21-15 : 泣き声
――“宵の国”、中央南部。
「グ……グルブ……」
全身を痙攣させた紅の騎士が、最期に小さく唸り声を上げて、ドロドロに溶けて跡形もなくなった。
「あーららぁ……まぁたハズレだぁ……ひはは」
騎士の姿を成していたユミーリアの分血がただの屍血に還り、土に吸われてシミになっていくのを眺めながら、“烈血のニールヴェルト”が面白がるように呟いた。
「あーぁ……じれったいぜぇ、ほんっとに……ほれ、次はお前だぁ、じっとしてろぉ……」
ニールヴェルトが周りに目をやって、手近な位置にいた1体の紅の騎士を指さし、そちらに向かって歩き出す。狂騎士は歪んだ半笑いを浮かべて、屍血まみれになった手で目当ての騎士の肩をトントンと叩いた。その手には、血みどろになった一巻きの術式巻物が握られている。
「ニールヴェルト、貴様、手駒を何十体使用不能にするつもりだ……」
その背中に向かって咎めるように忠告したのは、“王子アランゲイル”である。
「そんなもん、アタリを引くまでに決まってますよぉ、殿下ぁ」
ニールヴェルトがヘラヘラと笑い返しながら、さも当たり前のように言い捨てた。
「貴重な戦力をこれ以上浪費するようなら……貴様の血で贖ってもらうことになるぞ……」
冷たい目を細めて、アランゲイルが腰に吊した剣に手を伸ばす。王子の苛立ちに反応しているのか、その真紅の剣、“人造呪剣ゲイル”の表面がゴボリと泡立つ音を立てた。
それを背中に聞いたニールヴェルトが、鼻で笑う声が聞こえた。
「はっ、俺の薄っすい血じゃあ、潰した騎士どもの数と割に合わないと思いますけどねぇ? それにぃ、別にこんなもん“貴重”でも何でもないでしょぉがぁ」
ニールヴェルトが鬱陶しげに顎で指した先には、魔族兵の死体から血を啜っている紅の騎士たちの姿があった。
駐屯する魔族兵が全滅した砦の中では、千体近くにまで数を増やした紅の騎士たちが紫血を求めて至る所をうろついていた。
「減っちまった分はぁ、適当にその辺から“餌”を持ってくりゃいいだけですよぉ。これぐらい見逃して下さいよぉ、っとぉ」
世間話をするような気軽さで呟きながら、ニールヴェルトは顔色ひとつ変えずに目の前にいた紅の騎士の胸部を“カースのショートソード”で串刺しにした。
「グッ……ガルッ……」
「はいはい、大人しくしてろぉ。そろそろ当てないとぉ、冗談抜きで俺もあの魔剣に喰われそうだからなぁ」
口角をニヤリと吊り上げて呟きながら、ニールヴェルトが斬り裂いた紅の騎士の胸元に術式巻物を押し込んだ。
「ギ……ガブッ……」
術式巻物を心臓部にねじ込まれた途端、紅の騎士の全身に魔方陣が浮かび上がり、術式が青白い光を放ち始めた。
「よっと」
ニールヴェルトが魔方陣の浮かぶ紅の騎士の兜に顔を近づけると、狂騎士の頭部が兜の中に吸い込まれて消えた。
「……んー……」
首から先が消失したニールヴェルトの声が奇妙な反響音を含んで聞こえ、やがて面白くなさそうな表情を浮かべた狂騎士の頭が戻ってきた。
「あっちゃー……まぁた外したぜぇ……くじ運使い果たしちまったかな、ははっ」
肩をすくめたニールヴェルトが、紅の騎士の心臓からズルリと術式巻物を引き抜く。するとたちどころに真紅の甲冑の上に浮かび上がっていた魔方陣は消え、あとにはドロドロに溶けた赤い屍血溜まりだけが残った。
「……まだ続けるつもりか?」
顎を上げて狂騎士を見下すようにしながら、アランゲイルが平坦な声で言った。
「全く……“特務騎馬隊”の身体が転位魔法の媒体になるとは……どういう理屈でそんなことが起きているのか知らんが、ミイラ取りがミイラになるぞ。転位先に四大主がいでもしたらどうするつもりだ?」
「ひははっ、転位の術式巻物を使わずに転位できるんだぁ、便利なもんでしょぉ? これを使ってボルキノフの旦那がロランの腕輪を寄越してきたときの殿下の顔、傑作でしたよぉ」
顔面をぐにゃりと歪ませて、ニールヴェルトが思い出すように嗤った。
「ロランの野郎、姫様の“封魔盾”まで持ち出して、結局“三つ瞳の魔女”様には敵わなかったってなぁ。ひははっ……ああ、羨ましいぜぇ……」
思い出し嗤いが止まらない様子で、狂騎士の口角が更に歪に吊り上がる。
「今思い出してもゾクゾクするぅ……知ってますかぁ、殿下ぁ? あの魔女様の後ろ姿、最ッ高にそそるんですよぉ……あぁ、何なら西に転がってる“特務騎馬隊”の死体と転位陣が繋がってくれねぇかなぁ……そうすりゃあ、魔女様と一戦ヤれるのになぁ……」
半月の形にニンマリと目元を嗤わせて独りごちるニールヴェルトの頬は、興奮で紅潮していた。
「……チッ。忌々しい……“宵の国”領内の侵攻に成功し、“ゲイル”を手にした今、討つべきは“淵王”ただ1人だ。四大主になどもはや興味はない」
「連れねぇこと言わないで下さいよぉ、殿下ぁ。何なら賭けてみますかぁ? 次に繋がる先にいるのが、四大主か、魔族か、それとも人間の死体かってねぇ、ははっ」
「貴様……どの口が言う……」
「ははっ、冗ッ談ですよぉ、殿下ぁ。……あー、分かりましたよぉ。次、次で最後だぁ。次が外れたらぁ、きっぱり諦めますよぉ。それでいいだろぉ?」
アランゲイルの血走った目を見て、ニールヴェルトが口許の嗤いを消して渋々言った。
“最後の1体”と宣言した紅の騎士を刺し殺し、その心臓に転位の術式巻物をねじ込んだニールヴェルトが、その転位先――“宵の国”の各方面へ侵攻した紅の騎士の個体のいずれか――から顔だけを覗き出させて、周囲の様子を窺った。
「……はは……」
紅の騎士の遺骸を媒体に始動させた転位の魔方陣に首を埋めたニールヴェルトの、不敵に嗤う声が王子の耳に届く。
「はは……ひはははっ……ほら、俺ぇ、ここぞというときの引き運は強いからさぁ……」
……。
……。
……。
「“アタリ”だぁ……大当たりぃ……」
歓喜の声を上げたニールヴェルトの身体が、転位陣と化した紅の騎士の内部にズブズブとめり込み始めた。
「待て、貴様……どこへ行く!?」
転位陣の中にゆっくりと踏み入っていく狂騎士の背中に向かって、アランゲイルが叫んだ。既にニールヴェルトの身体の半分以上が、転位陣の向こう側に消えつつあった。
「悪ぃですねぇ、殿下ぁ。ちょぉっと、留守にするぜぇ……。ちゃぁんとそのケツ追っかけてやるからよぉ……あんたらだけで先に行ってなぁ」
それだけ言うと、ニールヴェルトの姿は転位陣の向こうへ消失し、あとには使い捨ての魔方陣としての役割を終えてドロドロに朽ちた紅の騎士の残骸だけが残った。
魔法陣が消滅する寸前、ニールヴェルトが“アタリ”と呼んだその“声”が、転位陣の向こうからアランゲイルの耳にもはっきりと聞こえていた。
――……ごめんなさい……ごめんなさいっ……ごめんなさい゛ぃ゛ぃ゛……。
……。
……。
……。
「どぉしたぁ……面白いことになってンじゃねぇかぁ……えぇ? エレンローズぅ……ひははっ……」
……。
……。
……。




