侯爵家のアルフレッド 4
すぐに貸し馬車を手配すると、アルフレッドはその日の内に王都を出た。目指す地は勿論、ティール伯爵領、ダイス地区だ。
王都から西へ進むこと数日。
彼女の元へ行く旅路の途中、目の前に巨大な山が立ちはだかる。この国の中央部に位置するそれは、いくつかの山々が連なった山脈だった。どの山も高く、はっきり言ってこの障害物のせいで国の西側と東側との交流はあまりない。また、気候や土地の具合も、アルフレッド達の侯爵領や王都とはまるで別物だと噂だ。
それでもティール家の領地は山のすぐ麓にあり、また道も整備されているので交通の便もいい為か、こちら側との交流は盛んな方である。だからダイス地区は西側の区域の中で最も栄えている領地だと言われているのだ。
そして、途中で街に立ち寄り休憩を取りながらきっちり五日後。今走っているこの山から、伯爵領だと教えてもらった。
この調子だと半日もすれば、アリアナが住んでいると思われる居城のある、ダイスの中心都市に辿りつけるだろう。突然顔を見せに来たら、彼女、どんな顔をするのかな…………ってそうだった、どっちにしたって仮面で顔は見えないんだっけ。
そんなことを思うアルフレッドを乗せて順調に山道を進む馬車だったが、突然馬の甲高い鳴き声が響いたかと思うと、急激にスピードを落として馬車が止まる。
何の前触れもない突然の停止だった為、アルフレッドはあやうく前の壁に顔全体をぶつけるところだった。
「!? 一体何があったの?」
少しだけ額が壁にかすったものの、大事はない。そんなことよりも急停止の理由の方が気になって思わず外へ飛び出すと、御者が申し訳ない顔で道の先を指さした。
「すみませんお客さん。西の天気がここ数日悪かったって聞いてたんでもしやと思ったんですが……。宿の兄ちゃんにちゃんと聞いときゃよかったな。ありゃあこの道はしばらくは通れないですぜ」
「え、なんで?」
「多分数日前に嵐がやってきて、それの影響で山が崩れちまったんですよ。ほら、あそこに積み上げられたたくさんの石と、それからそこらかしのに人が大勢いるでしょう? あれ、道が埋まっちまったんで復興作業中ってことですよ」
「嵐で……山が崩れた? でも王都の方は嵐どころか雨の一滴も降らなかったのに」
「あっちとこっちじゃ全然違いますよ。東側は年中通して穏やかな気候で雨もそこまで大量には降らないですがね、それは西からくる雨雲を全部、さっきまで通ってたあの大きな山がそこで止めてくれるからですぜ。西の気候は時期によって天気ががらっと変わるんですわ。特に今は雨季ですからね。しっかし……これだと目的の場所に行くには大分迂回しないといけないですね。ぐるりと向こう側を回ってざっと四日はないと」
「そんなに時間かかるの!?」
「いっぺん戻って別の道で行くしかないですからね。しかもそっちの道は大分遠回りになりやすんで。どうします?」
どうします? と聞かれても、連れて行ってもらう以外に選択肢はないのだが……。
渋るのには、到着にかかる日数ではなく懐事情だった。
追加で提示された料金は、兄からもぎ取った額内におさまるものではなかったのだ。なんとか負けてもらおうと得意の笑顔を振り撒いたりして交渉するも、ちょろい騎士団員とは違い、御者は厳しい現実をアルフレッドに突きつける。
「金がないなら仕方がない。俺の仕事はここまでということで」
あっさりとそう言い残すと、戸惑うアルフレッドを残して馬車は騒々しい蹄の音と共に王都の方向へと引き返していった。
置いていかれてしまったアルフレッドは、しばらく落胆した表情で立ち尽くしていたが、いつまでもここに突っ立っていても事態は何も変わらない。
とりあえず、通行止めになっている辺りに行けば人はいるのでそちらへ向かおうと道なりにまっすぐ歩いていく。
それにしても。
「こっち側ってほんと、あっついなぁ…………」
少し歩いただけでも汗がじんわりと体から染み出してくる。
季節は初夏。勿論アルフレッドのいた東側も、夏なので日差しはそれなりに強くて暑さを感じたが、こちらの暑さは種類が違う。
東は、日の当たる場所は暑いが、日陰に入ると肌寒さを感じる。だがこちら側は、どこにいようが常にねっとりとした湿気を含む暑さが襲いかかってくるのだ。
汗が服にまとわりつく感触に耐え切れず、アルフレッドは思わず着ていた薄手のジャケットを脱ぎ、白いシャツのボタンを三つほど開ける。本当は全て脱ぎ捨てたい衝動に駆られたが、外でそれをするとただの変質者になってしまうので我慢した。
のろのろと歩みを止めずに人だかりの方へ行くと、初めは豆粒大だった集団の全容が徐々に分かってきた。
彼らは大きな重たそうな石をどこかへと運搬している最中であった。御者の話と照らし合わせると、道を塞いでいる瓦礫の撤去作業中なのだろう。おそらく男達はこの地に住まう者だ。また山道を戻って……なんて面倒なことをしなくても、この先へ進む手段を、他に知っているかもしれない。
とりあえずは、という感じで、アルフレッドは頭に布を巻いたバルトよりも更に巨体でいかつい顔をした男に声をかける。
「あの、すみません、ちょっと聞きたい事があって……」
だが、皆まで台詞を言うことはできなかった。なぜなら男の、いかつい外見に非常に似合った大きな野太い声が台詞を遮ってしまったからだ。
「やっと来たな、待ってたぞ! まずはこれ、あそこの荷台の上に乗せてくれ」
そして次の瞬間、男は、手にしていたアルフレッドの頭の二周りの大きさはある石を投げるように手渡してきた。条件反射でそれを受け取ってしまうアルフレッド。
「!?」
軽々と放り投げられたそれは、アルフレッドにとっては持ち上げることすら困難な程の重さだった。なので落としはしなかったものの、へっぴリ腰になりながら重力に負けて地面すれすれに持ってしまうという情けない格好になってしまう。
「ちょ、これ、何……っていうか重っ……!!」
「おいおい、この助っ人は随分とだらしのない奴だな。これくらい男として持てなくてどうする兄ちゃん!」
「い、いやだって、僕の性別うんぬん以前に、お、重すぎる……」
「そんな女みたいな細っちい腕とへなちょこな体じゃ今日一日どころか半日ももたねぇぞ? ったく、もっと鍛えないかんぞ」
同年代の男性に比べて体力や筋力が若干劣るのは認める。だがしかし、こんな重たい石を、現在二つ重ねて、しかも片手で軽々と抱えてしまう男の筋力もおかしい。こんがりと香ばしく焼けた丸太程の太さの腕は、アルフレッドの知る筋肉まみれのガイアよりも更に逞しい。
というよりも。
アルフレッドは、別に道の復興作業を手伝いに来た訳ではない。だからこんな腰が抜けそうな程にずっしりとした石を指定された場所へ持っていく義理はない。
ないのだが。
「ほれ! ちんたらしてないでさっさと向こうへ持って行け! 兄ちゃんに合わせてたら日が暮れちまう!」
一言で言うと、その男は怖かった。他の人間にも色々と指示を飛ばしているところからして、おそらくここの現場の責任者か何かだろう。誰かが何かのミスをした、と報告をする度に、耳を塞ぎたくなる程の怒号が飛ぶ。
目力もすごく、一睨みされたら気の弱い者はその場に気絶してしまうかもしれない。
他人にあまり怒鳴られたりした経験のないアルフレッドは、男の迫力に負け、言われるがままに石を荷台まで運ぶ。なんで僕がこんなこと……と恨み言を呟きながらもどうにか台の上に上げることができた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
「そしたらそれを、あっちのとこで作業してる連中のとこまで持って行ってくれ」
荷物運搬の弊害により生まれた息切れをなんとか落ち着かせ、目に入りそうになる汗を拭っていたアルフレッドに、いつのまにか横に移動してきた男は更に過酷な要求を彼に突きつける。
「や、あの、僕別に手伝いでここに連れてこられた訳じゃなくて……」
言われた場所は、さっき自分が石を運んだ距離の軽く数倍はある。炎天下の元こんなに遠い道のりを荷物を持って進むのは御免だと、今度こそ用件を伝えようと必死に口を動かしたアルフレッドだったが。
「口じゃなくて手足を動かせ!!」
周囲の空気が震える程の怒号を投げかけられ、ついでにぎろりと睨まれたアルフレッドは、これまたつい条件反射で荷台を持つと、言われるがまま台車を運んでしまう。
よろよろと頼りない足取りで運びながら、どうして貴族のこの僕がこんな肉体労働をしているんだろう、と暑さでぼんやりする頭の隅で再び考える。ついでに途中で数回荷台から石を転げ落ちさせ、それをまた台に乗せ直して……ということを繰り返し、常人の三倍の時間をかけてようやく受け渡し場所に到着した。
それからもなんだかんだと手伝いをさせられて、自分の正体やここに来た目的を告げる間もなく、アルフレッドは男達に言われるがまま、石を運ぶ作業にひたすた没頭する羽目になった。




