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一日中遊び倒して、宿についたのは夕方五時過ぎだった。
純和風のとても風情のある宿だったが、玄関脇に何体かの市松人形が飾ってあり、お化け屋敷にあった動く人体模型を思い出してしまった私は、思わず目を逸らしてしまった。
愛好家でないかぎり、日本人形を怖いと思う人は多いと思う。また着ている着物が時代掛かったもので、縮緬の振袖は、同じ物を成人式用に誂えようとすると百万単位のお金がかかるようなレベルのものだ。リアルすぎて怖いが、宿の人が大事にしているのが分かる様だった。
部屋に通される前にお薄を一服いただいたのだが、赤い毛氈の掛かった休み処の脇にもちょこんとお人形が置いてあって、見られているような気がして落ち着かない。
「代々の女将が大事にしていたもので、いつの間にか増えてしまいましてね。形見のようなものですから、当代も大事にしているんですよ」
部屋の準備ができましたと案内に来た中居さんが、そんな説明をしてくれた。一番古いのは初代の主人に嫁いできたお嫁さんが、嫁入り道具の一つとして連れてきた子で、江戸の後期の物らしい。
「季節によって、着物もちゃんと着替えさせてあげているんですよ。宿の中にあちこち飾ってありますから、よろしかったら探してみてくださいね」
夜の廊下にあるのは怖いだろうなーと思いながら、愛想笑いをするに留めた。
部屋に案内してもらっている途中で、
「お食事の前にお風呂に行かれるようでしたら、時間をもっと遅くできますが、いかがしましょうか?」
と仲居さんに言われて、皆と顔を見合わせた。
「さっぱりしてからのご飯の方が嬉しいかな?」
「飯の時、飲みたいだけだろ」
私の言葉に和泉君が突っ込む。
「やっぱり飲むのね」
環は呆れ顔だ。
「飲んでからのお風呂は危ないから、先にお風呂にしようか」
黒崎君の言葉に、中居さんは頷いた。
「お酒なら、地元の水で作ったいいのがありますから、担当の者に申し付けて下さいね」
私の期待は非常に高まった。遊んでお風呂入った後の一杯なんて、最高だよね!
案内してもらった部屋はエントランス同様純和風の和室で、二人部屋の割には広めだ。床の間を確認して、市松人形がないことにちょっと安心する。
部屋割は男二人、女二人で、部屋は隣同士。食事は大広間で食べるようになっているので、大広間の場所や、大浴場の場所などを教えてもらった。お風呂は二十四時間入れるが、夜中の十二時に男湯と女湯が入れ替わるので、注意とのことだった。早起きして朝風呂も良いかもしれない。
「それでは、七時に大広間にいらしてください」
部屋の設備を一通り説明すると、一礼して仲居さんは部屋を出て行った。
「じゃあ、さっそくお風呂に行こうか!」
荷物を片付けて宿の浴衣に着替えると、男子二人と大浴場へ。もちろん混浴じゃないけど、せっかくだから途中までは一緒にね。
「無色透明の単純泉で、源泉掛け流しだって」
「露天風呂も楽しみだね~」
そんなことを話しながら、ぺたぺたと廊下を歩いていたら、がしゃん!と音がして廊下の飾り棚に飾られていた市松人形が、床に転げ落ちていた。同時に、パタパタと逃げていくような足音がしたが、人影は見えない。落ちた人形は、手の部分が破損してしまっていて、かなり重症だ。
「誰か呼んでくる」
環と私は現状維持のために待機して、男子二人は宿の人に声をかけに行った。
人形が落ちた拍子に壊れた事、誰かが居たようだったが故意なのか偶然なのかも分からない事を告げたが、自分たちは客である。犯人捜しをするつもりもないし、去っていた足音の主が本当にやったかもわからない。かかわらない方がいいと判断して、その場を後にした。
「思ったより時間食っちゃったね」
夕食を優先した人が多かったのか、大浴場は閑散としていた。人がいないせいで広い大浴場が余計に広く見える。
体を洗っていると、その隣で環が一心不乱に髪と体を磨き上げている。イロイロな意味でやる気に満ちているな~と思っていたら、当の本人と目が合った。
「あのさ。寝る時、私か和歌子が向こうの部屋に泊まるようにしたいんだけど。和泉君だって別に嫌じゃないでしょうし……っていうか、ここまで来て今更でしょうし」
「まあ……ね」
自分としては少し複雑なものがあるのだ。最初が最初だっただけに、自分を好きだからなのか、それが楽しいからなのか分からなくなってしまう。目的はそっちなんじゃないの──?と。
もう少しゆっくり時間をかけてお互いのことを知りたいなぁと思うのに、優先されるのが相手の気持ちばかりのような気がして、私はそちら方面には積極的にしたくない。
だけど、付き合っていたら、確かなものがほしいと思う気持ちもわかる。
「どれだけゆっくり食事をしても寝る時間には早いだろうから、どっちかの部屋で遊ぼうって話をして、その後は成り行きでどうかな?」
パターンとして、自分は飲むと眠くなるので、寝てしまえばそれまでだ。やさしい黒崎君なら、寝ているところをたたき起こして部屋に戻れとは言わないだろう。
問題は和泉君だ。酔っぱらっている相手に手は出さないだろうと思っていたけど、もし手を出してくるようなことがあれば、今後の付き合い方も含めてもう一度考えよう。
「そうね。それでいいわ」
楽しそうな環とは対照的に、私は妙に冷静にそんなことを決めていた。
慌しくお風呂を済ませると、大広間に向かった。
座敷での食事かと思ったら、衝立で一グループずつ仕切られたテーブルに案内されて、そこだけは和洋折衷の雰囲気になっている。正直、椅子席はありがたい。
飲み物はいかがですかと聞かれる前に、私はさっそく飲み物を頼んだ。仲居さんから聞いた、地元の水で作ったお酒を注文する。
「かんぱーい」
先ずはビールの人も多いと思うけど、私は実はビールが苦手だった。炭酸ですぐにお腹が一杯になっちゃうんだよね。
一口お酒を口に含むと、何ともいえない香りが鼻を抜けて行く。するりと喉を通った感触はまさに甘露だった。
「おいし~」
家では禁酒なので久しぶりに感じるお酒だ。山からの雪解け水が湧くというこの地方は、水道の水も十分おいしかったが、お酒の味は格別だった。ただ単に、飲みたくてたまらなくて飲んでいるからそう感じるのかもしれないが、皆もそれは同意見だったようだ。
「本当にうまい」
「そうだね」
飲みきる前に追加オーダーを出した私に、環が「ほどほどにしなさいよ」と言ったが、おいしいものはおいしい。
ご飯を食べている途中で、宿の女将さんが挨拶に来たので、お酒をとにかく褒めておいた。
部屋に帰るころにはすっかり酔っぱらっていたが、幸いにして意識はちゃんとしていた……と思う。
こちらが誘う前にちょっと遊ばない?と誘われて男子の部屋に行ったのは、九時過ぎ。
なぜか黒崎君がトランプを持っていて、トランプ大会になり、持って来たお菓子を賭けて色々なゲームをやった。
ポーカー、ブラックジャック、大貧民、七ならべにババ抜き。
途中まではちゃんと覚えていたのだけど、どうしようもなく眠くなり、寝落ちしたのだと思う。
なんかー遠くでベルが鳴ってる?
じりじりうるさーいのー。こんな時間にアラームセットしたの、誰~?
「バカ、本当に押してどういうつもりだ」
ぐいっと手を引っ張られる。ぼんやりと手をつかんでいるものを辿ると、鬼の形相の和泉君。
「はぁえ?」
目の前には、けたたましい音を立てて鳴っている非常ベル。私の手は人差し指を立てて握っている。……今まさにボタンみたいなものを押しました、みたいに。
音を聞きつけて静まり返っていた宿の中が次第に騒がしくなるのを感じて、私は目が覚めるのと一緒に血の気が下がるのを感じていた。




