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侯爵家のアルフレッド 8

 仲良くなったドゴモンと別れ馬車に乗り込んだアルフレッドは、アリアナの様子を密かに伺う。


 隣に座って窓から流れる領地の様子を説明する彼女は、仮面でやっぱり顔は見えないとはいえさっきまでと雰囲気が変わった気がした。

 今だって、互いの腕が密着状態にもかかわらず特に動揺を見せる気配はない。手を握って好意を伝えただけで、挙動不審になり肌を赤くしながらあたふたしていた彼女と本当に同一人物なのかと疑ってしまった程だ。

 なにせアルフレッドは彼女の素顔を知らない。故に、声も身体つきもさっきと同じに見えるとはいえ、もしその辺りを完璧に模倣する第三者と入れ替わられても、彼には分からない。


 …………と、思えるくらいにアリアナが違うのだ。


 試しにアリアナの手をさりげなく自分のそれと重ねてみるが。


「どうしたんだ? 何か聞きたいことがあるのか?」


 身体を震わせることもなく、至って平然と返すアリアナ。

 やっぱり違う。

 強く握ってみても結果は一緒だった。


「いえ、ただ、何となく手を繋いでいたいなぁって気分で。……迷惑ですか?」

「私の手でよければ好きなだけ握ってくれ」


 絶対におかしい。一体彼女の身に何があったんだ。

 訝しげに思いながらも、アルフレッドは遠慮なくアリアナの手を握りしめる。


「…………」


 柔らかい手の感触を堪能しながら豹変の訳を考えていたアルフレッドだが、さっきから前方から浴びせられる無言の圧力と突き刺さる程の痛い視線に、ついに耐えきれなくなって思わず声を上げる。


「……あの、…………ランファ、だっけ。何か言いたいことがあるなら言って欲しいんだけど」

「別に何もありません。自意識過剰です」

「あれだけずっとこっちに目線を向けておいて、よくそんなことが言えるよね」

「だからそれはアルフレッド様の気のせいです」


 そう言いながらも尚、嫌悪感を込めた強い光をその瞳に宿し、アルフレッドの顔を睨み付けてくるのだから説得力はない。


「……これを気のせいで済ますのは、ちょっと無理があるんじゃないのかなぁ」

「ランファ。その態度はアルフレッド殿に失礼だぞ」


 見かねたらしいアリアナが注意をすると、渋々といった感じで形式的に頭を下げる。


「失礼な態度を取り申し訳ありません。ただ、私の大事なご主人様に接近するアルフレッド様が殺したい程憎くてたまらなくて――いえ、首をねじ切りたい程むかつきがおさまらなくて――失礼、羨ましくて、嫉妬心のあまりつい睨んでしまいました」

「殺したい程って今言ったよね? あっちの方が本音だよね??」


 誠意が一欠片も入っていない謝罪ではあったが、アルフレッドは彼女の視線の意味を知りたかっただけなので、それが分かっただけでも満足だった。仮に彼女の本心がどうであれ、だ。


 それにしても、ランファはアリアナのことをとても慕っているらしい。その上アリアナの素顔も知っている。それだけアリアナにも信頼されている証拠だ。

 出会ってからの期間が短いとはいえ、アルフレッドはアリアナの表面的な肌にはこうして触れられるものの、本当の彼女自身やその内面にはまだ全く触れられていないのに。

 そんな二人の関係性をずるいと思ってしまう。




《なんでそんなことを思う必要があるの? 女領主のアリアナという器さえあればそれで満足できるはずだよね? だから素顔も内面も、どんなものであっても気にする必要はないじゃないか》


 そう心の中で言ってくるのは今までの自分。


『それはそうだけど……。でも、羨ましいんだ。なんなんだろうね、この気持ちって』


 首を傾げる新たに生まれた自分を、もう一人のアルフレッドが一笑する。


《そんなこと、考える必要なんてないよ。……ほら、見てみなよ。窓の外に広がる景色を。これがアリアナ様の支配する領地だよ。彼女と一緒になれば、これが全部君のものになるんだよ? だから君がしないといけないのは、不可解な気持ちを解明することじゃなくて、アリアナ様に取り入ることだ》


 確かに、広がる世界は素晴らしい。彼女はアルフレッドの獲物として最適だ。


『獲物か…………』


《そうだよ。この狩りに失敗すればどうなるか……まさか忘れた訳じゃないよね?》


『忘れてなんていないよ』


《ならこれからどうしたらいいかなんてことは分かってるよね? 大丈夫だよ、アリアナ様が急に反応しなくなった理由は分からないけど、それもきっと今だけのことだから。ずっと一緒にいれば、君の手に堕ちる。必ずね》


 そう言い残すと、黒い影は闇に溶けるようにすっと消えていく。




 自身との対話を終えたアルフレッドは、改めてアリアナの横顔を眺める。やはり、動揺している素振りはない。

 手を繋ぐのは、もう免疫ができてしまったのかもしれない。ならもっと直接的に攻めようか。

 そう思うのに、なぜか身体が動かない。それは別にランファという第三者がいるからという理由ではなく(大体アルフレッドは、衆人の目など気にしたことは一度もない)、どうしてだか、自分はこれ以上彼女の陣地に踏み込んではいけない気がした。


「……アルフレッド殿、顔色が悪いが大丈夫か? もしや君も暑さでやられたのではないか?」


 あまりにも無の表情で黙ってアリアナの仮面を見つめていたからだろうか。心配そうな声色で、彼女がそう尋ねてくる。


「あ、いえ、ちょっと考えごとをしちゃってて……。ごめんなさい、せっかく色々説明をしててくれたのに」

「いいんだ。君も疲れているだろうから。またいつでも説明はできる」


 やっぱりここに来てアリアナ様に会ってから、僕はどこかおかしいかもしれない。けれどそのおかしさの原因もどうおかしいのか分からず、アルフレッドは一人悶々としてしまった。


 そんな彼を乗せたまま、馬車は無事にアリアナの居城へと到着する。


 案内された屋敷は、やはり自身の侯爵家の本宅と匹敵するくらいに立派でかつ荘厳なものだった。これを見ただけでも、この領地がいかに富んでいるのかが分かる。


「我が屋敷へようこそ、アルフレッド殿」


 アリアナの言葉と共に開かれた扉の先にあったのは、屋敷の玄関でもある広間だった。

 上には、入り口から射し込むわずかな光でもキラキラ反射する程に繊細にカットされたガラスがあしらわれたシャンデリアが、そして中央には真っ赤なカーペットが敷かれた大階段があった。


 特にアルフレッドが目を引かれたのが、その階段の踊り場に飾られた、巨大な絵画だった。


「天使の絵……?」


 天からの柔らかな一筋の光と共に、白い翼を広げて地上へと舞い降りる天使達。絵画にはあまり興味のないアルフレッドだが、そんな彼からしても、その絵は非常に美しく、思わず視線を釘づけにしてしまう程の力があった。


「これは私のお気に入りなんだ。昔からこの屋敷に飾られているらしい。別に名のある画家に描いてもらったという訳ではないようだが、なぜか心を捕らえられて目が離せなくなるような、そんな気分になる」


 そう言うと、彼女はゆっくりと階段を上り、踊り場で足を止めると中央の天使に手を伸ばした。

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