第四章九話
ちょっとしたビルほどもある高さから落下したのだ。一般人であれば転落死は免れない。しかし大西は、達人の域に達した功夫と魔力による身体強化術をあわせもった人間だ。地面が比較的柔らかいこともあって、無傷での着地に成功していた。
「……」
衝撃を殺すために派手に転がり、土と苔まみれになった服を払うこともせず、大西はゆっくりと立ち上がった。ゆっくりと腰を下げ、拳を構える。
「オオニシィ!」
そんな彼の真上から、オルトリーヴァが急降下爆撃機めいた動きで襲い掛かってきた。慌てることなく、大西はこれを直角に近いハイキックで迎撃。ブーツの靴底でオルトリーヴァは弾き飛ばされた。
「ううん?」
鋭い動きで体勢を立て直し、綺麗に着地したオルトリーヴァの顔おみて大西が小首をかしげる。彼女は頬を赤くし、焦点の定まらない瞳でこちらを見ている。呼吸は荒く、あきらかに正常な状態ではない。
「はて」
いったいなぜ突然攻撃を受けたのか。心当たりなど一つとしてない。一体どういうことだと彼がオルトリーヴァに声をかけようとした瞬間、彼の耳朶を濁ったうめき声の二重奏が揺らした。
「うぇっぷ……」
スフレとハリエットだ。ヌイの両脇に抱えられた彼女ら二人が、着地の衝撃で妙な声を上げたのだ。そのまま地面に降ろされたスフレはよろよろと立ち上がりつつ、言う。
「オ、オルトリーヴァを止めろ! オオニシ。奴は今、理性が吹っ飛んでキミに対する闘争心に脳みそを支配された状態だっ!」
「わかった」
なぜそんなことに、という疑問は挟まない。余計なことを喋っている余裕はないし、スフレが言うなら問答無用で従って構わないと言う信頼もある。
助走込みで放たれた強烈なストレートパンチを左手で受けながし、鳩尾にアッパーを見舞う。続けざまにストレートを顔面に。百八十センチ近い長身が空中で三回転した。
「な、何が起こっているんです。突然、どうして」
弓に手をかけつつも、味方に攻撃することには躊躇を覚えずにはいられないヌイ。明らかに何が起こっているのか理解している顔のスフレに向かって大声で聞いた。
「……ちょいと複雑な事情だ。言ったろ、魔神は妖魔の精神をある程度操作できる」
「ええ、ですが対策はしていると。……まさか自分だけ大作しておいて、オルトリーヴァのぶんを忘れていたのですか!?」
「ちがわい!」
スフレは首を左右に激しく振った。
「そもドラゴンにこの手の対策はいらん! ドラゴンの管轄は龍祖だ。その眷属でなければ、ドラゴンに対する強制命令権は行使できない」
「えっ、ドラゴン!? ドラゴンと言ったの、今」
そんなことは全くの初耳のハリエットが目を剥いた。話の流れからして、オルトリーヴァのことを言っているのであろうことは理解できる。
「そうだ。ダークエルフが居るパーティだぞ、今更ドラゴンくらいでうろたえるな」
「無茶を言わないでもらえるかしら!?」
「そんなことは今は堂でもよろしい! 状況を考えなさい、状況を!」
大西とオルトリーヴァから目を逸らさないまま、ヌイが耐渇した。思わず魔法使いと僧侶がびくりと震えた。
「す、すまん」
「で、なぜああなっているんです」
「ええと、まあ、要するにだ。今、あいつは大西に対する恋心を強制的に暴走させられている。ドラゴンの恋愛感情は暴力衝動と紐付されているから、ああいうことになる」
「は?」
予想外の答えに、ヌイは一瞬固まった。たしかにオルトリーヴァの表情をよく見ると、憎しみや怒りなどの感情は見えない。むしろ、ご主人と遊んでもらって大興奮している犬か何かのような顔だ。
「は?」
脳が理解を拒み、ヌイはもう一度間抜けな声を上げてからスフレを見た。彼女は杖を軽く振り、こめかみに手を当てた。
「前に言っただろう! 厄介な生き物なんだよアレは! そりゃ人間の集団にドラゴンが混ざっていりゃあ、そういう事情だと察せるのはわかるが! そこを突いてくるとか、普通想定しないだろうが!」
「好意云々はまあ、前に聞きましたけどね。何で突然暴走するんです」
「魔神の能力の一つだ。妖魔の感情を高揚させる戦声……確かにこれも精神操作系の能力ではあるが、普通は戦意高揚にしか使わん。これは妖魔ならどいつでも効く、対策とってなきゃボクでもな」
「はあ」
ヌイは頭を抱えた。事情は分かったが、厄介な状況には変わりがない。オルトリーヴァは明らかに本気で大西を叩き潰そうとしている。
それに、魔神にしてもなぜこのような手段を取ったのか。人間が目障りなら、自分で攻撃するなりなんなりすればよいのだ。にもかかわらず、このような迂遠なやり方をしたのには理由があるはずだ。
「あからさまな時間稼ぎの策です。あの魔神はいったい何を……」
そこまで考えて、ヌイは頭を振った。それよりも今は大西を助ける方が先だ。矢筒から矢を取り、弓に番えようとする。状況が状況だ。早急に援護しなければならないし、手加減もしている余裕はない。だいたい、相手は幼体とはいえドラゴンだ。たんなる弓矢でまともな致命傷を与えられるかも怪しい。出し惜しはナシだ。
「待って」
だが、そんなオルトリーヴァを大西が止めた。彼はオルトリーヴァに蹴りを見舞ってから、穏やかな声で言った。
「一対一のほうがやりやすいんだ。一人で闘わせてほしい」
「何を!」
反射的に反論しかけたヌイだったが、しかし一瞬歯を食いしばると矢を矢筒に戻した。確かに、下手に手を出すよりは一人の方が大西としてはやりやすいかもしれない。現状オルトリーヴァが大西以外が眼中に入ってない以上、味方のことを考えずに自分の回避や攻撃にのみ集中していればいい状況だからだ。
その言葉を自ら証明するように、大西は鋭い手刀をオルトリーヴァの喉元に突きたてた。短い叫び声と共に後退する彼女に、さらに強烈なストレートパンチで追撃する。
「ッ! あはははっ!!」
しかしそれでも、オルトリーヴァはまるでじゃれ合いでもしているかのように邪気のない笑い声をあげた。そのあまりにも戦場に似つかわしくない声に、ヌイの背筋に冷たいものが走る。
「まずっ……!」
警告の声を発するより早く、オルトリーヴァが龍の姿に転じた。幼体とはとても思えない威容が地上に顕現する。その余波で、大西が吹っ飛ばされる。
「くっ、やっぱりそうなりますか……!」
人間形態のオルトリーヴァに大西が優位に戦えるのは分かりきっている。だが、問題はドラゴン形態だ。大西はかつてこの漆黒の龍に手も足も出ずにやられ、生死の境をさまよう羽目になった。対人戦に特化した憲法では、大型の妖魔には対抗できない。
無論、それは大西も理解していないはずがない。いった、どうやるつもりなのか。ヌイは目を細めつつ、ぎりりと歯噛みした。




