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すごく難産で、遅くなってすみません。

 


「良かったのか?」

 料理食べ始めてしばらくしてから、ぽつりと和泉君が言った。


「なにが?」

「わざわざ誤解させるような言動をしたこと」

「……本当の事しか言ってないでしょ?」


 目的は、蔓延している噂の払拭だ。

 和泉君はあくまでも善意の第三者であり、その場にさらに他の人間がいた事を主張すれば、普段の和泉君の生活態度から、いずれ悪い噂は消えて行くだろう。

 暫くはひそひそやられるかもしれないけど、それは彼女である私が隣にいるかいないかで、速度が大分違うはず。


「何度も言うけど別れる気はないし、周りが煩いのは私が迷惑だからいいの」

「そうか。……ありがとう」

「どういたしまして」

 また会話が途切れて静かになる。ぱくっとから揚げを一口齧る。朝は食欲が殆どなかったけど、体を動かしたら結構お腹が空いていたと分かったので、遠慮なく食べた。


「怒るのってエネルギーがいるね。朝はお味噌汁と厚焼き玉子だけだったんだけど、その分、お腹が空いたよ。……あ、謝らないでね。ポイントが違うところで謝られても、困るだけだから」

「…………ポイント?」

「怒ってはいるけど、和泉君が思っている事と違うところで怒ってるってこと。元カノの事もめぐり巡って怒る個所ではあるんだけど、それ以上に私の話を聞いてくれなかった事に腹を立てているから」



 事故に遭った時のように咄嗟の判断が必要な場合、反射神経はもちろんのこと、どうすればより怪我を軽くできるか?とか回避ができるか?といった危機回避能力は、一般的に男の人の方が長けているっていうのを聞いた事がある。狩猟生活をしていた頃の名残で、DNAに刻まれているんだとか。


 そんなものが関係しているのかいないのか、和泉君は、私の判断を信じてくれないと言うか、とても危なっかしく感じるみたい。今までやらかした事もあるから、私も大きな声で反対も反抗も出来ないんだけど、和泉君は黙って俺に付いてくればいい、俺の判断に任せていれば間違いがないって思っている節がある。


 確かに、何も考えないでべったり甘えちゃっても和泉君は軽々と私を抱えてくれるだろう。だけど、ただ黙ってついて来いって、お人形さんじゃあるまいし、和泉君本人だって、その時は良くても何時か重くなって捨てたくなる時が来るんじゃないかと思う。それで、甘える事しか出来なくなった私の事を、捨てたくても見捨てられないと言ってお情けで付き合ってくれたりしそう。


  元カノもそんな和泉君の性格を分かっていたから、歴代の元カレの中から他でもない和泉君の所に来たんだと思う。そりゃあ、ご両親の職業柄って言うのもあると思うけど、泣いて縋ればきっと私を助けてくれるって思ってたんじゃないかな?

 事実、和泉君自身が「馬鹿過ぎて見捨てられなかった」って言ってるし、付け込まれたって言ってしまえばそれまでなんだけどね。


 そんなことを話している間、和泉君は相槌を打つだけで黙って話を聞いてくれた。怒っている理由が「話を聞いてくれない」だからかもしれないけど、一度もこちらを遮ることなく、ただじっと。


「何が言いたいかって言うと、和泉君だっていつも正しいって訳じゃないよね?ってこと。今回は、判断ミスしたのは間違いないんだから」

「そうだな、痛恨のミスだ」

 和泉君が神妙に頷く。


 巻き込まれたのは不可抗力にしても、それこそ崖の話じゃないけど、元カノを助けに行って、実はその下にはもっと一杯人がぶら下がっていたせいで、諸共落っこちそうになった訳だもんね。


「で、晶さんっていう第三者からの指摘がなかったら、崖から落っこちた理由も分からなかったよね、きっと」

「……可能性は否定できない」

 私は和泉君をまっすぐに見つめた。

「一個聞きたかったんだけど、私が同じように話したら晶さんと同じようにすぐ納得できた?」

 ふっと和泉君の視線が、机の上に落ちる。


「……多分、時間がかかったと思う」

 うん、これで嘘をついたら本格的に愛想を尽かそうと思ったよ。


「私もね、晶さんと私の何が違うの?って考えた。あちらは先輩で私は彼女、あちらは年上で私は同い年。私の事を庇護の対象だって思っているのもあるんだろうけど、一番違うのは、結局、晶さんの方を信頼しているからじゃない?」


 元カノが和泉君の住む部屋に来て、「俺の事を信じてくれないのか?」 って言った時。

 あの言葉は、私の意見なんか聞かないって意思表示だと思った。だから私も何も言えなかった。

 話を聞いてくれないのは、聞いた意味がないからとも受け取れる。私がどう思っても、和泉君の中では答えが出ているから、聞いた意味がないんだと。


 私が悪かった所は、それで感情的になってしまったこと。話しても無駄だから距離を開けるって言うのは、頭に血が上っている時に冷静に話が出来ないから、ある意味有効ではあるんだけど、今回はその後が悪かった。

 元カノが再突撃してくるとは思わなかったし、それに和泉君が(ほだ)されるとは思ってもみなかった。悪い癖があるって分かっていて、それでも手を伸ばした和泉君の男気はすごいと思うけど、置き去りにされた私の気持ちは、傷ついたままだ。

 だから──。


「何でも言う事を聞くお人形が好きなら、これ以上は無理。お互いの為に離れた方がいいと思う。私は、私を引っ張って行ってくれる人じゃなくて、一緒に歩いていける、お互いに成長できる人と一緒にいたい」


 そう言ってから、私は和泉君の方を見た。少し血の気が引いた青ざめた顔色に、傷ついたような……痛みを堪えるような表情をしている彼の方を。


「──あれ?これって別れ話になるのかな?」


 再び漂う悲壮感に、思わず首を傾げると、

「……立派な別れ話だと思うぞ」


  がっくりと肩を落とした和泉君が、疲れたような声を出した。私のある意味能天気な問いに、ちょっと気が抜けたみたい。いや、本当に分かれる気はないよ、一応。


「私も、和泉君に心配かけてるって分かっていても、お酒で同じ失敗を何度もしちゃったでしょう?でも、やっぱり好きだから今後も止められない可能性が高いと思う。だから、それこそ見捨てられても仕方がないって常々思っていたから……和泉君の返答如何(いかん)のつもりだけど」


 どうする?と視線で問いかけると、返答はすぐに帰ってきた。

「別れたくない」

「うん」

 和泉君は苛立たしげに髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。

「俺がいつも助けてやらないといけないって感覚でいた。それが間違いだった。こういうのはお互い様だったんだよな」

「そうだね」

 私も楽しさ優先で飲んじゃっていたけど、反省。飲酒自体を止められなくても、量を控えて心配かけないようにしないといけない。


「独りよがりにならないように気をつけるから、もうしばらく俺を見ていてくれないか──?」

「分かった。じゃあ、仲直りしよう」

 譲れるところは譲って、譲れないところは主張して、そうやってお互いの距離感を確認して行けばいい。


 手を伸ばして、和泉君のタコのあるごつい手を握る。かさかさと渇いている手はいつも温かいのに、話の内容の影響か少し冷たかった。


「緊張した?」

 安心したように握り返してくる和泉君にそう尋ねれば、やたら大きなため息を付かれた。

「当たり前だろう。あいつとの賭だって相当肝を冷やしたが、今も少し心臓が痛い」

「あー」

 電話をかけてきたら別れるっていうのね。

 あの時はお酒が入っていたし、そのせいで余計に腹が立っていたし、和泉君が私の話を聞いてくれないのなら、私も好きにするわーって思っていたからなぁ。

 

「一つ聞くが、あの時の賭はどっちだと思っていたんだ?」

「どっちって?」

「勝つか負けるか」

「えーっと」


 どうだったろう?一瞬頭の中が真っ白になって、「お仕置きだ」って声が聞こえたような気がする。


「悪い事にはならないよって誰かに言われたような?」

 いや、この台詞を言ったのは兄が奥さんに言った言葉だった?怒ってぐるぐるしていたから、あんまりはっきりとは覚えていない。

「…………」

 和泉君の眉間にびしっと皺が寄ったので、慌てて続ける。


「いやいや、気のせいか、私の内なる声なのかも?ほら、お酒って抑圧されていた意識が解放されるとか言うじゃない。それに、あの時は元カノの勝手な言い草に相当腹を立ててたから、正直、どっちに転んでもいいやって自棄になっていた部分もあったよ」


「……本当に今回は色々すまなかった、ごめん」


 今度の「すまない」は、ちゃんと心に届いた気がする。

「許してあげるけど、今度順番を間違えたら、色々考えるからね」

 冗談半分本気半分で笑いながら脅かすと、和泉君はちょっと笑った。


「だったらお前も、酒の事で俺に心配かけるなよ」

 う、と返答に詰まった。



「………………ど、努力します」




 掛け声だけになっちゃうかもしれないけど、言うだけは言っておいた。




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