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第三章五話

 王都、一番街。そこはこの国の中枢を担う貴族たちの邸宅が立ち並ぶ区画だ。エルトワールなどという外様貴族とは格が違う重鎮中の重鎮たちの住処とあって、どの屋敷も贅を凝らした豪奢な作りをしている。その中にあってなお目立つ巨大な屋敷が、王国の財務を担うエーカー伯爵邸だった。

 

「そ。やっと捕まえられたのね」


 屋敷の最奥、当主のためにしつらえられた広い執務室で、年若い少女がそう言った。長い長い黒髪にいくつもリボンをつけ、黒いシックなドレスに身を包んだ彼女は、年の頃はせいぜい十歳前後だろう。にもかかわらず彼女はエーカー家当主にのみ着席を許される紅いビロードの椅子に腰を掛け、ふかふかのアームレストで頬杖をついていた。

 

「ええ。所詮は世間知らずの引きこもり、そう難しい仕事じゃあありませんでしたよ」


 対するのは、粗野な身なりの男だった。豊かな髭も短く刈り込まれたものも白髪交じり、顔には深い皺がいくつも刻まれた壮年の男だ。金属で要所を補強した革鎧を着こみ、腰には二振りの長剣を履いている。貴族の屋敷にはふさわしくない、まるで冒険者のような格好だ。

 

「まったく、出来そこないの癖に手間をかけさせてくれるわね。さっさと死んでおけばいいものを」


「姉に対してひどい言いようですね」


 男がくつくつとくぐもった笑い声をあげた。少女は不機嫌そうに彼を睨みつけ、首を振る。

 

「冗談じゃない。母親も違う、父親も違う。そんなものは赤の他人というの」


「父親は同じなのでは?」


「書類の上でそうなってるだけよ。まったく、お父様がトチ狂って認知なんかしたせいで私の面倒が増えてしまった。ともども早く消してしまわなければ」


 そこまで言って、少女は不満げに柳眉をはね上げた。

 

「あなた、わかって言っているでしょう? 依頼人で遊ぶのはプロとしてよろしくない行為だとおもうのだけれど?」


「ハハ、残念ながら根っからの不良でしてね。よろしくない行為ってやつが大好きなんですよ」


「まったく……」


 視線をそらす少女。そのしぐさも表情も、年相応の幼さなど微塵も感じさせない冷酷なものだ。金糸のような自らの髪を片手でもてあそびながら、視線を戻す。

 

「とにかく、お父様とあの女を始末すればそれでオシマイよ。この屋敷も、そして伯爵位とそれに付随する官位も私の物になる」


「後見人は決まったので?」


 油断なく目を光らせながら男が聞いた。大層なことを言っているが、この少女はまだあまりにも若い。権力を掌握しようとしても、年齢を理由に実権を奪われてしまうのがオチだろう。

 

「当然。根回しも終わっているわ。都合のいい男が親戚筋に居るのよ。見せかけ上の権力はその男に全て背負わせておく」


「おお、怖い怖い。用意周到な事で」


「行き当たりばったりでクーデーターを起こす馬鹿がどこにいると言うの」


 半目になりながら少女は言った。といっても、本気で怒っている様子は無い。むしろ楽しんでいる風ですらあった。

 

「他家に隙を見せるわけにはいかないわ。迅速に、そしてスマートに。それが肝心なの」


 そう言って立ち上がり、男の前に歩み寄る少女。

 

「お父様はまだ消せない。あんな屑でも人脈と金だけは持っているから、それを全て奪い取る必要があるもの。でも、あの女は用済みよ。さっさと消して頂戴」


「はいはい。仰せのままに」


 慇懃に一礼する男。頭を上げると、そういえばと切り出した。

 

「そういえば、ハリエットお嬢様と一緒に捕縛された男はどうします?」


「ああ、あの?」


 数時間前の報告を思い出しながら頷く少女。

 

「どういう手合いか調べはついたのかしら」


「残念ながらまだです。人手不足でしてね……」


 苦笑を浮かべる男。その表情には、当てつけめいた色があった。ふんと少女が息を吐く。

 

「ただ、俺の見立てじゃあ単なる一般人じゃあないかと。少なくとも、武芸やら諜報やらで身を立てている人間の雰囲気ではありませんでしたね」


 一応、尋問はしてますがと笑う男。


「成程。あなたがそう言うのなら、信用に値するでしょう。構わないわ、殺しなさい。あの女が余計なことを喋っている可能性だってある」


「わかりました。適当に処分しておきましょう」


「よろしい」


 などという不穏な会話が交わされている頃、当の大西といえば一番街のはずれにあるグリフィン騎士団の屯所の地下に居た。

 石造りの地下室。当然窓などなく、光源と言えば壁に掛けられた無機質な光を放つ魔法の輝石だけだ。そんな部屋で大西は、両手を拘束した手枷に鎖をかけられ部屋の真ん中でつりさげられている。つま先が床から五センチほど離れ、プラプラと揺れている。そしてそれに相対しているのが、鞭を片手に持った黒服の若い男だった。

 

「あの少女との関係を教えてください」


 鞭が肉を叩く音が響く。

 

「質問を変えましょう。目的は? どうしてこのようなことを?」


 鞭が肉を叩く音が響く。

 

「黙秘ですか。ううん、困った」


 鞭が肉を叩く音が響く。


「もう嫌です隊長。なんで拷問してるほうが詰問されなければならないのですか」


 尋問官は心底嫌そうな顔をして背後の腕組みをした妙齢の女エルフに訴えかけた。大西がこの部屋に収容されて既に一時間。彼は情け容赦ない暴力を振るったものの、このとんでもないマイペース男は情報を吐くどころかごくごく平気そうな顔をして逆に質問してくる始末だった。

 最初こそ真面目に黙れと要求したのだが、その要求が聞き入れられることは無かった。結局、一方的に質問してくる大西を鞭で殴るだけの無意味な時間が続いてしまった。

 

「ふざけた野郎ね。気でも狂ってるのかしら」


 無論うんざりしているのは隊長と呼ばれたエルフも同じことだ。げんなりした表情で男から鞭を奪い取った。鞭と言っても馬上鞭のように優しいものではなく、バラ鞭とよばれる棒の先端にいくつもの革ひもが取り付けられた拷問用の物だ。こんなもので幾度も殴られれば、普通は大の男でも泣いて許しを請うものだが……。

 

「決してふざけては。いや、SAN値についてはあまり自信が無いですけれども」


「わけのわからないことを……いわないでッ!」


 振り下ろされる鞭。服を剥かれてパンツ一丁となった大西の身体に新たな鞭跡が刻まれる。何度も何度も鞭を打たれただけあって、彼の筋肉質な肉体は既に見るに堪えないほどボロボロにされていた。本人はケロリとしているが。

 

「あっはい」


「ホンットにふざけ切ってるわねコイツ……殺していいかしら、もう」


「殺っちゃいます?」


「そうね……一応上にお伺いを立てたいところだけど━━」


 そこまで言ったところで、大西の身体が跳ねた。二本の足が宙を舞い、ウカツにも彼のすぐそばで物騒な話をしてしまったエルフの首に巻きつく。

 

「うっ、ぐっ……!」


 そのまま、まるで絞首台のようにしてエルフの肉体が宙吊りになった。大西の身体がもともと宙吊り状態だったとはいえ、たいした高さで拘束されていたわけではない。それでも女エルフが完全な首つり状態になっているのは、彼の異様な筋力と柔軟性あっての物だ。

 

「殺されるのは困るので逃げますね。さて、この人の命が惜しければ拘束を解いてください。ええ、手元に鍵を投げてくれるだけでいいので」


「あっ……なっ……なにやってんだオマエ!」


「早くしないと酸欠でこの人が死んでしまいます。それが嫌なら素早く行動してください」


 そこまで言ってから、大西は動揺で動けなくなっている若い男に笑いかけた。

 

「いや、別にいいんですよ? この人を見捨てて助けを呼びに行っても。このくらいの拘束なら自力で抜け出せるので。鍵があった方が楽なだけです」


 それが本当なのか、それとも交渉のためのブラフなのかは判別がつかなかった。しかし、早くなんとかしないと彼のあこがれの女上司が酸欠死するというのは事実だった。彼女の端正な顔は既に死体寸前の色に染まり、股からは情けなくも盛大に失禁している。

 

「あわ、あわわわ……」


 そのキツイ臭いが彼から冷静な判断力を奪った。一瞬出口の方に目をやったが、しかしそこにむかって走り出すようなことはせずベルトに下げていた小さな鍵を大西の手元に向かって投げた。

 緊張のせいかやや軌道がそれたものの、身体をスイングさせてなんとか口でそれをキャッチする。懸垂の要領でそれを手に移し、器用にも指先を使って鍵穴にそれを差し込む。クルリとそれを回すと、二人まとめて地面に落ちる。


「や、助かります」


 エルフの身体をクッションに体勢を立て直した大西はそのままバネのようにジャンプし、そんなことを言いながら男に飛びかかる。押し倒すと同時に、関節技(サブミッション)を仕掛けた。地面に背中をしたたかにぶつけると同時に手足の関節を外され泡を吹く男。そのまま寝技に持ち込み、首を絞めて十秒もしないうちに意識を落とすことに成功した。呼吸ではなく、血流を止めたのだ。

 

「不味い不味い」


 大西は男が完全に落ちたことを確認してから、あわててエルフに駆け寄った。呼吸と心拍を確認すると、なんとか無事のようだ。

 

「危なかった。マニ車はしばらく回収できないだろうしな……」


 人間相手の殺生は少々功徳を積んだ程度では相殺できまいと冷や汗をかく大西。手早くエルフを転がして回復体位にし、そしてその上着で落下の際に付着した彼女の尿を拭きとった。

 

「さて」


 とりあえず拘束は解いたものの、まだ安全には程遠い状況だ。それに情報もまったくといっていいほど入手できなかった。まだまだやるべきことは多い。早く片付けなければと自分に言い聞かせつつ、大西は腕を回しながら出口の扉へと向かった。

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