第一幕間一話
穏やかな日差しに照らされた王都の大通りに、大西は居た。革鎧ではなく、普段着の亜麻のシャツを着て、食材がいくつか入ったトートバッグを片手に持っている。彼は雑多な商品を古びた絨毯の上に並べた、胡散臭い露店を覗きこんでいた。
「見たことのない糸ですね。どういうモノなんですか?」
彼が指差しているのは、木製の棒に何重にも巻かれた糸だった。色は白で、小魚用の釣糸のように細い。見た目は絹糸に近いが、これほど細いと強度的に問題が出てくるだろう。
「これかい? こりゃあ、アサシン・スパイダーの蜘蛛糸さ」
店主らしき汚らしいローブ姿の老婆が、口角を釣り上げながら答える。しわくちゃの手で糸巻きを手に取り、糸の先を指でつまんで引っ張って見せた。
「細いだろう? だが、こう見えて絹や麻なんかよりよっぽど強くて、そうそうのことじゃ千切れないよ。武具の修繕なんかにも使われるくらいさ」
「なるほど」
左手を顎に添えて、大西は神妙な顔をして頷いた。それほど丈夫なら、いろいろと使い道がありそうだ。一瞬視線を彷徨わせてから、老婆の方を見やる。
「ちなみに、おいくらで?」
「二千シュリング。大特価だよ」
「あンれまあ……」
思っていた額より桁が一つ大きかったため、彼はふいと目を逸らした。買えない額ではないが、あえて必要ではないモノに出す値段ではない。
先のオークとの戦いから、既に一週間が経過していた。村長からもらった報酬は、事がコトだったために最初の契約よりずいぶんと増額されていた。そのため懐はそこそこ温かい者の、基本的にその日暮らしの冒険者稼業だ。あまり不必要な散財をするわけにもいかない。
「これは、いつでも在庫があるような物なのでしょうか」
「ま、無いわけじゃないがね。なんだかんだ、いろいろなものに使われているから」
「それでは、必要そうになったらまた来ますので……」
そう言って大西は老婆に一礼し、歩き始めた。綺麗に整形された白い石畳の敷かれた大通りは、今日も今日とて大勢の人々でにぎわっている。主婦らしき女性に、子供、それに武装した冒険者。そんな中を、大西は慣れた足取りですいすいと進んでいく。
二十分ほど歩くと、人通りはめっきり少なくなった。この地域屈指の人口密度を誇る王都とはいえ、にぎわっている場所もあればさびれた場所もある。城壁の内側とはいえ、ほとんど郊外といっていい場所に、大西の家はあった。
「んあー……おけーり」
相も変わらずの、古い墓地の隅っこ。休憩用の小屋のすぐ横に設置されたテントこそが、彼のマイホームだった。
若干汗ばむような陽気にもかかわらず、常と変らぬ肌を一切見せない白衣とペストマスク姿の同居人、スフレが溶けたような声音で出迎える。彼女は小屋の下のベンチで横になっていた。
「ただいま」
短く答え、テントの中にトートバックを置く。狭いテントだ。中には、夏用の薄い封筒型のシュラフがひとつだけ落ちていた。ほかには、革鎧一式と大西愛用の大きな鞄、そしてスフレの魔法の杖くらいしかない。ひどく殺風景な寝床だった。
「昼食、どうする? 何か作ろうか」
「動いてないからお腹減ってないよ。なんかリンゴでも食おう」
「わかった、そうしようか」
大西が頷くと、スフレはダラダラとした所作で立ち上がり、ゾンビめいた動きでテントの中に入った。入口の布を下ろすと、暑苦しいマスクを躊躇なく脱ぐ。褐色の肌に笹の葉型の耳。そして曇り一つない銀色の髪。エルフが妖魔化した存在、ダークエルフの典型的な特徴を備えた、ボーイッシュな顔立ちの少女……それがスフレだ。
「あんがと」
とろんとした目を擦りつつ、大西がトートバッグから出してきたリンゴを受け取る。寂しい昼食だが、彼女はほとんど一日中寝ているため昼食はこれくらい軽いものの方が逆にいいのだ。
あっという間にリンゴを平らげ、残った芯を棄てる。多少でも腹にモノをいれて目が覚めてきたのか、彼女はニコニコと機嫌よさげに大西に笑いかけた。
「いやはや、寝てても食事が出てくるなんて夢みたいだよ。いつもすまないね」
「どういたしまして」
対する大西は、いつもの微笑を浮かべつつゆっくり頷いた。日がな一日寝続け、家事を手伝うこともしないスフレだったが、大西は特にそれを咎めるようなことはしていなかった。眠いものは仕方ない、というスタンスだ。
「僕もさ」
「うん?」
「家に帰ったら、お帰りなんて言ってくれる人が居るのは夢みたいに感じるんだ。結構、感謝しているんだよ」
彼の言葉に、スフレは軽く首をかしげた。大西は表情を変えておらず、口調も平坦だ。冗談で言っているのか、あるいは本音なのか。スフレにはいまいち読み取ることができない。結局考えるのをやめ、笑みを皮肉めいたものに変えて肩をすくませた。
「ならウィンウィンってやつだな。これからも遠慮なく頼りにさせてもらうよ」
そのまま、隣に置いていたマスクをかぶる。鴉を模した白い不気味なマスク。これはこれで目立つが、妖魔であることが周囲に露見するよりはよっぽどマシだった。周囲に正体がバレたりすれば、命を狙われてもおかしくなかった。
「さあて、それじゃあ昼寝の続きを……おや」
そう言って入口の布をくぐったスフレだったが、ふと動きを止め、そしてテントの中に引き返してきた。
「お客さんだ。ヌイの奴が着たみたいだよ。どういう用事かねえ」
「僕が呼んだんだよ。準備ができたから……」
この場所に来客など、初めてのことだったが、大西は落ち着いた物だ。素早く立ち上がり、テントの外へ出る。そして、墓場の出入り口に所在なさげに立っていたヌイに、大きく手を振った。
ヌイはそれを見て小さく安堵の息を漏らした。彼女は相変わらずの外套姿で、フードを目深にかぶっている。そのまま、急ぎ足で大西の方へと歩いて行った。
「こんにちは、オオニシ」
墓地と言っても、街の片隅の小さな場所だ。あっという間に大西の元へたどり着いた彼女は、フードの下の顔に満面の笑みを浮かべてそう言った。
そして歩みを止めず、大西のすぐ前までやってきて、少しだけ背伸びをして彼の顔のすぐ近く、鼻と鼻が触れ合うくらいの距離まで自らの顔を近づける。これは、彼女の種族がきわめて親しい相手に対して行う挨拶だった。
「こんにちは。ごめんね、僕が家の方に行っても良かったんだけど」
村での一件からこっち、ヌイはこういったスキンシップめいた行動をよくとるようになったので、大西は特に気にすることなく慣れた様子でそう答えた。
「いや、あなたの家を知っておきたかったので。問題ありません。……家というか、テントでしたが」
柳眉を上げながら、ヌイはテントに目を向けた。宿か、あるいは自分と同じくアパート暮らしかと思いきや、まさかのホームレス生活である。驚くなと言う方が無理だろう。
「家賃が安いからね。それに、野宿の方が性に合ってるんだ」
「や、家賃? あるんですか、家賃が」
「うん」
なんでもないことのように、大西は頷く。
「流石に無許可で済みついて追い出されたら困るから……ここを管理してる鐘堂に頼んだら、募金をするなら構わないって」
「それはまた、寛容な司祭様で良かったですね」
小さなため息をつきいてから、ヌイは苦笑する。普通なら断られて当然の提案だろう。なにせ、死者の眠りを妨げるのは聖鐘教の教義において、あまりよろしくない行為だ。
聖鐘教は、この地における支配的な宗教団体だ。いや、支配的というよりは、ほかの宗教は存在しないと言った方が正しい。異教と言う概念すら、聖鐘教には存在しないくらいである。
「とはいえ、いつまでもこういう所に居るのはよくありませんよ」
「同感だ」
ヌイの言葉に便乗したのは、スフレだった。いつの間にかすぐ近くまで来ていた彼女は、マスクの丸レンズをギラリと光らせながら続ける。
「今はまだいいがね、もうすぐ夏だぜ? こんな布一枚じゃどう考えたって熱も日差しも遮断できない。やはり屋根も壁も必要なのさ」
「それはその通りですが……なぜ貴方がここに?」
ヌイが眉根に微かな皺を寄せる。気配から大西以外がここにいるのはわかっていたが、それにしても白衣にペストマスクなどという極めて怪しい服装をした人物と顔を合わせたくはない。それが、そうそう居ないような魔法の達人であれば、なおさらのことだ。怪しすぎるにもほどがある。
「カレの寄生虫みたいなもんだからね、ボクは。宿主の居る場所には自動的にボクも居るというわけさ。いや、すまないね」
ない胸を張りつつ、そんなことをのたまうスフレ。ヌイの眉間のしわが深くなった。確かに、この万年寝太郎が誰かの手を借りずに生活するのが難しい、というのは理解できる。とはいえ、ならば大西と出会う前はどうしていたというのだろうか。
「……まあ、それは良いとして。今は私も手持ちが心もとないのでなんともなりませんが、余裕が出てきたら、一緒に家でも借りましょう。ずっと野宿では身体も休まりませんよ」
「家? 家かぁ……」
事実上の同棲要求であったが、大西の反応は鈍かった。彼は真夏のアラビアやら真冬のヒマラヤでも野宿を貫いた男だ。屋根も壁も、たいして必要だとは思ってはいなかった。
「その、私と一緒では、駄目ですか?」
「あ、そうか、でもなあ、うーん……」
あまり色よい声音ではない大西。基本的に甘い彼にしては珍しい態度だ。
「まあ、まだお金がね。あんまりないから」
「なるほど? では、とりあえず早めに稼ぎの多い仕事を探しましょう」
澄ました顔でそんなことを言うヌイ。あからさまなごまかしに少しばかり不満そうだった。
「仕事はいいけどね、今日は休みの日だよ。肉体精神をリフレッシュしないと」
そう言って大西はテントの方を指差した。ヌイが苦笑し、肩をすくませる。
「一体、何をやる気なんだい? きみがヌイを呼んだって話だが」
それを見たスフレが首をかしげる。まさかこの殺風景なテントの中で遊びができるわけでなし、どういう理由があってヌイを呼んだというのだろうか。まさか男女のアレをやる気ではないかと、マスクの下でげんなりとした表情を浮かべるスフレ。
「お化粧。メイクだよ、メイク」
「は? 化粧?」




