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◇10-1 再会


 夏季休暇。

 ヴァルターがハジャ湖に辿り着いてから早四日。


「なんっで、呼び出しておいて遅れて来れるんだよあのクソ師匠は……!!」


 ヴァルターは待ちぼうけを食らっていた。


 久方ぶりに訪れた屋敷の換気も掃除も終わり、森の奥の幻獣たちとも顔を合わせた。

 アインスともドライとも散々遊び、ツヴァイと昼寝までした。

 可愛い使い魔が大変に満足している様子で結構である。


 が。


 肝心のアフィスティアは一向に現れる気配がない。

 『緊急度:強』で呼び出しておきながら、だ。


 師匠の身に何かあった――などとは考えなかった。

 アフィスティアに何か(・・)があるような状況なら、それはもはやヴァルターの手には負えない。

 考えるだけ無駄というやつだ。


「……こんなことなら、祭を見てから来れば良かったか?」


 王都では今頃、双神祭が開かれている。

 太陽神エリルバーンと、月光神レインメイカーから賜りし愛に、国民全員で感謝を捧げる祭りだ。


 ヴァルターにとっては双神教(メリソス)は決して好ましいものではない。

 だが、夏場の一時期程度ならば、感謝……のようなものを示すくらいは出来る。


 大地を作り、海を成し、この地に息吹を齎した存在だ。敬意自体はなくもない。

 どうせ王都にいれば避けようもないのならば、祭りなんてものは楽しんでおくのが一番良いのだ。


 現にレネアも、祭りの楽しい部分だけを拾い上げるように明るく述べていた。

 こんな時だけ神子として使われるというのに、暗い顔は見せない。

 むしろ、リディアの方が何処か気遣わしげだった。


『美味しいお店が沢山並ぶんですよ! 先生にもぜひ食べて欲しいです!』


 祭りの件を伝える際、レネアは嬉しそうにおすすめを並べた。

 神子としての仕事を終えれば、あとは自由にしていていいそうだ。

 リディアと一緒に回るお店を決めてあるんです、と楽しそうに話していた。


「……戻っちまおうかな〜」


 風の国(アシェット)は、夏でも風が涼しく過ごしやすい。

 湖の脇の草原で仰向けに寝転び、諦めるように目を閉じる。


 そこでふと、ヴァルターは太陽に影がかかるのを感じた。

 瞼を持ち上げる。


 鳥──ではない。

 もっと大きなものだ。


 瞬きの間。

 腹の上に乗っていたアインスが危機を察知し、さっと傍に避けた、その時。


「ヴァっっルタ〜〜! 我が愛しの馬鹿弟子よ〜〜! 元気にしてたかな!?」

「ぉぶふっ!」


 ヴァルターは、空から来訪した師匠によって押し潰された。


 たおやかな緋色の髪が大きく靡く。

 黒く艶やかなタイトドレスに、豪奢なドレスグローブ。

 腰掛けていた箒は、途中で適当に追いやったのだろう。


 【浮遊】を使ったのか、重みは大してなかった。

 だが、腹部に衝撃があったことに変わりはない。

 思うままに降りられるのだから、どうせならもっと別の場所を選べばいいのに。


「傍迷惑な登場しやがって! 遅いんだよクソ師匠!」


 追い払うように腕を振ったヴァルターに、アフィスティアは軽やかに隣へと移った。


「いやあごめんね〜、私だってもっと早く来たかったんだよ? でもねえ、あのお姫様を逃げないように閉じ込めるだけでも一苦労なんだもの〜! いつまで待っててくれるかも怪しいし……困ったものよね〜」


 唇を尖らせて呟くアフィスティアは、珍しく溜息を落とした。

 賢者ピュリオンの捜索とは、やはりアフィスティアにとっても苦労のあるものだったらしい。


 身を起こしたヴァルターは、草原の上で胡座を描く。


「で、アンタの方の用件はなんなんだよ」

「あ、そうそう! ルヴリアーダを喚び出して欲しいんだ、私じゃ絶対出てくれないから」


 アフィスティアの緋色の瞳が、湖へと向けられた。


 湖の主──ルヴリアーダは、上位の幻獣だ。

 幻獣は進化を重ねると聖霊に近い存在となっていき、精神体に近くなる。

 そして、最終的には余程気に入った存在が居なければ、自ら顕現することはなくなってしまう。

 ルヴリアーダは現在、お気に入りであるヴァルターにのみ反応する。


「ルヴを? そんなんで呼んだのかよ……」

「そんなん? そんなんと言ったね? 全く、君はこの件の重要性が分かっていないなあ! 聖霊に近づいた存在は物質である我々からは干渉が難しいんだよ?」

「ちょっと話せば出て来てくれるだろ」

「あのねえ、それは君がルヴリアーダにとって特別だから出てくれるの。自分の優位性と才覚に自覚のない人間は不用意に人を傷つけるからね〜、改めた方がいいよ〜!」

「はいはい」


 不用意どころか不必要に人を傷つける人間が何を言っているのやら。


 生返事を返しながら立ち上がったヴァルターは、普段から釣りに使っている桟橋に向かう。

 右手を中央へと向けて差し出し、なんとも軽い声で彼女(・・)を呼んだ。


「ルヴ、ちょっと来てくれ」


 途端、ずず、と湖の底から這うような重低音が響いた。

 逆立つ毛並みの如く、水面が細かく震える。

 中心へ向かって捻るように持ち上がった水は、やがて巨大な馬の首を模った。


 ゆらめく水が、重力に従い落ちる。

 水の膜の中から現れたのは、白い身体に黄金の鬣を持つ、碧眼の馬だ。


 飛び上がるように水中から現れた巨大な牝馬は、そのまま軽やかに水面に降り立った。

 蹄が進むたび、緩く波紋が伸びる。


 音もなくやってきたルヴリアーダは、うっとりと目を閉じながらヴァルターの手に頬をすり寄せた。


 大層大袈裟な登場だが、この喚び出しは、生息する一切の生物に影響を与えない。

 持ち上がった水の中で、呑気に魚が泳いでいるのが見えた。


「ヴァル〜、ルヴリアーダに鬣ちょうだいって言って」

「…………自分で頼めよ」

「私が頼んだら鼻で笑われて終わりだもの! 知ってるでしょ!」

「まあ……」


 ルヴリアーダとアフィスティアは、どういう訳か相性が良くない。

 馬が合わない、というやつだ。


 此処を住まいに選んだのはアフィスティアだし、住んでからも随分と経っている。

 女性同士であるのも相性に関係があるのかもしれないが、どうせ、アフィスティアが何か失礼でも働いたのだろう。


「どうしても必要なんだよな? 何に使うのか聞いても?」

「んん〜? ヴァルのことだから分かってるんじゃないの?」

「分からん。そこまでの察しの良さを求めんでくれ」


 言葉にされてもいないことを全て汲み取れるなら、人間に言語など必要がないのだ。

 素っ気なく言い放ったヴァルターに、アフィスティアはその背に隠れるようにしながら言った。


「そりゃもちろん、ピュリオンの説得のための材料だよ。

 『翠福乙女の鬣』がどうしても必要で、あとは『祿霊の紅晶』さえ見つけられたら学園長になってくれるってようやく約束してくれてさあ!

 紅晶には心当たりがあるから、夏休みの間にこっちを片付けてあげようと思って」


 ルヴリアーダはすでに威嚇を始めている。

 こらこら、とその顔を優しく撫でておいた。


「はあ、お気遣いどーも。にしても、物語のお姫様みてーなこというやつだな」

「まあね〜、月からやってきた異邦人だもの。そのくらいはするわよね」

「は? なんて?」


 思わずアフィスティアを振り返る。

 意識が移ったことが気に食わないのか、ルヴリアーダからカッカッと抗議の足音が響いた。


「ほ、ほらほら! 早くお願いして! 私が蹴っ飛ばされる前に!」


 肩を掴んだアフィスティアが、ヴァルターを軽く揺すぶる。

 以前に後ろ蹴りを喰らったことがあるのか、アフィスティアの声には切実な響きがあった。

 どうせ避けられるだろうに。怯えたフリだ。


 けれども、せっかく出てきたルヴリアーダを無視して話を進めるのもどうかと思うので、ヴァルターは素直に言われた通りに要望を伝えた。


「ルヴ、君の鬣が欲しいそうだ。分けてくれるか?」


 碧眼が、魔素を帯びて僅かに光る。

 馬にしては柔らかな鬣は、彼女が聖霊に近付いている証なのだろう。


 詰まらなそうに鼻を鳴らしたルヴリアーダは、それでも逆らうことなく、身を任せるように頭を下ろした。


「いいってさ」

「ああ、ありがとう我が愛弟子! 君がいなかったらどうなっていたことか!」

「早くした方がいいぞ、アンタが近づくと無条件で苛立ち始めるから」

「本当に全くこの乙女と来たら……ヴァルに彼女ができたらどうするつもりなんだろうね」


 アフィスティアが鬣を一束得た瞬間、ルヴリアーダは睨め付けるように彼女を見上げた。

 ぴんと伸びた形のいい耳が、笑うように気怠く揺られる。

 身を起こしたルヴリアーダは、再度、確かにアフィスティアを鼻で笑った。


「あっ、こいつ! 今私を笑った! 知らないぞ! ヴァルにラブラブな彼女が出来てからせいぜい後悔するんだな!」

「……師匠の、好意感情を全て性愛に絡める嗜好自体を笑ってるんだろ」

「ええ〜、別に性愛とは言ってないよ。例えどんな感情であろうと、独占欲自体は絡むじゃないか」


 丁寧な手つきで鬣をしまいながら、アフィスティアは実感を伴った声で呟いた。


「みんながみんな、師匠みたいに何もかもが欲しい訳でもないんだって」

「そう? 求めるにしても、その性質自体には種族の特性があるのは分かるけど、結局みんな欲しがりじゃない? 大体……まあ、うん、とにかくありがとう。じゃあそいつは早く帰してくれていいよ! 今もムカつく顔してるからね!」


 ヴァルターはルヴリアーダを振り返った。

 が、彼女は素知らぬ顔で穏やかにヴァルターを見つめるばかりだ。

 ちょっと目を離した隙にどんな顔をしていたのやら。


 ヴァルターは小さく笑ってから、抱きしめるようにルヴリアーダを撫でた。


「ありがとう。次の休みはもっとゆっくりしに来るから」


 満足そうに口元を緩めたルヴリアーダは、軽やかに身を翻すと、湖へと沈んでいった。

 凪いだ水面をしばらく見つめてから、踵を返す。


「相変わらず子供みたいな喧嘩するなよ、アンタもう六十は越えてるだろ」

「女性に歳の話をするなんて失礼極まりないね。それに、大体の人間は結局のところ思春期のまま変わらなかったりするものだよ。立場に合わせた演技的性格(ロールプレイ)が染みつくだけでしょ」


 あっさりと言い放ったアフィスティアは、そのままヴァルターを招くように屋敷へと向かった。

 跳ね回る魔兎トリオと共に、その後を追う。


 アインスもツヴァイもドライも、此処ではいつも好き勝手に遊んでいることが多い。

 言うなれば安心できる縄張りなので、王都のように日頃くっついていなくとも平気なのだろう。


 ただ、ツヴァイは途中で眠くなったのか転がり出したので、それとなく抱えておいた。


「あ、そうだ。君にお願いされた件については、きちんと完遂したから安心したまえ。今頃エルナンドくんのお家は上を下への大騒ぎじゃないかな?」

「あー……忘れてた。それはどうも」

「忘れてた!? 可愛い生徒の生家を詐欺で大混乱に陥れておいて!? ああっ、なんて可哀想なエルナンドくん!」

「可愛くねえ生徒だから忘れた。精神衛生のために」


 ヴァルターは特に温度のない声で言うと、慣れた手つきで紅茶を淹れた。


「まあ、何のリスクも生じない商売など存在しないしね。見抜けなかった御当主が悪い、ということにしておこうか。

 それで? 君の大層可愛い方の生徒は元気でやってるのかな?」


 ヴァルターは、対面でにこやかに微笑むアフィスティアを静かに眺めた。


 手紙には曖昧にぼかした最低限の情報しか記していない。

 だが、厄介な師匠は数少ない情報から、既に何もかもを見透かしているらしい。


 知らず、ヴァルターの眉間に皺が寄った。

 不快感を露わにしたものではない。どちらかというと、拗ねた子供の顔だ。


「何の憂いもなく元気、とはいかないな。神殿が妙な動きをしてるし、相変わらず立場が確立されてる訳でもないし」


 思わずぼやくような口調になってしまった。

 微笑んだアフィスティアに促されるままに、これまでの出来事を伝える。


 もちろん、オルキデアが既に生きた屍であることは今更説明するまでもない。重要なのは、それによって起こっている学園の歪な経営状態だ。

 演習で緋龍が現れたことから、レネアの学園内での扱いの悪さ、魔術科への冷遇、魔法科教員の高圧的な態度に加え、神殿の不穏な動き。


 うんざりしながら語るヴァルターの話を一通り聞き終えた彼女は、唇を尖らせながら軽い調子で言った。


「そんなに神子様に目をかけてるなら、いっそ、攫って個人的に修行でもつけてあげればいいのに」

「……本人が何より無事に卒業することを望んでる。神子である以上、王立魔法学園(メーティス)を卒業したという事実が重要なのは確かだしな」


 これが例えば、レネアがオルキデアの弟子になるというのなら、話は違ったかもしれない。

 賢者の弟子ならば相応の保証がある。だが、ヴァルターでは足りないのだ。


 例えばこの先、ヴァルターとレネアの思想が異なり、目指すべき道が変わったとしよう。

 その時に彼女がひとりでも歩んでいくためには、『何の勲章も持たない魔術師の弟子』というだけでは弱い。


 神子であるが故に、魔法が苦手な彼女には公的な信用を示す資格が必要なのだ。


「うーん。でも、そんな悠長なことを言ってられる場合でもないかもしれないよ」

「……学園長がもう保たないかもってことか? でも、賢者ピュリオンも来てくれるんだよな?」

「いや、何て言えばいいかなあ……どう言えば君が落ち込まずに済むのかを今考えてるんだけど……」


 アフィスティアはしばし迷うような素振りを見せた。


「今更何聞いても気にしねえよ。むしろ今までが説明足りなさすぎだろうが。勿体つけるなよ」

「じゃあ言うけれども、現状を聞くに、君の大事な神子様はこの先殺される可能性が高いね」


「……は?」


 固まるヴァルターの理解が追いつくより先に、アフィスティアは続ける。


「私に思いつく限りの方法――つまりはグシオンにも思いつく限りの方法であいつの望みを叶えるとしたら、どう考えたって神子様の死が必要なんだよねえ」

「なんでレネアが死ぬ必要があるんだよ」

「ヴァルは、時戻しには何を必要とするか知ってるかな。世界を捻じ曲げるだけの運命力に等しい魔素。ついでに、今の世界に至る羽目になった要因。

 つまり、この場合にはオリーが死を選ぶに至った原因の神子様が対価に必要ってこと」


 ドレスグローブに覆われた手が、なんとも芝居がかった仕草で人差し指を立てる。

 あっさりと言い放たれた【大罪】への言及に、ヴァルターは呆気に取られたように目を瞬かせた。


「アンタまさか、時戻しの魔述式が拾えてるって言ってんのか? そんな御伽話みたいな主張、冗談か何かだろ?」


 時間軸に干渉する魔法は、ルテナの塔が定めた禁忌の一つである。

 が、研究段階で危険視されているために安全上禁止されたもので、そもそも魔述式の構築の実現自体が並大抵の使い手には何千年かかろうと不可能だとされている。

 それこそ、大賢者と呼ばれる伝説上の存在だろうと、だ。


 驚愕のあまり固まるヴァルターに、アフィスティアはなんとも軽い調子で自身を示した。


「おやおや、ヴァルは私のこの美貌を見て、なんとも思わないの? やだ〜、やっぱりまだまだ修行が必要ね」

「いやだって、アンタのそれは身体活性化と錯覚と幻影の応用って言って──ってそんなんはどうでもいいんだよ! 時戻し自体だって、どうだっていい!

 神殿が神子を殺す? 馬鹿なこと言わないでくれ!」


 神殿が神子を殺すだなんて有り得ない。

 実現不能とまで言われた魔法の賭け代にするには、神子の命はあまりにも重すぎる。


 ヴァルターはどれ程の最悪を想定したとしても、それだけは無いと考えていた。

 双生教を嫌い、太陽神(エリルバーン)月光神(レインメイカー)を厭うヴァルターだからこそ、信徒の信仰心は知っている。


 双子の神子は、双神の象徴だ。

 むしろ、迂闊に始末(・・)など出来ないからこそ、鬱憤を晴らすが如く冷遇しているとさえ言える。


 神子を害すことと殺すことの間には、魂の根源に組み込まれた倫理による途方もない程の断絶があるのだ。


 双子の神子を殺すなど、それこそ【大罪】よりも罪深きこと。

 神官にとっては尚更だ。その罪の重さに耐えられる者などそう居ない。


 もし仮に、本気で神子を殺すつもりでいるのなら。

 其奴はもはや、正気では無い。


「……頭がおかしいだろ」

「うん、そう。おかしいのよ。救い難いほどおかしくなったんだわ。最愛の師匠を失ったんだもの、おかしくならない方が、おかしいのではなくて?」


 あっさりと言い放つアフィスティアには、この件に関してさしたる興味はないように思えた。

 神子が死ぬ、と予測を立てておきながらだ。


 けれども、アフィスティアに関しては当然の話だった。

 彼女はいつだって、才あるものにしかその目を向けない。


 話を聞いただけのアフィスティアにとっては、レネアは冷遇される不出来な神子でしかない。

 ヴァルターが目の当たりにした彼女の努力とその価値も、可能性も、いま此処では何の意味も成さない。

 そして、アフィスティアの予想通りに事が運ぶと言うのなら、価値が証明されるはずの未来すら永遠に失われるのだ。


「……王都に戻る」


 ヴァルターは焦燥のままに立ち上がった。

 そんな彼を、対面のアフィスティアは片眉を上げて見やる。


「止めるつもりかな? 心掛けは立派だけれど、どうやって?

 相手は賢者オルキデアの一番弟子にして、王都の民の信頼も厚い神官長様だよ。君の立場じゃ迂闊に近づけもしない上、転移術ですら完全に隠匿し切る、紛れもない天才だ。五年もあれば話は別だろうけど、今のヴァルに太刀打ち出来るとは思えないなあ」


 答えの代わりに、ヴァルターの口からは小さく舌打ちが漏れた。


 神子を殺すことが選択肢に入るなら、緋龍の件の意味が変わる。

 あそこまで大規模な犯行だったというのに、王都の調査隊──神殿外部の信頼のおける機関が調べても、証拠も異常も何一つ出なかったのだ。


 ならば当然、その隠匿魔法を使った方法で神子を殺しても、証拠は一切出ない。

 現行の魔導法では、証拠がないのなら魔法による犯行の証明のしようがない。


 時戻しが成功する確信があり、隠匿魔法の効果が実証されているのなら、歯止めを失った狂信者が迷う必要などない。残された時間は、ヴァルターが思うよりも遥かに少ないだろう。


「だったら、師匠が来てくれればいいだろ」

「私は行けないよ。もうじきオリーの限界(リミット)が来る。その時までにピュリオンを説得しなくちゃならないの。それがオリーの唯一の頼み事だったからね」


 アフィスティアはあくまでも軽い調子で続けた。


「どちらにせよ無駄だと思うよ。君には止められない」

「そんなの、やってみなきゃ分からないだろ」

「分かるよ。残念ながら向こうの方が上手だし、仮に自身が殺されるとしても、周囲の人間の安全が保証されるのなら、神子様は自分の身を守るような真似はしないからね」

「…………」

「例えば、今此処で私が予測できるすべてを伝えて、ヴァルから真実を告げて逃げる道を提案したとしよう。

 グシオンの計画を妨害するために神子様を守れば、必ず周囲の人に危害が及ぶ。それを良しとするくらいなら、彼女はもはや自ら死を選ぶだろう。もはや病的なまでの自己犠牲精神だね」


 全てを見てきたかのように語る彼女の声には、何処か感心すら滲んでいた。


「そして、この件に関する何よりの問題はね、風の聖霊(シルフ)様が現状と、予想される未来を良しとしていることにあるんだよ」


 座り直すように、手で示される。

 ヴァルターは強く眉を寄せながらも、促されるままに腰を下ろした。

 口振はともかく、少なくともアフィスティアの目に宿る光は真剣そのものだったためだ。


「不思議に思ってはいたんだよね。

 あの気性の荒い駄々っ子のシルフ様が、どうして神子の片割れをあんな風に扱われて黙っているんだろう?

 普通は神子の殺害なんて、可能性が生じた時点でも国が荒れる一大事だよ。でも、今日も気候は穏やかで、シルフ様は何一つ荒れることなくただ静観を続けている。おかしくないかな?


 そもそも、どうして双子の片割れにだけ、歴代でも最高の魔素が宿っているんだろう。

 何故、代わりにもう片方は出来損ないなんだろう?」


 話の行き着く先が見えない。

 だが、口を挟むこともできなかった。


 おそらく、アフィスティアはとても重要な話をしている。


「双神の象徴に類の変化によって崩れ始めた結果、双子の片割れに不調が現れたのだとしても、神子の扱いで国の息吹そのものが荒れないのはおかしい。

 神子は聖霊の寵愛によって選ばれるのだから、生まれる前から愛されるべきものとして選定は済んでいる。


 その神子があの有様だと言うのなら、レネア・ルクシュタインの不調と冷遇は、シルフ様すら納得の上で成されたものである筈なんだ。

 精神体である聖霊に意思は薄いけれど、それでも感情は持つし、好悪もある。だからこそ、歴代の神子にも寵愛にバラつきがある訳だしね。


 レネアちゃんの状況はちょっと異常だ。

 そもそも神殿の冷遇が続いているのも、彼女を虐げたところで聖霊が荒れる気配がないからだよ。

 罰が下らないのだから、この行いは過ちではないと言い訳を得ている。


 これは私の憶測だけれど、聖霊様は神子として不調を抱えるレネアちゃんに死んで欲しいんじゃないかな────ああ、待った。今のは私の言い方が悪い」


 アフィスティアは、消し飛んだ家具(・・・・・・・)の一つを見やってから、落ち着いた声音で足した。


「分かった、分かったよヴァル。落ち着いて。

 謹んで訂正させてもらうけれど、私が言いたいのは、愛する神子が不調を抱えて生まれたことを憂いているシルフ様は、『不具合の生じた肉体』という殻を、死によって一度捨ててほしい、と思っているんじゃないかってこと」


 アフィスティアは続ける。

 あくまでも軽やかに。

 いつかの日、ヴァルターに魔術の基礎を叩き込んだ時と同じように。


「人間はもはや双神の想定を超えて進化し、成長している。もはや我らが産み落とされる際に、双神が我々の魂に手を加えられることなど殆どない。よって、レネアちゃんの魂に生まれる前に加護を与える真似は出来ない筈なんだよね。

 ただ、成長し魂の核を確立した後の存在なら、話は少し変わってくる。


 十五を超えて魂を確たるものとした存在は、人格と性質を保ったままその魂を取り出し、別の肉体に宿す事が可能だと言われている。

 この研究はいわば不死に繋がるため、【大罪】の一つに数えられているね。ただ、禁じられるということは実現が可能な未来があるということだ。


 聖霊なんて上位存在にとってはね、人間の肉体という殻なんてどうだって良いんだよ。

 シルフ様はレネアちゃんの魂そのものを自由にして、代わりに不調のない身体を与えたいがために、死を画策されても放っておいているんじゃないかなあ、だから結局、非力な人の子である我々にはこの流れを防ぎようもないんじゃないかなあ────というのが私の見解です。

 単なる憶測で確証はない戯言なので家具を破壊するのはやめてください、高いんだよそれ」


 別に壊したくて壊した訳ではない。

 気づいたらそうなっていただけだ。


 主張するのも馬鹿らしかったので、ヴァルターは詠唱すら省略し、砕けた家具を片付けた。


「……肉体の死を経験したところで、魂はシルフによって守られるってか? 結局人間としては死ぬってことだろ、それは。

 そもそも、別の肉体なんて都合よく手に入る訳もないし、時を戻されたりなんかしたら何もかもが頓挫するんじゃないのかよ」

「うーん……そこは私も色々思うところはあるんだけど、結局は神子様に関わる一件でしょ? 双神がなんとかしてくれるような気がするんだよねえ。

 聖霊にとって重要なのは自属性の魔法の根幹に関わる魂だけど、双神にとって重要なのは人間という存在そのものだから。


 オリーを生き返らせる為に神子を代償として時戻しが行われた場合、『レネア・ルクシュタインのいない世界』が形成されてしまう。

 神子を殺すまでなら──まあ、百歩譲って許容出来ても、存在そのものの抹消だなんて決してよしとはしないから、時戻し自体を双神が否定するんじゃないかな。


 グシオンが取る可能性のある手としては別の世界線に移動する……というのが選択肢にはあるけど、流石に世界を跨ぐような魔述式はどんな天才でも拾いようがないだろうからね。楽譜(レシピ)自体がこの世界に存在しないだろうし。


 とにかく、仮にも神子として生まれた存在をただ消費するような真似をされて、双神が黙っている筈はないと思うよ」


「…………謁見可能な聖霊と違って、双神は神話時代を最後に存在が観測されていないだろ。そんな不確かな存在に、生徒の命を任せろってのか?」

「双神は居る(・・)よ。これは信仰でも希望でもない。純然たる事実だ」

「だったら、神に愛されし神子を守ろうとしないのはおかしな話じゃないか」

「あのねえヴァル、君はすっかり忘れてしまっているようだけれど、聖霊も双神も人間ではないんだよ。

 ヒト同士ですら語る愛は多種多様で相互理解に欠けると言うのに、彼らの持つ『愛』が人の理に沿っている保証が何処にある?」


 ヴァルターは次に紡ぐべき言葉を見つけられなかった。

 言うべき言葉は山のようにある。だが、それら全てが、彼女の予想の範疇だろう。


 結果として、室内には沈黙が落ちる。

 数秒後。

 ぱん、と両手合わせたアフィスティアが、努めて明るい声で言った。


「まあまあ、心配しないでくれたまえ! もしも私のこの憶測が全て間違っていたら、その時は責任を持って私という存在(・・・・・・)を対価に時を戻してあげるからさ!」

「……それって、アンタが死ぬことにならないか」

「弟子の大事な生徒をほとんど見殺しにしようとしてるんだもの、そのくらいの覚悟は持って当然だろう?」


 アフィスティアは無邪気に笑みを浮かべた。表面だけは、無垢な少女のようですらある。

 その内側には、想像もつかないほどの業が詰まっている。


 ヴァルターは、もはや何を言うでもなく、ただ呆れたように溜息を落とした。


「わざわざ俺を送り込むのを待たなくたって、アンタならもっと早く気づいて、幾らでも先回り出来たんじゃないのか?」

「かもしれないね。でもほら、十年前の私は君に夢中だったし。私は夢中なこと以外は碌に興味が沸かないからね」


 アフィスティアの欲は、己にすら制御出来ない部分がある。

 何に興味を持ち、何を欲するか。長い間篩をかけ、折り合いの付け方を学んでも尚、アフィスティアは時折耐え難い欲求の為に周囲を振り回した。

 何よりも振り回されているのは、きっとアフィスティア自身だろう。


 修行にかかった八年間の密度を考えるに、確かにアフィスティアには余所事に割く時間はなかった。


「その上、ここ二年はピュリオンを追いかけ回すのに必死だったし」

「……神子が生まれた時にも、何も気にならなかったのか?」

「うーん、あんまり。そもそも神殿にも近づきたくなかったから、王都にもほとんど近寄らなかったし。

 だってさあ、我こそは最愛の師匠に愛されし唯一の存在であります、みたいな面をした馬鹿が居て、しかも私の愛しのオリーはそんな馬鹿に夢中なんだもの」


 やんなっちゃうよね、とアフィスティアはぼやいた。


「さて。私はもう行くよ。あんまり放っておくと、お姫様が逃げ出すかもしれないからね。私は私のやるべきことをやるから、君は君のやりたいことをするといい、」

「〝どうせ無駄になるだろうけど〟?」


 師匠の口から出るだろう台詞を引き継いだヴァルターに、箒を呼び寄せたアフィスティアは、ほんの少し、困った子供を見るような顔で笑った。


「ヴァルター、学園を君に任せたのは、それが本当に最善だと思ったからだよ。

 私は人並み外れた能力はあるけれど、残念なことに思い遣りが欠片も無いんだ。

 好きでもない子供を守ろうなんて気にもなれないし、死んだところで気にも留めない。自分以外の人間がどうなろうと、本当は知ったこっちゃない。

 でも、君は違うだろう? だからきっと、先生に向いていると思ったんだよ」


 去り際のアフィスティアの言葉には、彼女にしては珍しく、真摯な響きが宿っていた。

 



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