表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/24

◆4ー2 合同演習


「姉さん、最近楽しそうだね」

「え。そ、そうかな?」


 三学科合同の演習日。

 鼻歌混じりにローブを羽織るレネアを見やって、リディアが声をかけた。

 何故だか気まずそうに体を強張らせたレネアが、そろりとリディアを振り返る。


「そう見える……?」

「うん。学期が始まる前は不安そうにしてたから、楽しそうでよかった」


 安堵したように呟いて、身支度を整えたリディルは先に出てしまう。

 レネアも、その後を追うように学舎へと向かった。


「先生のおかげなのかな」

「え?」

「ヘルエス先生」


 道すがら、リディアがぽつりと呟く。

 レネアはまだ、リディアに教会裏でヴァルターと会っていることを話していない。

 確かにヴァルターのおかげではあるのだが、そこまで分かりやすかっただろうか。


 慌てた様子でどう言い訳をしようか、と悩む。

 だが言葉は出てこない。


 そもそも、何故言い訳をせねばならないと思っているだろうのか?

 何もやましいことはないはずなのに。


 焦りを抱えながら一人慌てるレネアに、リディアは見守るように視線をやって、柔らかく微笑んでいた。



    *   *   *



 月に一度の校外演習は、学科混合のチームを組む。

 技術向上が主だった目的だが、やはり学科間の忌避感情を和らげる為に組み込まれていると言っていいだろう。


 三学科の中でも剣術科は、魔法学科にも魔術学科にも比較的態度が安定している。

 何より剣を重んじて剣術科に進むようなものばかりで、魔法への過度な自意識が薄いため、魔術に対しても忌避感情は薄いのだ。


 剣術科の中には、剣術の聖地であるポルシィ国へと留学してしまう者も居る。

 親の許可が必要なため、人数はそう多くはないが。


 今回のレネアのチームは、特に人当たりのいい人間が多かった。

 これは運がいいと言うよりは、引率教師の采配だろう。


 組み分けされた中で、同じチームに分類されたリディアがそっと耳打ちしてくる。


「エルナンドと組まずに済んで良かったね」

「あ。うん。サーキスタ先生が引率だから……気を配ってくれたんだと思う」


 今回の引率はヴァルター、ラフル、メビウスの三人だ。

 例えば引率教員がドリエルチェであったなら、必ずエルナンド一派と組まされていたことだろう。


 彼女は神殿に多額の寄付をしているため、学園内でも発言権が強い。

 そのお布施の資金源は、エルナンド家との提携事業によってもたらされているそうだ。


 故に、ドリエルチェは特にアンディに目をかけている。

 レネアへの嫌がらせにわざわざ加担するのも、もはや毎度のことだ。


 エルナンド家の業績は好調で、年々力を増している。

 幼少期の婚約を断れたのは、様々な思惑と幸運が重なった結果だと言えるだろう。


 アンディの意思はともかく、エルナンド家がレネアを婚約者にと望んだのは完全な政略である。


 出来損ないであろうと、神子は神子だ。

 野心が強く、単なる大商家では収まらず国の中枢にまで食い込みたいエルナンド家にとって、神子との婚姻はその足がけとなる。

 『若い二人が惹かれ合い、恋に落ちたのだ』とすれば、神殿も強くは反論できない。

 民衆は噂さえ上手く操れば、病弱(・・)な神子と見目麗しい御曹司のラブロマンスを支持するだろう。


 エルナンド家は、むしろこれは神子としてはあまりに力が及ばないレネアを助ける為の婚約ですらある、と豪語した。

 強い言葉で正当性を主張するガロド・エルナンドに、レネアは当時、本当に生きた心地がしなかったものだ。

 ルクシュタイン家は家族全員、すっかり青ざめていた。


 結局、成り上がりの商家に貴族籍を与えたくはない勢力のおかげで話は頓挫した。

 加えて言えば、エルナンド夫人は平民であるルクシュタイン家を毛嫌いしている。


 神子を手に入れる道が絶たれたのなら、それこそ名のある貴族の令嬢と婚約を結ばせるのが手っ取り早い道だ。

 ガロド氏は早々にレネアを候補から外し、それ以来は仄めかすことすらしなくなった。


 間違っても、今更婚約が結ばれるなどということはありえないだろう。

 どういう訳か学園長直々に保証された日、レネアは安堵のあまり腰を抜かしたものだ。


 学長室の外で待っていたリディアの顔も、今でもはっきり覚えている。

 結局、あの日は恐怖と安堵のあまり落ち着かず、久しぶりに二人で一緒のベッドで眠ったのだったっけ。


 この間、ヴァルターに説明したからだろうか。

 婚約当時の記憶が、底の方から浮かんできてしまった。


 レネアは軽く頭を振る。

 演習中だ、集中しよう。

 気持ちを切り替えて、説明の為に立つラフルの顔を見つめた。


 男性に言うのは変な感じだが、相変わらず、とても美人な先生である。

 顔の造形は勿論だが、腰まで伸ばした金の髪が毛先に向かうにつれ紫がかっている様も、眼鏡の奥で穏やかな光を讃える碧眼も、何処か神秘的で特別な魅力がある。


「今回のヲイン峠では、演習用のルートが何本か確立されています。四学年の皆さんは、第一ルートと第二ルートを使用しての演習ですね。

 出発点から頂上への到達点までの間に、探索課題の採取結果と、低級魔物の討伐の成績を見ます」


 ラフルはその見目と柔和な物腰から、男女問わず生徒からの人気が高い。

 授業も分かりやすく、誰にでも分け隔てなく優しいともなれば、当然の人気だと言えた。

 レネア自身、教師の中ではかなり信頼を置いている。


 何処か見惚れるように聞き入る生徒たちに、ラフルは説明を続ける。


「待機チームは私が、第一ルートはヘルエス先生に、第二ルートはログラック先生に見ていただきます。

 みなさんはもう四学年ですから、頂上に到達した際に帰還を考慮した体力配分であったかも評価対象とします。

 くれぐれも無茶はせず、連携を取って進むように」


 低学年の頃は、まず教員の引率によって安全に登ってから、難度の低い帰還ルートを下りることで演習とした。

 今回は行き来全てが評価となる。

 体力配分と、到着までの時間。様々なことを考えながら進まなければならないだろう。


 レネアは、はっきり言えばチーム内ではお荷物と言っていい。

 だからこそ気を引き締めなくては。

 と、決意を固めたところで、後方で嫌な笑みを含んだ声が上がった。


「先生〜、第一ルートは監督が頼りなくて怖いんで僕らはメビウス先生担当のルートがいいでーす」


 アンディの声だ。間違いない。

 声に釣られて振り返った多くの生徒が、アンディの顔を見るとさっと視線を逸らした。


 四学年の魔法学科生徒は、あまり評判がよろしくない。

 一派以外の魔法科生徒は、なんだか居た堪れない様子で数人縮こまっていた。


 ぱちり、と一度眼鏡越しの瞳を瞬かせたラフルが、ゆったりと口を開く。


「全員分の希望を聞いていたらキリがありませんから、ルートは此方で決めています。

 ヘルエス先生は学園長が直々に採用した優秀な魔術師ですし、そもそも待機チームである私も双方のルートを補助的に監督しています。

 もしもエルナンドさんに何かあれば、この場の引率教員全員の責任ですから、私の方でもしっかりと見守っていますよ」


 ラフルは困ったような笑みで、淑やかに首を傾げて言った。

 さらりと揺れる髪が、陽の光を受けて煌めく。

 女生徒からは思わず、と言った様子で感嘆のため息が落ちた。


「ですから、心配なさらないでくださいね」

「……まあ、そうですねー、ラフル先生が見ててくれるなら安心ですねー」


 アンディは、一旦、嫌味な強調と共に納得して見せた。

 態度こそ悪いが、それ以上引っ掻き回すような素振りはない。


 全体演習で問題を起こせば教員全体に迷惑がかかる、と釘を刺されたのはどうやら伝わったらしい。


 気を取り直して、ラフルはルート分けの説明を始めた。

 その隣では、メビウスが少しばかり眉を寄せている。


 ヴァルターは嫌な気持ちをしていないだろうか。

 レネアは心配になってヴァルターを観察し、そしてすぐに気づいた。


 澄ました顔で立つ彼にはさっぱり気にした様子はない。

 だが、頭上と両肩の魔兎(コネッハ)達は、何やら不満を表すように鳴いているようだった。


 いや、鳴こうとしている、というのが正しいか。

 不満を示そうとするたびに、それとなく鼻先を押さえられている。

 ぷゅ、と音が響きかけた時、ヴァルターの唇が動いた。


『こら、やめなさいって』


 生徒の視線は、ほとんどがラフルに向かっている。

 笑い混じりに音もなく紡がれた呟きに気づいたのは、多分、レネアだけだった。



     *  *  *



 合同演習は、慣れない低学年の内は学科内でチームを組み、中学年からようやく、他学科と混合になる。

 交流を持たせるのは感情のコントロールが利くようになってから、というのが方針のようだ。


 レネアのチームは、六人体制だった。

 学科ごとの人数が異なるため、バランスには若干の偏りがある。


 魔法科からはレネアとリディア、ロマノ。

 剣術科からは、ハートリーとクロイヴという男子生徒。

 そして、魔術科からはアンナ・クロイラーだ。


 ちなみに、人数の差を言い訳にして、エルナンドのチームには毎度魔術師は入らない。

 入れたところで無用な争いが生まれるばかりだ。

 態度が改善するまでは、剣術科との混合チームになるだけだろう。


 ルートに入る前。

 準備用に用意された時間で、六人は打ち合わせを始めた。

 レネアは、時間管理のための道具を整理している。


「ヲイン峠の第二ルートって、第一ルートより勾配きついよね」とリディア。

「その代わり採取ポイントが多いよ。時間配分考えて、的確に採っていくべきだね」続けるのはクロイヴだ。

「あと、俺は殿(アンカー)務めるわ。主要魔素が火属性適性高いから……此処だとちょっと」ハートリーが手を挙げる。

「魔物の索敵って誰やる? 先に言っとくと、僕はすっごい苦手」とロマノ。


 顔を見合わせたところで、一瞬の間が空く。


「【探知(トーラ)】なら、クロイラーさんが得意だったと思うよ」


 レネアはそっと口を挟んだ。

 アンナが、驚いたようにレネアを見やる。


「あれっ、違ったっけ。ごめんなさい、勘違いしてたかも」

「う、ううん、合ってる……でも……よく覚えてたね……」


 三学年の合同演習は、年に六回しかない。

 毎度組む生徒も変わるので、顔と名前がごっちゃになることすらある。


 掠れるような声で呟いたアンナに、レネアは何処か照れ臭そうに微笑んだ。


「去年、一緒に組んだ時に凄いなって思ってたから」


 三年生で探知魔法に長けている人間は、魔法学科でも多くはない。

 当時気になって、各学科の優秀成績者表を見に行ったくらいだ。

 アンナ・クロイラーは、確か学年二位の実力者だった。


「そうなの? だったらクロイラーさんに任せたいな」


 明るい声でリディアが言う。

 その場の視線が、アンナへと集まった。


「えと……あの、がんばります……」


 顔を赤くして俯いたアンナは、それでも決意の分かる声で答えた。

 その隣では、使い魔である小柄な魔犬が、なんだか誇らしげに尾を揺らしている。


 笑顔で頷いたリディアが、メンバーを見渡した。


「魔物の討伐はクロイヴと私に任せてね。中型くらいなら心配ないから」

「いや〜リディアさん……俺はできれば採取メインに加点を……」

「おいおい、神子様の前だぜ。もっと良いとこ見していこうぜって」


 頭を掻くクロイヴを、ハートリーが小突く。

 その一瞬、僅かにリディアのまとう空気が強張った、気がした。

 それは決して、敵意ではない。単なる戸惑いだ。


 意図せず空いた小さな間を埋めるかのように、ロマノがやる気の薄い声でつぶやく。


「気合い入れすぎて失格条件満たしたらやだから、程々で行こう。ほどほどで」


 別に、誰を気遣うつもりもなく口にした言葉なのだろう。

 けれども、僅かに表情を強張らせていたリディアは、ロマノの言葉に気を取り直したように明るく告げた。


「緊張状態が続くと疲労が上がるから、適宜休息を取ろう。状況見て、無理はしない方向で」


 ばらばらに、それでも張りのある声で返事が返る。

 上手くいきそうなメンバーで良かった。


 レネアはそっと、心からの安堵の息を吐いた。

 その吐息が、隣のアンナと被る。

 どうやら、彼女もとても緊張していたらしい。


 知らず、二人は揃って微笑みあった。



    *   *   *



 レネアのチームは、昼食前に頂上へと辿り着いた。


 頂上地点の待機場は、学園の管理で屋外休憩所のようになっている。

 順番に、辿り着いた生徒から好きな場所を取って、各々時間を自主学習に使うのが主な流れだった。


 低学年の頃は、頂上にも監督の教師がいた。

 だが、四学年ともなれば、ある程度は生徒の自主性に任されている。

 全体監督者のラフルの魔法が頂上にも配置されている程度だ。


 魔法で生成された光の球が、見守るようにして宙を舞っている。


 レネアのチームは、まずまずといった評価を貰えそうだった。

 連携も悪くはなかったし、安全性を考慮してトラブルなく進めた。

 少し規定の採取量より少なかったが、採取の状態は全班で一番だと言えただろう。


 何より、全員で良いチームだったよ、と笑いながら讃え合えたことが良かった。

 チームメンバーの配分が最悪だと、当然演習内容も苦い思い出しか残らない。


「出来たらずっとこのチームがいいなあ……」

「同感」


 知らず呟いていたレネアに、隣のリディアも似たような声音で相槌を打った。

 思わず願ってしまうほどに、今回は平和だった。


 エルナンドと組んだ時など、思い出したくもない有様だ。

 おそらく、次回は組まされるのだろうけれど。


 細く溜息を吐いたレネアの背を、労わるようにそっとリディアの手が撫ぜた。




「みなさん、無事に揃いましたね。此処からは全体で第五ルートを通り、学園へと戻ります。

 無論、この先も学園に到着するまで全てが評価対象に含まれます。気を抜かないでくださいね」


 昼休憩を挟み、しばらくして。

 全てのチームが、少なくとも大きな事故なく頂上へと辿り着いた。

 ラフルは、集まった生徒を前に再び確認の説明を始める。


 最前に立つのはエルナンドのチームだ。様子を見るに、特に不平不満を抱くこともなかったようだ。

 彼の希望通りにメビウスのルートだった為、演習自体には思うところはなかったのだろう。


 あとは無事に学園に帰るだけ、である。

 帰路も採点に含まれるとはあったが、やはりまとまった人数がいれば緊張は薄れる。

 チームごとに固まり、列になった生徒たちは、和やかな空気で崖沿いの道を進んでいた。


「見て、凄い綺麗……!」

「第五ルートって、山の裏側見えるんだねえ」

「六学年では、あの森林に入るんだっけ……」


 何人かの生徒が、奥側に広がる広大な森林に目を奪われる。

 素直な感嘆の声が漏れていた。

 次いで、こら、まだ採点中なんだよ、と真面目な生徒が付け足す。

 演習開始前よりも打ち解けた様子の者も多かった。


 かく言うレネアも、打ち解け……たいとは思っている。

 今も実際、隣を歩くアンナの顔色をちらちらと伺っている。


 他学科の生徒との合同授業は、そう多くはない。

 聞きたいことは沢山あった。【探知】が本当に上手だったから、是非ともコツを聞きたかった。

 レネアに出来るかどうかはともかく。知りたいのだ。


 あとは彼女の素晴らしい働きを、是非とも褒め称えたい。

 アンナに賞賛を向けると、彼女の使い魔が察するのかご機嫌になるのだ。とても可愛い。


 でも、レネアが魔術科の生徒と親しくなろうとすると、あまり良いことはない。

 エルナンドの取り巻きが見れば『媚を売ってる』と嘲笑うし、レネアが話しかけたことで、魔術科の生徒がドリエルチェに目をつけられると言うこともある。


 行動を起こそうとする度に、マイナス要素ばかりが頭に過ぎる。

 何もしなければ、せめて誰にも迷惑はかけずに済む、だなんて。


 何度目かの視線を向けた時、ちょうど、隣に立つアンナと目が合った。

 伺うような視線が何を言おうとしてるのか、似たような気質のレネアだからこそ分かる。

 彼女にはレネアを厭う素振りはない。ただ、踏み出し方が分からない、そんな顔をしている。

 きっと、レネアも同じ顔をしているのだろう。


「あの、」


 何かを言うなら今だ、と思った。何を言うかはちっとも考えていなかったけれど。

 でもちょうどいいことに、チームワークへの称賛の言葉なら、手持ちに十分過ぎるほどにあった。


「クロイラーさん、」


 けれども。

 レネアが意を決して、それでいて極めて密やかに声をかけようとした──その瞬間。


 異変が起きた。

 それは、明確な異常だった。


 この場では決して起こり得ない、異常事態だ。


 列になって進む道の遥か下。

 眼下に広がる広大な森林の中から、羽の生えた(・・・・・)巨体(・・)が、一瞬で宙へと現れたのだ。


 突風が沸き起こり、咆哮が響く。


「きゃあああぁっ!!」

「何!? なんなのっ!?」


 大多数の生徒から悲鳴が上がる。

 レネアも思わず悲鳴を上げ、隣に立つアンナと、それから後方から庇うように腕を伸ばしたリディアと、守り合うように身を寄せた。

 そうでなければ、吹き飛ばされかねない勢いだった。


 暴風に晒されながら、薄く開いた目を空中へと向ける。


 大きな羽を羽ばたかせ浮かんでいたのは、真紅の鱗を持つ、巨大な翼竜──五色龍の中でも気性が荒いことで知られる、緋龍だった。


「緋龍!? 何故このような場所に……!!」


 先頭で安全確認をしていたラフルが、強張った声を漏らす。

 一瞬の判断で、彼は生徒を守るように防壁を張った。同時に、メビウスが声を上げる。


「ラフル! 後方は俺が見る! いいかお前ら、落ち着け! 絶対に大丈夫だからな!」


 剣術科の教師であろうと、魔法は当然使える。

 ラフル程の規模でないにしろ充分な防壁を貼ったメビウスは、生徒を後ろへと庇った。

 出来る限りまとまるようにと声を張り上げ、生徒もその指示に従おうと動く。

 レネアとリディアとアンナは、ちょうど一塊の状態で、岸壁へと身を寄せた。


「使い魔を放すな! 龍の威圧で錯乱しかねないから、必要なら複数人で内側に囲め!」


 列の中程から、ヴァルターの声が上がる。

 魔術学科の生徒達は、それぞれの使い魔を腕に抱いていた。


 アンナの使い魔もまた、彼女の腕の中で尾を丸めて震えている。

 怖がって当然だろう。

 緋龍とこんな間近で相対するなんて、鍛え上げた魔法使いでも恐怖を抱く。


「でも、本当、どうしてこんなところに……」


 レネアの口から、掠れた呟きが落ちた。


 龍種は基本的に、それぞれの種族特性に見合った地形で、潤沢な生命の息吹(プラーナ)の満ちた土地に生息している。

 間違っても、中級の訓練地などにいる存在ではない。

 そもそも、そんな場所を生徒の使用する場所に選定などしないからだ。


 だが。理屈も理由も今は関係はない。

 現状、緋龍は間違いなくそこに存在していた。


 紅色の鮮やかな鱗を煌めかせる龍は、その逞しい羽の一振りで強大な風を巻き起こす。

 規格外の突風に、防壁が軋んだ音を立てた。


 壊せない防壁に苛立ってか、緋龍は不快そうに首を振り、頭を持ち上げる。

 両眼が力強く燃えるように輝いたかと思えば、牙の並ぶ両顎は大きく開け放たれ、喉奥から赤黒い炎が覗いた。


 灼熱の咆哮。防壁を焼き溶かそうと、放たれた炎が壁を舐めるように広がる。

 あちこちから、恐怖による悲鳴が上がった。今のところ、生徒に怪我はない。

 属性効果の遮断と、耐久性。ラフルとメビウスの張った防壁は、そのどちらもが一級品である。

 だが、それも永遠に持つ訳ではない。


 レネアは思わず目を瞑って、ぐるぐると脳内で緊急時の校内規則を巡らせていた。

 救援信号を出してから、学園から援護が来るまでにどれほどかかるだろう。


 きっと、遭遇したのが教師陣だけなら対処出来る筈だ。

 これだけの生徒を守りながら戦う、というのが難しい。緋龍は攻撃の規模も被害も段違いで、そして規格外に魔力量が多い。

 耐久戦では、人族には分が悪過ぎるのだ。


 先生方を手伝える方法があるだろうか? いや、ない。

 邪魔にならないように落ち着いて身を守り合うくらいしか。


 絶望的な思いで眉根を寄せた、その時。


「悪いメビウス! 防御任せた!」

「えっ、あ、おい、ヴァルター!?」


 メビウスの、やや素っ頓狂な声が響いて、レネアはぱっと目を開いた。


 生徒達を庇うように立てられた防壁の向こうで、ヴァルターが宙に立っている。

 恐らくは【浮遊(ピュレイス)】の応用だ。あそこまで安定しているのは、初めて見たけれど。


「ヘルエス先生……!? ど、どうするつもりなのかな……」


 隣のアンナが、不安げに呟く。


「まさか、囮になるつもりじゃ」

「えっ、そんな、ダメだよ!」


 リディアの強張った呟きに、レネアは詰めていた息を吐き出すように声を上げた。


 確かに緋龍は敵対心が強く、攻撃をしてきた相手を執拗に追い回す性質がある。

 だから、誰か一人が囮になってこの場から引き離せば、その間に他の人間は逃げられる。


 他学科の教師にその役目を押し付けた時に受ける非難を懸念しての行動だろうか。

 だが、一人で犠牲になる必要なんて無い。


 レネア達に予測出来ることなど、当然教師陣にも思い浮かぶ訳で。

 珍しく焦った様子のメビウスが、防壁を維持しつつも声を張り上げた。


「よせ、ヴァルター! 俺たちなら何とか持ち堪え──」


 られる、と続く筈だった声は、爆音に掻き消された。

 緋龍の息吹によるものではない。使い魔と共に宙を駆けたヴァルターが、すれ違い様に片目を狙って放った魔術だ。

 視界のすぐ側で爆炎を受けた龍は、即座に攻撃対象をヴァルターへと定めた。


 生徒達から距離を取るように、ヴァルターは更に距離を取る。

 やはり囮になるつもりだろうか。

 飛びかかる緋龍をいなしながら離れたヴァルターに、レネアは思わず祈るように両手を組み合わせていた。



   *   *   *



 一方のヴァルターはと言えば。


「ったく、マジで何処から現れやがった! 気配すら無いとかどう考えても異常だろうが!」


 旋風を巻き起こす緋龍の翼を交わしつつ、宙へ向かって悪態を放っていた。

 悪態を重ねたところで突然龍が掻き消える訳でも無いが、それでも言いたいものは言いたい。


 臨戦体制に入って空を跳ね回る真兎コネッハ達が、時折苛立たしげに宙を踏み鳴らす。


 三匹とも、一欠片も臆してはいない。

 それはヴァルターも同じだった。

 彼の頭の中には、囮になるなどという発想は微塵もない。


 これが学園内のいざこざが理由の事故(・・)だとすれば、果たして救援が来るかどうかも怪しい。防戦は端から選択肢から外した。

 倒せると思ったから来たし、生徒の安全は二人に任せれば間違いがないとも判断した。


 あとはその判断を、本当に間違いがなかった状態にするだけである。


 咆哮を上げ、攻撃体制に入る竜を前に、ヴァルターは一度、ゆっくりと深呼吸をした。


 龍との戦闘は、どんな二次被害を生むか分かったものではない。

 先ほどのように羽が引き起こした突風でバランスを崩すこともありうるし、万が一にも防壁の隙間から炎が掠りでもすれば一大事だ。


 加えて言えば、崖下は森林である。

 生木であっても、龍の炎でも受ければあっという間に延焼しかねない。


「安全性考えると──これかな」


 自身の肉体補助に使用する魔素は全て魔兎(コネッハ)トリオに任せ、ヴァルターは眼前の龍へと狙いを定めた。


 黄金色の瞳が、鋭く煌めく。

 獲物を捉える前の獣のように。


 瞬きの間に魔素の見極めを終えたヴァルターは、迷うことなく魔述式を構築した。


氷槍の監獄(シリンズ・グラーベ)


 瞬間、龍を取り囲むように、氷の槍が球状に並ぶ。

 それらはヴァルターの手の一振りで、取り囲んだ龍の身体を貫いた。


 龍の魔素を借りて作られた槍であるからこそ、その切先は難なく鱗を突き破る。

 紫の鮮血が、派手に鱗の隙間から宙へと舞った。


 地響きを起こすほどの咆哮。

 空中でのたうち回った龍は、最後の一条がその脳天を刺すと────遥か下の森林へとその身を沈めた。


 警戒体制で見下ろしたものの、少なくとも起き上がる様子はなかった。

 薙ぎ倒された木々と、その中心に落ちた緋龍の巨体を眺めて、一息つく。


「……ひっさびさに肝が冷えたな」

「ぷ」「ぶ」「ぷ」

「おお。お前らも、お疲れ」


 戦闘が終わるや否やひっついてきた魔兎トリオを撫でつつ、ヴァルターは小さく笑み浮かべた。

 その笑みも、すぐに思考に飲まれて薄く消える。


 いくらなんでも、突如緋龍が現れることなんて想定していない。

 安全対策の範疇外だ。

 師匠に潤沢地へと放り込まれた経験がなかったら、いくらヴァルターでも危なかっただろう。


 念の為、緋龍が絶命していることを確かめておく。


 確認を終えたヴァルターが元いたルートへと降り立つと、避難の済んだ生徒たちの姿が見えた。

 安全性の確保としては最善の隊列で並んでいる。


 仕事を終えた魔兎トリオは、揃って『抱っこしてモード』に入っている。

 ヴァルターは三匹を腕に抱えたまま、軽い調子でメビウスへと歩み寄った。

 顔を上げた彼が何か言うより先に、端的に尋ねる。


「生徒に怪我は?」

「あ、ああ。みんな無事だ。ショックで体調を崩した子が何人かいるが、ラフルも診てくれてるし、大した不調じゃない」

「それは何より。ところで、龍種の討伐報告書って学園経由で上げて貰えばいいんでしたっけ?」

「おう、事務のピエリさんに言えばいいと思うぞ……」


 聞きたいことは確認できた。

 呆気に取られた様子で呟くメビウスに、ヴァルターはあくまでも落ち着いた声で告げた。


「とりあえず、皆さんを無事に返さないと安全に演習を終えたとは言えません。私は此処で処理業務の方が来るまで見張りをしていますから、先生方は学園まで生徒を送り届けていただけますか?」

「あー……分かった、じゃあ、ここは任せる」


 メビウスは、決して察しの悪い男では無い。

 余計に騒ぎ立てることもなく、彼はあくまでも教師として生徒へと誘導の声をかけた。



    *   *   *




 学園まで戻る最中、生徒たちの話題はヴァルターで持ち切りだった。

 教師の手前、表立って騒ぎ立てるような者は少ない。

 だが、皆が興奮を抑えきれない声でひそひそと言葉を交わし合っている。


 特に、魔術科の生徒の興奮は一際熱が篭っていた。


「緋龍を単独討伐できるって、どういうこと!?」

「どう考えたって魔兎(コネッハ)三匹じゃ魔素足りないよね……どっから……え……?」

「いや、そもそも使い魔三匹の時点でおかしいんだって……!」

「先生さっき魔術四種ぐらい同時に使ってなかったかな……遠すぎて魔述式よく見えなかった……」

「は、発動速度が怖すぎる」


 面白くないのは、魔法学科の人間だ。

 特にエルナンドなどはあからさまに表情を歪めている。


 ただ、これだけ居る目撃者の前で緋龍を討伐した人間に対して悪態を吐くのは、流石にちょっと、ダサすぎる。

 プライドだけは一丁前に持ち合わせている彼は、せめて苛立たしい言葉を聞かずに済むように、取り巻きと共にやや列を外れるように歩いていた。


「姉さん、ヘルエス先生って、凄いんだね」

「う、うん。凄い……ほんとに……!」


 こっそりと耳打ちしたリディアに、レネアは興奮冷めやらぬ様子で、両手を握りしめたまま何度か頷いていた。

 不安でたまらなかった気持ちが、討伐によって一瞬で反転したが故の興奮だ。


 安堵と称賛が混じり合った感動を抱えつつ、レネアは心からほっとしたように息を吐いた。




   *   *   *




「……ふーん、痕跡隠しがお上手でいらっしゃる」


 一方のヴァルターは。

 宣言通りに緋龍の死骸を見張りつつ、先ほどの、突如出現したと思しき箇所を見て回っていた。


 ヴァルターの目には、少なくとも異常らしい異常は映らない。

 おかしな程に、だ。


 予想が正しければ、これは間違いなく『転移魔法』による犯行(・・)である。


 ただし、証拠と呼べるものが一つも見当たらない。転移などと言う大規模魔法の行使が為されたはずなのに、だ。


 まあ、ヴァルターが此処にひとりで残ると言っても一切の反対意見が出ない時点で、見つからなくて当然の話なのだが。

 いや、あの場で疑えるのはラフルとメビウスくらいなのだから、二人が犯人では無い、という可能性も勿論ある。


 それにしても。


「目的が分からん……」


 腕の中のもふもふトリオを宥めるように撫でつつ、ヴァルターはひとり首を傾げる。


 緋龍を送り込んだということは、誰か始末させたい者か、怪我を負わせたい相手がいる筈だ。

 あるいは授業中に事故を起こさせたかったか。


 問題は、これが三学科合同の演習時に起こったことにある。

 魔術科の生徒を始末したい、というならば、まあ、まだ理解できる。したくもないが。


 無差別に生徒が死んで得がある者は、少なくともあの場には一人もいない筈だ。

 受け持ちの学科の生徒が死ねば、当然保護者の非難は担当教師に向かう。


 例えばヴァルターを始末したいにしても、あまりに採算が取れないではないか。

 もし仮に、この事態が不利益となる場合があるとすれば。


「……うーん……さっぱり分からんが……現状、一番面倒なのは、これが俺の自作自演と思われることか」


 倒せることを前提として緋龍を配置したとでも思われたら最悪だ。

 ヴァルターははっとした様子で顔を上げ、頭を掻いた。


「やっべ、あと一人残ってもらった方が良かったか!? いやでも、あの人数は二人に任せるのが一番安全だよなあ……!」


 その方面で責め立てられたとしたら、この行動は証拠隠滅に残ったと思われてもおかしくはない。


 ヴァルターは当然、自分以外の人間を疑ったので、あの場で自分が残ると言い出した。

 だが、もう一人学園側の人間に残ってもらう方が良かったかもしれない。

 あるいは学園から応援を呼んでからそうするべきだったか。


 生来の、集団行動が苦手な面が出てしまった。


「戻ったら職員会議かね……」


 うんざりしつつも、死骸の見張りは続ける。

 業者の到着後、ヴァルターは気晴らしついでに、近場の釣りスポットの探索だけしてから学園へと戻った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ