32*星の代弁者
たとえどんなに彼女の無事をその目で確認したくとも、何も準備せずに乗り込むようなアディス・ラグ・ザースではない。
何としてでも、支援物資の毒物混入については阻止しなければならないのだ。
対策は十二分に練る必要がある。
(――考えられるタイミングは、ふたつ)
ひとつ、皇国側で準備した段階で入っていた。
ふたつ、共和国で配布された先で混入された。
ラゼの魔法の特性を考えると、物資の保管場所も把握するべきだろう。
となると、流石に自分だけではどうにもできない。
支援物資の保管場所を探している暇すら、今は惜しいのだ。
決して使いたくはない手なのだが、手段を選んでいる場合ではない。
まずは、あの男と交渉するための材料を揃える。
「……何しに来た訳?」
「俺が知っている未来について、確認しにきた」
そのために、アディスは再び占いの館に訪れていた。
何重にも警備が張り巡らされた館の奥で再会したエリナは、相変わらず不機嫌だ。
彼女の過去を知った今、歓迎される訳がないことも理解しているから、アディスはその態度について気にしない。
きっと、ここに彼を青の貴公子だと慕う女性陣がいたのであれば、彼の様子に驚いたことだろう。
「はぁ……。こっちよ。ババアが待ってる」
エリナは溜息をついたのち、ババロアの待つ部屋へとアディスを先導した。
「おお。思ったより早かったな。さっさと座れ、ザースの坊」
「……急にお邪魔してしまい、申し訳ありません。大婆様……」
「気にするでない。むしろ、こちらから呼びつける手間が省けて助かったわい」
通された部屋には、すでに三人分の茶が準備されていて、アディスはそれに違和感を覚える。
急に押しかけたのにも関わらず、まるでこちらの来訪を知っていたかのような口ぶりだ。
「して。わしはまどろっこしいのは、嫌いでな。――とりあえず、引け」
席について前を向いた途端、ババロアは告げる。
何かと思えば、ババロアは慣れた手つきでカードを切ると、それを伏せてテーブルに一列に広げた。
もちろん、これはただの選択ではない。
占いを得意とする魔法使いが、自分を試している。
緊張感で支配された部屋で、アディスはカードを数回引いた。
ババロアが祖先から代々大切に使っている、花暦と合わせて作られた特殊なカードには、さまざまな花が描かれている。
女子が好きで話題に上がる恋愛関係についての言葉を持つ花については、それなりに知っているが、その意味を今日この日まで真剣に考えることはなかったはずだ。
そして、最後の一枚の選択で、表に返して出たのは、青い花が描かれたカード。
「アイリスか」
ババロアはそう言って、アディスからカードを受け取る。
「――いいじゃろう。お主はお主の選ぶべきだと思う道を選べ。このおいぼれに出来ることなら力になろう」
カードを見ただけで、そこまで許しを出す彼女に、アディスは目を見張った。
「……俺はまだ何も説明してませんが……」
「うむ。これから聞いてやろう」
カードの内容が悪ければ、何も話すことができずに返されていたということか。
アディスはそう理解して切り替える。
「聖女視察に介入する権限が欲しいんです」
ババロアの性格を配慮して、単刀直入に求めていることを告げた。
「それはまた何故?」
「信じてもらえないかもしれませんが……俺は四日前に未来から回帰したみたいです。このままでは、視察は失敗に終わります」
「――はぁっ!??」
声を上げたのは、それまで黙ってババロアの隣に座っていたエリナだ。
「何よその、ご都合設定!? 私たちのことは捨ておいたくせに、あの女は生かすことにしたって訳!?」
彼女は、ブチ切れていた。
怒り心頭で、頭をぐしゃぐしゃ掻き乱し、今にも誰かに殴りかかりそうな圧を発している。
「ふざけんなッ。ふざけんな、クソゲーが!!」
机の上で作られた拳は、ぶるぶると震えていた。
「弟子がすまんな。ただの発作じゃ。気にするな」
「…………そう、言われましても……」
ババロアは笑って流そうとしているが、とても無視できるような怒りではない。
アディスは怪訝な眼差しで、エリナを見た。
「お主がここに来る前から、上層部には狼牙を守れねば、この先、国は傾くと進言するつもりじゃった」
「…………え」
ひと言も話題に出していないラゼの情報が出て、ババロアに視線を戻す。
「それは、どう、いう……」
「この娘もわしも、そういう未来が見えていた。四日前までは、確実にその道を辿る可能性が高かった」
「………………」
予言というものが、どれだけ人離れした魔法かを肌身に理解し、アディスには鳥肌が立った。
まさか、あの未来さえ、この人たちは見通していたのか――?
地獄のような、彼女のいなくなった世界を?
「おそらくお主が何かをした、というのは、バカ弟子が予測しておったが、回帰とはな。この年になって、お伽話にしか出てこないような魔法を聞かされるとは……」
やれやれと肩をすくめるババロアに、アディスは言葉が出てこない。
「…………知って、いたのなら、何故っ!!」
絞り出した声は、苦痛が滲んでいた。
「どうして、彼女が視察に参加することを止めてくださらなかったのですかっ!」
アディスの訴えに、ババロアは特に動じない。
「悪いが、わしにはそこまで詳しく先が見えん。狼牙についてはバカ弟子のほうが見た」
言われて、アディスはエリナを振り返る。
「――ハッ。その様子、やっぱり死んだの? あいつ?」
目があった瞬間、エリナは嗤った。
言われてことに、自分でも信じられないほどアディスの中には敵意が湧いた。
しかし、溜飲は下げるより他なかった。
――この娘は、最初から言っていた。
どう足掻いても、ラゼは死ぬだろうと。
それを知らされておかれながら、変えることができなかったのだから、この怒りを彼女にぶつけるのはお門違い。
後ろで控えている男も、応戦する気満々でこちらを見ている。
アディスは上げかけた腰を落とすと、俯いたまま「フゥーーー」と長く息を吐いて、その場を何とかやり過ごそうとした。
彼女のことになると、抑えが効かない。
こんなことでは駆け引きもできない。
「どんな最期だったんだ?」
頭では分かっていたが、男の問いにアディスは睨み上げるようにして前を向いた。
「そう簡単にアレが死ぬとは思えない」
目があった男は、物知り顔でそう告げる。
彼女をアレ呼ばわりする奴なんかに教えることなど何もない。
「斬られながらでも怯まずに手を伸ばしてくるようなヤツだ。あの傷で死ななかったくせに、一体どんな死に方をしたんだかな?」
含みのある言葉選びに、こちらを見定めるかのような眼差し。
男の言うことを理解して、アディスからは表情が消えた。
「……彼女の何を知っている」
暗く落ちた声で、彼は問う。
「お前こそ、過敏すぎるが分かっているのか? この国が産んだ人間兵器だろ。アレは」
まるで人を人だと思っていない口ぶりだった。
学生として、クラスメイトとして。
隣で授業を受けていた少女には、到底向けられるべきではない評価だった。
たとえ、今は、彼女の本当の名前を知って、彼女の戦場での闘いぶりをこの目に見たとしていても。
リスのように頬を膨らませて甘い物を頬張り、友人と笑い合っていたあの姿は、決して無かったことになどならない。
「次、俺の前で彼女のことを蔑んでみろ。容赦しない」
男はハッと片側の頬を上げて笑った。
この状況を愉しんでいる笑い方だ。
言葉で分かりあおうなんて選択肢は、この時点で消え去っていた。
「挑発しすぎよ。あんたは名無しらしく、引っ込んでてくれるかしら?」
「お前が名をくれないからだろう? 付ける気になったか?」
「バッカじゃないの。あんたの名付け親になるなんて願い下げよ。気持ち悪い」
「釣れないな」
苦笑する男に、エリナはゴミでも見るような軽蔑の視線で答えた。
「そろそろ本題に戻っていいかの?」
「どうぞ。私もさっさとこの胸糞悪い話を終わらせたくなってきたわ」
姿勢を崩して、エリナは呆れた溜息を吐く。
「――で。あんたはどこまで何を見て回帰してきたの? 権限が欲しいとか言ってたけど、別にもう他の人間に任せておけばいいんじゃない?」
やっと本題に帰ってきて、アディスも気持ちを改める。
「俺には、回帰するまでの三ヶ月分の記憶と、彼女の旅路を追従する夢みたいな記憶がある。……おそらく、あなたたちの予知よりも、ピンポイントで詳しく情報が分かっている。……これが、本当に未来におこる……いや。起こったことだとしたら、の話だけれど」
「なるほど。だから、詳細の分かってる自分が指揮を取りたいと」
面白くないのだろう。
エリナは不貞腐れながら、用意されていた茶菓子を口に放り込む。
「さっきも言ったが、占いは悪くない。むしろ、お主は行くべきじゃろう。――と、そういう手紙でも一筆書けばいいかのう?」
正しく自分が欲しいものを提示されて、アディスは「はい」と首肯した。
あの死神宰相に認めさせるには、大婆様の進言が、今自分が得られるものの中で一番効力が発揮される力になる。
「バカ弟子。おまえはどう見る? この国が滅んでは、おまえも死ぬしかないじゃろう?」
「…………まあね……」
エリナはちらりと背後の男を見た後に、小さな声でババロアに返事をする。
「いいんじゃない? 行けば」
エリナはアディスを無言でしばらく見つめ、未来を見てから吐き捨てた。
「でも、これだけは言っておくわ」
外に出る自由を奪われ、一生檻の中で過ごすことになった、乙女ゲームの敗北者の恨みだ。
「あんたのせいで、狼牙は一度死んだのよ。回帰する前の未来は現実」
突拍子もない話だと言うのに、簡単に「回帰した」なんて話を理解したエリナは確信していた。
自分のせいでラゼが死んだと言われて、こべりついた彼女の最期の記憶が脳裏をよぎる。
心臓が嫌な音を立てて、無意識のうちに膝の上で拳を握った。
「ここからは、お星様たちがあんたの為に用意した別の世界線。――あんたが分け目を振った瞬間、簡単にアイツはあんたの視界から消えるはずよ」
「…………どうして、そこまで確信している……?」
「ここがクソゲーの世界だから」
「………………」
カーナも似たようなことを言っていた。
ルベンが自分を選ぶはずがないのだと、怯えていた。
側から見ていれば、そんなことはあり得ないと分かっているのに、カーナはずっと物語の強制力とやらを気にしていた。
『私はバグ、すなわち誤りです。本来ならいないはずの存在。カーナ様は今回の試合について、シナリオの強制力が働いて私を削除しようとしているのではないかと不安になられてしまったわけです』
一年生の時、ラゼが淡々と説明していた情報が数年ぶりに呼び起こされる。
まさか、五年が経ちそうな今になって、またこの話が出てくるなんて、どうかしている。
……どうかしているが、あの時から、彼女は危険に晒され続けていたのではないかという可能性に気が付いてしまったからには、無視できなくなっていた。
「せいぜい頑張ることね。続編のヒーローさん」
聞きたいことは、山ほどあった。
しかし、それは今すぐ確認するべきことではない。
すべては、彼女が無事にこの国に帰って来てからだ。
そう心に決意を固め、アディスは視察に働きかけるための切符を手に入れた。




