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侯爵家のアルフレッド 5

 馬車に置いていかれたのは確か、まだ朝も早い時間だったはず。なのに気付けば、既に太陽は頭のてっぺんを通り過ぎる時間帯になっていた。


「兄ちゃん、あんたなかなか頑張ってたじゃないか」

「ドゴモンさん!」


 足にも腕にも力が入らず、軟体動物の如く地面にぺたりと座りこんでいたアルフレッドは、呼ばれると嬉しそうな顔で笑いかける。

 彼は、最初にアルフレッドが話しかけた際に石を放り投げてきた、ガタイのいいあの男だった。


「見かけと違ってなかなか根性があるじゃねぇか。予想より早く作業は進んでたぞ」

「そんな、ドゴモンさんがコツを教えてくれたからだよ。お陰で随分と荷台の運搬は楽になったし」


 初めは顔の怖い、なかなかにいかついおじさんだと恐怖心を抱いていたアルフレッドだったが、午前の時間中ずっと接してみると、意外にも優しくて面倒見のいい男だった。

 おかげでアルフレッドも、ドゴモンにすっかり懐いていた。


「とりあえず腹減っただろ。これお前の分だ。しっかり味わって食えよ」


 ドゴモンは小脇に抱えていたバゲットと、水の入った水袋を渡してくれた。


「喉も渇いたろ。今日は特に暑いから、水分が全部持ってかれないようにしっかりと水飲んどけよ? 兄ちゃんみたいなぺらぺらな奴は、すぐに日差しにやられて干からびて倒れちまうぞ」


 確かに、全身の水分は今にも蒸発してしまいそうだ。

 袋に口を付けると、冷たい水が喉を通り越し、すーっと胃の最奥部まで流れていく。予想以上に体は水分を欲していたのか、もらった水袋はあっという間に空っぽになってしまった。

 

 名残惜しそうに袋を垂直にひっくり返し、最後の一滴まで余すところなく存分に吸収し終わったところで、新たな水袋をドゴモンは差し出す。


「よっぽど喉渇いてたらしいな。ほれ、たくさんもらってきたから遠慮せずにぐいっと行けよ、な、兄ちゃん」

「ありがと!」


 お礼を言うとすぐさま二つ目を体の中に流し込む。それから水分で十分に潤ったところで、アルフレッドはおなかも空いたなぁと言いながらバケットを包んである紙を剥がす。


 中にあったのはハムとチーズを挟んだ極めてシンプルなものだったが、空腹だったアルフレッドは夢中でかぶりついた。

 屋敷ではもっと質のいい小麦で作られた焼きたてのバケットや、なかなか庶民には手の出せない高級なハムやチーズを嫌というくらいに食べ尽くしてきたアルフレッドにとって、今食べているのは数段は劣る代物だ。いつもの彼なら絶対に口をつけないし、例え一口だけは食べたところでそれ以上は決して食べ進めない。

 にも関わらず、アルフレッドはがつがつと貪り食べた。


「一仕事終えた後の飯は格別だろ」

「………本当に。びっくりするくらい美味しい」


 ゆっくりのんぴり食事を楽しむ性質であるアルフレッドにしては珍しくスピードが速く、気が付けば既に半分が胃袋の中に収まっている。


「今からの時間帯は暑さが更に厳しくなるから、しっかり飲んで食って、午後からの作業にも備えるんだぞ」

「ふぁーい、ぶぁんばりまふ」


 バゲットを口一杯に頬張りながら、元気よく答えるアルフレッド。

 そうだ、彼の言う通り、しっかり飲んで食べて、体力を復活させておかないと、作業中に倒れかねない。さっきまではもたつくことも多かったが、午後は作業にも慣れたしもう少しスムーズに事を成すことができるだろう――――――

 と、そこまで考えたところで、アルフレッドはふと、あることに気が付く。


 あれ、僕、何しにここに来たんだっけ。

 五日もの時間馬車に揺られてここに来たのは、肉体労働の為ではなかったはずだ。


 周囲の雰囲気に呑まれすっかり本来の目的を忘れていたアルフレッドは、ようやくそのことを思い出した。

 そう、彼はアリアナに会うためにこの地までやって来たのだ。道がなくなってしまったという予想外の事態のせいでこんなところで足止めを食らっているが。


「あの、ドゴモンさん」


 最後の一かけらを放り込み、きっちり胃の中に送り込んで口の中を空っぽにしたあと、改まった顔で男の名を呼ぶ。


「最初に言いそびれてたんだけど、僕、山道の復旧作業を手伝いに来たんじゃないんだよね。アリアナ様に会いに東の王都から来た人間で……」

「アリアナ様って領主様に会いにか? なんでまた」

「実は僕は……」

「ドゴモン。作業の進行具合はどんな様子だ?」


 今回こそここに来た目的を告げられると思っていたのに、今度は第三者の声によって遮られてしまったアルフレッド。

 なんでいっつも邪魔が入るんだろう、とうんざりした顔で、割り込んできた声の主を見上げたアルフレッドだったが、次の瞬間息を呑んだ。


「アリアナ様?」


 通気性に優れた木綿の白のシャツに柔らかな素材のズボンといったスタイルは、他の作業員達と変わらないものだったが、顔全体をぐるりと覆う仮面を被ったその人物は、間違いなく彼が会いに来た人物に他ならない。

 勿論、今日も相変わらず顔は見えないし、夜会の時とは違う木目調の地味な仮面なので、絶対にアリアナであるとは言い切れないはずだが、そもそもこんな暑い夏の最中に外で仮面を被る変わり者が、彼女の他にいるとは思えない。

 それに先程の声は夜会で聞いたアリアナのものにそっくりだったし、なおかつ谷間が見えそうな程に大きく開いた胸元の感じや、服の上からでも分かる身体のラインは絶対に彼女だろうとアルフレッドは確信していた。

 ちなみに例の二色使いの毛に関しては、あの夜と全く同じ感じで仮面の頭上につけられている。


 果たしてアルフレッドのこの声に、仮面の人間は彼に目をやり、さっきの彼女の声の二オクターブは高い音で叫んだ。


「アルフレッド殿!? なんでここにいる? これはもしや私の夢、幻……か?」

「そのどっちでもないですって。アリアナ様の目の前にいるのは、正真正銘この前の夜会の時に一緒にいたアルフレッドですよ。なんかあのまま会えなくなるのは悲しいかなって思って。で、思わず会いに来ちゃいました」

「わざわざ私に会う為にここまで来たのか!?」


 びっくりしすぎたせいか、取り乱した様子でざざざと後ずさると勢い余ってそのまま尻餅をつくアリアナ。そんな彼女にアルフレッドは慌てて駆け寄る。


「大丈夫ですか!? アリアナ様、怪我は?」

「あ、だ、大丈夫だ。ありがとう」


 コホンと咳を一つした後今までのアルト声に戻ったアリアナはそう答えると、こくこくと首を縦に振った。


 今のところ分かるのは、こんなところにいる自分にただただビックリしてる、といったところか。

 けれど今日も今日とて無防備に人目に晒している首回りがほんのり赤くなっている、という反応を示す辺り、嫌がってはいないだろう。

 むしろ脈ありかな。

 そんなことを冷静に考えながら、必殺技のひとたらしの笑顔を即座に作ると、彼女に向かって手を差し出す。アリアナは一瞬躊躇ったように動きを停止したものの、すぐに復活するとおずおずと手を差し出した。

 彼女の熱が宿った手を軽く握った後、アルフレッドは彼女の体を引っ張りあげる。

 だが筋力がないせいか、引き上げた時に思わず体がよろめきそうになった。自分に夢中にさせようとしている相手の元へ颯爽と手を貸しに行っといて、さすがにそんなカッコ悪いところは見せられないので、なんとか踏ん張ったお陰でバランスを崩すことはなかったが。


「あの、領主様。彼は一体どのような方で?」


 状況がいまいち掴めないドゴモンが目をぱちくりさせながら、アルフレッドとアリアナを交互に見つめながら首を傾げていると、


「彼はユーロニア侯爵家の嫡男、アルフレッド殿だ。先の夜会で一緒になったお方だ」

「え、兄ちゃん貴族様だったのか!?」


 侯爵家のお坊ちゃんにとんだ軽口を叩いてしまった、そう言ってドゴモンは慌てて頭のタオルをもぎ取ると、平身低頭して今までの態度を詫びた。


「知らなかったとはいえ失礼しやした! 私はこの地域を取り仕切ってるドゴモンと申します。いや、まさか俺達平民が軽々しく口を聞けない程のお人だったとは気付かず、重たい石を運ばせたりとんだ無礼を働いちまったこと、どうかお許し下さい」

「!! 君はそんなことまでしていたのか?」

「えーっと、まあ、成り行きで?」


 あのままジャケットを着ていれば、洋服の感じから貴族の人間だと気付いてもらえたのかもしれなかったが、それを脱いだアルフレッドの格好は今のアリアナ達と大して変わらない。なので手伝いの人間と間違われたのは、仕方のないことだった。


「だけどこんな経験初めてのことで。最初はすごくきつかったけど、途中からは段々楽しくなってきて。だからドゴモンさん、気にしないでよ」

 

 それは本心であった。そうでなければ、ここに来た目的をころっと忘れて作業に没頭したりしない。

 しかし、純粋な本心のみで言った言葉でもなかった。

 こう言えば、こんな返しをすれば、アリアナの中でアルフレッドに対する評価はきっと上がる。そんな下心が込められていたのだから。

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