第一章二十七話
村の裏手にある山地は、この大陸の中部に連なる大山脈の一部だ。その山肌は岩石質で、木の一本も生えていない荒涼としたものである。
そんな山の中腹に、レッドロット村の避難民たちが簡易的なキャンプを作っていた。木や金属の棒と防水加工された帆布を組み合わせただけの簡素なテントやタープばかりがいくつも山腹に立ち並んでいる。
「あら、おかえりなさい。怪我は無さそうね、よかった」
そのキャンプの中心部に、一際大きなタープが設置されていた。木製の丈夫な支柱六本に囲まれ、その上を帆布で覆っただけの開放的な空間だ。そこでは、村長やパン屋の主人、と他数人の村人たちそしてシャルロッテが小さなテーブルを囲んで、熱心に議論をしていた。
タープの下へ入ってきたヌイと大西、そして大西の背中で熟睡中のスフレに気付き、シャルロッテが笑いかける。トレードマークの兜は被っておらず、目の下には隈が出来ていた。
「ええ。功夫が足りていたようで、ピンピンしてますよ」
彼女に笑みを返しながら、大西が頷く。トロル相手の戦闘は、一撃でも貰えば即死亡だ。生きているのならば、それは無傷ということである。
「いやはや、魔法使いの方もだけど……自分の目の節穴具合にあきれてしまうわ。トロルを相手に一歩も引かずに一晩持ちこたえる手練れだったなんてね」
ガンドレットに包まれた腕を組みつつ、シャルロッテが唸る。彼女も昨晩、大西の回避能力やスフレの魔法は目にしている。お荷物だとしか考えていなかった二人の予想を超える健闘ぶりには、とても驚いていた。
「あれがあの時の精いっぱいです。作戦会議をしているんでしょう? とりあえず諸々は後回しにして、そちらを詰めましょうよ」
体面やプライドなどを特に持たない大西のことだから、シャルロッテからの扱いにも特に不満は感じていなかった。余計なやりとりで時間を喰われてはそちらのほうが困るので、先んじて謝罪をしようとしていたシャルロッテを止める。
「……そのとおりね。いいわ、あなたたちの意見も欲しいし、ちょっと来て頂戴」
手招きするシャルロッテに応じ、大西とヌイがテーブルに近づく。どこぞの家の食卓をそのまま持ってきたらしいその古ぼけた小さなテーブルには、大西の描いた地図が乗せられていた。
「新入りも来たことだ。いったん状況を整理しようじゃねえか」
パン屋の親父が、うっすらと髭の生えた顎を撫でつつ、渋い顔で言った。昨晩から一睡もしていないのだろう、その表情は一目でわかるほど疲れ切っていた中年も終盤に差し掛かってきた年齢の彼には、徹夜は辛いものがあるらしい。
「……そうですね。それがいいでしょう」
これまた疲れ切り、一晩でひどく余計に年を取ったように見える村長が頷く。
「村の防衛は、完全に失敗しました。まだきちんとした被害嗚呼くはできていませんが、死者、行方不明者、重傷者を合わせると、被害は村の全人口の半数近くになりそうです」
「軍隊なら全滅といっていい数字よ。相手が人間なら、一も二もなく降伏するのだけれど……」
「敵はオーク、そしてトロルです。降伏などという選択肢は有りえません」
憮然としたシャルロッテの言葉にヌイが続ける。言葉すら通じない野蛮な獣が相手だ。白旗を上げようが、オークたちは一切気にせず襲い掛かってくるだろう。オークを全滅なり撃退するか、あるいは村人たちが全滅するまで、この戦は終わらない。
「あれだけ食い散らかしたんだ、オークどもも、もう満足しているでしょう! わざわざリスクを冒して二度も襲ってくることはないのでは?」
かすれた声で、すがるような口調で村長が聞いた。既に彼の守るべき村は滅びたも同然であり、これ以上の悪夢などあり得ない、そう願っているのだろう。小さな声だったが、その声には半ば狂的な雰囲気があった。
「確かに、オークも今は満腹で、攫った女性たちを犯すのに夢中でしょうが」
しかし、シャルロッテはあくまで冷静だった。言葉を濁さず、わざと嫌悪感を煽るような言い方をしながら村長をじろりと見る。
彼女とて、村でオークが生け捕りにした女たちや死体を持って撤退していく姿を見ている。亜人種の妖魔の多くは同種族のメスだけではなく人間の女を使って繁殖することができるし、人肉は彼らの大好物だ。今ごろ連中の巣では、吐き気を催すような悍ましい血の饗宴が行われていることだろう。
「だからといって手を伸ばせば容易に奪える得物を放置するような真似はしないでしょう。奴らにも、こちらが手負いであることはわかっているでしょうから」
「二戦目があるのは確実と。問題はいつ襲ってくるか、ですね」
ずり落ちかけている背中のスフレの位置を直しつつ、大西がちらりとタープの外を窺った。そこでは、疲れ果てた様子の村人たちが休んだり、あるいは炊飯などの家事をしたりしている。誰しもが、多かれ少なかれ怪我をしている様子だった。
「……ッ! あなたたちがもっと強ければ、こんなことには」
「村長!」
両手で顔を覆いヒステリックに叫んだ村長を、大工の棟梁らしきガタイのいい男が制止する。今はそんなことをいってもどうしようもないし、そもそもあんな状況で村を守りきることができる冒険者など、王都のギルドでもほとんど居ないだろう。そんなことは、村長自身も理解していることだ。
「……申し訳ない」
いったん暴発した村長だったが、しかし今は無駄に時間を浪費している暇などないことは先刻承知だ。ぐっと歯を食いしばり、村長は深々と頭を下げる。
「いえ、問だ……」
「あの大きい人を叩く方法を考えたんですが、聞いてもらってもよろしいですか」
シャルロッテの言葉を遮り、大西がスケッチブックを鞄から取り出しながらそう言い放つ。このタイミングでそんなことを言いだす打なんて、どんな面の皮の厚さだとパン屋の親父が呆気にとられたような顔で大西を見る。彼の表情は、至って平穏な普段通りの物だ。
「えっ!? ……お、大きい人って、トロルのこと?」
「多分そうです。巨人みたいな」
「ええ、まあ、それがトロルだけど。また、突然ね」
額に冷や汗をにじませながら、シャルロッテがはしごを外された村長を窺った。彼は苦み走った表情をしているものの、これ以上余計なことは言う気は無いらしく、口を真一文字に結んで大西を見ている。
「突然言いましたから。で、そのプランについてなんですが」
非難めいた周囲の視線もどこ吹く風、といった様子で大西がスケッチブックをめくり、一枚の絵を指し示した。
そこには、荷車と巨大な杭を組み合わせたような不思議な物体が荒い筆致で描かれている。杭は荷車に取り付けられたいくつかの支柱からロープで留められており、空中にブランコめいてぶら下がったような構造になっている。
「これは……破城鎚?」
「そうです。城門を破ることができるのなら、巨人相手でも破れるのではないかと」
破城鎚は攻城戦で使用される大規模な兵器の一種だ。巨大な柱を振り子のように城門へぶつけ破壊するという、ダイナミックな使い方をする。
「確かにしっかりと当てられれば即死とはいかずとも、大きなダメージを与えることはできるでしょうけど……この村に、そんなものは無いじゃない」
シャルロッテは首を左右に振り、手甲に包まれた手をテーブルへ置く。王都や、あるいは東の帝国とにらみ合っている国境近くの城塞都市ならば攻城兵器の類も保管してあるだろうが、辺境の農村にそのようなものがあるはずもない。
「だろうと思って設計図も作っておきました。これです」
ぺらりとページが捲られる。今度は、先ほどの絵よりもかなり丁寧に描かれた三面図だ。大工の棟梁が身を乗り出し、まじまじと凝視する。
「こりゃ……もしかして車体部分は村にある荷車をバラして組み合わせる設計かい」
「はい、これなら工期をかなり短縮できます。広場にまだいくつか無傷の荷車が残っていたので、あれを使う想定なのですが」
小さい村とはいえ、保有する農地はそこそこに広い。大量の収穫物を運ぶため、駄馬に引かせる小型の荷車は何台もあるのだ。それを再利用すれば、一から製作するよりかなり工数を削減することが可能だろう。
「だが、槌はどうすんだ。この辺りは低木ばかりで、まっすぐで太い木材なんざそうそう手に入らないぞ」
「そこは村長のご自宅に犠牲になってもらいます。いい柱があるでしょう? あの大黒柱なら破壊力抜群ですよ」
「えっ」
折角無事だった自宅の存亡の危機に、村長は目を白黒させた。自慢の家だ。壊されたくなどない。しかし文字通りの要石である大黒柱が無くなれば、すぐに家は倒壊してしまうだろう。
だが、大工の棟梁は名案とばかりに手を叩き、凄味のある笑みを浮かべた。
「なるほど! これだったら弟子とあとは何人かの手伝いがあれば、一日とはいかなくてもかなりの短時間で完成するぜ」
「うっ……」
ことが事だけに拒否することはできないが、しかし村長にとってはあまりに無体な話だった。顔をひきつらせ、しきりに袖で顔を拭う。
「いや、オオニシ。しかしいざ破城槌が完成したとして、あいてはあの身のこなしの軽いトロルですよ? 容易に命中させられるとは……」
「いや」
ヌイの言葉を制したのは、大西ではなくシャルロッテだった。彼女は目を細めながら、ちらりと天幕の外……村のある方角に目を向ける。そこにあるのは、かつてこの村の先達が作り上げた切り通しだ。
「上手く誘い込むことができれば……やれる……!」
「やれなかった場合はもうどうしようもないですけれども」
自分で出した案のくせに、妙に冷めた口調で言いながら大西が設計図のページを破って棟梁に手渡した。
「とはいえトロルさえ排除できれば、あとはやりようはいくらでもあります。そうでしょう?」
「その通りだ。オークだけならば、対処は可能だ。昨夜はともかく、今回ならば」
一気に大人数と戦わなくて済む切り通しという地形は、この手の防衛戦にはぴったりだ。村人の避難や保護を優先しなければならなかった先の戦いより、格段に戦いやすくなるだろう。オークだけならば、前回と同じ規模の集団でも守りきることが出来る自陣があった。
「なるほど。冴えたやり方ですね。自信の源はこれでしたか……」
後半は誰にも聞き取れないような声でヌイが呟いた。流石に、根拠もなしにあのような大口を叩いていたわけではないとわかり、胸をなでおろす。穴が無いわけではないが、しかし現状で取りうる手段としてはかなり現実的な策だろう。
「となると、作戦の要は次の戦いに破城鎚の完成を間に合わせることと、そして上手くちょうどいい位置へトロルを誘導することですね」
「そうね。棟梁にはすぐ作成に取り掛かってもらうとして。わたしたちは作戦の細かい部分を詰めましょう」
「背に腹は代えられませんか……よろしい。スマイソンさん、私の家はどうなっても構いません、可能な限り人手も出しましょう。よろしくおねがいします」
方向性が決まり、にわかに会議は活気づき始めた。参加者の顔には、いつの間にか活力が戻っている。結局、このあと会議は半時間ほど続いた。




