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●第三十二話 狭間への逍遙

「どこへ向かうつもりですか、夜見月さん」


 てっきり母屋へ向かうものだと思っていたが、夜見月は裏庭に向かい、そしてまた蔵へと逆戻りしている。


「なんだ、犯人がわかったわけじゃなかったのですね」

「いや、犯人はもう目星が付いている。ただ、彼女がどうして、犯行に至ったかの動機がはっきりしないんだ」

「彼女の、動機ですか……」


 夜見月の言葉で、私も犯人が誰かおおよその予想が付いた。


「それで、行ったり来たりしながら考えているんですか?」

「これは逍遙しょうようだ。歩くと人間の脳は活性化し、思考が研ぎ澄まされる。人類が農耕を始める前、人類は獣を追いかける狩猟をやっていたからだ。人類が農耕を始めた歴史は長い時間で見ればほんの一瞬にすぎないから、脳はそれほど進化していない。つまり、人間の脳の仕組みは狩猟時代の造りのままなんだ。歩き回る個体が有利になるよう、そして集中力も増すように僕らの肉体はプログラミングされている」

「ああ、それで。闇雲に歩いているわけでもなかったのですね」

「ショーヨー、ショーヨー、ふんっ、ふんっ」


 希海も犯人を突き止めたいようで、足を踏みならすようにして歩いている。と、急にピタリと動きを止め、ポケットからスマホを取り出し、つつき始めた。


「へえ、希海ちゃんは自分のスマホを持ってるのね」

「うん、お母さんが寂しくないようにって、チャットを入れてくれるの」

「そう」


 昨日も希海をこの家に連れてきた母親は忙しそうにしていた。希海はまだまだ甘えたい盛りだろうに、それを思うと胸がちょっと締め付けられる。


「えっ……!」

「あっ!」


 希海がスマホの何かに驚き、手を放してそのまま地面に落としてしまった。


「大丈夫? 壊れてなきゃいいけど」


 私は彼女のスマホを拾い上げた。幸い、壊れてはいないようだ。


「お、お姉ちゃん、純お兄ちゃんからメールが来てるの」

「ええ?」


 私は画面を見る。そこには『メタエリアへおいでよ、希海ちゃん。犯人が誰か、教えてあげる』と、眼鏡を掛けた青年のアニメ風アイコンが見えていた。


 そんな、純は死んだのではなかったのか。


「見せてくれ」


 言われるがまま、私は夜見月にスマホを見せる。


「ふむ……なぜ今になって……だが、安心していいぞ、二人とも。純君は犯人じゃない。犯人なら、僕が犯人だとそのまま告げるだろうからな」

「でも、純君がもったいを付けてこういう悪戯をしていたら……」

「いや、彼はそんな人をからかって喜ぶ性格ではなかったよ。妙に気さくで明るく見えたから、そういうことをやりそうなタイプに思えるかもしれないが、彼の興味の中心は人ではなく技術なんだ。彼の会話にはすべて技術の要素がからんでいた。人じゃあない」

「えっ、ああ、そういえば……」


 監視カメラの音声の有無だとか、NFTだとか、新しい技術を楽しそうに話していた。


「エンジニアにありがちな性格だな。パーソナリティ心理学では『経験への開放性』、5因子の一つで、“知的好奇心の強さ”や“新しいモノへの嗜好”の傾向があるとされる。人は大きく分類して、いくつかのグループに性格が属するが、スタンフォード大学の研究者はSNSにその人が付けた『いいね』の数で性格を判断できる心理的プロファイリングを実際に使ってみせた。それが後に米大統領選のスキャンダルにまで発展するのだが、十個の『いいね』を調べればその人の同僚よりも深いレベルで相手の性格を見抜けるし、七十の『いいね』で友人よりも精確なレベルになり、百五十で両親よりも深く、さらに二百五十の『いいね』となれば配偶者よりも深く相手のことを推し量れるようになる」


「ええ? SNSの『いいね』だけで、相手のことがわかってしまうのですか?」


「そうだ。そして相手の性格がわかればその行動も予測できるし、簡単なメッセージで相手の行動を操作する事さえ可能になる。たとえば、野党の支持者に選挙に投票に行かせたくないなら、『選挙は馬鹿らしい。どうせ何も変わらないのだから、あなたの大切な休日の時間は家族と一緒に大切な時間を過ごしましょう』などと家族や伝統を重んじる人に対してメッセージを見せるだけで、その人は心理的に操作され、選挙に行く確率が減る。

 逆にリベラルで革新的な人には『他人が定めたルールに大人しく従うのか? 投票用紙には“クソッタレ”と書いてやろうぜ!』これで無効票となって、野党票が減るわけだ。

 問題はそれを政府の与党側の陣営が資金を使ってこっそりSNSに仕掛け、ステマの情報操作を行っていたのではないかということでね。プロパガンダ製造機とも呼ばれているな」


「ええ? それって民主主義を揺るがす大問題じゃないですか!」

「そうだ。だが、君はその問題を今まで知らなかった」

「ええ……そうですね」


 大学の心理学で“ビッグファイブ”を学んでいたにもかかわらず、それがここまでおおごとの悪だくみに使われているなどとは知りもしなかった。心理学はちょっと自分を詳しく知れたなら面白い、程度の認識だった。

 それが、相手の行動まで左右できるなんて。


「夜見月さん、心理学を使って犯人を止められますか?」

「止められる。止めなくちゃいけない。純君が死ぬ前に残したメッセージが、犯人のプロファイリングに役立つかもしれない。あのヘルメットを使おう」


 銀色のヘルメット。そこに犯人の手がかりがあるはずだ。

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