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第二章四話

「おおう」


 ヌイの代わりにふっとばされ、必殺の受け身で軟着陸を図ろうとした大西だったがそれより早くドラゴンにキャッチされるという悲劇に見舞われた。いかな功夫(クンフー)達人とはいえ、空中では大した抵抗が出来るはずもない。野営用の荷物がたっぷり入った背嚢の背負い紐をナイフで切って落とし、残された二人に物資を置いていくのが精いっぱいだった。

 

「おおー」


 大西の身体を大樹の枝ほどもある強靭な脚で掴んだブラック・ドラゴンは、翼を一際大きく振り、一気に上昇していく。ジェットエンジンを搭載しているわけでもないのに、凄まじい加速だった。

 

「セスナ一七○よりはやーい」


 さっぱり緊迫感のない言葉を吐いた彼だったが、急激な高度の上昇に伴う気圧の変化が容赦なく意識を刈り取った。自覚する暇もなく視界が暗くなりブラックアウトする。

 次に大西が目を覚ましたのは、今までたっていた山々が遥か足元に見える高空だった。その高度は軽く五千メートルを超えているだろう。その気圧は地上の半分程度であり、さしもの彼も若干頭がクラクラしていた。

 

「どうも、こんにちは」


 自分を掴んでいるドラゴンに挨拶してみる。ばかでかい爬虫類にしか見えない相手だが、ここは常識の通じないファンタジックな世界である。言葉の通じる人外が居ても、なんら不思議はないだろう。特にドラゴンなどと言うファンタジーの塊のような相手には。

 そんな大西の考えは、意外なことに的外れではなかった。ドラゴンはその舗装したてのアスファルトより真っ黒な鼻先を動かして少しだけ逡巡した後、こう言った。

 

『随分と妙な奴だな、貴様』


「自覚はありますが個性の内です。お気になさらず」


 大西の脳内に響く落ち着いた女性の声。どうやらドラゴンというやつは、言葉を使わずに意志疎通する手段を持ち合わせているらしい。

 

「ところで、テレパシーめいた技を使えるのなら、私の方もしゃべらなくても話せるのでしょうか?」


 猛スピードで高空を飛んでいるのだ。飛行機のように風よけのキャノピーがあるわけでなし、凄まじい寒風が容赦なく大西の顔面に襲い掛かっている。寒すぎて、眉や髪に霜が降りているくらいだ。当然、口を開くのも一苦労である。

 

『駄目だ。お前は口を使って話せ』


「わかりました」


 駄目なものは仕方ない。大西は神妙な顔をして頷いた。

 

「私はオオニシです。貴方は?」


『オヴニル』


 ブラック・ドラゴンの返答はひどくぶっきらぼうなものだ。会話が嫌いなのか、あるいは明らかに生命の危機だと言うのに落ち着き払っている大西を不気味に思っているのか。

 

『なんだ、貴様。少しは慌てたらどうだ』


「生来慌てられないタチでして」


『……』


 嘘や冗談を言っている様子のない大西に、ブラック・ドラゴンはその爬虫類めいた無機質な目をパチクリさせる。人間だったら、あきれ顔を浮かべているところだろう。そういう雰囲気があった。

 

「ところで、僕は食料にされるのでしょうか? あまり食べられたくはないのですが」


 挨拶はそこそこに、本題に入る。明らかにこのドラゴンは、なんらかの目的があって大西たち一行を襲ったフシがあった。だいたい、縄張りに入った外敵を排除するだけなら大西だけ攫って後は放置というのはおかしい。わざわざその場で殺さずに生きたまま運ぶなどという面倒なことをやっているのなら、それ相応の理由があるはずだ。


『違う』


「それは良かった」


 まずは一安心である。食べるのが目的だと言うなら、現状で抵抗する方法は無い。そこそこの高さから落とされればあっというまにミンチの完成だ。そうでなくとも、空を飛べる相手に正面から勝利する手段など大西は持っていないのだ。

 

『ヒトなど食らったところで肉は少ないし不味い』


「なるほど」


 一理ある。大西は頷いた。

 

『貴様の役目は戦うことだ。勝てば、生かして返してやる』


「戦うこと? 僕はあなたと戦っても、勝てないと思いますが


『当然だ。(われ)と戦えとは言っていない』


 なにを当然のことを、と言わんばかりのブラック・ドラゴン。しかし、ならば何と戦えというのか。柳眉を上げる大西。

 

『貴様の相手は(われ)の娘だ』


「娘」


 思っても見ない言葉に、大西は首をかしげた。

 

「旧い種族のドラゴン特有の習性でね。奴らは子供がある程度大きくなると、適当な人間を捕まえてきて、初陣の相手にするんだ。自分だけの力で人間を打ち倒すことで、初めて一人前と認められるわけだな」


 同じころ、岩の上に座り込んだスフレが深刻そうな声音でそう言っていた。彼女は大西をさらったブラック・ドラゴンの後を大慌てで追おうとするヌイを制止し、とりあえず状況の整理を始めたのだ。

 

「そんな……本当なんですか? そんな話、初めて聞きましたが」


 悪かった顔色を更に蒼くしたヌイが、ちらちらとドラゴンの飛び去った方角の空を見つつ聞き返す。ヌイ自身それなりに経験のある冒険者だから、妖魔の生態に関しては下手な専門家などより詳しい。だが、そんな彼女でも、スフレが語ったようなドラゴンの習性など聞いたことが無かった。

 そもそも、ドラゴンなどまず遭遇しないレアな妖魔であるし、ましてやスフレの言うような上級龍種などほとんど伝説級の存在だ。その詳しい生態など、専門で研究している学者ですら知らないだろう。にもかかわらずこの怪人物は、なぜ確信をもってそんなことを言いきれるのだろうか。

 

「本当だ。……信じてないね」


「はい」


 ただでさえ怪しい人物だ。悪い人間ではないということは知っている。だが、このような緊急時にそんな信憑性の薄い話を信じることなどとてもできなかった。できることなら、スフレなど無視して早く大西を助けに行きたい。

 

「嘘じゃないんだ。━━なんてったって、ドラゴン自身から聞いた話だからね」


 一瞬の逡巡の後、スフレはそう言い切った。これには、流石のヌイも目を剥く。直接聞いたとはいったいどういう事なのか。

 対するスフレは、仮面の下で厳しい表情をしていた。彼女とて無論大西のことは心配だ。しかし無策でドラゴンを追跡したところで、どうしようもない。追いつけるはずがないし、仮に追いつけたところで現有戦力での奪還は百パーセント無理だ。今はヌイを説得し、態勢を整えるのが先決だろう。意を決して、マスクを外す。

 

「なんてったってボクは、妖魔(あいつら)の仲間だからね。話を聞く機会もあるんだよ」


「なっ……!」


 マスクの下から現れた褐色の肌と笹穂状の耳が特徴的なスフレの顔を見て、ヌイが絶句する。それらの特徴は間違いなく妖魔の一種とされるダークエルフ特有の物だった。

 妖魔と言っても、いくつかの種類がある。空の向こうから現れたとされる邪神によって直接生み出されたものや、既存の動物が瘴気の影響で変化した物。ダークエルフは、典型的な後者だ。森にすむ高貴な種族、エルフが妖魔化することでダークエルフとなる。

 ダークエルフといえば、人里離れた場所で邪悪な魔法の研究をしていたり、あるいは邪教の手先となって人々をたぶらかしたりする、ずるがしこい邪悪な連中というのが、世間からの評価だった。

 

「いや、悪気があって隠してた訳じゃあないんだ。なんてったって、人の世界はボクたちが住むにはいろいろと厳しい世界だからね」


 少しだけ目を逸らしつつスフレが言う。実際のところ、彼女は特に悪いことをしたことはない。だが、ダークエルフに対する世間の評判は最悪だから、人の街で住もうと思えばこうする他ないのだ。


「きみがボクをどう思っているのかは知らないが、ボクとしてはきみは仲間だと思っている。だから無為に命を散らしてほしくは無い。どうか、落ち着いてボクは話を聞いてほしい」


 当然本音だ。スフレは血も涙もないタイプではないし、むしろ人恋しいほうだと言える。ヌイに短慮を起こされて、この危険な土地で遭難されてしまうのは絶対に避けたいところだった。

 

「う、む、むむ……」


 決してスフレに悪意がないことは、ヌイとてその目を見れば理解できた。立ち上がったまま、思わず唸ってしまう。一般的なイメージの凶悪なダークエルフと、目の前にいる真摯な表情をしたボーイッシュな少女とは、印象があまりにもかけ離れていた。だから、反射的にサーベルの柄に伸びていた手を、意識して放す。

 

「助かる」


 ほうと安堵のため息をつくヌイ。切りかかられる可能性も十分にあったから、流石の彼女も緊張していた。信頼をしめすためには、まさかこちらから怪しいそぶりを見せるわけにもいかない。

 

「本題に戻ろう。あのブラック・ドラゴンの目的は、間違いなく自分の子供とオオニシを戦わせることだ。それ以外に、わざわざ人間を拐す理由なんかあいつらにはないからね」


「……ええ、それで?」


 彼女自身も妖魔と言うのなら、同じ妖魔であるドラゴンの生態に詳しいのも納得ができる。ひとまず話を聞く価値はあるかと、眉根を寄せつつもヌイはスフレのすぐ近くの岩に腰を下ろした。

 

「あのデカブツと戦うなら勝ち目は薄いが、子供なら勝機がある」


「何故です? 子供とはいえドラゴンでしょう? 空から一方的に攻撃されれば、オオニシには手の打ちようがないのでは」


「ドラゴンのまま戦えば、ね」


 挑発的な笑みを浮かべつつ、スフレが言った。

 

「だが、ああいう旧いドラゴンはそうとも限らないんだ。そして大西に限って言えば、勝ち目は十分にある。安心するんだ」


 意味深なスフレの言葉に、ヌイは柳眉を跳ね上げた。

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