●第七話 猛犬
立派な門だが、インターホンやドアベルがどこにも見当たらない。あるのは頑丈そうな木の柱だけだ。
「すみません」
そう言ってみたが、反応はない。
「そんな声じゃ中までは聞こえないだろう。構わない。入ろう」
「はい」
彼が小さい門扉を押すと、あっさりと扉は奥へ開いた。鍵は掛かっていなかったようだ。
門をくぐると、そこは石畳と砂利の敷き詰められた広い庭園になっており、不思議と中に雪は積もっていない。融雪用の設備がここにもあるのだろう。
「綺麗に手入れしてありますね」
「ああ。ちょっと向こうを見てくる」
「ええ? 夜見月さん?」
普通に考えて、この石畳の道の正面が母屋だと思うが、夜見月は脇の家の裏手へと回り込んでいく。
まぁ、そっちがハズレなら彼もすぐ戻ってくるだろう。
それにしても――右には大きな錦鯉が何匹も泳いでいる池があり、左には灯籠や石橋までがあった。
見事な風情だ。
地面にはサイズ一センチほどの細かな石粒で統一された砂利が敷かれており、綺麗な箒目によって凹凸の筋に、水のごとく波打っている。それが曲線に沿って等間隔の列をなしており、優雅な縞模様を地面に形作っているのだ。
唯一残念なのは、そこを土足で踏み抜いてしまっている足跡が一人分あることだ。おそらくさっきの夜見月のような無粋な人物が横着をして横切ったに違いない。
庭園に見とれながら少し歩くと、どこからか低い動物の唸り声が聞こえて来た。
「これって――犬?」
次の瞬間、何者かが強く私の体を後ろから引っ張った。
「きゃっ」
私はびっくりして小さく悲鳴を上げてしまった。
建物の影からは二頭のドーベルマンが勢いよく飛び出してくる。二頭の犬は猛スピードで私に直進してきた。
やられる!
そう思って全身が硬直したとき、野太い男の濁声が響き渡った。
「待て!」
二頭の犬は、その命令にすぐに従い、その場でしゃがみ込んで不動の体勢を取る。
「フフ、つまらんが、どうやら泥棒ではなさそうだ」
そう言って母屋の玄関から、日焼けした六十代くらいの男が現れた。ライトグレーのスーツを着込んでいるが、やはり普通のサラリーマンには見えなかった。ファイルの写真で見覚えがある。長男の雨貝剛だ。
「陽奈、大丈夫か?」
私を引っ張ったのは夜見月だった。犬からかばおうとしてくれたのだろう。
「え、ええ」
まだ心臓がドキドキしている。
「雨貝剛さんですね。犬は鎖を付けておくべきでは?」
夜見月が苛立ちを抑えた声で話しかけた。
「自宅で散歩させるときは放し飼いにするからな。勝手に忍び込んで来たアンタ達が悪いんじゃないかね? ほれ、そこの玄関にも猛犬注意と書いてあるだろう」
「ここからでは見えませんよ」
「そうかい、それは気が付かなかったな。後で直しておこう」
わざとらしく肩をすくめてみせる雨貝剛だが、こうして客を驚かせては楽しんでいるのだろう。趣味が悪い。
「それで、そっちのアンタが結城陽奈さんか」
「そうです」
「なら、入ってくれ。電話してくれれば、迎えをやったんだが。そうすればこういう間違いも起きなかったんだぞ?」
「はぁ」
まるで私が悪いみたいだが、他にこの家に訪ねてくる人はいないのだろうか。
「で、そっちの男は誰だ? 今日はワシも忙しいのでね。関係者以外は帰ってもらおうか」
「いいえ、僕は彼女のフィアンセですから」
「ほう?」
フィアンセ? それって――
「こ、婚約者ぁ!?」
私は仰天してしまった。
「本人が驚いているようだが、何かの冗談かね?」
「いえ、彼女の伯母が正式に許嫁と認めてくれているのですが、陽奈、聞いてなかったか?」
「ええ、聞いてないですね、一切。そういう重要な事は先に話してもらえると、大変ありがたかったのですが」
私はあきれながら、夜見月に当てつけるように言ってやった。とはいえ、ここで話を合わせておかないと、彼は追い出されてしまい、私一人だけで交渉することになるはずだ。いきなり猛犬をけしかけてきて、とぼけるような相手に?
――無理だ。
「そうか。あの人らしいといえばあの人らしいかな。ああ、それで、クククッ、プレゼントを君が変な顔して受け取ったわけだ」
一人で合点した様子で笑っている夜見月だが、彼の作り話なのか、本当の話なのか私には区別が付かない。毒をもって毒を制すと言うが、もうそのレベルだろう。
「ふぅむ、ま、同伴ということなら構わないだろう。ただし、一人増えたからと言って、遺産の取り分が増えたりはしないから、そこは勘違いしないようにな」
「ええ、もちろん」
「じゃ、寒いから詳しい話は中でしよう。他の者もだいたい揃ったところだ。一人だけ、まだ翔一が来ていないが、どうせあいつのことだ、時間なんて守りゃしない。遅刻常習犯だからな。まったく忌々しい!」
翔一とは雨貝翔一、雨貝不比等から見て次男の息子、孫に当たる。ロックミュージシャンということだったが……長男の剛は彼のことを快く思っていない様子だ。
これが父の親戚なのかと、私はここに来たことを少し後悔し始めていた。




