18-14 : 内なる叫び
「……カカッ」
その渇いた笑い声を耳にして、エレンローズは自分の心臓が一瞬止まったような錯覚を感じた。
「……嘘……っ!?」
かっと見開かれた女騎士の灰色の瞳が、動揺に揺れる。そんな馬鹿なことがあるはずがないと、誰かに向けて、何かに向けて、思わず念じた。
目の前の皇座に剣で釘付けなっている骸骨は、全身が焼け崩れて炭と灰に朽ちている。
いかな亡者と言えど、原形の大半を失ったそんなものが、未だに声を発するなど、有り得ないことだった。
……。
……。
……。
「……カカカッ……カカカッ」
無情にも、リンゲルトの残骸が再び笑う。これは夢でも幻でもない……現実である、と。
「っ!!」
リンゲルトを貫いて皇座に突き立てていた剣を引き抜いて、エレンローズが後方へ跳躍し、距離を取った。
バクン……バクンバクンと、心臓が不均一に鼓動して、体内で跳ね回っていた。
「カカカカッ……何を狼狽える……? 小娘よ……」
脱力した身体を皇座にダラリと垂らしたまま、崩れかけの骨から教皇の声だけが聞こえてきた。
「……そん、な……何で……」
左半分が吹き飛んだ頭骨が、エレンローズの見ている目の前でボロボロと少しずつ崩れてきていたが、リンゲルトはそんなものなど意に介していない様子だった。
「一切の迷いのない強襲、見事であったぞ、小娘……。じゃが……儂を滅却すことまではできなんだな……カッカッカッ」
ぐらり、と、リンゲルトの手に握られていた宝杖が傾いた。炭化した教皇の腕はそれを支えることさえできず、片腕がボロリと崩壊し、粉々に砕け散った。
カコン、と、宝杖が床に倒れる音が異様に大きく聞こえた。
「おっと……しかし、これは弱ったのう……もはやこの身体、そよ風が吹いただけで崩れてしまうわい……これでは笑うこともままならん。カカッ」
ぐったりとして一切の動作を止めた崩れかけの教皇が、感心するようにぶつぶつと呟く。
その異様な光景に目を奪われて、エレンローズはただ崩壊したリンゲルトの姿を凝視し、虚ろな声に耳を傾けることしかできないでいた。
そして、吹き飛んだ頭部にしがみつくようにしてその場に留まっていた祭儀帽が、ボロリと崩れ落ち、リンゲルトの膝元に落下した。
その祭儀帽の下に、握り拳ほどの大きさの真っ赤な宝玉をはめ込んだ冠が、陽光をキラリと反射してエレンローズの目を照らす。
その煌めきを目にした瞬間、女騎士の脚は考えるよりも先に前に駆け出していた。
「カカッ……これはまた、よく勘の働く騎士ではないか……」
今にも自重で折れてしまいそうな頭骨をもたげて、ぴくりとも動かないリンゲルトが面白がるように言った。
エレンローズには限りなく確信に近い直感があった。あれは……あの冠は、私のと同じだ……魔法術式を回路化させて、装身具の形に形成したもの――魔導器。
「それが――本体っ!」
再び女騎士が空気を肺に閉じこめて、猟犬のようにリンゲルトに飛びかかる。
……。
……。
……。
「ほう……で、あるならば……どうするね? 小娘……」
……。
……。
……。
“今よ”、と、第六感が警鐘を鳴らしたのが分かった。
「……っ! ――“運命剣”!」
未来を映し出す万華鏡に、皇座の足下から無数の骨でできた槍のようなものが突き出してくる像が見えた。
「……くっ……!」
未来の形が選択され、収束する。
ガギリッ。
ズシャッ。
エレンローズが長剣を床に突き込んで急制動をかけた次の瞬間、骨の槍が女騎士の前髪をかすめた。
「おお、おお……なるほどなるほど……女の勘とは、侮れんものよな……」
床下から無数の骨の槍を突き出し、“自分の身体ごと”皇座の周囲を貫き上げたリンゲルトが、感嘆の声を漏らした。
その自らの一撃が止めとなって、“渇きの教皇”の骨の身体が、完全に崩壊する。
「しかし……――」
ストッ、と、骨の槍の先端に、一体の骸骨兵が器用に立って、エレンローズを見下ろしていた。
バサリッ。
「――遅すぎたのう、小娘ぇ……」
骸骨兵が、教皇のボロボロに焼け焦げた真っ赤な法衣を羽織り、マントのように翻した。
「カカカカッ」
宝玉をはめ込んだ冠をその頭に頂いて、朽ちた身体を放棄した“渇きの教皇リンゲルト”が、新たに得た骨を打ち鳴らして不敵に笑った。
「この儂に対して、詰めの一手は遙か遠いぞ、人間よ。カカカカカッ」
「ちぃ……っ」
強襲と一撃必殺に失敗したエレンローズが、リンゲルトと再び距離を空けようと後ろに飛び退いた。
「逃がさんぞ」
破れた法衣のマントを靡かせ、リンゲルトが右手をクイっと捻る。すると砦の床面の至る所から骨の槍が突き出し、エレンローズの影を追いかけるように、猛烈な勢いで追撃をかけた。
「ぐ……っ!」
目と鼻の先の床から骨の槍が伸び、辛うじてそれをかわしたエレンローズの脳裏で、自分の声が自らに語りかけてくるのが聞こえる。
――次は、真下から来る……!
「さて……かわしきれるかのう……小娘や……」
リンゲルトが新たな顎をカチカチと打ち鳴らして、愉快げに笑い続けていた。
「この程度で……! ――“運命剣”!」
確実な未来観測と、運命の人為的選択によって、エレンローズは足下から突き出てきた数本の骨の槍を左手に持つ長剣でいなしきった。
「甘いわい」
リンゲルトが間髪入れず、骨の手をぐっと握って拳を作った。
いなしたはずの数本の骨の槍が、密着していた間接部を外して鞭のようにしなったかと思った矢先、エレンローズが反応するよりも速く、左の長剣にそれらが絡みついた。
「――え」
「カカッ」
ベキッ。
骨の鞭が絡みついた長剣の表面にひびが走ったように見えた次の瞬間――。
バギンッ。
いとも容易く、長剣が真っ二つに砕き折られた。
「……っ!!?」
へし折れた剣の破片が宙に舞うのを目にしながら、女騎士は第六感の叫び声を聞いていた。
――“今よ!”――“今よ!”――“早く!”――“急いで!”――“早く!”――“早く!”――。
「あ……! ……っ! ……――“運命け――”」
左肩と左脚がかっと熱くなり、それに遅れて激痛が走った瞬間、神の万華鏡が開き、時間という概念が排除された。
「……はっ……はっ……!」
一時の退避と選択の猶予が与えられ、女騎士は思わず安堵した。
全ての万華鏡の像には、背後から伸びてきた骨の槍に左肩と左脚を貫かれた自身の姿が映り込んでいた。
“負傷した”という既に確定した“過去”は、運命剣を以てしても覆ることはない。
判断が一瞬遅れてしまった自身の失態を、エレンローズは可能性の万華鏡を前にして呪った。
あのとき、初撃をもう一撃入れていれば……あのとき、冠の存在に気づいていれば……あのとき、躊躇せず運命剣を使っていれば……!
――ダメ……ダメ、ダメ! 落ち着いて……落ち着くのよ、エレンローズ……!
後悔と焦燥に頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱される中、女騎士は動転する精神を必死に律した。
――まだ、終わった訳じゃない……! まだ動ける……まだ、戦える……! ここからよ……ここから、最善の選択を……!
……。
……。
……。
――最善の、選択を。
……。
……。
……。
そして未来は選択され、エレンローズの意識が元いた次元へと帰還する。




