21-7 : 落とし前
「捕まえたよ……黒い騎士……」
ボルキノフの、満足げに震える声が聞こえた。
「気が変わった……ゴーダよりも先に、まずは君を……バラバラにしてみよう……」
探求者としての好奇心と猟奇的な興奮で、ボルキノフの顔が人間ではない形に歪む。
「ああ、まずは……邪魔な手足を外してしまおう……やりたまえ」
その声に従って、紅い戦士がベルクトの肩を握っている手に力を込める。
……メギッ。
甲冑が砕け割れるような、骨がねじ切れるような、不気味な音がしかけたとき――。
「……!」
晴れ渡った空の下、紅い戦士の頭上に一瞬何かの影がよぎって、次の瞬間には、巨大な鉄塊が放物線を描いて落下してくる光景が目の前にあった。
紅い戦士はベルクトを大きな両手で捕まえたまま、見かけによらない素早い動作で鉄塊の一撃を紙一重でかわした。暴力的な質量の塊が大地にめり込み、爆音と土煙を上げて天地を揺らす。
その中をさっと駆け抜ける人影があったのは、この状況から考えれば当然のこととも言えた。
「さあ……歯を食い縛れ、たわけ……」
土煙の中に、小さな2本の角がゆらりと揺れた。
腰を低く落とし、全身の筋肉を躍動させて放たれた正拳突きの風圧で土煙にさっと穴が空き、その向こうに鬼の形相を浮かべたガランの姿があった。
……ズンッ。と、拳のめり込む鈍い音がして――ガランの正拳突きの直撃を受けたベルクトが、紅い戦士の腕を抜けて猛烈な速度で吹き飛んだ。
女鍛冶師の剛拳を打ち込まれた漆黒の騎士の身体は数十メートルも飛び、その果てで大きな岩に激突し、ベルクトは粉々に砕け散った岩の下に埋もれる格好となった。
「シィーっ……」
辺りが、しんと静まりかえっていた。静寂の中で、ガランの吐き出す息だけが聞こえる。
「……どうじゃ……ちぃとは頭が冷めたか、ベル公……」
ガランの睨み付ける先で、岩雪崩をガラガラと掻き分けて腹部を押さえたベルクトがむくりと上体を起こす。
「……はい……ガラン殿……。……感謝します……」
「お主はそこで寝とれ……つまらん挑発に乗って、怒りで我を忘れるようなモンに、背中を預けることなぞできん」
「……面目次第もありません……」
ベルクトが、自身の醜態を恥じるようにうなだれた。
「よしよし、素直で結構。でなければワシは、本気の本気でお主の土手っ腹をもう一発ぶん殴っとるとこじゃ」
「……」
ザッ、と、ガランが地面を蹴ってボルキノフたちに向き直る。
「さてさて……いやいや、ウチの忠犬が大層な不格好を晒してしもうたのう。許せ、赤っこいの。それとデコ頭に、岩っころや。ガハハ」
胸の上で腕を組み、ベルクトと紅い戦士の間に仁王立ちしたガランが、悪餓鬼のようにニカッと笑った。
「ガハハハ!……ところで、じゃ。それはそれとして……」
大きな口を開けて豪快に笑っていたガランの顔が、ふっと引き締まる気配があった。
「……ワシの作った刀らを使う“騎兵隊”はのう……我が刀と同じほどに可愛いんじゃ……そんな子らを怒らせおった落とし前、つけてもらうぞ、たわけども……」
真顔になったガランが、何も持たぬ素手だけを前に出し、ボルキノフたちを睨み付けた。
「……君には……余り、興味が湧かないよ、角の生えた女……」
ガランの目を真っ直ぐに見返して呟いたボルキノフの声は、ようやく捕らえたベルクトを取り逃したことに対する失望感で低く重苦しくなっていた。
「かぁーっ! 失礼な奴じゃのう! それが女子に面と向かって言う台詞か! 女扱いされると背中がむず痒くなるが、“興味がない”と言われるとそれはそれでむかっ腹が立つ!」
ガランが不機嫌な顔つきになり、“むきーっ!”と地団駄を踏んだ。
「私が欲しいのは……あの黒い騎士と、“魔剣のゴーダ”だ。どけ、女……」
静かな苛立ちを宿した目で、ボルキノフが見下すように言った。
「はん! どけと言われてどく阿呆がどこにおる!」
調子よく言い放ったガランだったが、腰を落として拳を構えるその顔つきは、一切笑っていなかった。
「……ワシが邪魔なら……押し通ってみぃ……できるものならのう……」
……。
……。
……。
「その女はいらん……殺せ」
……。
……。
……。
ドッ。と、ボルキノフの命を受けた紅い戦士が、巨体とは不釣り合いな素早い踏み込みでガランとの距離を一気に詰めた。振り上げたその手には、棍の先端から伸びる5本の太い鎖にそれぞれ棘の生えた鉄球のついたフレイルが握られていた。
「どりゃぁっ!」
紅い戦士が前に飛び出したのに合わせて、ガランがどっしりと構えた足を半歩踏み出し、右手の拳底を打ち出した。
重い掌の一撃が紅い戦士の顎を捉え、脳天に突き抜ける衝撃で空気が震えた。
その一撃は、気絶はおろか首の骨を折り、そのまま頭部を吹き飛ばすほどの威力だったが、ガランには紅い戦士が真紅の兜の向こうからギョロリとこちらを凝視している確信があった。
「……ほ! くらりともせんか、頑丈じゃのう……!」
ぶぅんと空気が押しのけられる音がして、紅い戦士が振り下ろしたフレイルがガランの側面から襲いかかる。
「だらぁっ!」
空中で身体を捻ったガランが鋭い回し蹴りを放ち、硬い踵が鉄球のひとつの芯を捉え、バギンと甲高い音を立ててそれが砕ける。
残る4つの鉄球が眼前に迫ったが、ガランはその軌道を瞬時に見切り、身体を海老反らせてひらりとかわした。その過程で鉄球についた棘の先端が頬をかすめ、褐色の肌にうっすらと傷をつけたが、ガランはそんなものに構いはしなかった。
「シッ……!」
フレイルをかわしきったガランが、海老反った身体をぐるんと撓らせ、回転と踏み込みの勢いを乗せたその先で、左の拳を固く握り締める。
ビキリと全身の筋肉が躍動し、ガランの顔に“鬼”の形相が浮かぶ。全身の血管が赤熱し、褐色の肌の下に無数の炎の筋が現れ、火の粉がパチリと舞い、小さな角の先端に赤い火柱が上がった。
「往生せい……!」
――ズドンッ。
火を宿した拳の一撃が、紅い戦士の胸部に叩き込まれる。それは打撃音すら立たない、全ての衝撃を一点に集中させた渾身の拳だった。
高熱となったガランの肉体が空気を灼き、うっすらと白い煙が立ち上る。
しかし――。
……。
……。
……。
……ギョロリ。
「……なんとまぁ、これでも立つとは……たまげたのう……!」
その必壊の拳の直撃を受けても尚、紅い戦士は斃れなかった。
さすがのガランも、手応えを確信していた一撃が全く効いていないことに、動揺しないわけにはいかなかった。
その動揺が状況判断を鈍らせ、紅い戦士が間髪入れずに振り下ろしたフレイルへの反応に、ガランは一瞬の後れをとることになる。
「ちぃっ、まず――」
――ゴッ。
叩き込まれた4つの鉄球に対して、後れをとったガランは防御の姿勢をとるのが精一杯だった。腕を上げて身を護った左側面に、すべての鉄球が直撃する。
「むっ……!」
重い衝撃に、全身の骨がメシリと軋む音が聞こえた。
どっしりと護りの体勢を取っていたガランは吹き飛ばされこそしなかったが、フレイルの直撃に押されてその身体は地面の上を滑り動いた。踏ん張った足の裏が地面を削り、そこに2本の筋を作る。
……。
……。
……。
それは一瞬の間になされた攻防だった。両者はただ純粋に、力にものを言わせた破壊の塊をぶつけ合い、そして互いに、まだ立っていた。




