21-12 : 痛みの愉悦
――“イヅの大平原”、中央。
「……ぐふっ……」
赤い鮮血が、その心臓を刺し貫いた剣先を伝ってボタリボタリと平原の緑を染めていく。
「……」
ベルクトがくるりと刃を返し、刀身を更に深く敵の胸部へと突き刺して、その傷口を斬り広げた。
「……ぶっ……ぐっ……」
赤黒い血を吐き出しながら、ボルキノフが焦点の合っていない目を丸くした。
……。
……。
……。
ピクリ。と、ボルキノフの指先がわずかに動いて、両腕がゆっくりと持ち上がっていく。
「……っ」
それを見たベルクトが小さく舌打ちして、突き立てていた刃を引き抜いて後ろに下がり、距離を開けた。
「……むぅ……っ」
ボルキノフは胸の傷口からおびただしい量の血を噴き出しながらよろりと足下をふらつかせたが、即死していてもおかしくはない傷を負いながら、“忘名の愚者”はそれでも2本の足でしっかりと立っていた。
「貴様……“何”だ……?」
ベルクトが、得体の知れない物を警戒するように冷たい声で言った。
「“何”だとは、失礼じゃあないか……私は、見ての通り……赤い血の流れる、“明けの国”の民……人間、だよ……」
――シャッ。
ブシュウッ、と勢いよく血が噴き上がる音がして、ボルキノフの頸動脈を切断したベルクトが背後に回り込んでいた。
「……おぉっと……!……人が……喋っている、時に……何だね……むっ……ごぼっ……血が、喉に、流れ込んで……酷く話し、難いじゃ、ないか……ごほっ」
「心臓を刺し貫いた上に、首を斬られて何食わぬ顔で喋り続ける存在を、人間とは呼ばん」
刀身にべっとりとこびりついた血糊を振り払いながら、ベルクトが吐き捨てるように言った。
「はは……ははは……全く、酷い扱われ、ようだ……これでも人並みに、痛覚は、あるというのに……」
「痛みを痛みと感じる人間は、貴様のように笑うのか?」
「くく……くくく……ああ、これは失礼した……私としたことが、こんなときに……」
全身を自身の血で染め上げたボルキノフが口許に手を伸ばし、ぐにゃりと捻れ吊り上がった口角を撫でる。
「永らく、暗い地の底で、過ごしてきた、ものでね……五感の刺激が、とても新鮮、なのだよ……。そう、君の言う通り……特に“痛み”という、感覚は……殊更に、扇情的だ……。自分自身の痛覚も、さることながら……他者の痛みというものは、また格別に……甘美な愉悦だ……」
グサリッ。
背後から、ベルクトがボルキノフの腹部を刺し貫いた。刀身を横に払い、内臓をズタズタに斬りつけていく。
「……むぅっ、ぐっ……! ゴボッ、ゴホッ……。ああ、悪くない、感触だね……ぐっ、がぼ……っ! どうかね……君も、愉しかろう……?ごぼっ……」
「貴様と同じにするな……化け物」
「くくく……ははは……ああ、そうかね……? それは、残念、だ……」
「……」
ジャッ、と刃が肉を断つ鈍い音がして、ボルキノフの脇腹が斬り裂かされた。ばっくりと裂けた横腹から、内臓の切れ端のようなものが覗き見える。
「ガ、ハ……っ!」
失血による目眩と全身の激痛で足下をふらつかせているボルキノフの前方にベルクトが再び回り込み、間髪入れずに袈裟斬りを放った。左肩から右脇腹にかけてざっくりと深く斬りつけられた傷口から血が噴き出して、ベルクトの漆黒の鎧を返り血に染める。傷の大きさに比べて出血の量は異常なほど少なく、それがボルキノフのとうに致死量を超えた失血の多さを物語っていた。
「はぁ゛、はぁ゛……はぁ゛……う゛っ……」
全身を斬り刻まれたボルキノフが、とうとう堪えきれずドサリと地面に両膝を突く。だらりと力なく半開きになった口と、白眼を向いてうっすらと開かれている目は、無残な最期を遂げた死人の顔以外の何者でもなかった。
いかにベルクトといえど、その濃い血の臭いには軽い吐き気のようなものを感じないわけにはいかなかった。
……。
……。
……。
「あ゛あ゛……デミロフが、いなくては……私、1人では……はぁ゛……はぁ゛……随分と、手間が、かかる……」
「まだ口を利くか……ならばその首、はね落とすまで……」
「……ふふ……さすがに……私も……はぁ゛……首を飛ばされた、ことは……はぁ゛……ない、な……」
ベルクトの刀身が煌めいて、ボルキノフの首を刃先に捉える――。
……。
……。
……。
しかしその首は、繋がったままそこにあった。
「あ゛あ゛……やっと、効いてきた、か……」
死相を浮かべたボルキノフが、わずかに首の肉に食い込んだ刀身に手を伸ばしながら、ニィっと不気味に笑った。
「これは……!」
刀を振った姿勢のまま微動だにせず、ベルクトが息を呑む気配があった。
「はぁ゛、はぁ゛……ふふ……動けんかね……?」
ベルクトの刀を素手で握り、更にそこから血を流しながら、ゴボゴボと喉の奥で血が泡立つ雑音混じりにボルキノフが口を開く。
「私は……自分の血を、操る力が、弱くてね……生者を御すのは、特に、難しい……。“特務騎馬隊”の、全ての騎士に、祝福を与える、ユミーリアには……格段に、劣る……」
ぴくりとも動かなくなったベルクトの刀身を首からどかし、ボルキノフがふらふらと立ち上がる。
「苦労、したよ……君の、動きを、止めるのに……こんなに、血を、使ってしまった……ごぼっ、ごぼっ……」
“忘名の愚者”のうわごとをそこまで聞いて、ベルクトは全身に浴びたボルキノフの返り血と、自分の置かれている状況との関連に気がついた。
「死霊術の類いか……! それも、触媒に自分の血を使った……!」
「触媒、では、ないな……。この、身体を、得る、過程で……死を超越した、結果として……こういう体質に、なったという、だけのことだ……“石の、種”の……副作用……二次的産物、だろうな……。特に、娘の、ユミーリアに……この体質が、顕著でね……お陰で、紅の騎士という、手駒が、手に入った……」
ゆらゆらと左右に揺れながら、ボルキノフがゆっくりと近づいてくる。“忘名の愚者”のその言葉を聞きながら、深い地の底で“娘”と呼ぶ存在から血を抜き出し、死者の淀んだ血と混ぜ合わせて真紅の亡霊たちが作り出されていく光景を思い浮かべて、ベルクトは背筋に怖気が走るのを感じた。
“これ”は、滅ぼさなければならないものだ――ベルクトの本能が、そう告げていた。自らをボルキノフと名乗る目の前の存在と、恐らくは“これ”と供に現れた石棺の中に眠っているのであろう“娘”と呼ばれるもの……この“2つ”は、ここで確実に滅さなければならない……。
手遅れに、なる前に。
ベルクトの腕が、ボルキノフの血の束縛を振り切って、ゆっくりと動き出す。世界の理から外れたものを斬り伏せようと、少しずつ刀が持ち上がっていく。
――ビシャッ。
そのとき聞こえたそれは、ボルキノフが自らの肩の切創を抉って噴き出させた血がベルクトの甲冑を濡らした音だった。
「よくも、動く……だが……これで、もう、それも敵うまい……?」
ビシャッ。
更に返り血を浴びて、ベルクトの漆黒の甲冑が、ボルキノフの鮮血で全身真っ赤に染まる。
カラン。と、乾いた音を立てて、ベルクトの手から刀が落ちた。
それは身体の支配権を、完全に奪われたことを意味していた。




