17*それが彼女の仕事
「……今、なんて……?」
アディスは報告があれば、必ず聖女視察の内容を確認していた。
「荷物持ちの子が、運悪く市場でトラップ付きの品物に当たって意識不明らしい。まだまだ視察は長引きそうだな」
だから、通信部の職員に言われて彼は絶句する。
「意識不明って……」
「聖女様がついてるんだ。身体の方はすぐに治してもらってるはずさ。まあ、大丈夫だろ」
世間話でもするように、その男は言う。
彼からすれば他人事だ。聖女がついているから平気だろうというのも、客観的な事実だ。
別に他の部署の文官に伝えても問題がないと判断されるような、取るに足らない情報だ。
それでも、アディスにとっては違う。
(どうして。トラップなんかに引っかかるような人じゃないだろう。君は――)
その荷物持ちの子というのが、ラゼなのだから。
自分に進路を変えさせるきっかけにもなった知人だ。
あの軍人少女が、意識不明になるような怪我を負ったなんて、アディスには結びつかなかった。
しかし、彼は思い出す。
(……いや。誰かを庇うためなら、平気で怪我をしてくる人だった……)
特別授業の時に助けられているのを思い出して、アディスは言葉が出なかった。
何も言えない――。
それが彼女の仕事だと、理解できてしまうから。
自分の正体を隠して、親友のためにかつての敵国の地で荷運び役として働いているなら、軍人としての振る舞いは控えているはずだ。
「聖女様とは学友だったんだもんな。心配だろうけど、専属護衛のシンディ様は女性騎士では最強って呼ばれてる。無事に帰ってくるさ」
すでに、彼女は無事じゃない。
そう出かけたのは、何とか喉の奥に押し込んだ。
「そうですね。お話聞かせてもらって、ありがとうございます。やっぱり、クラスメイトだつたので気になって」
「だよなぁ。また何か進展があったら教えるよ」
「助かります」
アディスは本心を隠したまま、複雑な気持ちとは裏腹に、笑顔でその場を後にする。
今、自分にできることはない。
でも、今立ち止まってしまえば、将来助けられる可能性すらなくなる。
(――早く力をつけないと)
アディスの眼差しは真剣だった。
◆
「あ、あのっ。アディス様!」
その日も夜まで書庫に残って勉強をしていた彼に、声がかけられる。
「…………どうかされましたか? レディ」
顔を上げてみれば、そこには雑用などを担当する女中が立っていた。
「も、もしよろしければ、どうぞ!!」
顔を赤くして差し出されたのは、紙袋。
机に置かれてしまって、断る間もなくその女中は小走りで部屋を走り去ってしまう。
一応、中を確認してみれば、そこには焼き菓子が入っていた。
こうやって女性から何かをもらうことは、アディスにとって何も珍しいことではない。
学生時代には、ほぼ毎日のようにあまり交流のない令嬢に話しかけられて、食事に誘われたり、何か贈り物をもらったりしていた。
毒魔法を得意とする母バネッサのおかげで、毒には耐性があるが、こうやって人から貰ったものは食べる気になれない。
ただ、最近は甘いものを見ると、決まって、リスのように頬を膨らませて嬉しそうにお菓子を食べるラゼの姿が目に浮かぶ。
「彼女なら、喜んで食べそうだな」
静かになった書庫で、アディスは拳を握る。
「頼むから。無事に帰ってきてくれよ……」
あとどれだけ頑張れば、彼女に追いつけるだろうか。
今まで割となんでも卒なくこなしてきた自覚があるが、ここまで自分が無力だと感じるのは、幼少期に自分を庇った執事が死んでしまった事件以来だった。
「アディス! こんなところにいたのか!!」
誰かが勢いよく書庫に駆け込んでくる。
赤い髪が揺れて、その隙間から紫色の目が見える。
「知恵を貸してくれ! 今、すげぇ困ってるんだ!」
「……どうしたの?」
イアンが慌てているのは伝わってきて、アディスは彼に向き直った。
「今起こってる事件の容疑者に『狼牙』が上がってるんだ。どうやったら、無実を証明できるのか全然わかんなくて困ってる!」
「はっ!?」
そして聞かされたことに、アディスは表情を崩す。
「なん、で、そんなことに??」
全くもって意味が分からない。
彼女のことなら昼頃に、異国で意識不明だと聞かされたばかりだというのに。
「オレにもわかんなくて。……ただ、すげぇ嫌な予感がするんだ。自分でも調べてたんだけど、副団長からお前は深入りするなって言われて……」
イアンの勘はよく当たる。
彼がそう言うなら、きっとまずいことが起きているに違いない。
アディスは念のため、周囲に人の気配がないかを確認し、イアンを座るように促す。
「……おそらく、星教がらみなんだ」
前――ではなく、より近い隣の席に座ったイアンは声を潜めて、アディスに告げる。
「騎士団では事件の扱いにされてるんだけど、本当は違う。教会の人間が薬を打った副作用が出た人たちの被害を、全部『狼牙』のせいにしようとしてる」
「……そんな、無茶な……」
「そうだよ。正気なら、まかり通らないことが起ころうとしてるんだ」
イアンは眉根に深い皺を刻んだ。
「貴族はほぼ必ず教会で洗礼を受けるだろ? 騎士団には敬虔な信徒も多い。――ぶっちゃけ、今まで自分たちに黙ってワクチンを接種していた軍人たちを、よく思ってないんだ。彼らを穢れてるっていう人もいる」
自分たちが使っている魔石を獲ってくれてるのは軍人なのに、その恩すら忘れて見下してるんだ、と。
イアンは辛酸を舐めるような顔付きだった。
自分とは違って、本当に人当たりの良い心からの笑みを浮かべているイアンがそんな顔をするのを見るのは珍しくて、アディスは口を閉ざす。
彼がここまで真剣に深刻に考えるほど、事態は良くないということだろう。
「そして、だいたいそういう嫌なことを言ってるのは、一部の上流貴族たちだ」
「…………それ以上は言わなくていいよ。本当に危ないから」
「……うん。わかってる」
イアンがどの派閥の人間のことを言いたいのかなんて、簡単に察することができた。
(……元老院が相手になるのか……)
良くも悪くも、この国の歴史・伝統・文化を守り重んじる、名門貴族の玄人たちの機関だ。
言い換えると、ずっと深くまで根を張って、高く聳えた木の上からしかモノを見られない。目下の人々の痛みを忘れてしまった人たちだ。
この手の貴族の子息は、教育も家庭教師で済ませてしまうから、価値観がなかなか変わらない。
かつて疲労したウェルラインがバネッサ相手に一番厄介な相手だと、こぼしていたのを偶然聞いてしまったことをアディスは覚えていた。
「人としての尊厳を持ったまま死ぬ方が正しい、なんていう意見も聞くことがあって。……なんというかさ、こう……。オレも社会に出たんだなぁと思うよ。最近……」
悲しそうな彼の言葉に、イアンはイアンで苦労しているのだなと感じる。
「イアンにはそういう難しい顔、ぜんぜん似合わないね」
アディスは空気を変えようと、肩をすくめて苦笑した。
「だろ? そういう考えるのは、アディスの方が得意だ。オレは身体を動かすのが専門!」
イアンがくしゃりと笑うのを見て、アディスは頷いた。
学生時代、イアンとは同室だった。
入学当初は騎士を目指す同志でもあった。
たとえ厳しい相手だとしてもこうして人のために動ける彼は、今も変わらず尊敬する友人だ。
「オレはあんまり頭が回らない。でも、いろんな考えがあったとしても、無実の人に罪を被せるなんてことは絶対に間違ってるんだ。これだけは自信を持って言える」
「ああ。分かってるよ」
アディスは強く首肯した。
「――こういう時のために、俺はこの道を選んだ。必ず役に立ってみせるよ」
※ファンタジーです




