第106話 幼女、逃げ切る
「ははははは、こりゃあ参ったな」
オードリアル山脈の入り口。その場には五十機からなる鉄機兵が並び、その周囲には二百騎の騎兵たちが共に列をなしている。それはヘールの街よりここまで進軍してきたムハルド王国の兵たちであった。
その列の一番前に鬼の如き威容を持つ鉄機兵が仁王立ちをしていた。
全長五メートルはある大型の鉄機兵。その黒いボディには金色のラインが引かれ、太い鋼鉄の腕は巨大な棍棒を握り締めていた。
その機体の胸部ハッチから男が顔を出して、目の前に広がる凄惨な光景を見て笑い声を上げていた。
「全滅か。さすがに想定外だったよ」
そう言って笑い続ける男の名はハシド・ドーン・ムハルド。
ムハルド王国第二王子であり、ラーサ族の中で剣豪と呼ばれるほどの技量を持つ彼がこの場に訪れたのは、ムハルド王国の盟友である領主ジェド・ラハールを殺害したベラドンナ傭兵団を誅するためであった。
だが、彼らの目の前には十近い数の鉄機獣と三十はいる軽装甲鉄機兵が破壊されて転がっていた。
野晒しにされている残骸を見れば生き残りがいないのは明らかであり、その光景をハシド以外の者たちも驚きを顔に表しながら眺めていた。
「ハッ、この行軍に連れて来た配下の三分の一をやられたというわけだな。ジェドを討ち取った連中とはいえここまでやられるとは思わなかったぞ」
そう言いながらハシドは視線を山脈の方へと向けた。
彼が狙っていたベラドンナ傭兵団と、共にいるらしいルーイン王国の王女はもうすでにこの場を去っている。
(今から連中に追い付こうというのは難しいか。この山中をこの人数で追い付くのも困難な上に、ここは魔力の川も濃い。巨獣も闊歩しているはずだ)
そう考えながらもハシドの答えはすでに出ている。口惜しいが、退くしかない……と理解している。
このラハール領を手に入れることで満足するしかあるまいと己を納得させようとはしているが、勝利を常として生きてきたハシドにしてみればそれは屈辱的なことでもあった。
「部下を獣どもに喰われてさらに醜態を晒す……わけにもいかんか。ここから先に進むのは利口ではない。なぁネクリス」
「はい。なんでしょうかハシド殿下」
ハシドが己の鉄機兵『カミオーキ』の真下に向かって声をかけると、『カミオーキ』の足下で馬に乗って控えていたネクリスが言葉を返した。
「お前にはすまなかったと思ってな」
「は?」
いきなりの謝罪にネクリスの目が丸くなる。ネクリスはラーサ族でありながら先天的に白い肌を持って生まれた忌み子だ。
ラーサ族の中でも疎まれ、暗殺者……その中でも汚れであるモヘロムス使いとならざるを得なかった女が、愛人の身としてではあるが今は王国軍の中にいる。それだけでも異例の話ではあったが、そんな相手に王子が謝罪をしたのである。
それが周囲の視線を集めていることに眉をひそめつつもネクリスはその意図を知るべくやむなくハシドに尋ねた。
「なんですかい。一体?」
「確かにお前の言っていた通りだった」
それからハシドは、その先に向かったであろうベラドンナ傭兵団を睨みつけるように山脈の方に改めて視線を戻した。
「どうであれ連中は殺しておくべきだったのだ。私はお前にそう指示をするべきだった。だが私の判断ミスでここまでの事態を招いてしまった」
「いえ。そういうことは……」
ネクリスが戸惑いの顔を見せるが、ハシドはもはやネクリスの言葉など聞いてはいなかった。それからハシドは己の手を前へと向け、何かを掴むようにギュッと拳を握り締めながらポツリと呟いた。
「ベラ・ヘイロー。機会があればお前は必ず俺の手で殺してやる。必ずな」
それから凶暴な笑みを浮かべてハシドは笑った。
「その機会もまあ、そう遠くはないだろうさ。ヤツがルーインにいる以上はいずれ我が刃はアレに届く」
そう言ってハシドは自らの鉄機兵の中へと戻ると、鉄機兵『カミオーキ』からの指示の元、ムハルド王国軍はその場で反転してヘールの街へと戻り始めた。
その周囲を一羽のマドル鳥が飛び続けている。それはやがて山の方へと去っていったのだが、そのことに気付いた者はいないようだった。
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「回収班を残して兵を戻している。追跡はないようだな」
そう口にしたヴォルフの目の焦点はすでに合っているようで、その視線はベラに向けられていた。偵察に出していたマドル鳥への憑依が解けて、ヴォルフの魂はすでにその場に戻ってきていたのである。そのことを察したベラがヴォルフに声をかける。
「てぇことはだ。これで安全に逃げられるのかね」
「恐らくは」
ヴォルフが静かに頷いた。
特に苦戦することもなく完勝したドゥーガ部隊との戦闘の後、ベラたちはすぐさまその場を発っており、現在ムハルド王国軍とはかなり距離を離していた。故に仮にムハルド王国軍が継続して追いかけてきたとしてもベラドンナ傭兵団の方が身軽な分、追い付かれる可能性はほとんどなくなっていたのである。
そして、走り続ける腐り竜に牽かれて移動している鉄機兵用輸送車の上でベラたちの言葉を聞いていたエーデル王女と、その従者たちや共にいたコーザが安堵の顔を見せていた。
彼らはここに至るまで自分たちが助かると思っていなかった。如何にベラドンナ傭兵団の実力が高かろうとも、百を超える鉄機兵の集団を前にして逃げきれると考えていなかった。
しかし、今の報告によりようやく危機が去ったと理解できたのだ。彼らの表情に喜びが浮かんでしまうのも無理はないことだった。もっとも、そこにベラは少しばかり皮肉げな笑みを浮かべてから口を開いた。
「とはいえだけどさ。こっから先も結構ヤバめなんだけどね」
「それはどういう……?」
そのエーデルの問いの途中に、何かしらの獣の遠吠えが山奥から響き渡った。それは恐らくは魔獣か巨獣の咆哮だろうとその場の誰もが実感した。
「ヒッ!?」
「今の咆哮はまさか……」
エーデルたちが恐る恐る声のした方へと視線を向けた。その先にあるのは暗い針葉樹林である。
「ここら辺は魔力の川の影響が濃くて、巨獣の生息域になっているからねえ。獣どもに襲われる可能性も低くはないのさ」
「では山を下りてしまえば良いではないか」
エーデルの従者のひとりがそう口を開くが、ベラは「馬鹿言うんじゃないよ」と返した。
「敵は追ってきていたムハルドの軍だけとは限らないんだ。平地だとジェドの残党と出くわす可能性もある。ヘールの街で手引きしたのも連中だろうしね。まあ殺り合っても負けはしないが、そういうのとの遭遇はアンタらも望むところじゃあないだろう?」
ベラの問いに従者の言葉が詰まる。
「ま、この人数を食わせる分程度の備蓄は積んであるから、アンタらは鉄機兵用輸送車の中で大人しくしてるんだね。気付いた頃には山も抜けているさ」
「え、ええ、そうですわね。では部屋で待たせていただきますわ」
そう言ってエーデルが立ち上がって歩き出す。エーデルに続いて従者たちも併せて鉄機兵用輸送車の中に入っていった。
そしてエーデルたちが去っていった後にはコーザが残っていた。
エーデルは王族で、その従者はやはり貴族である。ベンマーク商会の幹部として一応の貴族扱いを受けてもいるコーザだが、当然彼らと同格ではなく一緒にいるわけにもいかなかった。そのコーザにベラが視線を向ける。
「さてと。コーザ。アンタもなんというか、運がなかったね」
ベラの言葉にコーザが「ははは」と乾いた笑いを浮かべた。全くその通りだとコーザも心の中で頷きながら「私のことはいいんですが」と返した。
「エーデル様はともあれ、ヴァーラ様の扱いはあれでよろしいのですか?」
そのコーザの言葉にベラは「ヒャッヒャ」と笑った。それから鉄機兵用輸送車の横を走っているヴァーラの騎士型鉄機兵『ロードデナン』を見た。
「今は口答えなく、こっちの指示に従ってくれてるからね」
現在の鉄機兵用輸送車に乗っているのはベラとコーザの他にはパラたち精霊族とエーデルとその配下のみである。
鉄機兵用輸送車の中に積んでいるのも『アイアンディーナ』と鹵獲した鉄機獣の隊長機のみであり、その他の鉄機兵の乗り手たちはみな己の鉄機兵の足で鉄機兵用輸送車に併走していた。その中にヴァーラの『ロードデナン』も混じっている。
それをベラが満足そうな顔で見ながら口を開いた。
「ありゃあ、大事に育てられ過ぎたんだろう。甘えを体中からプンプン臭わせていた。それが少しは抜けてきたみたいなんだから、しばらくはあのままにして様子を見るさ」
そう言ってベラは鉄機兵用輸送車の上部甲板に設置されている己の席に座る。
この鉄機兵用輸送車は、元はジェド・ラハールのもので以前にベラたちが使用していたものよりも全体的に大きく、連結された二つの車両によって構成されていた。
その内部のほとんどは鉄機兵運搬用のガレージとなっているが見ためから言えば鋼鉄の船に近い形をしており、その上部は甲板になっていたのである。
「で、あの子供のことはいい。今はボルドに依存もしているようだ。可愛いもんじゃあないか」
そう言うベラの言葉にコーザが肩をすくめる。
「ま、アレの父親の元まで連れていければご褒美くらいはもらえるんじゃないかね。そんなことよりもあんたの方はどうなんだい? このまま戻って平気なのかい?」
ベラの言葉にコーザは首を横に振る。
「どうでしょうね。これだけ派手に失敗したんですから、帰っても商会に居場所があるかは微妙でしょう」
何しろラハール領をやり取りする取引である。今回の契約に際してはエーデル王女の名の下にベンマーク商会も全面的に動いて資金をかき集めており、その運用の責任はコーザが負っていた。
「となればだ。ベンマーク商会に戻れなければ、ウチにくるかい?」
そのベラの言葉にコーザが少しだけ呆然とした後に苦笑して答える。
「奴隷は勘弁ですよ」
「ひゃっはっは。待遇は要相談だね。なーに、アンタに金を任せたいのさ。パラだけじゃあ手が回らなくてね。今ならあの鉄機獣も貸し出してやるよ」
その言葉には後ろに控えていたパラも頷いた。
奴隷ではない人員はパラの他にもマギノがいるが、あちらはただの雇いであり、その興味も鉄機兵や腐り竜にあるため様々な雑事はパラがひとりで手を回しているのが現状だった。そしてそのことはヘールの街に滞在している間にコーザの方でも察していた。
それから己の現状とベラドンナ傭兵団に入ることのメリットとデメリットを考えてから、コーザはベラに対して口を開く。
「考える時間はいただけますか?」
「いいさ。返事は早い方がいいけどね。鉄機獣は今マギノに触らせているから、数日中には隷属化も完了するはずなんだ」
すでに鉄機獣の乗り手は始末しており、鉄機獣も鉄機兵と同様に竜心石を介して操作するものであるため、隷属化が可能となっている。
そういう点を考えればマギノを雇い入れて鉄機兵の隷属化が自分たちの手で可能になったことはベラにとって大きなメリットだ。
実のところ鉄機兵を隷属化可能な魔術師は少なく、それを雇える者はそう多くないのが現状なのだ。マギノは鉄機兵魔術式研究者と名乗っているが、れっきとした魔術師のひとりであり、この世界においては今や希少な存在であった。
「そうなってからあの機体をあまり遊ばせておきたくはないからね。あれが連結した鉄機兵用輸送車の片方を牽いてくれりゃそれだけ早く目的地に着くわけだし」
「なるほど、分かりました。鉄機獣の隷属化が終わる前には答えを返します。それでよろしいでしょうか?」
コーザの言葉にベラは「ああ、良いよ」と返した。
「それでこの鉄機兵用輸送車はここからどちらに向かうおつもりなんでしょうか?」
「コロサスの街だね。確か今はパロマ侵略軍の前線基地になってるんだろう。ヴァーラの父親のガルドもそこに常駐しているって言ったのはアンタらだったじゃないか」
「ええ。現在の戦場の状況は分かりませんが、ここに来る前にはそのように聞かされていました」
コーザの言葉をベラがうんうんと頷く。それからベラはコーザに声をかける。
「戦争に参加するか否か……は、まあそれから考えるとしてだ。で、コーザ。一応モノを知っているアンタに聞きたいんだけどね」
「は? いえ、はい」
「仮にムハルドの今回の進軍が、パロマ……というよりはローウェン帝国が絡んでいるとして、そうであった場合にルーインに勝ち目ってあると思うかい?」
その言葉にコーザの目が細くなり、それから少し考え込んでから口を開いた。
「どの程度介入するか……ということにも寄るでしょうが、最悪の状況はあるでしょうね」
最悪……つまりはルーイン王国がなくなることも視野に入っている言葉であったが、ベラもその答えには満足した顔で頷いていた。
「状況はどうにも良くないからね。この鉄機兵用輸送車にはあたしの財産やアンタらが領地を買うために持ってきた金なんかも積んである。いざとなったら国を抜け出す相談も必要かもしれないねえ」
そう言ってベラが山の先へと視線を送る。ムハルド王国とパロマ王国の侵攻。ローウェン帝国の介入。すべての状況がルーイン王国にとって良からぬ方向へと進んでいる。それが今後どう動いて、どのような結末を迎えるのか。それは今のベラにしてもまったく予測の付かないものとなっていた。
次回更新は1月26日(月)00:00予定。
次回予告:『第107話 幼女、たどり着く(仮)』
ベラちゃんが鬼ごっこに勝ったようです。やったね。
逃げられたお兄ちゃんが激オコですが、子供相手に大人気ないですよ。
次にあった時にはメッですね。
※今話からロリババアロボは、一話の文字数を6000文字前後に
増量しての月曜(0:00)の週一更新となります。




