仮面の女伯爵 3
夢を見た。
あれはまだ、父親が生きていた頃。
父に言われた言葉が胸に突き刺さり、母親と似ても似つかない崩壊した顔面をなるべく他人の前では晒さないよう、仮面を被り始めたアリアナ。
あの時は、いつかは父親が自分を愛してくれる未来が来ると信じていた。
けれど、顔を隠しても尚、父親はアリアナに顔を向けることはなかった。
何が悪いのだろうかと。試しに聞いてみたことがある。顔以外にもきっと自分には足りないところが、悪いところがあるのだと、そう思って。
父親は目を合わせることなく言った。
『気に食わない、その声が。……私の愛する妻はもっと落ち着きのある、美しくも心地よい声だった。それに、もっと知的な喋り方だった』
だからアリアナは、本当は少し高めの地声を抑え、あえて低くなるように努めた。知的な喋り方、というのはよく分からなかったが、父を手本に、喋り方を真似てみることにした。
『妻は太陽と月の光を混ぜ合わせたような、神秘的で美しい髪色だった。今のお前とはまるで違う』
言葉を受けたアリアナは、自身のものをその色に染めようとしたが、元の髪色との相性が悪いのか綺麗に染まらず、仕方なく髪まで覆い隠す仮面を作って中に押し込め、代わりに馬の尾を染め上げたものを髪の毛代わりにつけた。
『私の妻は、きめ細やかな肌を惜しげもなく周囲に見せびらかすデザインの服を好んだ』
まだ少女と言っても差し支えない年齢のアリアナは、本当はフリルやレースの付いた少女らしい恰好を好んだが、好かれたいと思う一心で、あえて派手で露出の高いデザインの服を身に纏った。
それでも、父親はアリアナを拒絶し続けた。
『お前は我が妻とは違う。どうして妻ではなくお前が生きている。なぜ神はお前を代わりに連れて行ってはくれなかったんだ。妻とはあまりに似ても似つかない醜いアリアナよ。お前など誰からも愛されない。誰も興味など持たない。もう一度言おう。譬えどんなに外見を取り繕ったところで、存在するだけで醜悪なお前など、誰も愛さない』
そうだ、私は醜い存在なのだ。
愛されてなどいない。誰も私など愛さない。
どうしてそのことに気がつかなかったんだろう。これまでずっとそう思って生きてきたのに、彼と出会って浮かれていたせいで、父の言葉を忘れていた。
アルフレッドが自分に好きだと言ってくれて、なぜそれを真に受けてしまったのだろう。普通に考えれば分かることなのに。
愛されているなんておこがましいことを一瞬でも信じてしまった愚かな自分が恥ずかしい。あの優しさだって、純粋なものではないはずだ。だって彼が、こんな仮面の気味の悪い女性に敢えて優しく接したところで、なんの利もないのだから。ただ、ある一点を除いては。
彼がアリアナに近付いた本当の理由は、自身がティール家を継いで伯爵の爵位を賜り、この裕福と言われる領地を受け継いだからに過ぎない、それ以外に自分に価値などないというのに――――――――。
◇
目を覚ますと、呼吸が楽になっていた。
「アリアナ様、気がつかれましたか?」
仮面を手にしたランファが、心配そうにアリアナを見つめている。
「ここは…………」
「馬車の中です。覚えていますか? 日差しに当てられたせいで倒れたんです。おそらく体調はもう問題ないかと思いますが、本日は屋敷に戻って安静にしましょう」
薄暗いせいでいまだにさっきまで見ていた過去の夢と現実の境を漂っている気分になっているアリアナだが、倒れたことも、そしてどうして倒れたかその経緯もはっきりと覚えていた。
そっと、顔の皮膚に触れてみる。仮面はランファの手の中にあるので当然、血の通った紛れもない彼女自身の肌が指に当たる。
無表情で不気味に見える仮面よりも、更に醜くも卑しい本来の自分の顔。
所詮は淡い夢だったのだ。
彼ならもしかしたら、仮面のない自分を愛してくれるのかもしれないと。けれどそれはあり得ない。
しかし、恋や愛を切り離して考えたとしても、アルフレッドという人間の存在は彼女には必要だった。
理由はどうであれ、この度の夜会で出会った人々の中で、自分の伴侶となってくれそうな男性は彼しかいなかった。アルフレッドが自身の為にアリアナを利用するというのなら、彼女もまた、ティール家の名を残すために彼を利用するだけだ。
そう考えると、あんなに体内に蓄積されていた熱がすーっと引いていくのが自分でも分かった。そう、この世にアリアナが存在する理由は、領民の生活を守るというただ一つにして唯一の為。その為に力を尽くすのが彼女がこの世界でできる全てにして一つの事。
「ランファ、アルフレッド殿はどこにいる?」
「え゛、アルフレッド様、ですか? この外にいますけど……」
「そうか」
「アリアナ様!! あんな男はだめですよ!? 追いかけてきたのも全部作戦ですよ。あの犬っころ、アリアナ様の財産を狙ってるんですから!!」
仮面を両手でぐっと握って力説するランファ。あまりの力の強さに、それなりの頑丈さを誇るはずの仮面がみしみしと軋む音がする。
ランファは、こんなヘンテコな自分の側でずっと仕えてきてくれた、妹のようであり友人でもある大切な存在だ。彼女がこんなに必死になってアリアナがアルフレッドに傾かないように言ってくるのは、アリアナへの愛情と優しさからだ。
父親からの言葉でどこか歪んでしまったアリアナの心が、これ以上傷付かないように。
それを理解したうえで、アリアナはふっと表情を緩めるとランファに笑いかける。
「知っているよ、そんなことは。けれど彼を選ぶ以外に、今の私には打てる手がない。このティール家を私の代で潰す訳にはいかない。だから財産が欲しいというならそれでも構わない。……年齢からしても不気味な仮面を被る私の性質からしても、彼を逃せば私の未来は閉ざされたも同然だ」
「アリアナ様……」
「確かに彼の優しさは偽りのものだったのかもしれない。私の心を奪い、ティール家に婿入りする為の。だが、少なくとも私はその偽りの優しさに救われた部分はあったんだ。彼がいなければ、私はずっと一人、夜会で嘲笑と侮蔑にまみれた視線と声に晒されていただろうから。そんなみじめな想いをせずに済んだのは、アルフレッド殿が声をかけてくれたお陰だ。どんな理由があったにせよ、彼は私に優しくしてくれた。この仮面の私を笑わないでいてくれた。彼には感謝している。だからアルフレッド殿がどんな人間であろうと、彼が私の元へ来てくれるというなら、私は喜んで受け入れるよ」
笑っているはずなのに。
どうして心が痛むのだろう。
教えてほしい。
ランファ、私は今、ちゃんと笑えているのだろうか。
そう質問したアリアナに答えを返さず、彼女の大切な友人は素顔を見せたままのアリアナをただ黙って抱きしめた。




