第49話 約束
近寄ろうとすれば触手に足を取られ、距離をとっても槍や影を用いた縮地で追撃される。そのひとつひとつの動作はルナに比べるとかなり緩慢なものだったが、クロエの動きに対応し続けられているあたりは間違いなくノエルの能力を反映したものだろう。まさに黒魔導士らしい戦法といえた。そして何より厄介なのは彼女が繰り出す全ての攻撃が重く鋭いということだ。一撃でも直撃すれば致命傷になりかねない威力を持つ。
一方クロエはと言えば常に受け身になっており防戦一方となっている。明らかにジリ貧だった。
「おいクロエ! 怪我しないうちに降参しろって!」
俺が見かねて声をかけるとクロエはギロリと睨んできた。
「うるさい!」
「でもこのままじゃ……」
「うるさいうるさいうるさい!!」
クロエは完全に聞く耳を持たなかった。こうなると最早本人以外誰も止めることができない。
仕方なく俺はクロエの負けを見届けようと覚悟を決めたその時だった。クロエは何故かニヤリと笑ってみせたのだ。
「ふふん。私だって策はあるんだから。『ウィンドブレード』」
今度は足下から巻き起こるように風が噴射される。だが今度の風は刃状にはならずに竜巻のように渦を巻き始めていた。
「風属性魔法……!? でもあの威力は……」
「へ〜。面白そうじゃん」
アルフォンスが呟き、ノエルは嬉しそうにしている。
「これでおしまい!」
渦が最高潮に達したところでクロエが右手を振り下ろすと同時にそれが爆散する。その際激しい暴風が巻き起こったためノエルは避けきれず巻き込まれてしまった。
「くっ……!」
土煙の中から飛び出してくる人影があった。全身傷だらけになりながらもしっかりと着地したノエルは平然としていた。その代わり髪の毛はボサボサになっている。
「魔法で相殺した……のか?」
俺が呟くとアルフォンスが頷いた。
「うん。さすがノエル、魔法の扱いでもやはり彼女に分があるようだね」
「あーもう。髪ぼさぼさだし」
ノエルは不機嫌そうに髪を整え始めた。
そんな様子を見たクロエは悔しそうに歯噛みする。
「まだまだぁ!!」
「もう諦めなって〜。しつこい子は嫌われちゃうよ?」
「うっさいバカ乳!」
「さっきからうるさいのはクロエの方だよね?」
怒鳴りつけるクロエに臆することなくノエルは飄々と答えた。そしてゆっくりと歩き出す。
どうやらトドメを刺すつもりらしい。それに対してクロエもまた迎え撃とうとしている様子だった。しかし今の彼女の状態を見る限りあまり余裕はないようだ。呼吸は乱れているし汗も多く流れており疲労の色も見え隠れしている。それでも必死に踏ん張っていたのは単純なプライドによるもだろう。
「行くぞおおぉぉ!!」
雄叫びとともにクロエは全力疾走をする。対するノエルは動かない。ただ静かにその場で佇んでいるだけだ。
まるで獲物が自ら飛び込んでくるのを待っているような態度だった。
「もらったああっ!!」
クロエは助走をつけ高くジャンプすると空中で身を翻しながら蹴りを放つ。しかもただの蹴りじゃない。無数の風の刃を伴った神速の蹴りだ。──それは今までのどの攻撃よりも素早く強烈で的確な一撃だった。まさに渾身の力を込めた必殺技といった具合であった。しかし……。
「残念でした〜♪」
刹那の閃光。一瞬何が起きたのか理解できなかった。ノエルが何かの魔法を使ったのだろうか。
気がついたらクロエは地面に仰向けに倒れていたのだ。
「……えっ」
自分の置かれている状況を把握できずに呆然としているクロエに向けてノエルは容赦なく杖を振り下ろす。するとクロエの全身が黒い鎖に包まれてしまい身動き一つ取れなくなってしまう。
「私の勝ちぃ〜♡」
「くっ……! こんなの……ズルい!」
「ズルくないよ。ただの魔法だし」
「ぐぬぬ……降参っ!」
悔しがるクロエを見ると鎖の魔法を解除し、満足げに微笑むノエルだったが、ふと思いついたように提案を持ちかけた。
「あ、そういえば約束してたね。私が勝ったらクロエはなんでも一つお願いを叶えてくれるんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
渋々といった感じで認めつつも不服そうな様子を見せるクロエだったが次の言葉を聞いて目を見開くことになる。
「絶対に聖フランシス教団を倒して」
「っ!?」
突然の言葉に思わず聞き返したくなる衝動を抑えることができなかった。
そんな俺の心情を知ってか知らずかノエルは続ける。
「別に、クロエのこと心配してない訳じゃないの。でもきっと大丈夫。だってクロエもリッくんも強いもん。私がいたら、二人の邪魔になっちゃう。……だから」
そう言って寂しげに笑うノエルの瞳には薄っすらと涙が滲んでいたような気がした。
おそらくは相当悩んだ末に出した結論なのだろうと思った。
だからこそ俺は胸が締め付けられるような思いになった。同時にノエルの覚悟の重さを改めて認識させられる思いでもあった。
「……そういうことは、ボコボコにした後に言うもんじゃないでしょ? バカ乳、あなたの方が私より全然強いじゃない」
「え? うーん、そうかな? ……だって」
ノエルがそう言った瞬間、彼女の身につけていた衣服が一瞬にして粉々になった。その結果目の前に晒されたのは、下着姿の美少女だった。
「「……は?」」
クロエも、俺も、アルフォンスも公爵もフローラも言葉を失った。
ただでさえ豊満な胸を支える胸布からは谷間が覗き、腰布は食い込んでいてとても魅力的なスタイルをしていることが見て取れる。そんな煽情的な姿のノエルは少し恥ずかしそうな様子を見せると
「クロエの攻撃は確かに私に届いてたよ。おかげで服破けちゃったし。──まあつまり、そういうこと」
「「「「どういうこと!?」」」」
俺とアルフォンスとフローラとクロエの声がハモった。
「え〜?」
ノエルが心底不思議そうな顔をする。
さすが天然女。予想外すぎる展開だ。
「まあでも結果オーライということで」
「何がどうオーライなの!? この変態バカ乳! 破廉恥罪で訴えるけど!?」
「ちょっ……! クロエ落ち着け! ノエルはとにかく服を着ろ!」
「うーん……」
クロエが真っ赤になって喚き散らかし俺が宥める中、当の本人は涼しい顔をしていた。
「でも、これやったのクロエだよ?」
「そうかもしれないけど!」
「別に見られて減るもんじゃないし〜」
あっけらかんと言い放つノエルを見て俺は思った。やっぱりこいつはなんにも考えてないのではないかと。
見かねたアルフォンスが上着をかけてやるとノエルは素直にそれを受け取り羽織った。
「やった! アルくんの匂いがする!」
「この変態が!」
俺のツッコミが炸裂する。しかし、ノエルはどこ吹く風といった感じでケロッとしている。
そんなやりとりをしているうちに騒ぎを聞きつけたのか公爵家のメイドさんが数名ほど集まってきており皆一様に驚いた表情を見せていた。それを見て公爵が咳払いをする。
「まったく……君たちは」
「まあ、あれがノエルの平常運転ではあるけど」
公爵とフローラの呆れた視線を浴びつつもノエルは変わらずマイペースだった。
「とにかく〜、私が勝ったんだから約束は絶対守ってよね」
……いやほんとどういう精神力してるんだこの女は。
クロエは未だに恥ずかしさが抜けないようで俯き気味になっていたが頷いて答えた。
「バカ乳に言われなくても、絶対に聖フランシス教団は潰す」
「うん。期待してるね」
ノエルがニコリと笑った。
「……あいつのことだから多分わざとやったんだろうな」
俺がそう呟くとクロエは不機嫌そうな表情を見せた。
「……私もそう思う」
その後、皆に別れを告げて俺とクロエは旅立ったのだが、別れ際にノエルが俺に駆け寄ってきた。
「じゃあね、リッくん。短い間だったけどお世話になりました」
「……まあなんだ。色々あったが楽しかったよ。達者でな」
「えへへ。リッくんに褒められた! 嬉しい!」
ノエルは嬉しそうな笑顔を見せた後、おもむろに背伸びをして俺の唇に自身のそれを重ねてきた。……は?
突然のことで避ける暇もなく呆然とするしかない俺にノエルは満面の笑みを向けてくる。
隣のクロエは呆れ顔を隠そうともせず冷ややかな眼差しを送っていた。
「ノエルさん!?」
「えへへ。最後のお別れの挨拶です!」
「お前なぁ……」
「アルくんには内緒だよ? みんなにもナイショ!」
そう言うとノエルはタタタッと小走りで去っていった。




