第三章十八話
「やってるな」
屋敷全体を包む喧騒に耳を傾けながら、スフレが呟いた。見張りを一掃したヌイたち別働隊は現在、カビ臭い空気に包まれた物置に居た。彼女らの背後の床には、地下へと続いている小さな隠し戸があった。
「我々も仕事にかかろうじゃないか」
ヌイとハリエットに向かってそう言いつつ、スフレはひそかに仮面の下の目を周囲に走らせる。部屋の中には、布をかけられた大きな家具や大量の椅子などが置かれており、古い部屋特有の臭いはするもののしっかりと掃除はされている。床に埃が積もったりはしていなかった。
「で、これからどうすりゃいいんだい。ノコノコ飛び出していって大丈夫なものかな、ここからさ」
「十分に警戒する必要はあるけれど、一応大丈夫なはずよ。限られた人員しかこの辺りには立ち入らないことになっているから」
「確かに、周囲に人の気配はありません」
耳をピコピコ動かしながら、ヌイが言った。彼女の聴力なら、ある程度離れた場所に居る人間の息遣いすら認識することができる。気配を消すくらいはできても、呼吸すらしないのは不可能だ。魔法による欺瞞もできなくはないだろうが、一応は安心してもいいはずだ。
「でしょう? 目指すは地下牢よ。警備は厳しいと思うから、多少の衝突は避けられないでしょうけど……」
「必要最低限は致し方ありません。押しとおるまでです」
銀級冒険者と言えば、冒険者としては中の上くらいの存在と言えるだろう。銀級に上がることなく引退する冒険者も大勢いる。二十に満たない年齢でこの位階に達しているヌイは、世間一般からすれば十分に天才と言っていいレベルだろう。少々の相手ならば後れを取るつもりなど微塵もなかった。
「ただ、ウォーカーに見つかったりすればかなりヤバイ。ハッキリ言ってヤツに対処できるのは我々の中じゃあオオニシとオルトリーヴァだけだろう」
実際、ウォーカーはとんでもない強敵なのは間違いない。ドラゴンスレイヤー云々の逸話がヨタ話だったとしても、聖銀級の冒険者という時点で凡百の戦士とは一線を画す存在なのは確かだ。聖銀のクラスは、ごくごく一部の限られた天才にしか与えられない物だからだ。
「正直、その二人が本当にウォーカーと互角以上に戦えるのか、いまだに信用ができないのだけれど」
「できるさ」
幼体とはいえドラゴンの上位種と、それと徒手空拳でやりあう異界の拳士だ。ウォーカーもなまじの相手ではないだろうが、決してそれに見劣りするような実力ではないと考えているスフレは胸を張って答える。
「だからこそ、念には念を入れて二人をまとめて陽動に回したんだ。ウォーカーは何としても確実に仕留める必要がある。本命であるボクらのリスクを増やしてもね」
「そ」
この期に及んで文句を言うつもりはハリエットにもなかった。澄ました顔で肩をすくめる。
「それじゃ、わたくしたちはわたくしたちの仕事をこなしましょう。ついてきなさい」
そういって、彼女は部屋の出口に向かって歩き始めた。
「改めて確認するわよ」
廊下を抜き足差し足で歩きつつ、ハリエットが囁くような声で言った。重厚な絨毯が敷かれた通路は普通に歩いても足音などしないくらいだったが、それでも足運びには細心の注意を払っている。
「お父様が幽閉されているのは、おそらく屋敷の座敷牢。地下よ」
「我々はそこへ向かい、スイフト氏を救出すると。ええはい。いまさら確認する必要もない程度にはシンプルな作戦ですが」
「まあ、そう言わないで」
苦い笑みを浮かべてハリエットはヌイの方を見た。その表情は微かながらこわばっている。静かに黙々と目的地へと向かえるような精神状況ではないのかもしれない。それも仕方ないだろう。彼女は荒事慣れしている冒険者などではなく、たんなる一般人だ。ヌイは彼女に柔らかく微笑み返した。
「実はね」
「はい」
「わたくし、お父様とは血が繋がってないかもしれないの」
ヌイの外套の包まれた尻のあたりで、尻尾らしきものがびくりと動いた。こんなタイミングで、とんでもないことをカミングアウトされてしまった。一体どういう表情をすればいいのだろうか。彼女の顔に冷や汗が浮かぶ。
「突然ごめんなさいね。でも貴方たち、お父様とは嫌でも顔を合わせるわけでしょう? あんまり似てないからびっくりしないよう先に言っておこうと思って」
「はあ」
どんなに似ていなくとも別にそんなことは気にしないのにと、ヌイは頬の疵を撫でた。何やら、彼女の琴線に触れる部分なのかもしれない。
「キミとキミの父親の血縁関係なんて、ボクの知ったこっちゃないよ」
無神経とすら思える声音でスフレが言い捨てた。その言い草に、ハリエットが身を固くする。
「血がつながっていようがいるまいが、キミが自分で父親だと思っている相手が父親さ。ん? それともなんだい、親子関係冷え冷えで顔合わせた途端大喧嘩でもし始めるのか?」
「いえ……そういうわけでは」
「ならいいよ。おっけーおっけー、問題ない」
「う、ええ、まあ、そうかもしれないけれど」
「そりゃあな、お貴族様なんていったら血筋が何より大切だ。価値観の根底にもなる」
足を止めるハリエットの両肩を軽くたたき、スフレは続けた。敵中でやるような会話ではないなと仮面の下で顔をしかめたが、致し方あるまい。いざとなれば幻術でも使えば一時しのぎにはなろう。片手で握る長杖に力を込めた。話しを制止すると言う選択肢もあったが、後々爆発されるよりは比較的安全な今のうちに吐き出してもらった方がいいだろう。救出後移送中にトラブルでも起こされたら面倒だ。
「でもなあ、ボクら冒険者だぜ。誰の子供だとかなんだとか、そうそう気にする奴はいないよ」
「そう、かしら」
「そーだよ。な?」
ヌイのほうにじろりと目をやりながら強調するスフレ。彼女もスフレの意図は理解しているようで、苦笑しながら「そうですね」と言った。
「それこそさ、本当にボクらの仲間になったほうが、御令嬢なんかやってるよりキミには合ってるんじゃないかね。勝手な想像だが」
「否定はしないわ」
明らかに顔色を悪くしながら、ハリエットはひどい笑みを浮かべた。
「ご令嬢、なんて上等なものではないのだけれどね、実際のところ。なんたって、今向かっている牢は、この間までわたくしが閉じ込められていた場所だから」
その言葉を聞き、ヌイは目を逸らし、スフレはやっぱりかとばかりにため息をついた。自宅とはいえ、こんな年若い娘が座敷牢などというどうかんがえてもお家の暗部と言える施設の場所を知っているのは違和感があった。だとすれば、予想できる選択肢は少ない。
凍りついた空気の中、ヌイの耳がピクリと動いた。先ほどまでとはまた性質の違う厳しい表情を浮かべ、大急ぎでスフレとハリエットの手を握った。
「敵です、隠れましょう」
囁くようなその声に頷きながら、スフレは嫌なタイミングでの中断だなと目を細めた。




