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聞くなって言われてるから、環と黒崎君の馴れ初めだって全然分かんないし、今日だって「デートだから、悪いけど先に行くね」ってさっさと見捨てて行っちゃうし。
グラスを握り締めてまた一口、透明な赤いカクテルを飲む。
今後もこういう風に一人になっちゃうことがあるんだろうけど、せめてテスト勉強する時は仲間に入れて欲しいなー、友達と彼氏だったら彼氏優先なのは仕方ないけど、何時も一緒だった人がいないのは寂しいぞーって心の中で叫んでいるうちに、違う。寂しいというよりは羨ましいのかと、ふっと自分のもやもやしていた気持ちが分かってきた。
思いを告げて、相手が応えてくれて、幸せそうな二人が羨ましかったし、環に見捨てられたような気がしたから余計に谷さんを見捨てられなかった。環がいれば、こんな危ない橋を渡るような真似しなくても切り抜けられたと思う。助けてってメール送って、心配かけて。構って貰いたい子供と同じか、自分は。
そう思ったら、何だかここにいるのが酷くばかばかしく思えてきた。
谷さんは律義に相槌打ったりしてるけど、こうやって一人でぼーっと考え込んでいても、勝手に話しかけて勝手に盛り上がっているんだもの、この男二人は。適当な女の子を口説き落とすのをゲーム感覚で楽しんでいるだけで、話していることも態度も薄っぺらいもんね。
グラスの残りをぐいっと煽ると、矢崎さんは「いい飲みっぷりだね~」なんて言って笑った。馬鹿みたい。
「三杯目は、折角だからオリジナルカクテルをごちそうさせて欲しいんだ。バーテンに作れるか聞いてくるから、ちょっと待ってて」
こちらの返事を待たないで、三杯目のオーダーを通しにカウンターの方へ岸田さんは行ってしまい、矢崎さんはトイレと言って席を外した。
「ねえ、谷さん……って、もう真っ赤だね」
聞きたいことがあって声を掛けたら、谷さんの顔がピンクに染まっていて、色白だから余計に目立つ。最初の赤っぽいグラスとは違う、黄色なカクテルを飲んでいるので、二杯目なのだろうがこれはもう限界とみた。
「元々そんなに強くないの。すぐに赤くなっちゃう。……水森さんは、やっぱり強いね。顔色変わってないもの」
「え?そう??」
頬に手をやって、熱くなってないか確かめる。あれだけやらかしたから、弱い方だとばかり思っていたけど。
「この間の時も、いろんな種類のお酒を結構な量飲んでいたでしょう?最後は酔っぱらっちゃってたけど、途中までは顔色も変らなかったと思うよ」
谷さんが若干とろんとした目つきでそう言った。三杯飲んだら終わりって言われてるから、自分のペース以上に飲んじゃったのかな?
そう思ったとき、二人が示し合わせたように戻ってきた。両手にカクテルグラス。琥珀色の液体が入っている。
「お待たせ」
私の前にも、谷さんの前にもグラスを置いたけど、谷さんはもう限界だ。
カクテルグラスを、谷さんから遠ざけた。……遠ざけようとしたが、二杯しか飲んでいないし、谷さんから顔色が変わっていないと言われたので、まだまだ素面のつもりでいた。……でも、やっぱり酔っていたみたい。
「うわっ!」
かちゃん、と軽い音を立ててグラスが転がった。慌てて立ち上がってテーブルからの距離を取るけど、琥珀色の液体はテーブルの上を流れて岸田さんのスーツに落ち、小さな染みを作る。グラスを倒した音が結構大きく響いたせいか、お店の人が慌てておしぼりとクロスを持ってこちらに向かってきているのが見えた。
「あー、汚れちゃったよ。これは弁償してもらわないと」
「そうだな。このスーツ、いくらだと思ってんだ?」
店員さんは二人の背中の方から近づいてきたから、気が付かなかったんだと思う。端から見れば恫喝としか取れない台詞に、でも私はあっさりと言った。
「うーんと、岸田さんのはスーツ160,650円、ネクタイ10,500 円、靴33,600円、計204,750 円だね~。矢崎さんのは、スーツ168,000円、ネクタイ8,400円、靴は26,250円、計202,650円」
自慢げに値段を口にしようとした岸田さんが、口を開けたところで固まった。ついでに、二人の背後で店員さんも一緒に固まってる。……ん?私、何か変なこと言った?
「……まともに買えばそれくらいする。だけどさー、谷さん。靴とネクタイはともかく、このスーツ作ってるメーカーって、オーダーメイド専門店なんだよ。それにしては、二人共、サイズが違わない?岸田さんは肩のところが余ってるし、袖の長さもちょっと長い。スーツの中を体が泳いでいる感じ。矢崎さんもメーカーは同じだけど、逆にちょっと小さいよね。丈も短い。本当に作ってもらっていたら、こんなことにはなんないと思わない?」
谷さんは真っ赤な顔をしながらも、二人を見比べて忌憚のない意見を口にする。
「言われてみるとそうかも。うん。サイズ合ってない」
酔っているせいか、谷さんの声はちょっと大きかった。店員さんもこっそり二人を見比べている。
「でしょー?で、私は考えた。スーツは誰かに借りたかもしれないけど、同じような体格の二人がわざわざ違う人から借りたとは考えにくいから、古着……質流れ品を買ったんじゃないか?って思ったんだけど。そうすると、スーツの金額がかなり押さえられる」
「ち、ちが……」
二人が返事をする前に、谷さんが「なるほどね~」なんて言ったんで、否定の言葉がものすっごくうわすべりして聞こえておりますー。
「テレビで質屋さん密着な番組を見たけど、洋服って一回買い上げられたら全部古着扱いなんだって。ブランド物だろうと、だいたい買い取り価格は十分の一くらい。オーダーメイドのスーツって、なまじ買った本人にサイズが合わせて作ってある分、もっと価値が下がりそうだね~。売値イコール買値じゃないだろうけど、どっちも2、3万円ってとこじゃないかなぁ」
「え、そんなに安く買えるんだー」
感心したような谷さん。いや、推測だけど。大幅に違っていないと思うよ。
「うん、だからね。ちょっとくらい汚した程度なんだし、きっと謝れば許してくれるよ、やっすいもん。ってことで、手元狂っちゃいましたー。ごめんなさーい」
せいいっぱいかわいく微笑んでみせると、男二人の引きつった顔が見えた。ありゃ、ごきげんナナメですねー。
店員さんが、ようやく近づいてきて岸田さんにお絞りを渡した後、机をクロスで拭いてくれる。その横で、私は倒れてしまったカクテルグラスを取り上げて、私の前に置かれたグラスから半分をそちらに移した。
「ノルマは三杯って言ってたから、谷さんの分と合わせて私がこの二杯を貰うね~。もう、許してくれてよかったよー。もしかして、高くないけど『高いスーツを弁償しなくていいから、もう一杯酒の飲もうよ』とか飲酒を強要されて、人事不省に陥ったところを襲うなんて、どこのドラマよ?なパターンをされるかと思っちゃったもの」
はい、と二人に半分にしたカクテルを手渡し、私は残り二杯のカクテルをほとんど一気に飲み干した。
「お勧めのオリジナルカクテルって言うだけあって、おいしー。……あれ、なんで飲まないの?」
グラスを手に持ったままの二人に、私はへらんと笑った。
「……もしかして、飲めないものが入ってたりして??」
そう言うと、片付けたあとこちらに背を向けた店員さんが、ぎょっと立ち止まって振り返った。
「あ、ほらほら。誤解されちゃうかもしれないから、先輩達~、早く飲んじゃってよー」
集まった視線に、二人はしぶしぶといった態度でカクテルに口をつけ、飲み干す。
よしよし、これでノルマ達成ですねー。
「では、帰りまーす!ごちそうさまでした。ありがとうございました。谷さん、帰ろっか」
立ち上がると、ちょっと足がふらついた。あー千鳥足、ふたたびですか。
「ちょっと待……」
矢崎さんがそう言いかけた時、横から伸びてきた手が、私を支えてくれた。
「あ、りがと……て、なんでここに」
いるの?私の言葉も、途中で消える。
がっしりとした手の持ち主は和泉君で。そりゃあもうはっきりと、誰が見ても怒り狂っているように見えていたので。
「迎えに来いって言ったのはお前だろう?」
低い低い声は怒りを押し殺していて、私はその食いしばった歯が、今にもこちらの喉笛にかぶりついてくるような錯覚を覚えた。




