21-9 : “真紅のデミロフ”
「なるほど……あのときの蒼石鋼の甲冑に細工をしたというわけか……幾ら殴ってもびくともせんわけじゃ……!」
溶鉄溜まりの中に立ち上がった“真紅のデミロフ”の正体を見たガランが、合点がいったと口許を笑わせた。しかしその笑いは硬く強ばり、ちらと目をやった自分の両拳には血が滲んでいた。
刀匠としての自身が生み出した刀の中で、唯一固有の名を与えた最高傑作、銘刀“蒼鬼”。それを鍛える過程で、ガランは超高硬度鋼“蒼石鋼”の厄介さを、身を以て知っていた。
常識では考えられないほどの耐熱性、我が目を疑う堅牢性、本来それとは相反するはずの優れた靱性……まるで道具としての形状を与えられることを拒むかのような、余りに加工の困難なその物性を、女鍛冶師は痛いほど理解していた。
「ガハ……ガハハ……参ったのう……知りとうなかったのう……」
なればこそ、ガランはそれを知らずに喧嘩ができればどれだけよかったろうと思わずにはいられなかった。たとえ同じ状況にあったとしても、相手が蒼石鋼の亡霊だと知らなければ、どれだけ楽に殴り合えたろうと、考えずにはいられなかった。
ガランは、“最愛の刀”を産む過程で、知ってしまっていた。
――どれだけ殴ろうが、砕き割ることなどできる訳がない。
――どれだけ熱しようが、溶かし崩せる筈がない。
――蒼石鋼そのものが意思を持って動こうものなら、それを止める術など、何もない。
――それはこのワシが、1番よぉく、知っておる……。
蒼石鋼の神聖なまでの性質を知ってしまっているが故に、ガランは自らの心の内に小さなしこりが生じるのを自覚した。
……。
……。
……。
――この喧嘩……ワシに、勝ち目は……。
自分の意思とは無関係に、自身の声が胸の中でそう零したのが聞こえた。
「……これは……ちぃっと、まずいのう……」
……。
……。
……。
「ヴァウラアァァァッ!!」
“真紅のデミロフ”が再び咆哮を上げ、溶鉄の沼を飛び出すと、その巨体は真っ直ぐにガランに向かって突進した。フレイルは溶鉄の中にとうに溶け、得物を失った蒼石鋼の亡霊が、自らの拳を振り上げる。
「ちぃっ!」
猛烈な勢いで距離を詰めてくる“真紅のデミロフ”を正面に捉え、ガランがぐっと腰を落として正拳突きの構えを取る。
「やるしか、あるまいのう……!」
「ヴゥゥウガァァァ!!」
ゴゥっと空気を押しのけながら、蒼石鋼の亡霊が拳を突き出す。
それを迎え撃たんと、ガランもビキリと拳に力を籠め――。
……。
「……く……っ!」
次の瞬間、女鍛冶師は、両腕と片脚を固く閉じて護りの体勢を取っていた。
――駄目じゃ……ワシにあれは……砕けん……!
鍛冶師としての直感が、喧嘩人としての本能が、「無理」という一言を漏らしてしまっていた。
……。
……。
……。
――ゴッ。
“真紅のデミロフ”の繰り出した拳が、護りを固めたガランに直撃する。
「……ぬぐっ……!」
その衝撃に全身の筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋み、脳が揺れた。踏ん張っていた足の感覚がふわりとなくなり視界が回って、ガランは自分の身体が吹き飛ばされたことを理解した。
「ウヴァアアァァアアァ!!!」
蒼石鋼の亡霊の咆哮が間近に聞こえ、吹き飛んだガランを追撃した“真紅のデミロフ”が、再び拳を叩き込む。
ズンッ。
「ぐぎ……っ」
宙に飛ばされながら、ガランは2度目の直撃も辛うじて凌ぎきる。しかしそれが限界だった。骨の芯から来る痺れで身体が言うことを聞かなくなり、力が入らなくなる。
「いかん……! じゃが、このまま吹き飛んで距離が開けば、その間に立て直して――」
「グヴァアァァアァァ!!」
護りが崩れ、殴打の衝撃に猛烈な速度で吹き飛ばされていくガランの目の前に、更に加速した“真紅のデミロフ”の姿があった。
「な……にぃ……!?」
ズドォッ。
無防備になっていたガランの腹部に、重い拳がめり込んだ。
「!!……ぐぶっ……?!」
腹の中心に打ち込まれた強烈な一撃に押されて、肺の中から全ての空気が抜けたような気がした。腹筋が捻れて、筋肉がぶちぶちと千切れる音が聞こえるようだった。
3発分の打撃の勢いが乗ったガランの身体が、ぼろ切れのように回転して、更に吹き飛ぶ勢いを増す。
そしてガランは、暗転しかけた意識の中で、尚も追いかけてくる蒼石鋼の亡霊の姿を見た。
……。
……。
……。
――なんとまぁ……豪気じゃのう……。
……。
――ゴーダ……ベル公……騎兵隊……ワシ1人では、お主らの家を、守ってやれんかったわい……。
……。
――すまん……すまんのう……。
……。
……。
……。
「ウヴァアァアアァァァッ!!!!!」
ボゴンッ。
4発目の鉄拳が、狙い澄ましたように腹部の同じ箇所に打ち込まれた。
「……っ!!……あ゛っ゛……」
身体を貫通してしまうのではないかというほどのそれは、事実、拳が見えなくなるほどに腹に埋まって、ガランは体内で内臓の位置がずれるような、今まで味わったことのない不気味な感覚を覚えた。
ズグリッ。
全くの無防備を晒した腹部にめり込んだ拳がそのまま回転して、身体が内側から捻れた。
「はあ゛っ……! ごぶっ……オ゛ぇ゛……っ」
涎と胃液と血が混ざり込んだ液体が、喉元を勢いよく上がってきて、ガランの口から吹き出した。
次の瞬間、4度の猛撃で飛ばされたガランの身体は“イヅの城塞”にまで押し戻され、凄まじい勢いで城塞の壁面に叩き付けられた。煉瓦が崩れ、壁を突き抜けた先は工房で、瓦礫の下敷きになった女鍛冶師は白眼を向いて意識を失っていた。
……。
……。
……。
――……ほんに……すまんかったのう……。
……。
……。
……。




