21-6 : 怒り
“イヅの騎兵隊”が紅の騎士たちと会敵する直前まで“イヅの大平原”の彼方に構えていたはずの巨大な石棺が、気づいたときには封殺されたベルクトたちからわずか数十メートルの位置にまで接近していた。
「これは驚いた……“イヅの城塞”の脅威は、君たち騎兵隊と東の四大主だけだと思っていたのだが……まさかあんな化け物を隠していたとはね……」
ベルクトにも、鷹の目の騎士にも気取られず接敵した“忘名の愚者ボルキノフ”が、賞賛するように言った。
「何者だ、貴様は……使者では、ないな」
依然として全身を押さえ込まれ身動きの取れないベルクトが、辛うじて首だけを回してボルキノフを睨み付けた。
「使者? ははは……はははは!……そんなものの筈がないだろう?」
何がそれほど面白いのか、天を仰いで大声で笑い出したボルキノフの気配は、常軌を逸したものを孕んでいた。
「ははははは! 私が誰の使者だというのかね? 萎みかけている“若造”の人の王か? 自分の吐き出す呪いで爛れた王子か? それとも地の底に堕ちた王女か? はははは! ははははは!」
「……」
「“そんな者たち”が! 詰まらん権力と武力と見栄に興じるばかりの人間が! 私を使役できるものかね! 私と、我が娘の、幸福と安息を、邪魔などできるものかね!」
“狂気”と言うには鎮か過ぎ、“邪悪”と呼ぶには暗すぎる闇で瞳を染めたボルキノフが、かっと目を見開いた。
「私はただ! 陽の当たる場所に娘の為の居場所を作りたいだけだ! 娘と2人きり……そう、たった2人きりで、ずっとずっといられる場所を! 人間も魔族も、魔物も畜生も鳥も魚も虫もいない、ただ娘と私だけの理想郷を!」
ボルキノフは余りの激情に両手で頭を掴み、爪を立てて自らの皮膚をバリバリと引き裂いた。頭皮から流れた血が、顔の上半分を染め上げる。しかし大きく見開かれた両目は、血が流れ込んで真っ赤に曇っても、決して閉じられることはなかった。
「そうする為の器を得る為のその為に! “宵の国”の魔力に肥えた土地が欲しい! 魔族の紫血が欲しい! “石の種”が欲しい! 実験材料が欲しい! 人間の敷き詰まった王都に最も近い、この東の地が欲しい! そして醜い赤に染まった血の宿る、この身体を捨てるのだっ! 東の四大主のようにっ!」
冷たく鋭い視線を送りながら、ただボルキノフが捲し立てるに任せていたベルクトだったが、その口から“東の四大主”という言葉が出たのを聞いて、漆黒の騎士は思わず頭に血が上っていくのを感じた。
「人間……貴様が言うことに聞く耳など持たんが……主に……ゴーダ様に近づくことは、我ら“イヅの騎兵隊”が許さん……!」
「ゴーダ! ああそうだ! “魔剣のゴーダ”! ゴォーダだっ! 奴が身に宿した神秘を解き明かしたい! まずは暴れないように四肢を切り落として……起きているまま腹を切り開いて……臓物を傷つけないようにひとつずつ丁寧に取り出して……背骨の一部を削り出して……頭を割り開いて――」
「黙れ貴様ぁあっ!!」
ベルクトの兜の奥で紫炎の光がギラリと揺れて、その四肢を押さえ込んでいる紅の騎士たちをぐらりと揺さぶった。
「グルルル……」
そのままでは拘束を破られると察知した紅の騎士の1体が、ベルクトの脚を蹴り倒した。地面に叩き付けられた俯せになったベルクトの身体の上に、ずしりと重い真紅の甲冑たちがのしかかる。
「ぐっ……!……許さん……っ……ゴーダ様を侮辱したその無礼……決して……決して……! 許さんぞ、貴様ぁ……っ!」
「あぁ……君は……実に、主君思いの忠義深い騎士のようだ。すばらしい。ふむ、そうだな……東の四大主が不在となれば、君の口から彼のことについて、是非いろいろと聞かせてもらいたい」
「このベルクト……我が主に“死ね”と命ぜられて命を捨てることはあっても、忠義を売って生き恥を晒す真似はせん……!」
「はははは! 君のように誇り高い騎士は、“明けの国”ではついぞ見たことがない! 益々興味が湧いてくるよ……」
ボルキノフが巨大な石棺を撫で回しながら、闇に濁った瞳をベルクトにじっと向けた。
「そうだ……君の目の前で、“魔剣のゴーダ”を少しずつ刻んでバラバラにしていったら……君は一体、どんな声で叫ぶのだろうね……」
ゾッとする寒気がベルクトの背筋を走り、“それ”の放つ超常の気配に触れた瞬間――。
……。
……。
……。
――ブチリッ。
「――――――――――っッッッ!!!!」
ベルクトは理性が消し飛び、怒りで頭が真っ白になっていた。
純粋な怒りの感情を糧として解き放たれた暴力と闘気が、ベルクトを押さえ込んでいた4体の紅の騎士を宙へと吹き飛ばす。
「――――――っッ!!!! ――――――っッ!!!!」
抜き身となった刀が、流派も型も何もなく、ただ力に任せるままに振り回された。その斬撃の嵐の只中へと落下した紅の騎士たちの身体が地面につく頃には、それは何体分の人型の部位だったのか分からなくなるほどに細切れになっていた。
「――――――――――っッッッ!!!!」
怒りの濁流の中に理性を投げ棄てたベルクトが、声にならない叫びを上げる。その目に宿る紫炎の眼光は燃え盛る余りに収縮して、漆黒の騎士の兜の奥で、閉じた瞳孔のように細く鋭い光を放っていた。
まるで使い方を忘れ果てたかのように、片手に掴んだ刀をゆらりと頭上に掲げ持ち、ベルクトがボルキノフの暗い瞳を凝視する。
「はは……ははは……はははは! 興味深い! 実に実に! 興味深いぞ! “イヅの騎兵隊”!!」
漆黒の騎士のその豹変振りを目の当たりにしたボルキノフは、気圧されるどころか歓喜に打ち震える笑い声を上げた。
「――――――――――っッッッ!!!!」
ボルキノフの問いに答えられるほどの理性と冷静さなど、激昂したベルクトには最早なかった。
「ベルクト様……!」
「――――――っッ!!!! ――――――っッ!!!!」
「ベルクト様ぁ!」
紅の騎士たちに封殺されたままの鷹の目の騎士の声も、怒り狂うベルクトの耳には届かない。
闘争本能に身を預け、思考を止めたベルクトが、ダンっと地面を蹴る音が聞こえた。踏み込まれた地面が抉れ、砂煙が上がり、残像がその場に残り続けているようにすら錯覚させるほどの疾走の直後――鉄と鉄とがかち合う甲高い音が平原に響いた。
「……すばらしい……」
……。
「……すばらしいぞ……黒い騎士……!」
……。
「……だが……だがね……」
……。
「こちらも、それ相応の準備を……戦争を……死を、積み上げてきた……“材料”を、集めに集めた……」
……。
「ひ弱な人間の赤い血を煮詰めに煮詰めて……その高みへと届き得るほどにね……」
……。
……。
……。
「……」
ボルキノフの前に、1体の巨漢の赤騎士が立っていた。顔の前で腕を交差させたその戦士は、ボルキノフと石棺を護るように立ち塞がり、ベルクトの怒りにまみれた一撃を受けきっていた。
「――――――っッ!!!! ――――――っッ!!!!」
更に強い激情を灯らせて、自分を取り押さえていた紅の騎士たちを切り刻んだものよりも遙かに疾く重い連激を、ベルクトが巨漢の戦士に何度も何度も叩き込む。
「……」
しかし、結果は変わらなかった。その紅い戦士は、唸り声ひとつ漏らすことのない完全な寡黙さで、その全身を背後に立つ親娘の盾として、ベルクトの連激を全て真っ向から受け凌いだ。
「――――――――――っッッッ!!!!」
咆哮を上げたベルクトが、両手で掴んだ刀を頭上に振り上げて、一直線に幹竹割りを打ち込んだ。
――ガシッ。
理性を捨て去った力任せのその刀の軌道を見切ることは、容易かった。紅い戦士は刃を受け止めることさえせず、その大きな手のひらで直接ベルクトの腕を掴み、もう片方の手で肩を押さえ込んだ。
尋常ならざる腕力が、怒りに我を忘れた漆黒の騎士を完全に捕らえる。
「捕まえたよ……黒い騎士……」




