22-12 : 巡り合わせ
“烈血のニールヴェルト”との邂逅を経て、“魔剣のゴーダ”の果たすべき目的は増えたが、その向かう先に変更はなかった。
目指すは北方国境線付近。その一帯のどこかで“明けの国”への攻勢進路を取っている筈の、北の四大主“渇きの教皇リンゲルト”の制止――魔族の国と人間の国、その双方の均衡を保つことが至上の命題であるゴーダにとって、それは最優先で対処しなければならない問題だった。
手綱を握ったゴーダが黒馬の横腹を足で小突き、出立の合図を出す。
それに応じた黒馬が、軽快な小走りを始めたが――。
「……?」
駆け出してから数秒後、黒馬は歩みをピタリと止めた。
「どうした?」
ゴーダがもう1度、手綱と足を使って黒馬に指示を伝える。しかし黒馬はブルルと鼻息を立て、主の命を拒絶した。
黒馬がゴーダの方へと首を回し、聡明さの宿る大きな目で主の顔をじっと見つめる。
「私に伝えたいことでもあるのか?」
ゴーダの語りかけに、黒馬はただ見つめ返すばかりである。その潤んだ瞳に、そこを覗き込む暗黒騎士の姿がはっきりと映り込んで見えた。
「……ふむ」
ゴーダがふっと、手綱を握る腕から力を抜いた。それを見届けた黒馬が礼でも言うようにフンと鼻を鳴らし、前に向き直って、それまで駆けてきた順路を外れ、原生林の藪を掻き分け歩き出す。
「身を隠している間に、何か見つけたか……案内してくれ」
***
藪を抜けた先には、細い獣道が延々と伸びていた。
雨が音もなく降り続けすっかり泥濘んでいるその道には、靴底の跡がはっきりと残っていた。
「これは……ニールヴェルトの足跡か。なるほど、私に仕掛けてくるより前に、ここで何かあったといったところか」
カポカポと蹄の音を響かせて、黒馬が獣道に続くニールヴェルトの足跡を辿っていく。この場でニールヴェルトが何をしていたのか、初めの内、ゴーダには皆目見当がつかなかった。しかし獣道の緩い曲がり角を抜けた先で“それ”を目にした途端、暗黒騎士は大方の状況を察することになる。
泥の上に続くニールヴェルトの足跡の横を、赤い血を含んだ雨水が長く尾を引いて流れていた。
「……」
足下の血の流れを追って、ゴーダがその上流へと目線を這わせていく。獣道の凹凸にそってウネウネと蛇行する赤い小川が、ある所でほぼ直角に向きを変え、それはその先の大木の根元に空いた虚の中へと続いていた。
黒馬から降りたゴーダが、ゆっくりとそちらへ向かって歩いていく。中身のない鞘に手を掛けながら、気配を殺して虚の中を覗き込む。
「……」
覗き込んだ虚の奥には、横腹に負った深い傷から血を流し、だらりと脱力して横たわり、濁った瞳に虚空を映す人間の身体があった。
銀色の髪を短く切り揃えた女だった。胸当ては剥ぎ取られていたが、甲冑を身につけていることから、騎士であることは間違いなかった。左脚と左肩に重い傷を負っていたようで、包帯代わりに衣服の切れ端が巻き付けられている。致命傷になったのであろう腹部の傷口には、1本のダガーが突き立ったままになっていた。
「奴のダガーだ……“ネクロサスの墓所”から敗走してきたのか、それとも仲間割れか……いずれにせよ、こんな場所で、しかも同じ人間の手にかかって斃れるとは……さぞ、無念だったろうな」
ぽつりとそう零すゴーダの目に、女騎士の冷たい肉体がその身で庇うように抱きかかえている一振りの剣が目に入る。
「! これは……」
その古い様式の装飾が施された剣のことを、見間違うはずがなかった。
「なぜこれが……こんなところに……」
“運命剣リーム”。“魔剣のゴーダ”との一騎打ちに見事打ち勝って見せた、“明星のシェルミア”の振るった剣。夢にも思わないタイミングでのその剣との再会に、ゴーダはぞくりと肌が粟立つのを感じた。
「そうか、思い出したぞ……お前はあのときの…… 一騎打ちの見届け人だったか」
シェルミアとの一騎打ちに応じた際、その見届け人として“明けの国”の姫騎士とともにわずか3騎で国境線を越えてきた騎士の内の1人。シェルミアから“運命剣”を預け持たされていた騎士のその姿を思い出して、ゴーダは深く息を吐き出した。ニールヴェルトの狂喜の嗤い声が頭の中で再生され、ここで何があったのかを想像すると、思わず拳に力が入った。
「そうまでして、主君の剣を護ったか……。全く、シェルミアといい……“明けの国”の女騎士の意地の強さといったらないな……。名は……何というのだったか……」
ゴーダが、女騎士の身体に庇われた“運命剣”に手を伸ばす。
「……」
その指先が柄に触れる寸前になって、暗黒騎士は躊躇うようにその手を止めた。
「……。無粋だな……。ニールヴェルトにさえ渡さず護り抜いたのだ……今更、私が触れる訳にもいくまい……」
剣に触れることなく手を下げたゴーダが、再び深く息を吐き出す。数秒間、兜越しに眉間に手をやり、考え込む間があった。
「……。ここでは魔物に喰い散らかされる……。ならせめて、誰にも暴かれないように墓を――」
ゴーダが呟きかけた、そのときだった。
「……――」
「むっ……」
ゴーダが今1度、虚の中へと腕を伸ばす。
「まさか……」
その手は“運命剣”を通り越し、斃れた女騎士の顔へと近づいた。触れた頬の冷たさが、甲冑越しにも伝わってくるようだった。
「……――」
「……」
ゴーダはそのままじっと身を固め、女騎士の姿を見やる。
……。
……。
……。
「……――ァ……」
……。
……。
……。
「……ふぅっ!」
ゴーダが三度、特別大きな息を吐き出し、脱力した。
「……生きているぞ、まだ……! しかし、このままでは……」
女騎士の身体は氷のように冷たく、心臓の鼓動は首筋に指を当てていても分からないほど弱っていた。呼吸をしているのかどうかさえ怪しく、ただ先ほど聞こえた消え入る寸前の譫言の断片だけが、まだ命が燃え尽きていないことを示していた。
再び、暗黒騎士が押し黙り、思慮を巡らせる数秒間があった。
「……やってみるしか、あるまいな」
意を決したゴーダが、女騎士の横たわる虚の中へと入り込んだ。その中から外を振り返り、細雨の中にじっと佇む黒馬に語りかける。
「よく、知らせてくれた。私にできる限りのことはやってみるつもりだ。しばらく他のことに気が回せんかもしれん……悪いが、そこで見張っていてくれ」
黒馬はまるでその言葉の意味を理解したように、寡黙を解いて1度だけフンと鼻を鳴らしてみせて、そしてそれきり、物音も立てずにじっとその場に居直った。




