第一幕間二話
「ふんふん、いい感じ。サイズも大丈夫?」
「え、ええ……」
ニコニコと笑いながらそう聞く大西に対し、ヌイは頬を赤くして目を逸らしながら答えた。今、彼女は先ほどまでの暑苦しい街灯姿ではなく、まるで町娘のような華やかな格好をしている。
まず、目につくのは空色のスカートだ。丈が長いそれは、爽やかな色合いと相まって涼やかな印象を見る者に与えた。さらに、トップスはシックなクリーム色のブラウスに、純白のケープを合わせている。野暮ったい外套を愛用している彼女には、やや気恥ずかしい服装だ。それに、顔を隠すようなモノもない。
「よかった。サイズは目算だったからね、間違ってる可能性も十分あった。上手くいって助かったよ」
大西は、上機嫌な様子で言う。この服は、彼が事前に用意した物だった。プレゼント、ということらしい。突然こんなものを渡されたヌイとしては、困惑するしかない。
「しかし、今日は化粧という話では?」
そう、彼女がここを訪れたのは、先日大西が言っていた、傷跡を隠すメイクを施す用意が出来たという連絡があったからだった。正直言ってヌイとしては半信半疑だったが、底知れない部分のある大西ならば……という期待もあった。
「トータルコーディネートだよ。お洒落は全体を整えてこそ、さ。一か所だけ弄っても、バランスが取れていないと意味は無いし」
「確かにそうかもしれませんが……こんな高そうな服、おいそれと受け取れません」
ブラウスの生地に触れて、口をとがらせるヌイ。羽振りのいい商人の令嬢が身に着けていそうな、しっかりとした仕立ての服だった。決して安いものではあるまい。まして彼は先日まで無一文だった身である。村の一件でそこそこの額の報酬があったとはいえ、限度と言うものがあるだろう。
「古着を自分で仕立て直したんだ。安いものだよ」
「それに、どうせ返品は聞かないんだ。おとなしく受け取っときなよ」
大西に追従するように、スフレが笑いを含んだような声で言った。昼寝をするつもりだった彼女であるが、こんな面白そうなことをやるなら寝ている暇はないと、白衣を地面にべったりつけて座り込んでヌイの様子を見ていた。
「いや、要らないって言うなら別にいいけど。僕が着るか、売るかすればいいし」
「えっ、きみが着るのか」
「うん」
なんでもなさそうな様子の大西に、スフレとヌイがあからさまに変なものを見るような目を向ける。彼はあくまで真面目で、冗談を言っている風には見えなかった。サイズの違う女物の服を、どう着るというのだろうか。そんな疑問に大西は応えることなく言葉を続ける。
「それで、どうする?」
「……では、有難く受け取らせてもらいます。ありがとうございます、オオニシ」
彼の女装姿なぞ見たくないヌイには、選択肢は一つしかなかった。それに、憎からず思っている相手にかわいらしい服を送られるのは、悪い気分ではないことだし。
「わかった。それじゃあ、本題に移ろう。そっちの椅子に座って」
休憩所のベンチを指差して大西が言う。こうなれば、ヌイとしては大人しく従うだけだ。小さく息を吐いてからベンチに移動し、腰を下ろす。ギイと古びた木の板が音を立てた。
大西は事前に用意していたいくつかの小瓶や袋を持って彼女の背後に移動する。優しくシーツを彼女の肩にかけ、言った。
「さてさて。しばらくじっとしておいてね。きっと綺麗にして見せるから」
それからの一時間は、ヌイにとっては未知の領域だった。幼少期にひどい傷を顔に受けた彼女は、最初から自らの美しさを磨くことをあきらめていた。化粧など、やったことは一度たりともない。
それに対し、大西は妙にメイクが上手かった。乳液やら粉やら軟膏やら、様々なものを慣れた手つきでヌイの顔に塗り込んでいく。これらの用品は既製品もあるし、こちらではまだ開発されていないようなモノは大西自身が調合したものもある。
「よしよし。うん、上手くいったよ。お疲れ様」
大西がそう言ったのは、ヌイがへとへとになった頃だった。最初こそ顔の上をパフやら筆やらが這い回る感触に笑いをこらえていた彼女だったが、それが長時間続くと鳴れば、流石に疲労が隠せない。手を動かし続けていた大西の方がよほど元気なくらいだ。ちなみに、最初こそ面白がって見物していたスフレだったが、今はべったりと地面に倒れ込んで寝息を立てている。
「や、やっとですか。少々、疲れました」
「ごめんね。その分、出来は自分としては納得できるレベルだ。どうかな?」
そういって、小さな手鏡を手渡す。半信半疑でそれを覗き込んだヌイだったが、鏡面に自らの顔が写った瞬間、息をのむ。
慣れ親しんだ右ほおの大きな傷跡が、綺麗さっぱり消えていた。それだけではない。控えめな色のチークや紅が要所要所に引かれ、自分の顔とはとても思えないほど整って見える。
思わず反射的に傷のあった場所へ手を伸ばしかけたヌイだったが、即座にそれを大西の手が止める。
「残念ながら、耐久度は高くないんだ。触ると崩れるよ」
「あっ、あっ……す、すみません」
「ううん。それで、どうかな?」
彼女の腕から手を放しつつ、大西が微笑む。常と変らぬ、穏やかな笑顔。自然とヌイの胸が高鳴る。目頭が熱くなりかけたが、ぐっとこらえる。深く息を吸って、それから口を開いた。
「予想の何倍も、凄かったです。こんなことができるなんて……魔法でも使ったんですか?」
「違うよ。単なる薄化粧に見える厚化粧。僕の一番の得意分野なんだよ」
「厚化粧……」
もう一度鏡に目をやり、ヌイは呆然と呟く。とてもそうは見えなかった。百人に見せても、軽く手を加えているだけだと皆思うだろう。少なくとも、間近でまじまじと見らえない限り、そうそう見破られることはあるまい。
「しかし、どうやってこんな技術を?」
これほどのメイク技術は、そうそう習得できるものではないだろう。上位貴族や、あるいは王族などの専属のスタイリストでもない限りは。まして大西は男である。化粧は女性の物で、それを職にしている者も女性……というのがこの世界の常識だった。
「お金払って習いに行ったんだ。メイクセラピーに興味があってね。結局あんまり役に立たなかったけど……」
笑いながらそういい、ヌイの肩にかけていたシーツを取る。改めて、ヌイは自分の全身を鏡に映して見てみた。姿見からは程遠い安っぽい手鏡なので、見える範囲は少ない。しかしそれでも、あちこち動かしてみれば、化粧と服装が調和して見えた。
清楚でありながら華やかな服と、控えめ……に見えるが要所を抑えた化粧。そこそこ裕福な家庭の御令嬢といった風情だ。正直な話、ヌイには鏡に映っている人物が自分だとは、とても思えないくらいだった。
「……その、それで、オオニシ。貴方はどう思いますか?」
歯をぐっと噛みしめ、それから息を小さく吐いてからヌイがそう聞く。首元が真っ赤だった。
「どう、とは?」
「それを言わせますか? 案外サディストですね……」
頬を若干膨らませてそっぽを向き、ヌイが小さな声でそう言う。もう一度深呼吸をして、早鐘を打つ心臓をなだめつつ、口を開いた。
「私を、綺麗だと思いますか? このお化粧があれば……私は、あなたの隣に立てますか?」
勇気を振り絞った、ほとんど告白のような言葉だった。ヌイとしてはほとんど、崖から飛び降りるような気持ちで放った言葉だ。しかし大西といえば、顔色すら変えずにヌイを見て、こうのたまった。
「綺麗だと思う。でも、正直この化粧は余分だと思う。僕自身は、傷跡をわざわざ消すのはもったいないと思うし」
「うぇっ!?」
予想外過ぎる言葉に、ヌイの全身から思わず力が抜けてひっくり返りそうになった。わざわざ時間もお金もかけて化粧をしておいて、余分だとは何事なのか。眉根をきゅっと寄せて、大西を睨みつける。
「いや、僕個人の歓声としては、あの傷跡はチャームポイントだと思うんだ。印象にも残るし、もともとの顔が整ってるぶんギャップも狙える。結構、こういうの好きなんだ」
「えっ、じゃあなんでわざわざ手間かけてこんなことを?」
「そりゃあ……」
明らかにご立腹なヌイの態度も暖簾に腕押し、大西は気にも留めない風な様子で続けた。
「ファッションって、極論自分がどう思うかと、相手にどう思われるのかが大切なわけで。ヌイは傷跡を消したいと思ってた訳だよね?」
「まあ……」
それはその通りなので、ヌイは大人しく頷く。この傷は忌々しい記憶の残り香であるし、このような顔では嫁にも行けないという悲嘆もあった。
「でしょう? だったら、僕個人の感性のことは無視するのは当然だと思う。僕個人が思う綺麗・可愛いと、こっちでの世間一般で思われてる綺麗・可愛いでは差異があるだろうからね」
「う、ううーん? 納得できるような、できないような」
要するに大西は、ヌイが傷を消したいと言ったから消した、ただそれだけのことだったらしい。それはそれで、なんだか自分が眼中に入っていないようで、不満を感じずにはいられないヌイだった。
「ごめん。怒らせてしまったのなら申し訳ない。僕はかなり、人の気持ちに対して鈍いんだ。思うことがあるなら、口に出してもらえないと理解できない人間なんだよ。だから、思うことがあるなら遠慮なくいってほしい」
珍しく心底困った様子で、大西はそう言った。まあ、ヌイとしても彼が良かれと思ってやったことであるのはわかる。それに、ここまでやってくれたというのに、一方的に不満をぶつけるのはさすがに身勝手が過ぎる。ため息を吐いて、ヌイは気分を切り替えた。
「いえ……こちらこそすみません。ちょっと感情的になってしまいました。……ハッキリ言ってほしいとのことなので、正直に言います」
ヌイは素早く立ち上がって、力強く両手を大西の肩に乗せる。そして彼の目をじっと見て、こう言った。
「次にこういう機会があったら、その時はオオニシが一番きれいだと思えるメイクをしてください。私はあなた以外に綺麗だと思われなくてもいいので」
「はい」
有無を言わせぬ口調に、大西は神妙な表情で頷くのだった。




