31、約束された道
「…………未来が、変わった……?」
それに気がつくことができた人間は、この世界に何人いただろう。
「どうした?」
「今……世界の全部が書き換えられた――そんな感じがした」
「…………おまえ、星の導きは信じないタイプの人間だったんじゃなかったのか?」
訝しげに言われて、エリナは不機嫌そうに相方を睨み返す。
本当にこの世界は不確定で、不安定だ。
魔法なんて人技ばなれしたものを使えるくせに、こういう感覚の話をすると、どうしてスピリチュアルとして受け取られるのか。
まあ……世界が書き換えられた、なんて大規模で漠然とした内容では、流石の元暴君も共感はできないらしい。そう思うことにする。
急にお告げみたいなことを口にした自分にも、非があるのだろう。
「ちょっと黙ってて」
エリナはそう言うと、彼に集中する。
つい最近までは前世の記憶を使って先読みの巫女なんて持て囃されていたのに、その地位を全て失う直前でこんな芸当を覚えるなんて、本当にクソみたいな世界だ。
ついでに言えば、人に未来は見えるのに自分の未来が見えないのもクソ使用である。
エリナの目には、男の未来が再生された。
彼女の未来視は、遠い未来ほどぼやける。
昨日まで黒いキリが霞んで見えなくなっていた、映画のフィルムがピンボケまで彩度を増している。
「…………」
ずっと消えなかった死相が消えている――。
ババロアに引っ張られて、皇国の重鎮相手に予言をした時から全員同じ見え方をしていた黒いキリが、この男には見えなくなっていた。
「…………一体何が……」
昨日も今日も、変わらず軟禁生活を送っていて、お世辞にも未来を変えるようなことはしていないはずである。
何が原因でこうなったのだろうか。
「おい。何が見えた。オレにも教えろ」
エリナは男の言うことは無視して、部屋を出る。
「無視か? ずいぶん偉くなったものだな」
「そうよ。今はあんたより私の方が貴重な人間らしいんだから、静かにしててくれるかしら?」
「ほぅ。よく言う」
廊下を歩いて、普段なら自分からは決して寄りつかない部屋の扉を叩いた。
「ババア!! 開けなさい!!! 話がある!!」
「………………口が悪い……」
「なんか言った???」
「なんでもない」
何十人、何百人と殺してきた奴に言われたくはない台詞だ。
エリナが振り向いて彼を睨んでいると、カチャンと音がして扉が開く。
「朝からうるさいぞ。もう少し慎みのある行動をせんか、バカ娘」
「バカのままで結構よ」
「……はぁ。跳ねっ返りが……」
ババロアは溜息を吐いた。
「中に入れ。……長くなりそうじゃからな」
そして告げられた言葉に、エリナは確信する。
確実に、この国の――この世界の未来を変える何かが起こったのだと。
中に通されて、エリナはババロアの前に座る。
この部屋は皇国では珍しく土足厳禁で、ローテーブルとクッションが床に置かれている。
なんでも、ババロアが急に予知夢に入って、倒れた時に衝撃を少なくするため……らしい。
ババロアの予知は、それこそ神からの神託を受けているような感じで、急に眠りに入って予言をするのだ。
「お主も感じたか?」
「ええ」
「そうか。わしもひさひざにぶっ倒れたわ」
ババロアは面倒くさそうに、やれやれと溜息を吐く。
「老体に無理させよってからに。さっさと魔石を納めさせてほしいものじゃ」
おかげでまた茶器が割れた、と。
ババロアは言いながら、新しく用意されたと思われるカップに口をつけて茶を飲んだ。
「何を見たの?」
「子どもが遊んでいるのが見えた」
「……………………は?」
「あれはここ数年見えなかった、皇家の子じゃろうな。久々にみたわい。あんな穏やかな予知夢は」
世間話をするおばあちゃんみたいなことを言っているが、それはこの国の安寧を意味していた。
「前見た時は、この国、なくなってたんじゃがの」
そして、ぶちこまれる事実に、その場にいた全員が凍りつく。
「………………私、聞いてないんだけど、その話……」
「誰にも言っとらん。どうにもならんと思っていたからな。――ほら。わし、あとは死ぬだけじゃし」
ケロッと言ってのける老婆に、控えていた彼女の世話役や護衛、エリナとその相方は心を揃える。
この、婆は――!!!!
「また隣と戦になったらしくてな。あの国の地を取り込んだ後に、巨大になった貴族制のボロが出始めた。独立だのなんだの言って、国の中での争いが増えて。ついでに貴族制度なんて廃止しろって叫び出すやつも増えてな――まあ、最後は原型なくなっとったわ。ハッハッハッ」
威勢よく笑っているが、全く笑えない話だ。
「…………それって、狼牙が死ぬせい?」
苦虫を潰したような顔で、エリナは笑っているババロアに尋ねる。
「さあな。わしはそこまで詳しくは見えん。本業は占いじゃからの」
告げて、ババロアは机に置いてある箱からカードを取り出す。
彼女は魔法として占いをするのが得意な使い手だ。
予知夢はおまけのようなもので、吉凶を占うのが本来の仕事である。
「――で? お主こそ、何か見えたのか?」
「…………」
カードを切り始めたババロアに尋ねられて、エリナはちらりと横を向き、ババロアの世話役の未来を見た。
世話役の娘にもあったはずの黒い霧は消えていて、やはり、未来が明るくなっている。
「…………どちらかというと、見えなくなったわ」
「というと?」
「私が見るときに見えてたものは死相だった。今まで見てきた皇国人全員には見えてたけど、それが見えなくなってる」
「物騒なもん見てるの。お主……」
「妖怪ババアに言われたくないっての!!」
自分を棚に上げて引かれているのを見て、エリナは声を張った。
「だいたい、全部おかしいのよ。ここは頭お花畑の乙女ゲー世界よ?? シナリオの強制力を考えれば、主人公のいるこの国は今後十数年は安泰のはずで、国が滅びるとかそういうのは無縁のはず――」
苛立つまま、勢い任せに言って、エリナは止まった。
今、何か大事なことを言った気がする。
そうだ。この世界は乙女ゲームの舞台なのだ。
戦争とか、そんな物騒な時代を取り扱うシリアスな展開は、たとえファンディスクの続編にも出てこなかった。
――――――――だから、か?
強制力が、世界を平和のために無理矢理未来を修正したのでは――??
何せ、続編の主人公はアディス・ラグ・ザース。
以前見た未来のように、狼牙が死んで彼が国を滅ぼし、殺されることになれば、シナリオどころの話じゃない。
――確かめる術などないが、仮にもし本当にそうだとしたら相当タチの悪い話だ。本当に。
「…………なるほどね。この世界のお星様たちは、ハッピーエンドしか認める気がないらしいわ――」
◆◆◆
夢がただの夢ではないと証明されるまでに、そう時間はかからなかった。
共和国の北部に封印されているのが、レグスらしき顔つきをした魔物であるという情報が入ったのだ。
「…………まさか、本当にいるとはな……」
眉間に皺を寄せるのは、ウェルラインである。
たとえどんなにあり得ないような内容であれ、自分の息子が冗談を言う人間ではないことくらい、ウェルラインも分かっていた。
バネッサづてに話を聞いて、共和国に駐在させている人員に確認させたところ、本当にアディスの言う通りなのだから事態は深刻だ。
――ラゼが死ぬ、かもしれない。
ウェルラインの顔付きは研ぎ澄まされて、冷酷ですらあった。
国内で燻っている一部の者たちが、軍部に対しての不満を募らせていることは知っていた。
帝国との戦で勝ち切ることをしなかった自身について、「死神宰相が聞いて呆れる」なんて言われていることも知っている。
動きがきな臭いので、貴族階級としては弱い彼女がどこかで揚げ足を取られないようにと外に出したのだが、悪手だったらしい。
これまで、どんな任務でも生還してきた彼女が死ぬかもしれないなんて相当だ。
それに、予知夢らしきものを見たらしいアディスが錯乱していた時の、あの様子ではもしかすると最期は――。
考えかけて、ウェルラインはやめた。
参謀本部の自室に取り寄せた分厚い資料に視線を落とし、彼はそのページを抜き取る。
そこに丁寧な文字で書かれているのは、魔物の情報と採れた魔石の重さや色、形について。
それは、魔物討伐部隊から提出される報告書だった。
青く透き通った魔石が取れたその魔物の報告書の、右下。
石についての項目には、こう書かれていた。
『ランク:S』
『採取者:ラゼ・シェス・オーファン』
『売却先:マイルス・クオーツ(チャームデザイナー)』
彼女が何故、魔物討伐部隊を志願したのか。
その生い立ちを知っていれば、想像するのは難しくない。
「………仇、か……」
全てが繋がって、ウェルラインは天井を仰いだ。
「…………貴方なんですね。大佐……」
お読みいただきありがとうございます




