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私はぷるぷると首を横に振った。
「呼んでない。お願いしたのは環……いえ、呼びました。迎えに来てって連絡入れました。はい」
ぶわっと黒いオーラが溢れてきて、私は慌てて前言撤回をする。それでも、和泉君の放つ圧力は全く収まらない。
「……もういいんだな?」
何か違う意味にも聞こえたが、突っ込む気もなくこくこくと頷く。
「ごちそうになって、帰る所です」
和泉君は先輩二人を一瞥で黙らせると、私の腕をつかんだまま引きずるようにして店の出口へ向かう。谷さんも、慌ててついてくるが、和泉君の怒れる気配に少々腰が引けていて、ピンクだった顔色が白く変わっていた。
「せんぱーい、帰り道、きをつけて……」
重苦しい空気を変えようと声をかけたら、和泉君からものすごい目つきで睨まれた。要約すると……余計なことしゃべるなってことでしょうか。
店を出て駅に向かってずんずんと大股で……無言で歩いていく和泉君。手をがっちり掴まれたまま、恐ろしい勢いで歩いていく。
一応後ろを確認すると、先輩二人は付いて来ていないようなので、そちらの方はもう大丈夫だとそっと溜息をついた。……問題は、この無言で歩く男の方だ。
ガタイのいい和泉君が険しい顔をしていると、ラフな格好をしているのに、通りかかる人は大概目をそらして去っていく。誰かに助けてもらいたいわけじゃないけど、その迫力たるや、そのスジの人みたい。売られる訳じゃないけど、なんとなくドナドナを歌ってみたくなるような雰囲気だ。
「あ、ああの、谷さん!」
無言の圧力に耐えられなくなった私は、聞きたくて聞けなかったことを口にした。
「あの二人って、サークルの先輩でしょ?最初からあんな感じだったの?」
タチの悪いナンパ師みたいなの。
「ううん、私が一年の時は普通の軽い先輩だったよ。ただ、一番上の学年の先輩達が引退した後、二人が上役に名を連ねた辺りからサークルの雰囲気が変わっちゃって、お遊びメインみたいになったの。悪い噂も聞いたし……ってごめんなさい」
和泉君が発する黒いオーラの圧力が強くなったのを感じ取って、谷さんの言葉が小さく窄まる。あの、威嚇しないでほしいなー。ついでに、手を放してくれないかなぁ。痛くないけど、歩きにくい。
「そ、それにしても凄いね、水森さん。ファッションとかに詳しいの?あんなにすらすら値段当てられるなんて」
谷さんも息苦しい雰囲気が辛かったのか、なんとか話題をそらそうとして、結局同じ所へ戻ってきちゃってる。
「いや~全然詳しくないよ。あれは……なんとなく?」
ブランド物なんて全然興味ないし、特に男物のスーツなんて全く縁のないものだし。
とにかく不思議だったのだ。大学にスーツで通学っていうのもかなり浮いているけど、三年生だから就職活動?でも、あのスーツって真面目っていう印象より、華やか過ぎて遊び人みたいだもん、ちょっと合わない。新卒の社会人でも通勤で着るレベルじゃないから、余計におかしい。高そうなスーツの割に、サイズ合ってないなー、お坊ちゃんなら本当にオーダーメードのスーツを着るだろうからオーダーに見えて違うのかなー?なんて思ってたら、勝手に頭の中に数字が浮かんだと言うか、何と言うか。
「なんとなくでも、すごいね。……お礼を言うのがすっかり遅くなっちゃったけど、助けてくれてありがとう。和泉君も、彼女が心配なのは分かるけど、あんまり怒らないであげて」
「いや、私は……」
彼女じゃないって言う前に、和泉君はちらっとこちらを振り返って「手加減は、する」と言い捨ててまた無言で歩いていく。
「いや、そうじゃないでしょ。彼女じゃないから。付き合ってないから!」
全力で否定すると、ぴたっと和泉君の足が止まった。ゆっくりと振り返った顔は無表情なのに、異様な迫力をもってこちらを見下ろしている。
冷たい汗が背中を流れて、私は思わず一歩引いた。もちろん、手を掴まれているので無理だったけれど。
「駅、ついた」
いつの間にか駅の前で、だから止まったのか。
「あ、ああ、そうよね」
「うん、送ってくれてありがとう」
じゃあ、で私達は一緒に歩き出した。……けど、手を引っ張られて、すぐに元いた場所に戻される。
「谷さん!」
助けて、と伸ばした手は、しかし全く通じていなかった。谷さんは私の方を見ると、笑って手を振った。
「家への最寄り駅に着いたら、タクシーで帰るから、私は大丈夫。和泉君はちゃんと水森さんを送って行ってね」
ちがあぁぁぁぅうう!
内心の叫びも空しく、谷さんはそのまま改札を通って行ってしまった。
……そして私は残される。
「送っていく前に、話し合おうか?」
「えーっと、何を、でしょうか……?」
全く怒りが軽減されていない和泉君の前に。
「どうして俺に連絡をしなかった?」
手を引いたまま、ざかざかと歩く和泉君。どこへ向かっているかなんて聞ける雰囲気じゃなくて、私も黙ってついて行ったけど、しばらく歩いてからようやくそんな言葉が漏れる。
「どうしてって?」
「黒崎が一緒に居たみたいだが、山名さんは女だ。二人に連絡するよりは、俺に連絡する方が自然じゃないか?」
「…………」
お酒飲んでいた時の、あのもやもや感がまた戻ってきて、思わず口をつぐむ。自分でも自覚したばかりの感情をもてあましている所なのに、他人からこれ以上突かれると、平気な顔も出来なくなってしまう。けど、和泉君はちょっと違う事を怒っているようだった。
「お前はこの間おばさんにあれだけ怒られたのに、また同じことを繰り返すとは、学習能力がないんだな」
「よっぽど怒られたいのか?Mなのか?」
「自覚が足りない」
等々、一通り説教をくらった後、
「ああ、そうだ」
和泉君は足を止めてこちらを振り返ると、何でもないような事を口にするように言った。
「俺、お前のこと好きだから」
「……は?」
「面と向かって、はっきり言っていなかったからな。態度に出しても気付かんわ、口にしたら忘れられるわ、素面の時に言おうとしたら逃げやがるし、逃げた先でこんなことに巻き込まれているし、もうお前は目が離せん」
「い、いや、なにそれ」
「……逃げていなかったとでも?」
嘘言ったらどうなるか分かってんだろうな?って幻聴が聞こえて、私は思わず言った。
「……イエ、逃げてました……」
「よし。……で、返事は?」
「返事?」
「告白の返事」
告白って、脅かされて無理やりに返答させられるものなんでしょうか?再び、断ったらどうなるか分かってんだろうな?って声が聞こえるのは、気のせい?
「えーーーっと、あの、口にしたら忘れたって、いつの話?」
先延ばしにしたくて、とりあえずそんなことを聞いたら「四人でホテル泊まった時」と返って来た。フラッシュバックのように夢の中での出来事を思い出して、
「……あれ、夢じゃなかったんだ」
と呟くと、和泉君はひどくあっさりと言った。
「なんだ、思い出したのか」
じゃあ、約束は有効だな。そう続ける。……約束?心当たりがない。
「……で?思い出したから避けてた訳か」
言い訳するなら聞いてやらんでもないとでもいう幻聴、三度。
暗い夜道で片方から街灯の明かりが照らしているのだけど、底光りした目が下手な言い訳は許さないと言っていて、私はぼそぼそと夢で見た出来事なので、妄想しただけかと思ったということと、その根拠として小さな頃から熱を出した時に見る夢の話をした。
途端に、びしっと音が聞こえるように和泉君の眉間に深い皺が寄った。
「しっかり目を付けられている上に、邪魔されてんじゃないか」
小さな呟き。
「何の事?」
怪訝な顔して首を傾げると、和泉君はこちらをじーっと見返して来る。えーっと、何か?
「気が変わった」
「だから、何の事?」
私が繰り返し聞くと、和泉君は苛立たしげに髪をかきあげた。
「俺と付き合うか、今すぐこの間のホテルに連れ込まれるのとどっちか選ばせてやろうかと思ったが、気が変わった」
「はぁ?!」
なにその究極の選択?
話している間も手だけはずっと掴まれていたのが、リードでも引っ張るようにぴんっと引っ張られる。なんというか、捕獲された感じになった。
「マーキング一択に変更だ」




