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兄は和泉君のことは自業自得と切って捨てただけでそれ以上は触れなかったし、私も必要以上のことは聞かずに母に部屋で休んでいる旨の伝言を頼んで、部屋に戻った。
昨日の事を口外しないようにと部員全員には言っておいたから、少なくとも居合わせたメンバーから詳細が漏れることはないだろうと言うことと、あれだけやらかしたとしても、奥さんはそう悪いことにならないだろうとだけ断言されたので、他人事ながら安堵の念を覚えたものだ。
今回の件での一番の被害者なのだから、加害者に罰が当たって被害者は報われてほしいと思う。
妊娠中に夫が浮気したなんてことは女性にとって赦しがたいことだし、父親になる気概もなく自分の欲望を優先したって事だから、情状酌量の余地もない。准教授らしいから年齢の割に優秀なのかもしれないけど、それでも奥さんの側からの援助がなかったとは言わせない。
因果応報、即ち、良くも悪くも自分の行ったことが己に戻ってくるのなら、それ相応の罰が当たってしかるべきだと、同性のよしみを差し引いてもそう思うからだ。
「ま、毎年相当量の酒を奉納してくれる氏子さん家の御嬢さんのトラブルだ。うちの竜神さんのご利益もあるだろう」
なんて兄は言っていたが、それは頼りになるのかならないのかよく分からないなぁ。でも、苦しい時の神頼みの心境はよく分かるので、素直に天罰に期待をしておくことにした。
「さて……」
部屋に戻ってからしばらくスマホを睨んでいたけど、読まなければ始まらないのは分かっていたので、ようやく覚悟を決めて和泉君からのメールの一件目を開いた。
「うわっ、何これ」
文字で真っ黒だったメール本文に、思わずそう漏らしてしまう。
着信履歴はないから和泉君は最初からメールを送ったんだろうけど、文字の多さにびっくりした。
また「すまない」の一言で済ませようというのなら、全部読まないで削除しちゃおうかなーなんて思っていたけど、これは予想外だった。
……和泉君、元々あまりメールもラインも好きじゃないみたいで、いつも要件のみだったんだよね。私もそんなにマメじゃないし、何回もやり取りするんだったら直接声を聴きたくなるし、声を聴くだけなら会いたい方だ。同じ学校だけあって、毎日会うのはそんなに難しいことじゃなかったから、今までそれで十分だったのだ。
神経が高ぶっているせいか、細かな字を見ると目の奥が痛いので、ゆっくりと読んで行った。
『先輩から事情を聞いたか分からないけど』
という出だしで、騒ぎに巻き込まれた事や元カノの事が端的に書いてあった。
内容的には兄から聞いた事と変わりがなかったので、とりあえず聞いた以上の何かが起きた訳じゃなさそうだ。 まあ、あれ以上の修羅場ってそうはないと思うけど、とりあえず知っていること以上の出来事がなかったことに安堵した。
『香澄と付き合っていたのは高校生の時で、今付き合っている奴と上手く行かなくなると、元彼の所へ行く癖の事は話したと思うが、別れた原因は、その癖のせいで自分が知らないうちに浮気相手にされていたことが分かったからだ』
そんな経験をしていたのに、なぜストーカーにつきまとわれているという話を信じたの?
と心の中で突っ込んだら、答えは既に書いてあった。
『自業自得と言われればそれまでだが、香澄はその時付き合っていた奴らの誰かから悪い噂を流されて、最終的に怪我をしたことがあった』
元カノ、前にも今回と似たような事件を起こしていたのか。なにが起こったのか知らないけど、それで数日間入院したと書いてある。そんな過去があっても学習しなかったのが心底不思議。今回は下手すると、社会的に抹殺されるかもしれないのに。
別れる時に、このままだといつか男がらみで今以上に酷い目に遭うからと説教したけど、入院する羽目になっても悪いのは周囲だと思っていたようだと書いてあるので、反省しなかったから学習しなかったんだね。周りが悪いって考えは、ジコチューの最たるものだし。
で、和泉君が元カノを手助けした理由は、あまりにも馬鹿すぎて見捨てられなかった、というのが理由のようだ。その他には、一度付き合ったことのある自分よりも弱い女性だとか、なんか長々と書いてあるけれど、相手が心配と言うよりは自分が安心したいから、要は自己満足だったと心理分析をしている。
なんだろう?兄と同じように俺様で我が道を行くタイプの和泉君にしては……なんか、ちょっと自虐的な感じだ。と思ったら、これも続きに答えがあった。
『奥さんと別れた後に、晶さんから思いがけない点を指摘されて叱られた。いい加減にしないと過ぎた英雄願望で身を滅ぼす、と』
英雄願望っていうと大袈裟だけど、どっちかっていうと特撮ヒーローになりたい子供と同レベルだから、あんな風にいつも上手く行く、誰かを助けられる俺すげーって調子に乗っていたから今回の事に巻き込まれたんだって、それはもう説教されたみたい。
物語の英雄じゃなくてヒーローと言われたのは、和泉君の行動はいわゆるごっこ遊びの表面的なもの、悪党が退治されて良かったねで終わるごくごく単純な物語の主人公みたいだからのようだ。
『例えは悪いかもしれないけど……崖に私と元カノがぶら下がっているとする。どちらも助けを求めていて先に助ける方を選ばなきゃならない』
どっちを選ぶか?と晶さんに聞かれた。
『こういう時って、パターン的に選ばなかった方は崖から落ちるから、心情的に選べないとか、両方助けるとかかっこいい事言って、結局二人共落っことして泣きを見るのよ』
ってバッサリ。両方を選ぶっていうのがそもそも現実的じゃないって言われ、心情としては二人を選びたかった和泉君は、現実的に考える頭の中身をしていない、だからお子ちゃま脳なのよと、もうけちょんけちょんに怒られたようだ。
『君、体重八十キロもないでしょ?彼女達の体重は何キロか知らないけど、四十キロ以下って事はないと思うよ。それで、君は自分の身体よりも重いものを持ち上げられるだけの身体能力があるわけ?』
確かに自分の体重よりも重いものを引き上げようとしたら、下手したら一緒に落ちる可能性が高い。自分の能力以上の結果を求めて行動し、最後には失敗する。
『今回の事は、正にそれでしょう?大体、物語的な感覚で行動するなら、そこは彼女を真っ先に助けるべきじゃないの?現実的にも悪くない選択だと思うし。まず先に和歌子ちゃんを助けて、残りの一人を二人で助ける。合理的だよね?』
因みに逆をやると、あの子──元カノのことだけど──崖っぷちに進んで近づくタイプの上に、先に助かったら感謝も碌にしないで、他を見捨ててとっとと逃げると思うわよ、と言われて、和泉君も否定できなかったようだ。
『和歌子が大事なのは俺の中では揺るぎない事だけど、浮気とかじゃなくても何しても許される物じゃないんだよな。自分勝手な理論を振り回して和歌子を傷つけた事を、心の底から後悔している。今までが今までだったから、心のない謝罪だと、同じ言葉を繰り返して馬鹿にしていると思われても仕方がないが、謝罪の言葉が他に見つからない。……すまない。順番を間違えたら、自分が同じ事をされても仕方ないと改めて反省した。会いたくない、声をききたくない、そう思われても仕方ない事をしたので、このメールがいつ和歌子の目に留まるか分からないが、せめて削除されない事を願っている』
メールはそう結ばれていた。
元カノと会ってからこちら、私が怒っていたことをしっかり言って貰えて、非常にすっきりした。……すっきりはしたけど、すっきりしない部分もあった。
本当は面と向かってちゃんと話し合うのが一番だったということと、自覚して反省してくれたのは良かったけど、雰囲気的に私の話よりも晶さんの話だからちゃんと聞いたように感じることだ。……被害妄想、いわれのない嫉妬なんて言われるかもしれないけど、多分、私が訴えたってあんまり真面目に聞いてくれなかったような気がするのだ。
兄の彼女だというから和泉君と晶さんの間を疑っているわけじゃないけど、面白くない物は面白くない。
「話し合いを拒否したから、これ以上はわがままか」
頭を冷やしてちゃんと面と向かって話したら、この何とも言えない気持ち悪さもなくなるだろうか。
私はため息を付くと、もう一通のメールを開いた。
メールしか送って寄越さない理由は分かったけど、これは何だろう?
「香澄からのメールを見ただろうか?」
晶さんから説教された後にさっきのメールを送ったけど、その直後に元カノが発信している事になっている例のメールが送られて来た為、昨日の駅近くでの騒ぎを目撃した人もいただろう。
自分が何を言われても自業自得だから仕方がないけど、口さがない輩に私まで何かを言われるか分からない。しばらく自分に近寄らない方がいい。
そんな事が書いてあった。
メールのせいで噂が蔓延している現在、平日の夜とはいえ、駅が近くだったから目撃していた人は多かっただろう。大学関係者もいたかもしれない。 兄が部員の人に箝口令敷いてくれたとしても、騒ぎの中心人物と一緒にいた和泉君が二股三股の誰かじゃないのか?と邪推されるのは時間の問題だと思う。
確かに近寄ったら騒ぎに巻き込まれるかもしれないけど、逆を言えば、彼女である私を盾にすれば難を逃れることができる。それを分かっていてもやろうとはしないんだね。
私は色々考えた。いつかみたく、知恵熱が出そうなくらい考えた。
時計を見ると、もうすぐお昼になる。午後からの講義に出ようと思えばまだ間に合う時間だ。
明日じゃ遅い、今から学校に行って、ちゃんと話そう。
私は身支度をするために、洗面所へ行くのだった。
お休み中にお気に入り登録が増えていて、見捨てないでくださったんだなぁと感激しています。
ようやく引っ越して、ネット環境が整いました。
遅くなってすみません。
まだ片付けが終わっていませんので、あまり早く投稿はできないかもしれませんが、今後もよろしくお願いいたします。




