12*シアン皇城にて
「クレシアス、無事にフレッツェの街に着いたらしいな!」
聖女が最初の街に無事到着した知らせが届く。
この春から騎士団に晴れて入団したイアン・マッセ・ドルーアは、迷子になりそうなくらい広い皇城に見慣れた青髪を見つけて声をかけていた。
「イアン、いきなり背中を叩くなよ……」
「悪い悪い! 久しぶりにアディスが見えたから、つい!」
シアン皇都に門を構えるこの城は、とにかく広い。
セントリオール皇立学園も学園にしては色んな施設があって充分広かったが、こちらは建築面積がおそろしく広大だ。
西洋版中華後宮もどき、とでもいえば規模感が伝わるだろうか。
もちろん君主のための女の園などではなく、その機能は重要機関が結集している国の心臓だ。居館として多くの武官文官を養っているうちに、ここまで広くなったと言われている。
そんな訳で、騎士団本部もこの皇宮の一角に組み込まれているため、城で文官として働くアディスと彼は同じ職場だった。
「流石、最年少で国家試験に受かった文官は忙しいらしいな。邪魔したか?」
アディスが両手に山盛りの資料を抱えているのをみて、イアンは肩をすくめる。
「今はちょうど、これを片付けて休憩しようと思ってたところ。そっちこそ騎士団期待の新星だろ。こんなところで何してるの?」
「オレも休憩中なんだけど、噂で聞いた東館の昼だけやってる売店に行こうとしたら迷った!」
今し方「期待の新星」と言ったことは取り下げた方がいいかもしれない。
アディスは恥ずかしがるどころか、どこか自慢げにこの城で迷ったことを話すイアンに苦笑した。
学生時代は寮で同室だったこともあって、彼とはそれなりに仲がいい。アディスも昔は騎士団を志していたので、よきライバルでもあった。
それが今、こうして離れて違う道に進んでいても、イアンはイアンのまま裏表のない性格は変わっていなくて安心していた。
(……どこかの誰かさんは、別人になってたけど……)
見た目を変え、性格を変え、名前を変え。
比喩なく別人になっていた彼女とは大違いだ。
「……これ、片付けて来るよ。案内するから、一緒にお昼食べよう」
「おっ。やった! ありがとな!」
毎日顔を合わせていたのに、学園を出てから急に会わなくなったから、イアンと話すのもすごく久しぶりに感じる。
職場が同じとはいえ、そう滅多に顔を合わせることなんてないだろうから、アディスはイアンと共に食事をとることにした。
◆
「んー! うま!!」
東館売店限定品の、切ったバケットに甘辛く炒めた肉と卵、チーズと野菜を挟んだサンドウィッチにかぶりついたイアンは幸せそうだ。
彼が目当ての食事にありつけたのを見守ってから、アディスも一緒に頼んだそれを食べる。
この城には、幼少期から礼儀作法を叩き込まれた貴族だけではなく、もちろん平民出身者も多くいる。貴族令嬢なんかは、こんなサンドウィッチを一体どうやって食べるのかと言い出してもおかしくない。
だから、こうして城の中には、何ヶ所かに食事ができる場所が設置されていて、その内容にも配慮がされていた。
(……そういえば、一年生の時に裏山でサンドウィッチ食べてた彼女と会ったことがあったな……)
学園に通っている淑女にはあるまじき、あぐらをかいた姿勢で大きく口を開けてサンドウィッチに挑んでいたラゼを思い出す。あれは、彼女なりの息抜きの仕方だったのかもしれない。
売店の先にあるテラスで、騎士の制服を着た青年と文官の制服を着た青年が食事をしているという組み合わせは珍しい。
ふたりとも、ちらちらとこちらを伺う視線に気がついてはいたが、昔から人目を集めるのには慣れているので特に気にせず食事を続ける。
「……それで。さっき、フォリア嬢が最初の街に着いたって言ってたけど、どこで聞いたの?」
「ハイン副団長から聞いた。シンディ先輩から報告が入ったって」
「なるほどね」
フォリアの側付きに選ばれた女性騎士は、ギルベルト・エン・ハインの部下だ。
そして、イアンが所属しているのもギルベルトが管轄する班である。
聖女視察の件については、新聞で取り上げてすでに国中に広まっていることであり、ギルベルトはイアンがフォリアとクラスメイトだと知っているから教えてくれたのだろう。
「アディスは視察隊が出発の日に、現場に行ってたんだっけか? 聖女視察にも関わってるのか?」
「一応ね。やってるのは雑用ばっかりだけど」
聖女視察について、ルートや人選などを決めたのは上司たちだ。新人だからと意見することに躊躇する気はないが、教会の派閥関係などにはまだ詳しくないため、アディスも踏み込みすぎるのは危険だと察していた。
今回、自分がやったことなんて、会議に同席して決定した人や物の手続きや手配をすること。
そして、教会側のトラブルで招かれざる客が視察に同行しようとするのを止めに行ったくらいだ。
宰相の息子という立場を利用されているのは明らかだったが、まあ、それも自分の武器だということで納得はしている。
そのおかげで、彼女が視察隊に参加していることも知ることができた。
「共和国は、うちより魔物化の被害が酷かったんだろ? クレシアスは大丈夫なのかな」
「覚悟の上だと思うよ。……それに、魔物化の件数は多く報告されてるけど、ラゼが鎮痛剤をほぼ全ての地域にたった一週間で届けたらしいから。なんとか、最終手段を使うのは免れてるんじゃないかな」
「へぇ! やっぱ、すげーや。グラノーリ」
「ほんとにね」
この仕事に就いてから、彼女の凄さは身に沁みてよく感じる。
表面上で名前が出て来ることはないが、少し深掘りしてみれば、まだ慣れない「オーファン」の名前が出てくる。
諜報部にもいたことがあるというから、自分が知らないだけで、本当はもっと色んな仕事を昔から任されていたに違いなかった。
現に、身分を偽って視察隊に彼女が参加していることなんて、関係者でなければ知る由もないだろう。
「うちの副団長も褒めてたよ。あの人は別格だって」
「――え。騎士団でも有名なの?」
「いや……なんというか、暗黙の了解なのか軍の話はあまりしないんだけどさ。ハイン副団長はグラノーリと手合わせしたことがあるらしくて」
学生時代、彼女からアドバイスをもらったと言ったら、珍しく楽しそうに饒舌を披露してくれたのだ、と。
イアンは最後の一口を頬張って話を続ける。
「騎士団ってさ、ちっちゃい時から親の影響で剣術とか習ってたり、我流でもちゃんと自分の型を持ってる人たちが多いんだ。対人を想定してるから、技の駆け引きをするために自然とそうなる。でも、グラノーリは違うんだって」
「……具体的には?」
「相手にいかにして攻撃させないか。それだけに重点を置いた戦い方だったって、副団長は言ってた」
彼女は戦う前から戦っている。
読み合いになる暇さえ与えずに、決着を付ける。
それは何故か――?
「バルーダで未知の生物を相手にしてるから、か」
アディスはすぐに答えを導いた。
「その通り! 読み合いにならない生物と戦ってるからか、良くも悪くも人ではないものを相手にした気分になったってさ」
「捉え様によっては、なかなか酷い言われようだね……」
「まあな。改めて、グラノーリとは本気の勝負をしてみたいけど、それを副団長に言ったら『その時は殺し合いになるぞ』って言われちゃった」
「……物騒な……」
サンドウィッチはいつの間にか平らげられて、残ったのはコーヒーだけ。口直しに一口飲んでからアディスは眉間に皺を寄せて告げる。
「一年目の冬、オレが大会で優勝したけど、グラノーリが欠場したのは完全に仮病だったんだろうなぁ〜」
「あれね。朝、教室に来たら昨日までぴんぴんしてた隣の席の特待生が大怪我して首から腕を吊るしてるから、びっくりしたんだ。それに、クロードまで気を遣ってたから――あ……」
印象に残っているんだ、と言おうとした言葉は途中で止まった。
「……何か、あったのか? 確かあの時期、ひとり学生が退学した気が……」
「考えすぎじゃないか? まあ、でもグラノーリが何か関わってたっていっても不思議じゃないけど」
「…………今更、色んなことが明らかになってくるなんてね。ずっと隣にいたのに、俺は彼女のことをほとんど何も知らないんだ」
ほんのり後悔の滲む声に、イアンはじっとアディスを凝視する。
よく見れば、アディスの目の下にはうっすらクマができていた。
この城の文官はみんな忙しそうに働いているが、アディスはまだここに入ってから半年も経っていない新人だ。父親のことを仕事人間だと愚痴っていたことを、彼は忘れてしまったらしい。
「何も知らないって訳じゃないだろ。グラノーリが甘い物好きってことだけは、オレでも知ってる。――それにさ。知りたいなら今から知ればいいだけの話だろ? 簡単なことじゃないか」
イアンの真っ直ぐな眼差しに捕まって、アディスは逃げる様に視線を手元に落とした。
「……本当にね。彼女がただの令嬢だったら、すぐにでも会って話せたのに。…………さてと。そろそろ仕事に戻るよ」
「うわ!? もうそんな時間か!」
懐中時計を確認して文字盤を見えるように向ければ、イアンが慌てて席を立つ。
「売店、案内してくれてありがとな。久しぶりに話せてよかった!」
「俺も話せてよかったよ。……またな」
軽く手を振って、小走りでその場を去っていくイアンをアディスは見送る。
「――――次は、いつ会えるんだろうね……」
それが誰を指して言ったものなのか。
アディスには自分でもわからなかった。
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