35*核心
「――アディス?」
耳に馴染みのある声が聞こえて、アディスは振り返る。
ヨルと別れた後、研究所を抜けて施設の出口に向かっていた彼を引き留めたのは、ルカだった。
「やっぱりアディスだ。どうしたの、こんなところで」
「ルカ……。久しぶり。元気にやってるみたいだね」
「まあね」
肩をすくめて見せる同期に、アディスは目を見張る。
軍の研究室に勤めていることは知っていたが、ここで彼と出会うのは初めてで驚いていた。
「なんか急いでた? ごめん、引き留めて」
「いや。大丈夫」
「そう? その割には、なんか怖い顔して歩いてたけど?」
指摘されて初めてアディスは自身の顔が強張っていたことを知る。
「何かあった?」
人に言われるまで表情の管理ができていないことに呆れつつ、アディスは一息つくと肩の力を抜いた。
髪の長さや顔つきが大人びた気がするが、学生時代の友人にはお見通しだったらしい。
「……ちょっとね。自分の無力さに打ちひしがれてたところ」
「ふぅん?」
意味深な回答に、ルカは静かにアディスを見上げる。
「深くは聞かないけど、あんまりひとりで思い詰めないほうがいいよ。アディスは全部自分でなんとかしなきゃいけないって思うタイプだし、実際それができちゃうから」
「……そんなことないよ……」
励まされて、アディスは閉口した。
自分でなんでもできると思っていたのは、学生時代までだ。
当時から人と比べて頭は多少回るし、努力すればそれなりにモノにできるだけの環境と能力があることは自負していた。
しかし、それでもそんな価値観は、彼女によってひっくり返された。
今の自分では、何もかも足りない。
今日だって――だからこそ、ヨルを頼りに来た。
たとえどんな事情があったとしても頼るしかないから。
「おいこら! マネージャー!! さっさと来い! ちんたらしてたらラゼが帰ってきちまうだろうが!!」
沈みかけた思考を遮ったのは、男の怒鳴り声で。
アディスが驚いてそちらを見ると、げっと頬を引き攣らせたルカが後ろを振り返った。
「あ? そこにいんのは、死神宰相の息子か!」
セルジオはアディスを一目見た瞬間、何を思ったのかずんずんこちらに歩いてくる。
「ちょうどいい! お前、暇ならちょっと手を貸せ」
「え」
「風魔法の使い手だったよな。試運転してみたいから、実験台になってくれ」
「????」
怒涛の勢いで迫られ、セルジオに腕を掴まれたかと思えばどこかに引っ張られていく。
「ちょっ。所長! アディスは宮廷文官のホープで暇じゃないんですよ」
「は? 俺だって稀代の天才技術者様だが?」
そう言ったセルジオは真顔だった。
「暇じゃねぇんだから使えるんは逃さねーよ」
「あぁッ、もう。――ごめんアディス。時間大丈夫?」
「少し、なら……」
苛立ちながらも仕方なく切り替えているルカは、新鮮だった。どちらかと言えばマイペースで、振り回す側だったと思っていた友人が上司に手を焼かされているのを横目で見つつ、アディスは足を進めた。
ここで断れなかったのは、セルジオがラゼの名前を出したのが気になったからだった。
「んじゃ。今から軽く説明するから、お前、これ乗って」
「……あの。これから一体何を?」
だだっ広い敷地は、おそらく何かの実験場だろう。
ところどころ地面が抉れているのを横目に、目的もわからず連れてこられたアディスはやっと尋ねることを許される。
「オレが個人的に実験を進めてるやつでな。今マネが用意してる機械、見えるか?」
「はい」
視線の先では、ルカが文句を言いながらも乗り物のようなものを一台、運搬している。
「名付けて、空走機だ。またがって乗って、空を走る。さいこーにイカすだろ!」
ニカリと笑って答えるセルジオ。
いまいち使用のイメージができないアディスは首を傾げる。
「お前なら、最悪落下しても風魔法で飛べるから大丈夫だろ。ちょうどいいところに来たな!」
「アディスの身に何かあったら、殺されますよ……」
「あ、これ誓約書な」
ルカのツッコミに、思い出したようにセルジオが万が一何か起こってしまった場合自己責任という旨が殴り書きされた書類を一枚取り出した。
「……さっき、オーファン大佐が帰ってくる前に完成させたいと仰っていたような気がしたんですが……?」
ここまで来たのは、ラゼに関することだと思ったからだ。
移動魔法の使い手である彼女には必要とされる代物とは考えられず、アディスは首を傾げる。
「お前、知らないのか? ラゼはひとりで馬に乗れないんだぜ?」
「「え??」」
突然の情報に、アディスとルカが揃って目を丸くする。
「どうしても乗馬だけは上達しなくてな。自分の魔法で移動はなんとかなるから、そのまま放置して今も乗れない。そのせいか、一時期貴族令嬢の間で流行ってた『白馬の王子』って歌劇も興味なしでな。せーっかく、お偉いさんからチケットもらって接待されてたってのに、感想聞いたら『この世界、飛行船あるくせにまだ馬を走らせてるっていうのが気に食わないんですよね』とか意味わからないこと言い出して。よくわかんねぇけど、馬はダサいということは伝わってきたからカッコいい乗り物を用意しようと試行錯誤してたんだ」
饒舌に自分の知らないラゼの一面を語られて、アディスは面食らっていた。
「――ってことで。俺、これに乗ってラゼを迎えに行くから」
冗談なのか、本気なのか。
セルジオはそう言って、空走機のボディを撫でた。
「……知らないと思うけど、この人、グラノーリ信者なんだ……」
「それは、どういう……」
「グラノーリのために酒場で暴れて、彼女の部下をひとり病院送りにしたらしい」
「…………」
先ほどまで鬱蒼としていた思考はどこかに消えて、アディスは純粋に目の前の奇人に呆気にとられていた。
「フッ。これで、間違いなくラゼは俺に惚れなおすぜ」
「いや。まず惚れてすらいないと思いますが」
「待ってろよ。ラゼ! 今俺が行くからな!」
「待ってないと思います」
白けた眼差しで、ルカが淡々と否定する。
そう言えば学園の時から、ルカはツッコミ役だったかもしれないと思い出す。
今自分が抱えている仕事を知らない友人との会話で、アディスの凝り固まった思考が解されていく。
何より。
(馬、乗れないんだ)
あの彼女にも、できないことがあるなんて。
知れば知るほど遠く届かない場所にいるように感じていたラゼが、急にすぐ隣に感じた。
どうやら、自分が勝手に彼女のことを遠ざけていたらしいと分かって、アディスから苦笑が漏れる。
「――はは」
その事実に、気が抜けた。安堵していた。
どうやら、気を張りすぎていたみたいだ。
「なんだよ。急に笑い出して。気持ちわりーな」
「はは、すみません。ふたりの掛け合いが面白くて」
アディスは肩をすくめる。
「空走機は、まだ試作段階ってことなんですよね」
「ん? そうなるな」
「じゃあ俺が試走する変わりに――」
苦笑とは違う人当たりの良い笑みを浮かべたアディスが、交渉に入ったと気が付いたルカが焦った表情を浮かべたが、それは少し遅かった。
「……やっぱり、アディスはアディスだね。そういう抜け目がないところ、変わってない」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
話が終わってしまった後、ルカは告げる。
セルジオといえば、交渉内容が自分にメリットしかないと思っているので、上機嫌で機体の最終点検をし始めた。
「…………。どこに迎えに行くのかって聞かないのは、やっぱりグラノーリが今、どこにいるのか知ってるから?」
「そうだよ」
彼に隠すことはないだろう。アディスは首肯した。
すると、ルカはどこか曇った顔をしていて。
「……彼女に連絡が取れるなら、気をつけろって伝えて。父さんたちから聞いた話だけど、今、教会の一部で狼牙を敵対視している人たちがいるらしいから」
アディスも狼牙が容疑者になった事件、知ってるよねと。ルカは付け加える。
「うちの父親は財務大臣だからね。教会のことは寄付金とかのことで監査する側で、色々と情報が入るみたい」
面倒くさそうに吐き捨てるルカに、アディスは彼の肩を掴んだ。
「その話、詳しく」
目の色が変わったアディスにルカはびくりと身体を揺らしたが、その目が真剣なのを見て、昔もこうして腕を掴まれたことがフラッシュバックしていた。
あの時は、そう。
まだセントリオールの学生で、学校を大学したラゼが死亡したと通知を受け取ったのを、彼に伝えた時だった。
相変わらず、アディスは彼女のことで必死になっているらしい――。
「僕もあまり詳しくはないんだけど、手を出すにはかなり危険だよ。アディスも噂くらい聞いたことあるんじゃない? 僕たちが生まれた年に『聖女召喚』のための儀式に人を攫って生贄にしてた聖職達がいて、大事件になったやつ」
「……聖女召喚……」
「異界から全知全能の聖女を降臨させて、この世界を統一しようとしてた人たちが起こした事件で、教会側は根絶したっていってるけど……。まだ信者がいるかもしれないらしいよ」
声を落として、ルカはアディスの耳にささやいた。
「ほとんど噂話だけどね。国に彼女がいない間に怪しい動きがあったから、つい紐付けちゃって。杞憂だとは思うけど一応」
死角からの情報だった。
ルカに言われなければ、「そんな子ども騙しのような噂を」と言って気に留めなかったかもしれない。
「ありがとう。調べてみる」
そもそも何者が、ラゼを殺そうとしているのか。
その取っ掛かりをやっと掴んだ気がした。調べてみる価値は大いにある。
特に話題に出た「聖女召喚」という単語が、妙に引っかかる。
「………………」
当然のように調べるつもりらしいアディスに、ルカは目を逸らして悩んだ後、再び口を開く。
「関係あるかは分からないけど。ここだけの話、攫われてた人はみんな移動魔法の使い手だったらしいよ」
更新遅れてしまい、すみません。
どうぞ最後までお付き合い頂けますと幸いです。




