第三章九話
「ええと、どなた様?」
ハリエットは顔をしかめながら、目の前の男に聞いた。男性にしては比較的長めの金髪の、いかにも軟派な遊び人風の優男だった。
「見て分かりませんか」
ハープでも奏でているような、少し高めの美しい声。だが、聞き覚えはない。
「見ては、わからないわ」
「よかった。とりあえずこれで行きましょうか」
そう言ってほほ笑む男の正体は、なんと大西だった。隠してあった衣装箱の中身で変装した姿だ。雰囲気も容姿も、全く別人のようになっている。化粧でもしているのか、肌の色すらこの国でよく見る白いものになってあった。本格的にもほどがある。
「もう、頭が痛いわ……何者なの、あなたは」
オマケに声まで変えているとあっては、親兄弟ですら彼の正体に気付けないだろう。それほど変装の完成度は高かった。
「僕は僕です、としか」
大西は肩をすくめた。普段の没個性な容姿から一転、そこそこの美男子に化けているせいか妙にギザに見える動作だった。
「僕が何であれ、少なくともあなたに不利益はありません。お気になさらず」
「そうね」
諦めたような笑みを浮かべるハリエット。何にせよ、自分が助かるにはこの男に頼るしかないということを理解している表情だ。
「それで、身体の調子は?」
「良好です。おかげさまで」
肩を回しながら大西は笑みを浮かべた。治癒魔法を受けてから、一晩をこの廃鐘堂で過ごした。十分な休息を取ったおかげか、既にあの倦怠感は消えてなくなっている。戦闘をするのに支障はないだろう。
「なら良かった。穏当に済むならそれが一番だけど、こうも強引に脱獄した以上向こうも手加減はしないでしょうから。また荒事になったら、貴方に頑張ってもらうほかないもの」
「それは勿論。やれるだけは頑張りますとも」
「それは有難い限り」
ハリエットは皮肉げな笑みを浮かべる。
「とはいっても、わたくしを助けたところで一銭の得にもなりはしないのだけど。正直なところ、もう用済みなのではなくて?」
彼が自分を助けたのは、あくまでこの事件の事情を知るためだと言うのはハリエットもよく理解している。大西は、振りかかった火の粉を払いたいだけだ。底の知れないところは多いこの男のことだから何か裏がある可能性も十分あるが……。
「そうですね。真偽はさておき、必要な情報はもらえましたし。ハリエットさんにもう用はありません」
「ハッキリ言うわね」
「ハッキリさせておいたほうが良さそうなので。とはいえ僕は女性には出来るだけやさしくする主義なので、本格的にまずいことにならない限りは最低限のお手伝いはします。安心してください」
「貴方女相手に容赦なく暴力振るってなかった?」
グリフィンの女兵士を容赦なく蹴り倒したあげく顔面に足裏をお見舞いした姿は記憶に新しい。もちろん女相手だからと手加減されれば困るのは自分の方だと言うのはハリエットも理解しているから、それに対して文句を言うつもりはない。とはいえ、女性には優しくする主義だなどと主張するのはさすがに無茶があるだろう。
「状況次第ですよ。あそこで手加減をする余裕はありませんでしたが、あなたを助ける余裕は十分あると僕は考えています」
「余裕、ね」
それは確かに本音だろう。基本的に彼はハリエットの方針に不干渉だし、自分は自分、ハリエットはハリエットという態度を崩さない。とはいえ、命がかかっている彼女としてはそれでは困る。頼りにできるのは大西だけなのだ。肝心なところで手のひらを返されたら、間違いなく死んでしまう。
「そうは言わず、もうちょっと親身になってくれると嬉しいのだけれど?」
だからもう、手段は択ばないことにした。彼の手を優しくつかみ、自らの豊満な胸に当てる。あんな女だらけの(一名女かどうかいまいちわからない手合いが居るが)パーティに在籍している男だからこの手は有効だろう。そう思ったのだが……。
「出来るだけ親身になっているつもりですよ」
そういって笑う大西の顔を見て、これは駄目だとハリエットは直感する。握った手から伝わってくる体温も心拍も、まったく変化していない。自分の身体だけを目当てに襲われるのは大変に困るが、それにしたって微塵も反応されないというのは大変に不本意だ。目を細めるハリエットだが、これで怒ったりすれば逆に惨めなだけだ。深いため息をついて手を放した。
「まったく。思った以上に難物ね? 参ったわ、全面降伏」
「はあ」
大西は困ったように一瞬目を逸らした。いきなり降伏だなどと言われても困る、というのが実際のところだ。彼としては特に交渉をしているつもりはないのだから。
「わたくしはね、死にたくないの。生き残る保証が欲しい。現状、唯一の協力者である貴方を逃したくないの。いったいあなたは、どういう対価を払えばわたくしの完全な味方になってくれるの? おしえて頂戴」
「なるほど」
合点が言った大西は静かに頷いた。
「まあ分かりやすいのはお金ですよね。特に不労所得とか大変に興味があるのですが。たしか貴族の御令嬢でしたね? 年金とか出せます?」
「悪いけど無理よ。わたくし、自分の資産なんてもっていないもの。たとえ万事うまくいって元のさやに戻れたところで、継承権も持っていないから……」
下手な空手形を切って後から仕返しされてはたまらない。ハリエットは正直に答えることにした。
「それは残念。……なら、技能方面で。僕はわりとよく怪我をするので、その時の治療なんかをお願いできれば」
「ま、現実的と言えば現実的ね。もちろん、一回ではなく継続して、という事ね?」
「ええ」
ハリエットはゆっくり顎を撫でた。治癒魔法を使える人間は少なく、施術には高額の料金を請求されるのが常だ。確かに十分護衛と言う働きに見合った対価といえる。
「……あなた、冒険者でしょう。怪我をするとしたら、当然街の外。帰ってくる途中で手遅れになるかもしれないし、わたくし、ついていくべきかしら?」
「それが最善ですね」
「わたくしにあなた方のお仲間になれと」
ハリエットはため息をつく。
「……背に腹は代えられないわ。よくってよ」
「まあ同僚の意見も聞かないことには正式決定はできませんが。とはいえ、それならますます脱出案は美味しくありませんね。とりあえず余所で冒険者をするつもりは今のところないので」
「随分と話しが戻ったわね。まったく」
眉間に手を当てながら、ハリエットはそう言った。ある程度予想はできた発言だ。彼が王都から離れたくないのは分かりきった事実だ。彼の頭の中では、おそらく逃避行などという消極的なプランではなく、いかにしてこの事件を解決しようかという物騒なプランが組み立てられ始めているに違いない。彼がそう言う思考回路を持っているというのは、短い付き合いだがハリエットも理解していた。平和そうな顔とは裏腹に、随分と荒っぽく物騒な考え方をしているのだ、この男は。
「まあ、それはともかく今は彼女たち……ヌイさん、だったかしら? 早く合流しましょう。そのために手間をかけて変装したんでしょう」
すぐ近くに置かれていた衣装箱から長い黒髪のカツラを取り出しつつ、ハリエットは言い捨てた。この件に関しては、いくら話し合っても堂々巡りだ。逃げるにせよ立ち向かうにせよ、早急に味方を増やす必要がある。無駄な説得に時間を浪費している暇はなかった。




