第376話 少女、心に冷たい風が吹く
※本日2話同時掲載です。ひとつ前の話からお読みください。
『ヒヒヒ』
蜥蜴が笑う。ぶら下げられた餌を見て涎をだらだらと垂らしながら駆けてきた馬鹿な犬を見ながら蜥蜴は笑う。自身の望みのためだけに生き、周りを見られなくなった愚者を前に高らかに蜥蜴は笑う。笑うしかなかった。アレほどに焦がれた男が、何故にこうなったのか。気付きたくはなかった。何故にバル・マスカーは『ここまで弱くなった』のかと。
『ああ、滑稽だ。実に愚かしい。ここまで間抜けだと逆に笑えませんなぁ。いや、ご主人様がいると信じてやってくる健気さにはあっしも涙腺が緩みましたがね。けど飼い主に健気に近寄ってくる子犬を見かけたら思いっきり脇腹に蹴りを入れたくなるのも人情ってもんでしょう? まあ、あっしは従順なのが嫌いなんで猫派なのですがね』
『どういうことだ?』
ジャダンの戯言に耳を貸すこともなく、バルが問う。バルの奴隷紋はハッキリと目の前の相手を示していた。その人物こそが己の主人なのだと。
『俺の感覚では主様はここにいるはずだった。何故お前がここにいる?』
『そんなの簡単なことじゃあねえっすかね。あっしが『アンタの奴隷紋の一時的な主人になってるから』っすよ』
バルの目が見開かれる。バルが契約し刻まれた奴隷紋は主人より離れれば拘束魔術が発動する。その苦痛は死に至るほどのもの。とはいえ、場合によっては奴隷とも離れざるを得ない時もあるため、主人の代理を許可する簡易契約が存在していた。
『だ、代理契約だとぉ? では主様は?』
『いやいや、ご主人様はこの軍の実質的な大将っすよ。たかだかこんな左翼のハジにいるわけがァ、ないでしょうが』
そう、その通りではあるが……そうした意外性こそがベラ・ヘイローのあり方だとバルは考えていた。軍のトップでありながら自ら最前線で戦い、最高の結果を引き出す生粋の武人。バル・マスカーはベラ・ヘイローのそんな幻想を追い、ここまで来ていたのだ。『己だけはベラ・ヘイローを分かっている』と信じて、愚直にここまでやってきていた。その結果がこれである。
『今頃は後方でブー垂れてるんじゃぁないっすかねぇ。あの方は、旦那のような自由人じゃあないんでね』
『クッ』
バルがジャダンを睨みつけるが状況は最悪だった。隊は壊滅。機体もボロボロ。分かったことは望んだ相手はこの場にいないということだけだ。
(不覚。けれど、もはやここにいることに意味はない。今はここを退かねば……)
『『バスク』』
『ぐぁああ』
バルがわずかに下がろうという気配を見せたのと同時にジャダンの口からその言葉が響き、同時にバルの首裏の奴隷紋が光って凄まじい頭痛が走る。それはバルが奴隷となった際に奴隷紋に刻まれた拘束魔術だ。
『無駄だぁ』
けれども、バルはソレを気合で跳ね除けた。奴隷紋の魔力光がパンッと弾け、バルの脳を灼くような痛みが消える。
『これを弾きやすか。普通は苦痛に耐え切れず、場合によっては死ぬんすけどね』
『舐めるなよ。耐えるよう鍛えたまでだ』
『なるほど。まあ、奴隷紋を処置せずに生き残っていたことからその可能性は考えていましたが。であれば次っすわ』
拘束魔術はバルを踏みとどまらせた時点で役割を果たした。続けて迫るのは周囲に配置された鉄機兵たちだ。ジャダンの指示に従い、一斉に動き出したソレらを見てバルが鼻で笑う。何しろ、迫る機体からは強者の脅威を感じない。
『鉄機兵だと? そのような覇気のない連中の機体で今の俺を殺れると思うてか。生温いわ!』
周囲を取り囲んだ鉄機兵が『ムサシ』に向かって突撃する。機体の状態は悪く、魔力も安定しない……けれども、バル・マスカーと『ムサシ』がそれだけで倒されるわけもない。だからこそ、そこにはもう一手が仕込まれている。
『ぬぅううりゃぁあああ……!?』
バルが目の前に迫る鉄機兵を斬り裂いた直後である。機体内部から爆発が起こったのだ。
『な、こいつらは? まさか!?』
衝撃に堪え、『ムサシ』を踏みとどまらせながらバルはうめいた。目の前の機体を彼は知っていた。ベラドンナ同盟軍であるかのように装甲を偽装しているが、それは元ローウェン帝国軍の機体だ。そして……
『ああ、以前に旦那がディアナの門で使った連中の生き残りっすよ。雑な洗脳だったんでこっちで主人を書き換えさせてもらいやしたがね』
『くっ』
爆発する機体を避けようと動きながらもバルは言葉を返せない。自業自得。或いは因果応報。それは己の所業が跳ね返ってきたに過ぎず、卑怯と罵倒することもできない。ただ歯軋りをして睨みつけるのみ。
『こんなものぉ』
衝撃でフレームが歪み、装甲が砕かれ、背部のパイプ以外からも銀霧蒸気が噴き出していく。それでも『ムサシ』は突き進む。後退はしない。『エクスプレシフ』に向かって突き進み、届こうとしたところで
『残念。タイムオーバーっすねぇ』
ついに周囲の鉄機兵と共に『ムサシ』の動きが止まった。
『魔力メーター……ゼロ……か』
巨獣兵装の一斉放射から始まり、無数の鉄機兵との戦闘。この場で魔力を消費し過ぎたのだ。故に『ムサシ』が行動不能になるのは必然。
『俺がこんな、こんな姑息な手段で』
その場で崩れ落ちた『ムサシ』の胸部ハッチが開き、血塗れのバルが鬼の形相で出てきて『エクスプレシフ』を睨む。
『まだやるんすか、バルの旦那?』
「終わりはせん。終わらせはせん。俺は……あの人と戦う! そのために全てを捨ててここにいるのだ。キェェエエエエエ!」
奇声にも近い方向をあげながら『ムサシ』を降りてカタナを構えてバルが走る。極限まで鍛え上げられたラーサ族の筋力が唸りをあげ、常人を遥かに超える速度で突撃していく。それは流星の如く、ただ一点『エクスプレシフ』に向かって刃を振り下ろす。
「ジャダンンンンン!」
そしてバルの一撃が『エクスプレシフ』を真っ二つに両断する。けれどもバルの勢いはそこまでだった。
「中に……いない!?」
肉を切る感触がない。そうバルが感じた直後に『エクスプレシフ』内部から爆炎が上がり、バルは吹き飛んでバウンドしながら大地を転げていく。
「あ、が」
呻き声があがる。全身が焼けただれ、苦悶の表情を見せるバルの前で『エクスプレシフ』の立っていた地面がボコリと盛り上がり、その中から通信機を持ったジャダンが土まみれで出てきた。
「……ジャダン?」
「はい、あっしですよ旦那。ご主人様が遠隔で鉄機兵を操作できるんなら精霊機でもできるってことですわな』
種明かしは言葉の通り。己の火精機の内部に爆薬を仕込み、遠隔操作しながら自身は土の中に隠れていただけのこと。元々火精機などの精霊機 と呼ばれる機体は召喚によって顕現するもので、その結びつきは鉄機兵よりも強い。やってやれない道理はなかった。
『とはいえ、奴隷紋の位置確認のために同じ場所にいなきゃいけなかったんでこうして土の中にいたわけですがね」
ヒヒヒと笑いながらジャダンが身体についた土を払う。
「しっかし面白いようにおびき寄せられましたね旦那。マギノの爺様の仕込み通り、ご主人様より強い反応を出せば寄ってくるかも……とは聞いていましたが」
「それだけの判断でここまで仕込んだと?」
バルが血の泡を口から出しながら苦々しい顔をした。初見殺しのオンパレード。殺意のない無差別攻撃に魔力のない火薬の爆発。これまでの戦の常識からでは対処できない攻撃にバルもなす術がなかった。戦場でここまで何もさせてもらえないのは彼にとっても初めてのことだ。戦わせてももらえていない。そう感じていた。
「引きの強さはあっしの十八番ですので」
さもなんでもないことの様にジャダンが返す。バルは知らぬことだが、ジャダンは今回の仕込みのため、ベラに看病の借りを返すよう要求していた。それはふたりの最も大きな繋がりだ。
ベラドンナ傭兵団が崩壊し、竜の血を浴びて倒れたベラを三年近く看病したジャダンは彼女にとって、もっとも頼りになる存在であった。どれだけ強靭な精神力を持っていても幼女であったベラ・ヘイローが両親から離れて以来、久方ぶりに受けた大人の庇護なのだ。何も想わないはずがなく、ベラはジャダンに特別な感情を向けていた。もちろん、そんな感情などベラは微塵も見せないが、それでもジャダンのあり様をこれまで咎めずにいたのはジャダンの有用性だけではなく、彼女が持つジャダンへの特別な想いがあったためだ。
けれどもその借りを返せとジャダンは告げ、今回の無茶を通した。それはジャダンにとってこの戦いが己の全てを賭けても構わないものであったからで、その覚悟はベラも止められないほどのものだった。けれども今のジャダンの顔は浮かない。ベラに見せた覚悟の表情からは程遠い面構えをしていた。
「しっかし、弱くなりましたねぇバルの旦那?」
浴びせられたその言葉にバルは激昂する。
「弱く……だと? 俺は強くなった。誰よりも、主様よりも! それを証明するために俺はここに来た!!」
「そしてあっしの足元に這いつくばっている……というわけですかい?」
呻き声があがる。勝者は立ち、敗者は這いつくばる。それだけが戦場の真実で、それ以外のあらゆる理由はただの不純物だ。強い言葉は逆に惨めを誘うものだと理解し、自らの失言にバルの顔が歪む。
「あっしはねぇ。まあ、なんだ。褒められない人生を歩んできた自覚はありやす。こんなあっしは、どうせロクでもない死に方をして終わるんだろうってね」
外道と一言で斬り捨てられるだけの生き方をしてきた。ジャダンという男は悪であり、断罪されるべき存在だ。
「だから今日という日を楽しみにしてやした。素敵な終わりを迎えられるかもしれないってね」
けれども悪党とて夢は見る。身の丈にあった惨めな終わりではなく、恋した相手と殺し合い、愛して愛される。力の限り手を尽くし、それでも彼のよく知る彼女の様に喰い破ってくるのだろうと信じて、ジャダンはバルを待ち構えていた。その結果がこれだ。拍子抜けも良いところ、100年の恋も醒めようというものだ。まったくままならぬとジャダンは思う。
「あっしは旦那を、あっしの対極の人に見ていたんですよ。キラキラしてる、ご主人様の側の人間なんだってね」
そう言いながらもジャダンの内にあった熱はもう消えていた。目の前で転がっているボロ雑巾の様な男を見る目はいつしか塵
ゴミ屑を見るものに変わっていた。
「それがどうだい? 今のあんたはあっしの同類に見える。旦那のガーメを突き入れてくれると期待したあっしの想いをどうしてくれるんです? これじゃああっしのガーメを突き入れる価値もありゃしないってなもんだ」
「ならば……」
「うん?」
バルが血を吐きながら口を開く。
「ならば、戦え。俺と」
「は?」
「俺と戦え。戦士として認める。貴様は俺の敵だと。だからッ」
その言葉にジャダンは肩をすくめながら「ああ、嫌っすよ」と愚かな男にあっさり返す。
「気付いてないんすか? あっしは今あんたを振ったんでさぁ。ロマンチックな最後を迎えられると期待したのに、添い寝の相手がブ男じゃあ興醒めもういいとこだ」
「!?」
「それよりも周囲を見てくださいよバルの旦那?」
ジャダンが両手を広げ、周りを見渡す様に促す。気が付けば、この場をまだ子供という年頃の少年兵が取り囲んでいた。いずれも痩せこけ、薄汚れた身なりの者たち。戦さを知らぬ、農村で口減らしに捨てられた様な者たちであることはバルにもすぐに分かった。そしてそれがジャダンの最後の演出だった。その意味を察してバルが顔を歪める。
「貴様、まさか」
「さあ、みなさん。お話しした通りっすよぉ。バル・マスカーを殺す栄誉を与えましょう。首を取れば英雄だ。綺麗な服と美味い肉が、栄誉と金と女が待ってるっすよぉ」
その言葉でバルは己の想像が正しかったことを理解する。
八機将のひとりがこのような弱者に敗れる。
ジャダンはその者を英雄と祭り上げるだろう。無論、戦士として大成などしようはずもない。金と栄誉を得て腐ったソイツは他の禿鷹に啄まれ、取るに足らぬ存在へと落ちるだろう。それはそんな者に倒されたバルの戦士としての価値もソレ以下に落ちるということだ。或いは大成する可能性も……否、あり得ぬと醜い蜥蜴の冷たい瞳で察する。
「待て、ジャダン」
かつての仲間だ。だからこそ分かる。分かってしまう。ジャダンという男の性根はどこまでも腐っている。バルの尊厳を最大限に貶め、糞以下の存在へと変えるつもりなのだと。
「お前はどこまでも俺を貶めようとッ」
だからこそバルは叫んだ。見るだけで射殺さんとするほどに。もはや己に興味をなくしたかのように背を向けた蜥蜴に対してバルはそうするしかなかった。そうすることしかできなかった。そして、そうしている間にも槍が、剣が、斧が迫る。
「バル・マスカー、恐るるに足らず」
「俺たちの方が強い」
「この雑魚が」
嬲られる。我先にと刃を突き立てられる。
戦士の頂点にまで登り詰めた男が、欲に駆られた餓鬼共に啄まれていく。
「クッ、俺はこんなところで」
強靭な戦士としての本能がバルの体を動かし、命をわずかに存えさせる。何人かは仕留めることができただろう。けれども、それで精一杯だ。
「こんな……こんなところで」
死に体でありながら発する覇気にたじろぐ者もいた。されど有象無象は雲霞の如く。我先にと彼らはバルを襲う。起死回生の道はなく、その様はさながら猫に嬲られるネズミのようであり、
「俺は……ただ」
そこに転がっているのはただの哀れな生き物であった。
「……主…さ」
胸に、背に剣が突き刺さる。けれど構わずバルは手を伸ばす。自分を殺す者たちをかき分けようとしながら、残った左目でバルは遠き先にいるであろう少女を幻視する。
もはや傷のついていない箇所などどこにもない。右腕は千切れ、臓腑は垂れ下がり、執拗に殴られた右の目は潰れている。けれどもバルは己の感覚を信じ、もはや千切れて存在しない手を伸ばす。届けとただ祈った。
焦がれたのだ。己よりも強き存在を。己だけの女神を。
そのために全てを捨ててでも手に入れるつもりだった。けれども『だからこそ』この結末は当然のことなのかもしれない。一族を捨てた。仲間を捨てた。妹を捨てた。ローウェン帝国で築いたクィーンとの繋がりも捨てた。そうして全てを捨てたのだから彼の手にはもう何も残ってはいない。そんな人間が得られるものなど何ひとつとしてないのだと。
そして……
バキャ
砕けた頭では懺悔すらもできぬことをバルは知った。
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『ん?』
竜撃隊と共に進軍している『アイアンディーナ』の中でベラがわずかに目を細めて何かを感じとった。そのそぶりに気付いたガイガンが眉をひそめる。
『総団長、何かありましたか?』
『……いや』
ベラが少し考えてから首を横に振る。糸がプツリと途切れた音が聞こえた。だから彼女は察した。ひとつの命の終わりを。
『なんでもないさ』
けれども振り向きはしない。想いを馳せたりもしない。
道はすでに別れたのだ。であれば己の手であれ、誰の手であれ、敵は討ち倒すだけのこと。彼女はこれまでそうして生きてきて、これからもそうして生きていく。
ただベラの心には少しだけ冷たい風が吹いていた。
次回予告:『第377話 少女、突き進む』
ベラちゃんは振り向きません。ただ前だけを見て歩み続けます。
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あとがき
仕事でメンタルやられてたのに加えて今話の内容書くのが辛くて休載期間が続いてたりしましたがようやく掲載できました。
武力という点では作中最強に近い位置に登り詰めたバルでしたが、このような終わりとなりました。初見殺しのオンパレードを食らえばそりゃ死ぬだろうという感じですが、そういう危険を予測して動けるのが優秀な人間で、視野狭窄に陥った彼は総合的に見ればジャダンが殺せるほどに弱くなってしまったのだとも言えます。
バルは当初の予定では途中で合流か、ジェネラルと相打ち退場と見せかけるか、土壇場でベラ側に表返るか、いずれの結末でもベラちゃんと戦うという彼の望みは叶うはずでした。全ての決着がついた後、ベラとバルが一騎討ちを始めたところで物語が終わる……なんてラスト候補もありました。
その流れが変化したのはリンローという予定になかったキャラの台頭によるものです。プロット段階では、ベラちゃんは傭兵国家ヘイローを興さず、新しい傭兵団を結成して早い段階でモーリアンに行く予定だったのでそのルート変更によって立ち位置が変わってしまったわけです。
元々バルにはベラの隣に立てるのは自分しかいないだろうという自負がありました。離れていてもそれは変わらず、戻ればそこに収まるだろうという確信がありました。実力から言えばそれはまったくの自惚れでもないのですが、ともあれリンローの存在によりバルは焦り、いつしか目的のためだけに非道を行うことも是として突き進み、このような末路を迎えます。
なお、バルを仕留めた少年の未来とバル・マスカーの評価はジャダンが推しへの情熱を失い、その後の工作をするモチベーションがなくなったので、少年は干渉されることはなくなり勝手に自滅し、バル本人も強い奴隷戦士が下克上して八機将まで成り上がったけど決戦で前に出過ぎて死んだ……ぐらいの評価で終わります。バルのバッドエンドの中でも最悪の一歩手前という感じですね。
バルは作中でもお気に入りのキャラで身を切る思いでしたが、こうした終わりを迎えました。そしてそれを成したジャダン、彼もここでバルと相討ちにでもなっていれば有終の美を飾れたのでしょうが、そうはなりませんでした。であれば、彼の終わりはロクでもない人間にふさわしい相応の最期となるでしょう。
ちなみにジャダンの結末だけは当初の予定から一切変わっていません。因果は廻ります。それは運命的な意味ではなく、彼が歩み続けた人生の結果として必然的に到達する最悪の終わりです。
これにて全ての登場人物のルートは確定しました。そろそろ終焉を迎えるであろうロリババアロボを最後までお楽しみ下さい。




