第92話 幼女、噂を聞く
傭兵国家モーリアン。
それはルーイン王国よりも北にあるゼナン山脈という天然の要塞に囲まれた小国である。
かつて鷲獅子大戦でドーバー同盟を率いていたその国の実態はといえば傭兵派遣を主としている、そもそもが巨大な傭兵団を母体とした共和国であった。また大陸全土に存在する傭兵組合などの元締めとしての意味合いもある国だったが、それはもう七年前のことである。
モーリアンはかつてベラドンナという女傑が元首に収まり、ドーバー同盟をとりまとめるために王政を敷いたことでその姿を一変させていた。
そして現在はといえば共和制への回帰を計る宰相リガル率いる帝国派とクィーンベラドンナの実子であるベリス王率いるドーバー派による内乱が五年続いていた。
ベラはそうした場所に行くのだとパラに対して宣言をしたのである。それにはパラも何度か瞬きをしてから、口を開いた。
「しかし、あそこは……今相当に危険な場所ですが」
パラが唸るのも当然の話ではある。現在のモーリアンは帝国と旧ドーバー同盟の代理戦争に近い状態となっているような、この近隣の中でももっとも危険な地域である。もちろんそのことはベラも当然理解していた。
「帝国派とドーバー派で分かれて内乱になってるってんだろう。んなこたぁ、分かっているさ。あそこにゃあ大戦帰りも少なくない数がいるらしいし、面白い状況になっているってぇ話じゃないか」
そう言いながらベラが窓の外を眺める。そしてまだ見ぬモーリアンの地を思いながら笑ったようだった。
「というわけでここは売る。出る準備は整えておきな」
その主の断言にパラも少しばかり苦笑しつつも頷いた。
「承知いたしました。それではそのようにいたしましょう。ただ、その予定が崩れるかもしれない話もでているようなのですが……」
若干の緊張をはらんだパラの言葉にベラの目が細まる。
「なんだい?」
「ロブナール領が落ちました」
その言葉にベラが「へぇ」と呟いた。
ロブナール領、それはつまりデイドン・ロブナールの治めていたジリアード山脈一帯のことである。その地についてベラが知っているのはデイドンの血族の誰かが今は領主となっているという程度のことだった。パラも勿体ぶっていたわけではなく、通常の報告を終えてようやくその件を口にできたという心情だった。
「そりゃあ、パロマが動いたということかい?」
身を乗り出したベラの問いにパラが頷く。
「詳細については確認中ですが、現在はコロサスを中心に周辺領の領主たちが協力して抗戦しているとのことです」
「そんな戦力があるとも思えなかったんだけどね」
デイドンたちが破れた後もパロマ王国がそれ以上侵攻してきたという報告はなかった。もともとモルド鉱山街での攻防で、あちらも相当に損耗しているはずだった。デイドンの軍を破った理由も未だに不明であったが、しかし続くパラの言葉はそれらの理由を説明するには十分なものだった。
「パロマの旗と共にローウェン帝国の旗も混じっていたそうです」
その言葉にはさすがのベラも眉をひそめた。
「今はまだ確かとは言えませんが、パロマはローウェン帝国と協力関係、或いは帝国に落とされた可能性があります」
「そいつはまた面白い話だね」
七年前の戦争で国力を弱めたローウェン帝国はいくつかの侵略した国を手放した後、現在では一部地域で小規模な紛争を起こしている程度の大人しい状況であるはずだった。
「再び帝国が動き出したってんなら、色々と荒れるかもしれないねぇ」
「はい。それとこれも確かなものではないのですが……」
パラの顔がさらに硬くなったのを見てベラが首を傾げる。
「デイドン様、デイドン・ロブナールがパロマ側についたとのことです」
「あの男が生きてたってのかい?」
目を丸くするベラの問いにパラがゆっくりと頷いた。
「まだ事実かどうかも分からない話ですが……ですが、そのことがパロマがロブナール領を侵略した理由であるとのことです」
そこまで聞いてベラは「ふぅむ」と唸った。
「元から裏切るつもりであるのであれば、ジリアード山脈での戦いは血が流れすぎているか」
ベラのその呟きにはパラも頷く。ベラの従者となるまではデイドンの元にいたパラにしても、デイドンにそのような意図があったとは思えなかった。
「ま、これ以上は続報待ちかね。というか場合によってはここを捨ててでもトンズラこかないと巻き込まれるかもしれないってことかい」
そう口にしてベラは「やれやれ」と呟いた。
コロサス周辺の領主もすでに戦争に入っている。
このまま留まればベラたちにもお鉢が回ってくる可能性もある。戦いは望むところだが、こんな状態のラハール領のために誰かに戦わされるのはベラには真っ平ゴメンな事態であった。
ともあれ、今ベラたちができることは多くはない。ひとまずはいつでも動けるように準備だけはしておこうと予定を繰り上げることを決め、結果としてボルドたちが悲鳴を上げることとなるのである。
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そしてベラが領主の館でパラから報告を受けているのと同じ頃、ヘールの街の外れに幌馬車が一台進んでいた。それはとある納屋の中へ入って止まった。
そこで待っていた三人の男たちの前に御者席から女が降りてくる。
「はぁ、たく。またここか。メンドい」
被っていた帽子を脱いで、女が出迎えた男たちを見回した。その顔には若干の不信感が漂っていた。
「アンタがムハルド王国から来た暗殺者ってことか?」
三人の中でもっともガタイの良い男が前に出て尋ねる。それはジェド・ラハールの配下のひとりであったモルガという男であった。
「へいへい。そうですよっと。つってもあたしは荷物運びの方でね。殺るのは中の連中さ」
そう言って女がパンと手を叩いて合図をすると、馬車の中からフード姿の者たちがゾロゾロと降りてきた。またフードの中から見える男たちの表情はどこか虚ろで、感情というものが抜け落ちているようにモルガには見えた。
「で、アンタらだけか? 予定よりも少ないみたいだけどさ?」
続く女の言葉にモルガが申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、すまない。待機していた他の仲間が飛び出していってな。返り討ちにあって殺された」
「あん? 大丈夫なのソレ?」
聞いていた話とは違う状況に女は眉をひそめる。トラブルとイレギュラーはこうした仕事では何よりも嫌われる事案だ。その女の反応にモルガが慌てて口を開く。
「大丈夫だ。問題はない。あいつらが出て行ってすぐに使っていたアジトは引き払った。あいつらはあんたらのことは知らされていないから……生きて拷問を受けていようが問題はない。まあ、聞かされていなかったからこそ我慢できずに出ていっちまったってのもあるんだが」
それは昼頃に領主ベラが少数の護衛で街を歩いているという報告が届いたのが原因だった。それはベラ自身が流した釣りの餌であったが、他の街から来たジェドの兵たちは耐えられず襲いに行ってしまった。そして返り討ちにあって、ひとりを除き殺されたようだとモルガは女に話した。
それを聞きながら女も訝しげな視線を送ったが、ため息をひとつついた後に肩をすくめた。
「ふーん。まあ、いいけどね。どのみち、仕事はさっさと済ます予定だし。けどね。今回はハシドの旦那の依頼だから受けたけどさ。私らを使うのって本当はおっそろしく高いんだからね。あんたらの命数個程度じゃあどうにもならないくらいにさ」
「あ、ああ」
女の言葉にモルガが若干怯えた表情で頷く。女の言葉から言いようのない悪寒を感じたのだ。
「ひとまずは夜を待って依頼通りにこなすよ。ムハルドも連中には……ん?」
唐突に言葉が途切れ女の顔が動いていた。その視線の先は納屋の入り口。併せて男たちの顔も納屋の入り口に向けるとそこには小さな男の子が立っていた。
「あ、父ちゃん。お客さん?」
その男の子の姿を見て男のひとりが目を丸くして、走り出した。
「バカ。今日はここには来るなと!?」
そう言いながら子供の元に駆けていく男を見ながら女が尋ねる。
「あいつの子供かい?」
「そうだ。アジトが使えなくなったんで、あいつの家の納屋を借りさせてもらっているんだ」
モルガの言葉を聞いて「そういうことか」と女が呟いてため息をついた。それを見てモルガたちがざわめいた。子供の元にかけよった男も子供を護るように女に対して振り返った。
「いや、大丈夫だ。この子には黙っておくように行っておく。決して迷惑には」
「そういうことじゃあないんだよ。チッ、ガキまで殺るのは趣味じゃないんだってのにツイてないねぇ」
そう女が言いながら手振りをしてフードの男たちを前に出した。
「なんだ? どういう」
「までって……おい?」
「こいつら、まさか最初から俺たちを」
女の前にいるモルガたちも、そして入り口の親子も、フード姿の者たちがそれぞれに視線を向けたのに気付き、全身が総毛立つ。虚ろであった目が明らかに変わっていた。
「言ったはずだろう。本来はあんたらの命数個じゃあどうにもならないって……殺せ。音は立てるなよ」
その女の言葉と同時に男たちが逃げ出そうと動いたがもはや遅い。すでにフードの者たちは動いている。その速度にモルガたちは反応すらできない。
そして街外れの納屋の中で悲鳴すらも出せず四つの命が果てたのであった。
次回更新は11月24日(月)00:00予定。
次回予告:『第93話 幼女、忍び寄られる(仮)』
あらあら、デイドンのおじちゃんはお元気だったみたいですよ。
ベラちゃんもデイドンのおじちゃんと笑顔で再会できると良いですね。




