最終話 少女、旅に出る
千竜大戦と呼ばれた戦いから10年が過ぎた。
その間も大きな戦いはなく、時代は緩やかに過ぎていった。
モーリアン王国はひとつの国に戻ったが傭兵国家の樹立と王政の排除とまではいかなかった。
それは傭兵国家を推進する派閥の多くが千竜大戦で死亡したためであり、最終的にはベラがベリス王の第一王妃となったことで決着がついた。
ローウェン帝国については皇帝ナレインが穏健派ということもあり、周辺国との摩擦を起こさぬように気を配っているようではあった。もっとも鋼機兵の配備を積極的に行うなど、戦力拡充を積極的に行なっている様子も見られ、今は雌伏の時と考えているだけなのかもしれないが。
魔獣の脅威は変わらず、けれども国同士の争いはなく、比較的平和を謳歌できる。そんな時代を迎えたモーリアン王国内の衛星都市をひとりのドラゴニュートが歩いていた。
我らが大将が死んじまったっていうのか?
行方不明だってのは聞いたがよ。
帝国製の鋼機兵が横流しされているらしい。
ドラゴンがヘイローの谷に篭っているんだってよ。
銀の賢人と従者が他国にも鋼機兵をほどこしているそうだ。
歩けば、さまざまな噂が耳に入ってくる。大部分は偽りや誇張であったが、正しい内容も混じっている。そのことに感心しながら、平和な時代になったものだと隻眼のドラゴニュートは思っていた。
そのドラゴニュートの名はジャダン。つい先日まで英雄ベラ・ヘイローの奴隷であった男だ。
「ヒヒヒ、恩赦でシャバに出ちまったがどうするかねえ」
目まぐるしい日々が過ぎ、モーリアン王国内の情勢も安定してきていた。
魔獣の勢いはあるが、それも鋼機兵化によって鉄機兵の戦力が強化され、また千竜大戦で疲弊した人材も10年が経過した今、戦力となる若者が育ってきていた。彼らは幼き頃より戦い続けていたベラという英雄の背中を見てきた世代であり、その実力は確かなものだ。
そうして千竜大戦より10年が経った今、モーリアン王国内では十年祭として大規模な祭が各地で行われていた。そのために本来解放はあり得ぬ犯罪奴隷であるジャダンにも恩赦が与えられ、晴れて奴隷という身分より解放されて、街を出歩くこともできるようになったというわけだ。
(自由の身……とは言ったものの、別に王国軍内でも特に不自由はなかったんすけどねえ)
むしろ、全ての責任が己にあるという点では今の方が不自由であるくらいだ。ともあれ、ジャダンは久方ぶりのシャバの空気を満喫していた。
「それにしても、これからどうしますか」
ジャダンが心底困ったと言う顔をする。
思えば、最近ジャダンは人を殺めていなかった。
最近あった戦いにしてもそのほとんどは対巨獣戦であり、彼が活躍できるような相手は存在していなかった。ローウェン帝国軍もすでに大人しく、他国からの諜報などは彼の元に届く前に捕まえられてしまうので手を出す名目もない。またここしばらく人を殺すということに対してどうにも心地が良くないと感じていたことも殺しから遠ざかっていた理由であった。
「あっしはどうなっちまったんですかね。心の病とか……うん?」
祭りの熱気に包まれた群衆の中を歩くジャダンが、ふと違和感に気付いた。
(なんすか。これ?)
周囲の人間の目が笑っていないのだ。口は笑みを浮かべているのに、彼らの目は死んでいた。そのことにジャダンが気付き、とっさにこの場から離れようとして……
「あ、が!?」
突如としてジャダンの耳に鈍い音がして、それから後頭部が熱く、視界が真っ赤に染まった。
(な……にが?)
さらに何かがぶつかった音を聞いて、その音が自分が地面に倒れた際に出たものだと理解できた時には、もうジャダンは身動きが取れなかった。
(こいつら!?)
あたりを見れば誰も彼もがジャダンを見ていた。その彼らの目をジャダンは知っていた。それは過去に何度も見たことがある目だった。
(濁ってる。濁ってる。そういうことかぁ)
思わず笑ってしまう。憎しみに濁ってる。殺意に濁ってる。お前が殺したと眼が訴えている。大切な人は殺されたのに、殺したジャダンが生きていることが納得できないのだと眼たちが言っている。彼らはつまり被害者だ。ジャダンに殺された人々の親しき者たちなのだと気付いてしまった。
(ああ、つまりは今日がそうだったってぇことですかい。そっか。もう終わりなんだなぁ)
ジャダンは理解する。ずっと昔から来るだろうと思っていた日がついに来たのだと。これが自分の最期なのだろうと。
すれ違う人が偶然ジャダンを見つけて集団で襲うとは考えられない。恩赦で外に出た時を狙ったのであれば軍の中の人間が手引きしたのだろう。それは別に不思議な話ではなかった。それだけの恨みを買ってきたのだ。そうされるだけの理由がジャダンにはあった。
そうしている間にもジャダンは引き摺られ、手を折られ、腱を切られて、足を潰され、顎を砕かれ、けれども残っていたひとつの眼だけは潰されることはなかった。彼らは自分の体が壊されていく様をジャダン自身に見せつけたいと考えているようだった。
何人も、何人も、そこには並んでいた。男や女。子供や老人。ただその全員の瞳に宿る憎悪だけは同じだった。死ね死ね死ね死ね死ねと、まるで呪詛の如く彼らの口から呟かれる。
「ひ、ヒヒヒヒ」
笑う。痛みで気が狂いそうだと笑う。可笑しくて、痛くて、鬼のような形相で足を潰そうと懸命にハンマーを振るう子供が愛おしくてしょうがなくて笑う。キスでもしてやりたかったが顎を砕かれていることに気付いて笑う。吐かれた唾が生暖かくて笑う。笑うたびに彼らの殺意が高まり、それが本当におかしくて笑い転げる。何もかもが可笑しくなって、自分が狂っていることを自覚する。同時にそれにしても……と、ジャダンの中にある、まだ冷静な部分が思う。
(まさか不意を突かれるとは……平和に慣れすぎやしたか)
もう助かりはしないとジャダンは理解していた。致命傷は避けられているが、それもただ命の終わりを先延ばしにされているだけに過ぎない。彼らは自分たちの恨みを晴らすために、ジャダンの血の最後の一滴までをも搾り尽くしたいのだと理解できていた。
(まあ、なかなか楽しめた人生でしたし……けど……)
ジャダンが何もない宙へと、肘から先を千切られた手を伸ばす。
殺してきたのだ。殺されるのは当然だ。罪には罰を。非道には報いを。因果応報であり自業自得。分かっていて殺してきたのだ。女も子供も老人も、老いも若きも、自分の欲望を満足させるためだけに燃やしてきた。苦痛の悲鳴を子守唄に眠りについた。絶望する顔に絶頂し欲望を吐き出してきた。だから殺されて当然なのだ。ただ、それでも……ジャダンは想う。
(あっしがご主人様についていくという道も……あったんですかねぇ)
それはあったかもしれない未来。けれども熱に浮かされた時期は去り、平穏な日常は彼の心にわずかばかりの光を与え、そして己が恥であることを自覚した蜥蜴は光から離れた。故にこうなるのは必然だった。ただ、あるべき形の末路を迎えただけのこと。
(ああ、あっしは)
ついに潰されてしまった瞳はもう何も写し出すことはなく、今際の際にかつての頃の記憶が過ぎる。そして脳裏に浮かんだのは仲間たちと共に旅した日々、死にかけた少女を看病し続けていた穏やかな日々、帝国を討ち破った栄光の日々……ではなく、最初に██した██の███だった。
(あっしはホントどうしようも……)
感傷は痛みに塗りつぶされる。熟成された憎悪は外道に安易な死を許さず、蜥蜴の悲鳴は何時間と響き続けて絞り尽くされた後、やがて夜の闇が全てを隠した。
翌朝、町の片隅に亡骸らしきものが転がっていた。
よほど恨まれていたのだろう。十数人からの暴行を受けた跡があり、もはや男か女か、種族すらも分からぬほど、そもそも人間の形をしていない有り様だった。その肉片の多くは明け方に歩いていた野良犬たちの腹に収まり、残ったものはただの塵として付近の住人によって道の端に寄せられて虫に喰われ、沁みすらも酔っ払いの汚物に上書きされてその場に残りはしなかった。
そして、後の世にジャダンと呼ばれたドラゴニュートの男を見かけた者はなく、多くの者から忌み嫌われていたその男はベラが去った後の国々の歴史からも名を抹消され、何ひとつ残せぬ終わりを迎えたのである。
「うん?」
「ご主人様、どうかしたかね?」
とある地方の、とある道を進む四人組がいた。
ひとりは金髪金眼の褐色肌の少女であった。ひとりはエルフの美丈夫。ひとりは老齢のドワーフ。ひとりは魚人の老人。あとひとり揃えば精霊族が揃い踏みだったがドラゴニュートの姿はない。或いは違う未来もあったかもしれないがもはや叶わぬ話だ。その席が埋められることは未来永劫存在しないだろう。
「いんや……ちぃっと寂しい感じがしただけさ」
「ああ、そうかい。まったくガキを置いて出ていっちまうたぁな。ロッガとグレンがグレたらどうすんだよ」
「性奴隷の父親なんぞいない方がいいさ」
「……誰のせいだよ」
未だ性奴隷の身分のボルドがボヤき、パラとマギノが笑う。
パラは傭兵国家ヘイローにいたときから国の要職には就かず、ベラの従者であることを固持していた。だから彼女が国を捨てて出ていくのにもこうして同行している。
「んで、マギノは良かったのかい? モーリアンで用意した施設ほどのものはもう用意できないと思うけどね」
「はっはっは、あの椅子はもう飽きたんだよねぇ。近頃は規制規制とうるさくてね。簡単に罪人で実験ができた頃が懐かしいよ」
平和となったモーリアン王国には戦時下のような必死さはなく、今ではマギノの望むレベルの実験を行える環境ではなくなっていた。
「それにだ。行くんだろう北に?」
「まあねえ。あっちはあっちで色々ときな臭いそうじゃあないか。ロイの同類みたいのがいるらしいしね。ああ、フィロン大陸でもいいね。三年前に観測された魔力の川の大変動もこっちじゃあ分からないし」
「だろう。だから僕はベラちゃんに付いていくのさ」
「そうかい。まあ、いいけどね」
ベラがそう言って空を見上げる。そこには鳥のような黒い影が飛んでいた。太陽の光に反射し、赤と金の輝きがわずかに見えた。それは彼女の相棒であった。
「で、どうすんだよ。国を勝手に飛び出して。また傭兵団でもやんのか?」
「ああ、そうさ」
そう言ってベラが一歩を踏み出す。
両親との離別、相棒との出会い、出会った仲間も、かつての敵も、通り過ぎし時代をも胸に刻み、少女は歩み続ける。
「ちょいと休みが長かったが、ようやく本業再開ってわけだ」
ベラ・ヘイローの行き先はいつも大賑わい。
どんな困難も、どんな敵も、どんな壁があろうとも不敵に笑い、ウォーハンマーでぶち壊していく。
「行くよベラドンナ傭兵団!」
次の街ではどんな出迎えがあるか? 或いは戦いがあるか?
そうして彼女らは期待に胸膨らませて旅路を進み続けていくのだ。
過ぎ去りし道を血で赤く染めあげながら……
ロリババアロボ
完




