2、麗しき死神閣下
そこはシアン皇国軍参謀本部の一室。
直立する少女が着る紺色の制服の襟や胸元には、いくつもバッジがついている。
(あー、嫌な予感しかしないんだよなぁ)
目の前にはラゼの直属の上司であり、この国の宰相でもいらっしゃるウェルライン・ラグ・ザースが、机に肘をついて組んだ手の上に顎を乗せていた。
「ラゼ・オーファン中佐。君に特別な任務を任せたいと思っている。単独行動になるし、見方によれば通常任務よりも面倒ごとがつきまとう現場だ」
——はい、やっぱりそう来ましたかー。
うえからの命令は絶対だ。
断れるなら断りたいが、ウェルライン閣下の表情からしてそれは難しそうである。
(せっかくオルディアナに帰って来たのに……)
帰還したら、世にも恐ろしい上司に呼ばれてしまい、ラゼの気分は最悪。
(私が優秀で若いからって、働かせすぎでしょ)
せっかく孤児院から成り上がって、中佐にまでなったのに、これだけこき使われるとは。
過去の自分に言いたい。
例え前世の記憶があっても、軍人にはなるもんじゃない、と。
「閣下のご命令とあらば、全力を尽くします」
意に反して、満点回答をラゼは答えた。
対するウェルラインはそれは、楽しそうに笑う。
ますます嫌な予感しかない。
が、自分は十五年の間、得体の知れないこの世界を生き抜いてきたのだ。
「帝国の参謀本部に潜入してこい」や「魔物を一万匹狩って魔石を回収してこい」等、とんでもないものではない限り、今更驚くことはない。
(頑張ればなんとかなる)
ラゼは上司からの命令を待つ。
ここまで生き延びて来たのだ。
大抵のことであれば知恵と努力でなんとかなるはず。
「それは結構っ! オーファンくん。君は今年で十六歳で間違いないね?」
「ハイ。測定値で確認しておりますので、間違いありません」
「よし。君はその歳になるまでに、敵の機密情報を幾度も回収し、魔物との闘いでも戦功を挙げ『狼牙』の称号を獲得している。軍大学でも高成績を収め中佐に昇格。〈影の目〉でも活躍している」
「……ハイ」
いきなり自分の功績を挙げられ困惑する。
ただ残念なことに、ウェルライン閣下が単純に自分を褒めているとは思えない。
——まさか前世の記憶のことがバレたか?
すべては記憶のおかげなのだとは、誰にも言ったことはない。たとえ年齢詐称を疑われたとしても言うつもりがなかったが、一体何を言われるのだか?
ラゼは少し身構えた。
閣下が口の端を上げる。
「やはり、これは君が適任だ。ラゼ・オーファン中佐。君には、今春からセントリオール皇立魔法学園に通ってもらう」
にこり。女であれば傾倒してしまうような、閣下の美しいかんばせが、自分にだけ微笑んでいらっしゃる。
しかし、ラゼはそれに見惚れるどころではなかった。
「……………ハイ?」
情けない間の抜けた表情だったことは、自分でもよくわかった。
上司に向かって失礼ではあるが、仕方ない。
予想のはるか斜め上を行く命令だったのだから。
「貴族のなかでも試験に合格したものしか入学を許されないという、あの、セントリオール皇立魔法学園でありますか?」
念のため、知っている知識を総動員してその学園が自分の知っているソレなのか確認をする。
「そうだ。しかし、“貴族のなかでも” というのは誤解だ。試験に受かりさえすれば、庶民でも入学は可能。優秀であれば学費も免除される。
ただ、その試験に合格するためにはある一定の学力と教養が必要で、子どもの教育に金をかけられない庶民には突破が難しいというだけだ」
いや。それは庶民は入れないと言ってるのとほぼ同義では?
口から出そうになる言葉を、ラゼは飲み込む。
「この学園に入ることは将来を左右する一種のステータスだ。十六歳になる子どもが、皇国中から集まってくる。陛下のご子息も入学予定だ」
陛下のご子息。ルベン殿下。
シアン皇国の頂点に君臨する、ガイアス・レジェン・アンク・ローズベリの子どものことだ。
彼が容姿端麗で武芸も達者であるとの噂は国全体に広がり、有名な方である。
「私の任務は殿下の警護でありますか?」
ラゼは慎重に任務の内容を確認する。
「それもあるが、君にやって欲しいことは少し違うな。大婆様が、十六年前に 〈晴蘭の年〉に生まれた子は天啓を授かると予言した為にベビーブームが起こり、ほかの有力者たちも子どもを産んだ。その子たちが今、成長して学園に入学しようとしている。いわゆる “金の卵” たちだ。彼らの円満な人間関係の構築が、皇国の未来を左右すると言っても過言ではない。
そこで君には一生徒として彼らを見守ってもらいたいのだ」
「それは警護と、どう異なるのでしょうか?」
「殿下たちも優秀だから、自分たちの身は自分で守る。大人が煩く口を出していては、彼らのためにもならないしな……。
君は卵たちが立派に殻を破るのを、生徒としてさりげなく影からサポートしてあげて欲しい。なに、簡単に言えば、君は普通に学園に通うだけだ」
ラゼは最後の言葉にピクリと反応した。
それはつまり、青春真っ盛りの少年少女に混じって自分も学園生活を送ることができるということ。
こんな美味しい話があって良いのかと、不安になったことが顔に出ていたのか、ウェルラインは続ける。
「まあ、万が一のことがあった時のための布石でもあるな。だがそう気にしなくていい。
よっぽどの事がない限り、正体を明かして動く必要は無いんだ。
この間、君に適性診断と称した試験を解いてもらっただろう?
実はあれが今年のセントリオールの入学試験問題だった。理事長は、皇弟が勤められている。君の答案を見た彼の方からも、ぜひ君にも入学して欲しいとの連絡があってな」
皇弟ハーレンス・ロイ・ビレイン。
まさかの大物が自分をご所望してくれたことにも驚いたが、遠征前に解かされた問題が入試問題だったことにも驚かされる。
——ならば、本当に自分はふつーうに学校に通えるのか? いや、通っていいのか?
答えはノーだ。
ラゼは目線を下げて、口を開く。
「恐縮ながら申し上げますと、私の生まれは下賤な孤児。軍人とはいえ人を手にかけることもありました。とても殿下たちと同じ空間に居られるような身分ではございませんが」
彼女は生きるために、捨てて来てしまったものがいくつかあるのだと、前世の記憶を以ってよく知っていた。
世界が違えば倫理も変わるが、他人を殺めることが良いことではないのは同じなのだ。
それを聞いたウェルラインのセクシーな口が弧を描く。
「君が軍人だということは伏せるから問題ない。陛下ご本人さえ、君を推薦している。生徒に紛れるには、中佐以上に使える人材はいないのだよ」
「過分な御言葉をありがとうございます」
ラゼは恐れ多いと慎んだ。
が、心の中では、そういうことを言いたかった訳では無いと反論していた。
前世の記憶があるからよくわかる。
自分が普通なんかじゃないということが。
だが、陛下のお言葉もあれば、自分はこの任務を受け入れるしかない。
閣下の言う通り、軍人だということを黙っておけば、生徒たちには何もわからない。
ラゼはそれ以上、任務を拒否する理由を考えることを止めた。これは自分にとって、嬉しい任務のはずなのだから。
(落ち着け。考えてみ?)
帝国軍や魔物と最前線で戦わず、
毎日温かくて美味しい食事を摂れて、
敵襲の心配をせずベッドで寝れて、
お風呂も毎日入れる。
どうだ。良いことばかりではないか——?
そう考えると喜びがふつふつ湧いて来ていた。
となればこの話、逃すわけにはいかない。
「これは世辞ではない。君には大人顔負けの実力がある。軍大学での論文は、とても十歳で書けるものとは思えないレベルだった。頭脳のみならず、戦闘においても二つ名の持ち主。君が率いる部隊では魔物討伐成功は最多で被害も最小。また、前回の帝国の侵略を防いだ一番の功労者と言っても過言ではない」
彼女、実は軍に関する学校には通っていて、大学も卒業している。
だが、それはノーカウントだ。
周りは大人の男だらけで、青春の「せ」の字すらない生活だった。
あれをスクールライフと認めてたまるものか。
こんな軍服なんかじゃなくて、かわいい制服を着て、青春とやらを謳歌したい。
それに受け持つ部隊の仲間たちは血気盛んで、すぐ「代表(隊長)、殺りますか?」なんて言ってくる。軍人としては心強いし戦友ではあるが、正直「友だち」とは程遠い存在なのだ。
(セントリオール。行ってみたくなってきたかも……)
いつの間にか下がった視線がしっかり前を向いていた。
ウェルラインはそれを見て、詳細が書かれた資料を差し出す。
「君は密偵として大陸を転々とし、世界をよく知っている。金の卵たちのいい刺激になるんじゃないか、とハーレンスも言っていたよ。
長期単独任務とは銘打っているが、軍のことは一時忘れて、君は君の思うままでいればいい。やってくれるね?」
「ハッ。愛する祖国の未来のため、このラゼ・オーファン、任務を全う致します」
「よろしい。全力で学園生活を楽しむように」
「ハイ」
こうしてラゼは、セントリオール皇立魔法学園への入学が決まった。
この時のウェルラインがそんな彼女を、いつもの作った笑顔ではなく、優しい瞳で見ていたことにラゼは気がついていなかった。
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