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23-2 : 終わるべきだった物語

 夜が更け、雲1つない夜空の上で星の配置が移り変わっていく。草木の間でしきりに鳴いていた虫たちもいつの間にか眠りに就いたようで、星明かりに照らされた紺色の世界からはき火のぜるパチパチという音以外の一切の音が消えていた。


 魔物除けにとたきぎをひとしきり積み直してから、ゴーダは「しばらく眠る」と言ったきり、片膝を立てて座った姿勢のまま動かなくなっていた。暗黒色の兜は外されたままで、うつむいて垂れた髪に隠れて目元は見えなかったが、本人が口にした通り、東の四大主は眠り込んでいるらしかった――き火の前にじっと座り込み、目を開けたままでいるエレンローズをその場に残したまま。



「…………」



 ゴーダの言う通り、無理にでも食べ物を胃の中に入れてからというもの、エレンローズの意識にずっとかかったままでいた濃いかすみは幾分か薄らいできていた。


 しかし、頭の中でぐるぐると回り続ける渦がそれで治まったわけではない。


 唐突によみがえる記憶の鮮明な像の前に内臓がねじれ、鈍い頭痛が近づいては遠ざかっていくことを繰り返す。


 その発作のようなものの波が引いた合間に自分の置かれている状況を考えると、エレンローズはますます頭が混乱してきていた。


 原生林の中、大木のうろいだかれて、深く暗い場所に落ちていく感覚が消えかけた夢の記憶のようにうっすらと脳裏に焼き付いていた――自分の身体が自分の意識から離れ、突然ふっと全ての重さが消え、思考が溶けて流れ落ちていくような、強烈な浮遊感。


 あれは、あれこそがきっと“死”というものだったのだろうと、エレンローズはぼんやりと思い返す。その鮮烈な記憶も、肉体と意識のつながりが修復された今となっては少しずつその輪郭をかすませてきていた。


 あの場でそのまま死ぬことが、最も自然なことの成り行きだったに違いないとエレンローズは反芻はんすうする。何者にも成れず、何をす資格もない私の物語は、あの場で終わってしかるべきだったろうにと。


 そして次にエレンローズの中に浮かんだのは、疑問だった。あそこで死んでいるはずだった私は、何故なぜかまだ生きている。しかも目の前には、黒い甲冑かっちゅうを身につけた魔族の男。


 “宵の国”東の四大主、“魔剣のゴーダ”。意識が戻って目を開けた直後は、目の前で黒馬にまたがっているその人物が何者なのか判別がつかなかったが、“明星のシェルミア”と壮絶な一騎打ちを繰り広げた黒い騎士の容姿をエレンローズは片時も忘れたことなどなかった。


 だから同じ剣を持つ者として、はるか高みの存在と考えていたその男が、言葉も話せなくなった自分に看病のような真似まねをしてみせ、食事まで用意し、あまつさえ目の前で眠り込んでいる今の状況に、疑問しか湧いてこなかった。


 この剣士は、一体何がしたいのだろう。


 私は、どうするべきなのだろう。


 そんな疑問が湧いては消え、消えては湧いてを繰り返す。


 眠れなかった。眠れるはずがなかった。身をまも甲冑かっちゅうは気を失っている間にどこかに置いてきてしまっていたし、周囲に味方の気配もない。この身に残されているのは、腕の中にずっといだいたままでいる“運命剣リーム”だけだった。


 此度こたびの戦役が開くより以前、王都の騎士団兵舎でのやりとりをエレンローズは思い返す。


 何の前触れもなく、反逆者の汚名を着せられ突然姿を消したシェルミア。それと入れ替わるように団長の座についたアランゲイル。それを契機に、一気に“宵の国”への侵攻の機運が高まっていった異様な空気のにおい。


 ……肌をう王子の指先の感触と、全てを呪うようなおぞましいささやき声。


 ……息ができなくなるほど固く抱き締め合った双子の弟の、優しい声。



 ――四大主を、殺せ、エレンローズ……そうすればシェルミアの件、一考してやろう……。



 ――僕らならきっと、四大主を殺して、あいつに約束を守らせることができるよ、姉様。



「…………」



 確かにこの状況は、千載一遇の機会だった。味方はいないが、相手も1人。不用心に眠っている今、それをやらない理由はどこにもなかった。



「…………」



 剣の柄に、エレンローズが恐る恐る指先を伸ばす。


 鼓動が一段早くなり、心臓が胸の中をたたきだす。



「……はぁ……はぁ……」



 噴き出した汗で、手のひらがべっとりとれ、麻の服が肌に張り付いた。



 ――殺せ、エレンローズ。



 ――殺すんだよ、姉様。



 繰り返される幻聴に押され、意を決したエレンローズが運命剣の柄をぐっと握り締めた。



「はっ……はっ……ぁ゛……」



 過呼吸になった口許くちもとから、濁った雑音がこぼれる。喉はカラカラに渇き、網膜の中で白い火花のようなものが無数にちらついた。



 ――殺せ……殺せ……。



「はぁ゛っ……! はぁ゛っ……!」



 手が震え、思考が止まっていく。前後の脈絡が途切れ、自分が今なぜこんなことをしているのかも分からなくなってきていた。



 ――殺せ……四大主を殺せ……魔族を殺せ……殺し尽くせ……。



 ただ意識の底に聞こえるその声だけが、どこか深いふちに向かってエレンローズの背中を乱暴に押し込もうとしていた。



「……あ゛……うぅ゛……うぅ……っ!」



 熱病に冒された病人のように目を丸く見開いて、エレンローズがゆっくりと、運命剣の柄を握った震えの止まらない手を持ち上げていく。



「はっ……はっ……!」



 ――こ、殺さ、なくちゃ……! 四大主を、殺して……シェルミア様を、た、助けなくちゃ……!



 手の震えの伝わった刀身が、さやの中で暴れてカタカタと小刻みな音を立てる。そしてそこからわずかにのぞいた刃の端に、き火の光が映り込んだ。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――エレン……。



 発作で朦朧もうろうとなる意識の中に見えたのは、彼女がずっと憧れ追いかけ続けてきた、“明星のシェルミア”の後ろ姿だった。


 ……。


 ……。


 ……。



「――……やめておけ」



「っ!」



 先ほどと同じ片膝を立てた姿勢のまま、うっすらと片目を開いて、“魔剣のゴーダ”がぽつりとつぶやいていた。


 エレンローズの手元からふっと力が抜けて、わずかに引き出されていた運命剣の刀身がさやに収まるカチンという音がする。



「……ぁ……!」



「殺気と気配の消し方がなっていないな。それに、迷いが余りに多すぎる……」



「…………」



「何が見えていたのか知らんが……黙って殺されてやるほど、私もさすがにお人()しではないぞ」



「……っ……」



「忠告は、1度きり……見逃すのも1度きりだ」



「…………」



「生き急ぐな……“明けの国の騎士”」



 ……。


 それだけ言って、“魔剣のゴーダ”は再び目をつむり、眠りのふちに戻っていった。


 ……。


 ……。


 ……。



「ぁ……ぅ゛……ぉ゛ぇ゛ぇ゛……! ひぐっ……あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ……!」



 夜の只中ただなかに独り取り残されたエレンローズがくずおれ、胃の中の物を吐き出し、子供のようにみっともなく泣きじゃくる小さな声が、いつまでも続いていた。


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