた。
「カカカッ……手の内が露見するより先に決着をつけようかとも思っておったが、まぁよい……」
コキリ。と首を回して、リンゲルトが渇いた笑い声を上げる。
「貴様がこの器の何たるかを知ったところで……剣で灰は切り落とせぬわ、カカカカッ」
リンゲルトの声が幻聴のように遠ざかり、その身体が輪郭をほころばせ、吹き消えた。
霧散した教皇の痕跡はどこにもなく、わずかな気配も感じられなかった。
「――!」
突如、ゴーダが地面を蹴って横に跳ぶ。実体化したリンゲルトが、“無色の灰”で象った三つ叉槍を正に突き下ろした瞬間だった。暗黒騎士の背中を狙って突き出された三つ叉槍は空を切り、その先端が地面に突き立つ。
ザクザクザクッ。と、大地に触れた三つ叉槍の先端が無数に枝分かれし、乾いた地面に数え切れない孔を開け、その場を粉々に砕いて陥没させた。




