10、聖女の覚悟
「リッカさん、馬車から出ないでくださいね」
「……え?」
休憩を終えて、再び馬車に揺られていれば。
ハルルはひょいと後ろを振り向き、リッカに告げる。
何のことかは分かっていたが、リッカはすっとぼけて小首を傾げ。彼の隣に座っていたミザロは、何の脈絡もないハルルの行動に対して訝しげな目線を寄越した。
可哀想なことに、「何言ってんだ、コイツ」とその目は語っている。
どうやら彼は、まだソレに気が付いていないらしい。
「馬はあんたに任せるよ。リッカさんの乗るこの馬車を守るのが、オレの仕事だしね。ゆっくり座って待っててくればいーさ」
「……一体なんの話を――っ!?」
ミザロが困惑に口を開いた直後だった。
パンッと接敵を知らせる信号弾が鳴る。
そして、その次の瞬間。
「GRAAAGZAGAGIGYAGGG――!!」
前方から、腹の底を突くような唸り声が響き渡った。
「なっ!?」
「う、わぁ!?」
この世のものとは思えないような咆哮に、ミザロは大きく目を見開いた。
彼に遅れを取るまいと、ついでにリッカも驚きの声を上げておく。
(「きゃあ!?」の方が良かったかな……? いや、まあ、一応中尉が近くにいるし、あまり女子過ぎても彼を困惑させちゃうよね)
呑気にそんなことを考えつつ、ガタンガタンと大きく揺れる馬車でリッカは壁に掴まった。
ミザロは興奮した馬の制御をし、急に馬車が止まる。
背中で積んであった荷が崩れそうになるものだから、リッカは慌ててそれを押さえた。
「んじゃ、旅の本番ってことで頑張るっスカ!」
「お、おまえ……!」
ハルルはミザロに向けて、とてもいい笑顔で言った。
いち早く接敵を察知したシアン軍人に、ミザロは敵意剥き出しの眼差しを突き刺す。
(さてと……。始まりましたか)
リッカは荷台の狭いスペースから、そんな二人を見守りながら、片手に短剣を握りしめ、身体を小さく縮こまらせた。
怯えて自分の身を守ろうとする冒険者の娘の振る舞いとは反対に、その心中では冷静に状況を把握して――。
(……あまり無茶はしないでね……。フォリア……)
この旅は、浄化の旅だ。
より多くの魔物を引き寄せ、邪を払い、人を助けるための旅。
そして、ここは旧マジェンダ帝国とシアン皇国の境界だ。戦場となった荒地はすぐそこにある。
わざと戦いやすい場所を選んで進む道は、荊と獣の道だった。
こうして引き寄せた魔物を、聖女フォリアが浄化して押し通す旅路なのだから、無茶をするなと言う方が矛盾している。
そうとは分かっていても、こうして馬車の荷台で震えて待つのが役目のリッカは、彼女の無事を願うしかない。
――まあ、万が一の時には手段を選ばないが。
リッカ・バウメルはフォリア・クレシアスの生還のために存在している。最後の砦としてギリギリを救う、その、あるか無いかも分からない一瞬のためだけに全神経を研ぎ澄まさなければならない。
ただ単純にボディーガードをするよりも、難易度は跳ね上がる。
(とりあえずは、隊長さんのお手なみ拝見ってところかな)
全ては、視察隊の力量次第。
隊を率いるのは、祖国を救わんとする冒険者の男だ。
経験値から考えても、この部隊の中で最も魔物との戦いに慣れている戦闘人員はハルルだろうが、あくまで荷物持ちの護衛をするためにここにいるので出しゃばることはないだろう……多分。
「……数は、七、八……いや、十一か」
ミザロが森の中から出てきた魔物を数える。
バルーダにいるものと違って、混ざり物じゃないので可愛いものだ。まだ原型がある。こちらの大陸にいる害獣との違いなんて、額に魔石があって少しばかり凶暴だということくらい。
過大評価しても、バルーダの分類で言うところの「ゾーンⅣ」くらいのレベルだろう。
ハルルはつい先日、ゾーンXⅢに到達している。
このくらい赤子の首を捻るが如く容易な戦闘だ。
ハルル・ディカード中尉の得意型は水魔法。
高圧で放たれる水のブレードをよく使っている。
しかし、彼の手札はそれだけではない。
「――まずは、一匹っと」
御者台で立ち上がり、軽く身を乗り出して狙いを定めた一撃は、森から姿を現そうとしたばかりの鹿型の魔物を貫通した。
戦闘狂いと呼ばれるハルルだが、彼は遠距離もイケる。
水鉄砲も、魔法になれば殺傷能力を持つただの弾丸だ。
早急に処理するべき敵を倒したことを確認して、彼はひょいと軽い体捌きで、馬車の上に乗り上がる。
「おー。あれが『黒焔の葬儀屋』ねぇ?」
先に見えるのは、黒い焔で魔物を灰に帰すシュカ・ヘインズの魔法だ。
率直に言って、えげつない。
一体どんな火力で燃やせばそんな事になるんだと突っ込みたいところだが、出来てしまっているのだから沈黙するしかない。
ちらりと黒い焔が敵を燃やし尽くすのが見えて、リッカは苦笑する代わりに口を引き結ぶ。
大層な二つ名は、どうやら伊達ではないらしい。
◆
「おい。あんたは下がってろ、聖女」
フォリア・クレシアスは聖女になった。
まだこの視察隊に入ってからそう時間は経っていないが、誰も自分のことを名前では呼ばずに「聖女」と呼ぶことが、彼女にそれを知らしめる。
「これはわたしの仕事です」
大事に囲われた馬車から降りたフォリアの覚悟は決まっていた。
今のところ、自分にしか使えない浄化の魔法。
これがあれば、魔物になってしまったものも元に戻せる。
その力があると分かっていて、彼女は元敵対国の犠牲者たちを見捨てることができなかった。
フォリアは荒れ狂う動物たちに向けて、祈りを向ける。
「――どうか、元の姿に……」
地面に魔法陣が現れ、彼女の髪がふわりと風をまとった。
魔物の額から石が消えて、姿が元に戻っていく。
そこに残されるのは、ただの赤い目をした獣たち。
しかし――
その男は、フォリアの前で握った剣を振り下ろした。
「…………え」
――ザシュッ、と。
骨が絶たれて鮮血が飛ぶ。
浄化したばかりの獣は、あの人と同じ黒髪を靡かせて容赦なくそれを殺した。
「ど、どうして!?」
驚きに目を見開き、フォリアは愕然と彼に訴える。
「魔物になるのは、魔物の肉を喰らった害獣だ。たとえ浄化しても害獣はそもそも討伐対象で、人の肉の味を覚えたかもしれない個体を生かしてはおけない。この後またどこかで魔物になって人を殺すかもしれない」
淡々と、剣を振って残りの害獣を殺して彼は言った。
「……なるほど。向こうの大陸から来た魔物は、浄化すると死ぬのか」
何も攻撃せずとも足元に転がっている個体を見て、彼は冷静に分析する。
それから、当然のように死骸を黒い焔で燃やし尽くした。
この死骸を喰らった害獣が、再び魔物化するのを防ぐために。
「さっさと馬車に戻れ。あんたの仕事は、こんな赤い目の害獣じゃなくて、人間を救う事だろう」
立ち尽くしたフォリアを、シュカは一瞥する。
「これくらいで音を上げるなら、今すぐ物資だけ置いて帰れ」
「……っ、」
自分の覚悟が甘かったのだと。
フォリアは彼の真っ黒な目に見透かされて、そう思い知った。
隣では「聖女様に向かって、なんて無礼な!」とシンディが怒りを露わにし、近くにいた皇国民の武人たちも物言いたげな目に変わる。
――違う。
こんな風に対立を煽るために自分はここにいるんじゃない。
彼の言う通り聖女としてひとりでも多くの人を救うために、知らない国の地を踏んだのだ。
彼女のように、魔物に成り果てた人間を殺す選択しかできない人がいることを、知らないフリなどできなくて。
目に浮かぶのは、光のない目でナイフを握った親友。
希望に満ち満ちた楽しい学園生活を感受していた、あの頃のことは今でも鮮明に覚えている。
人だと分かっていながら、彼女はその人を殺そうとした。
自分の制止なんて届かなかった。
いつも優しく笑って隣にいてくれた彼女は、見た事のない目で、声で、当然のようにナイフを振りかざした。
結果的に彼女を止めた自分には、同じように魔物化した人を殺めようとする人を止める義務がある。
ずっと守られていたくせに、あの子の覚悟も知らないで、無鉄砲に足を踏み込んだ。
それは確かに、優しい彼女を傷つけた。
分かっている。あの子が人を殺すことに何も感じないような、冷酷な人ではないことぐらい。あれが最後の手段で、それを選ばざるを得なかったことは、もうちゃんと分かっている。
――それでも。
フォリアはあの時、彼を救えた己の行動を後悔はできない。
ごめんねと謝れば、自分が彼を救った事が過ちだったことになってしまう。
だから、あの一瞬、人を殺そうとした彼女に怒りと失望に近い何かを抱いてしまったことを、謝ることは一生できないのだ。
「――りません」
「何か言ったか」
フォリアの口から落ちた言葉に、男の責めるような声音が重なる。
「帰りません」
次は、はっきりと。
真っ直ぐに前を向き、彼女はシュカに宣言する。
「わたしは、必ずこの視察をやり遂げます」
きっと、あの子は今日も国のために危険と隣り合わせで働いているだろう。
彼女と笑いあえる親友でありたいから。
謝ることはできなくても、せめて。
あの時の行動の責任は、きちんと果たしたい。
義を貫く人間でいたい。
そうでなければ、軍人であることを知ってから再会した時、苦しそうに顔を歪めて泣いた彼女に合わせる顔などないのだ。
いつもお読みいただきありがとうございます!
のんびりになりますが、まだまだ更新は続きそうです。何卒…




