第三の試験
学院に戻るとそのまま選挙活動に入る。
十傑選定試験についてはすでに告知してあり、五一パーセント以上の推薦人が必要なことも周知してあったので、朝、通学途中の生徒にビラを配っても混乱は生じなかった。
ただ想定していた反応は貰うが。
推薦状を必要とする旨の生徒に渡すと、二通りの反応に別れる。
快くビラを受け取ってくれる生徒、
ビラを受け取ることなく、足早に立ち去っていく生徒、
想定通り、前者は女生徒に多い。
後者は男子生徒に多かったが、さらに反応を分けると、ビラを受け取ると喜ぶ生徒もいた。皆、「絶対に投票しないと」と息巻いている。
俺も嫌われたものだな、と吐息を漏らすが、今までのように我関せずを貫くことはできない。俺に敵意を持つ生徒に、
「推薦状、なにとぞ、よろしくお願いいたします。俺が十傑になれば学院生活の向上を約束します」
と深々と頭を下げるが、それに対する反応は悪辣であった。目の前でビラを破り捨てられる。丸めたビラを頭の上に置かれる。その他、あらゆる悪態をつかれるが、それでも俺は彼らに頭を下げ続けた。
推薦状を集める期限は明日正午、その僅かな時間に彼らの心を氷解させ、票を得なければ俺は十傑になれないのだ。真剣な面持ちでビラを配り続けた。
学院での選挙活動は多くのものたちが協力してくれた。
寮母であるドワーフのセツは学生寮の食堂にチラシを貼ることを許可してくれた。また、懇意の生徒に盛り付けを行うとき、「リヒトちゃんに清き一票を」と言ってくれた。盛り付けの量を心ばかりか増やしてくれているのが有り難い。これは食べ盛りの男子生徒には効果覿面であり、俺に敵意のない男子生徒の票を大量に得ることができた。
また友人のクリードは率先して男友達を説き伏せてくれた。
男子に顔が広い彼は「リヒトはいいやつ」「十傑になったら俺たち下等生の誇り」となると説き、下等生の男子を中心に多くの票を集めてくれた。
アリアローゼのそっくりさん、かつて俺が救った女生徒ハンナは、取りこぼしていた女生徒を中心に票集めを手伝ってくれたし、寮長であるジェシカ・フォン・オクモニック女史は主催する同人紙、「薔薇と百合が咲き乱れて」のサークルメンバーを中心に票固めをしてくれた。
エレンを除く知人縁者が皆、協力をしてくれたのだ。その様子をエレンは、
「これも兄上様の人徳です。人徳がありすぎて嫉妬するものもいますが、ほとんどの人は兄上様の魅力にぞっこんです」
と評した。
「皆が手伝ってくれたからさ」
「兄上様の魅力、御友人たちの協力によって現在、四九パーセントの票を確保しています」
どこからか取り出した伊達眼鏡をくいっとさせる。美人有能秘書官を演じているらしい。
「残り二パーセントか」
「意外だったのは女性票を全部確保できなかったことです」
「そりゃ、女性にも好みはある」
「ですね。兄上に振られたもの、魅力を分からぬものはアンチになったようです」
「その代わりセツさんとクリードのおかげで下等生の男子票が意外と確保できた」
「セツさんは男子生徒の胃袋を握ってますし、クリードさんは人当たりが良くて男子生徒からの信望もあります」
「有り難いことだ。しかし、一般生や特待生の男子には人気がないな」
事前調査報告と書かれた書類に目を通すが、その層の支持率の低さにめまいがする。
「逆に言えばこの層を僅かでも切り崩せば残り二パーセントは確保できます」
「そうだな。そうするしかないな」
「なにか秘策はありますか?」
「ない。だから正攻法で行く」
「……正攻法ですか?」
「ああ、土下座して頼み込む」
「兄上様!」
エレンは血相を変える。
「どうした。乾燥パスタの湯切りに失敗したみたいな顔をしてるぞ」
茶化すが、妹は笑ってくれなかった。
「兄上様は誇り高きエスタークの血筋です。他人に頭を下げるなど」
「今はアイスヒルクの人間だ。それにこの頭を下げて済むのならばいくらでも下げる」
「しかし、兄上様は他に兄上や母上に対しても土下座だけはしなかったではないですか」
「…………」
過去を思い出す。あれは俺がまだ八つの頃だったろうか。兄たちの悪戯によって城の廊下に飾ってあった絵画を破いた罪をなすり受けられたとき、俺は義理の母親に土下座を強要された。やってもいない罪の謝罪を強要されたのだ。
今にして思えば義理の母親のミネルバは犯人が自分たちの息子だと知っていたのだろう。その上で俺に土下座を強要させたかったようだ。
当時母親が死んで間もなく、さらに城で孤立していた俺は、土下座して謝罪をせざる得なかったのだが、ついぞ、土下座をしなかった。
頭を地にこすりつけた瞬間、すべてが終わってしまうような気がしたからだ。
身体だけでなく、魂までこいつらに隷属してしまうような気がした俺は、絵を破いた濡れ衣は受け入れたが、土下座だけは断固拒否をしたのだ。
使用人たちに押さえつけられてもテコでも動かなかった。
その様に怒り狂ったミネルバは、俺を牢に連れて行き、鞭打ちの刑と食事抜きの刑に処した。全身に蚯蚓腫れが残るほどの鞭を受け、一週間、水しか与えられなかった。
エレンはそのときのことを鮮明に覚えているのだろう。なにせそのとき、隠れて食料を差し入れてくれたのは彼女であったし、今も鞭の痕が残っていた。
エレンがそのときのことを思いだし、心を痛めていることを察した俺はこう言った。
「鞭打ちよりも食事抜きがつらかった。あのとき差し入れてくれたレーズン・パンの味、一生忘れないよ」
「兄上様……」
「塩味が効いていた」
そのように戯けると俺はアンチである男子生徒たちひとりひとりに土下座をし、推薦状に○のマークを書いてくれるように頼んだ。
鞭打ちと天秤に掛けてまで土下座を拒否した男、学院に来てからも誰にもこびを売ることがなかった男が自尊心をかなぐり捨てて頭を下げたのである。
その裂帛の気迫、思いは俺を憎む生徒の心を僅かだが氷解させた。
俺を恵まれているもの、すかしているものと思い込んでいた一部の一般生や特待生の心を動かしたのである。
俺は二パーセントの表を切り崩し、俺のことを誤解していた生徒たちの推薦状を得ることができた。五一パーセント、本当にギリギリの数字であるが、王立学院の生徒たちの推薦状を得ることができたのだ。
入学試験のときは〝わざと〟ギリギリで入学したものだが、今回に限り、本当に落第すれすれであった。最強の下等生の二つ名は選挙では通用しないようだ。しかし、第二の試験は突破した。
これも推薦人募集活動に協力してくれた仲間のおかげである。
協力してくれたもの、ひとりひとりに会って礼をする。
ドワーフのセツは、
「気にしなさんな。おばちゃんは判官贔屓だからね。それにあんたみたいな大食漢の男が好きなのさ」
うちの旦那も大食漢でね、あのビール腹に惚れたのさ、そういえばあんたはうちの旦那の若い頃にそっくりだね、と続くが、彼女も彼女の旦那さんもドワーフであることは突っ込まないほうがいいだろう。
友人のクリードは、
「〝親友〟だろ」
の一言で済ませてくれた。学院に来てから初めてできた友人、いや、親友にはもはや言葉は不要なのだろう。互いに握りこぶしを付き合わせると、
「なにがあったか知らないが、頑張れよ」
と結んでくれた。俺は笑顔で「ああ」と返すと踵を返す。
その光景を鼻血交じりで見つめるは寮長のジェシカ、性的指向が偏っている女史であるが、彼女には感謝しても仕切れない。今回の件もだが、寮生活も彼女のような公正にして厳格な人物が取り仕切ってくれているから、俺のような目立つ生徒も快適に暮らせるのだ。彼女には御礼ととともに、同人紙「薔薇と百合が咲き乱れて」の題材を提供することで恩返しする。
最後にアリアにそっくりな女生徒ハンナにも感謝を述べるが、彼女の顔立ちを見ていると今回の件で一番感謝しなければいけない人物がいることを思い出す。
俺は学院の売店で花を購入する。ノルンと呼ばれる多年草の花で花言葉は、
「一日でも早く逢いたい」
であった。
病で眠りについている彼女にはぴったりである、と俺は眠り姫に付き添っているメイドに花を渡す。彼女がベッドサイドのチェストの上にある花瓶に花を活けている間に、アリアの表情を見つめる。穏やかに寝息を立てていた。
ただ深い眠りについているかのように穏やかであったが、毛布をめくると彼女の右腕には蒼い蜘蛛が蠢いていた。蜘蛛は肩口まで達している。
あと数日で蒼い蜘蛛は心臓に達し、彼女の心臓を一刺しにするだろう。
それを阻止するのがアリアの護衛である俺の勤めであった。
アリアローゼの騎士として改めて彼女を護る誓約を立てると、彼女に礼を言う。
「君のおかげで誰かに頭を下げられる人間になれた。人に好かれたいと思えるようになった。早く礼を言いたい」
だから一刻も早く目覚めてくれ、心の中でそう結ぶと、第三の試験を受けるため、アレフトのところへ向かった。




