第一章三十一話
奇襲の定番の時刻といえば、夜……それも夜明け間近だ。いかにも野蛮そうなオークとはいえ、それくらいの戦術は持ち合わせていた。
いつ見ても欠けていることのない不気味な真紅の満月が西の空に沈みかけたころ、キャンプにけたたましい半鐘の音が響き渡った。
「早いな……」
タープの下で体育座りの状態で寝ていた大西が、むくりと起き上がった。彼は既に革鎧を着ており、戦闘準備は万全だ。昼間のうちに調達していた小ぶりなナイフを鎧の腰のベルトに挟み、立ちあがる。
「敵襲ですか」
大西とほぼ同時に跳ね起きたヌイが大急ぎで剣帯にサーベルを装着しながら問う。寝起きだと言うのに、その表情は眠気など一切感じさせない真剣なものだ。さすが、ベテラン冒険者と言ったところか。
逆に、そうはいかないのがスフレだ。彼女はうつぶせに寝ころんだまま、「うぇー」と情けない声を上げつつイモムシめいてもぞもぞ動いている。眠すぎて自力で起き上がれ無いようだ。
「みたいだ、早くいかないと。……起きて」
そう言いながら、事前にあずかっていた小瓶の栓を抜いて中身をスフレの口に流し込んだ。これはスフレが自ら調合した眠気覚ましの薬だ。中身は渋い木の実のエキスと数種類のスパイスを調合したものだ。常人が飲めば、数時間は味覚が駄目になるほどの代物である。
もちろん、そんな危険物を口に突っ込まれたスフレは悲鳴を上げながら飛び起きた。
「うっ……糞、あー……助かるよ」
彼女とて状況は理解している。文句を言うこともなく立ち上がり、マスクの位置を直した。その小さな丸いレンズが、微かな月光を反射してきらりと光る。
「大丈夫? 調子は」
「平気さ。百パーセントの実力を出せるよ」
ふふんと自慢げに言うスフレに頷いて見せて、大西は眠気覚ましの小瓶を自らの鞄の横に置くとタープの外へ走り出た。ヌイとスフレもそれに続く。
「オークよ、予想通りに来たわ」
すぐに、いつもの全身鎧をまとったシャルロッテが大西たちを見つけて近づいてきた。既に兜も被っており、バイザーを下げている。完全な臨戦態勢だ。そんな状態で全力疾走している者だから、鎧同士が擦れてガシャガシャとうるさい事この上ない。
「作戦はそのままで?」
「ええ。わたしとスフレが金床で、あなたとヌイが槌。よろし?」
「うん」
事前の会議で決めていた作戦だ。防衛能力に優れるシャルロッテと攻撃力の高いスフレが切り通しの出口に陣取って防衛を行い、軽装で機動性の高い大西とヌイがオーク集団の背後に回り込んで圧迫を行うと言う、単純な策である。
無論、圧倒的に数で劣る大西たちでは下手をすれば各個撃破になりかねない危険な作戦である。とはいえ、地の利は明らかにこちらにある。勝機は十分あるというのが、シャルロッテの見立てだ。
「シャルロッテさん!」
キャンプ地を抜け、山道を全力で下っていた一向に、下から若い男が走り寄ってきた。生き残った数少ない衛兵の一人だ。明かりの乏しい夜闇の中でもはっきりわかるほど顔色を失い、荒い息を吐いている。
「き、来ました、奴らです。村まで来てます」
「わかってるわ。貴方たちはそのまま引いて、予定地点まで連中を引きこんで。申し訳ないけれど、村を守ろうとは思わないように」
「……はい、伝えてきます!」
叫ぶような声音で返答し、衛兵は一瞬で踵を返して猛烈なスピードで来た道を戻りはじめた。生存者は全てキャンプ地に移動しており、非戦闘員は村に残っていない。
村人からすれば生まれ育った村を見捨てるのは断腸の思いだろうが、戦術的には放棄してもまったく問題ない土地であるため、作戦では防衛線を村より手前に張ることになっていた。
「ヌイ、貴方たちはタイミングを見て切り通しに栓をして」
道の外側を指差しながらシャルロッテが言う。大西とヌイは、シャルロッテとはタイミングをずらして参戦する予定だ。適切な状況になるまで待たなければならない。それまでは戦場にほど近い場所で待機する手筈になっている。
「わかりました。ご武運を」
ヌイが頷きながら道を外れて走りはじめた。大西もそれに続く。多少でも整地されている道路とちがい、地面の状況は非常に悪い。なにしろ、ほとんど岩場のような場所だ。木など一本も生えておらず、地面は土ではなく岩でできている。当然傾斜も激しい。
視界もろくに効かない中、二人は猛烈な速度で山を下って行く。転倒したり石に足を取られたりと言うこともない。両者ともに凄まじい健脚だった。
「……アレですね。しばらく隠れていましょう」
十分もたたないうちに、麓までたどりついた。途中には崖のような場所もあり、後戻りはできない。そこでヌイが足を止めて小さな声で大西に囁いた。彼女が指差した先には、オークたちがぞろぞろ雁首を揃えて村の中を闊歩している。家が少ない小さな村だから、その様子は遠くからでもはっきり見えた。
「ずいぶんと数が減った。それに、トロルの追加は今のところなさそうだね」
周囲を見回しながら大西が言う。トロルはあの巨体だから、近くに居ればすぐにわかる。それらしき影はまったくなかった。オークの数自体、最初の襲撃とは比べ物にならないほど少なかった。勿論それでも、村側の戦力よりはかなり多いが。
これは大西たちの知る由もないことではあるが、スフレの放った石の巨剣の魔法を見て怖気づいたオークはかなりの量が居た。少なくないオークが、未知の魔法の使い手を恐れて逃亡したのだ。逆に、残ったオークたちはアウトレンジから大魔法を撃ちこまれれば大きな被害が出ると判断し、白兵戦になりがちな夜襲で速攻をかけるという判断を下した。
「さて……」
ところ変わって切り通し。出口の部分で仁王立ちをしていたシャルロッテは、獣の唸りにも似た覇気の籠った声を出しつつ、腰の鞘から剣を抜いた。刃が鞘を走り、微かな音を立てた。片手で扱うにはやや重い肉厚で幅広の刃をもつブロードソードが、月光を不気味に反射する。
「来たな。僕は後ろから速射できる魔法を乱発して後方支援に徹する。この状況じゃあそれしかできないし。いいね」
どんどんと近づいてくる荒々しい足音に耳を傾けつつ、スフレがシャルロッテに目を向けた。既に杖の宝珠には光が灯っており、何らかの術式が装填されているようだ。
「もちろん。わたしに当てない限りは、どんどんやってもらって結構よ」
「よろしい。じゃあ、少しばかり頑張らせてもらおうか」
両側を崖に囲まれた切り通しの向こう側に、特徴的な緑色の肌をした偉丈夫たちの姿が見えた。
『準備完了』
「いいタイミングだ。ひきつけるぞ」
「限界までひきつけて頂戴。開戦の合図は派手にね」
口では答えずに、こくんと頷く。目はオーク集団から離さない。彼らは、一人の男を追っていた。衛兵の若い男だ。彼が陽動を行い、この地点まで誘導するのが作戦の最初期段階だった。
村にはオークたちの喜びそうなものは何一つ残っていない。数人のオークを釣り上げれば、連動してほかのオークたちも獲物を追ってくるだろうというのが、シャルロッテの見立てだ。そしてそれは見事的中していた。土煙を上げて走ってくるオークたちの数は、かなりのものだ。
「たたた、助けてください! 早く早く早くッ!」
「……」
衛兵が悲鳴染みた声で助けを求めたが、スフレは杖を構えて微動だにしない。呼吸すら忘れて、オークたちを睨みつけている。
「ヤバイヤバイ、ヤバいですって、俺死んじゃう!」
追いつかれれれば一巻の終わりだ。殴殺、のちにオークの餌である。衛兵は必死だった。火事場の馬鹿力か、とても一般人とは思えないスピードで走り、汗まみれの顔で助けを求める。
「あっ!」
だが、とうとう体力の限界が訪れた。足をもつれさせ、転倒する。情けない悲鳴を上げて衛兵は石だらけの地面に転がった。
「よしきたっ! 焔槍!」
『撃発』
空中に青く光る小さく精緻な魔法陣が五つ出現した。一瞬の間を置き、それぞれ魔法陣の中心から巨大な炎の槍が出現、砲弾めいた速度で射出された。闇夜を切り裂き、煌々と燃え盛る焔槍が飛ぶ。その様子は、現代兵器であるミサイルによく似ていた。
そして、焔槍は敵に与える効果もミサイルとよく似ていた。槍はオーク集団の先頭に着弾すると天を突くような轟音と共に大爆発し、超高熱の暴風が周囲に吹き荒れた。一瞬、夜空がまるで昼間のように照らされる。シャルロッテの鎧に包まれた体が、暴力的な衝撃波を受けて揺れる。
「ハハァーッ! ここなら燃えるモノなぞ有りはしないぜ!」
白衣の裾をバタバタとはためかせながら快声を上げるスフレ。戦闘魔法は、炎を用いるものがもっともてっとり早く破壊力も高い。いままで周囲への影響を考慮して地味な魔法ばかり使っていたため、フラストレーションがたまっていたのだ。
「派手とは言ったけどここまでとは」
堅牢なフェイスガードの内側で、シャルロッテは苦笑を浮かべた。下手をすれば衛兵も巻き込むような大魔法だ。幸い、衛兵は転倒し地面に転がっていたため、大した怪我もせずに済んだようだ。哀れっぽい声をあげつつ起き上がり、また走りはじめた。
「よし……ッ!」
爆炎が晴れ、黒焦げになったオークの死体が露わに鳴った。ざっと五匹は同時に仕留められたようだ。生き残ったオークたちも、あからさまに気勢がそがれている。好機だ。
シャルロッテは大きく息を吸い込み、剣と盾を構えて狼の遠吠えめいた大声を上げながら突進し始める。第二次防衛戦の火ぶたが、ここに切られた。




