理想的な睡眠時間
逆鱗を監察官に渡すと、そのまま馬車に飛び乗り、とんぼ返り。即応体制を整えていたので僅かの遅れもない。
「さすがは凄腕のメイドさんだ」
マリーは俺が竜と戦っている僅かな時間に現地で馬を調達していた。疲れていない駿馬を金に糸目を付けず買い揃えたのだ。
マリーの手はずと、俺が最短で逆鱗に触れたことにより、通常丸二日は掛かるところを半日ほど短縮することができた。この半日があとになって大きくなってくるはずである。
メイドさんとそのように確認し合うと、揺れる車中で第二の試験について相談する。
「心技体、の技の試験ね」
「心は勇気を試す試験だったが、技の試験は人心を得る試験のようね」
アレフトに貰ったパンフレットを見るが、技の試験は意外なものであった。
「中等部の五一パーセント以上の推薦状を集めよ、か」
「意外な内容――でもないか。十傑は学院の代表、人心を得られぬものになる資格はないってことね」
「ちなみに私は八八パーセントの推薦状を得ることができました」
えっへん、と胸を張るエレン。かなりの高支持率だが、妹は容姿端麗、頭脳明晰、文武両道、さらに性格もいい。同世代の生徒の憧れの的であった。当然の数字だろう、と述べる。
「ならば兄上様も簡単に支持が集まりますね。だって私は兄上様の下位互換なのですから」
容姿も頭脳も文武も俺のほうが遙かに上、とのことらしい。過大評価であるが、マリーも同意する。エレンはなんですって、とマリーを睨み付ける。狭い車内が険悪になるのでふたりを引き剥がすが、俺は冷静に自己分析する。
「仮に俺がエレンの上位互換だとしても絶対に劣っている部分がある」
「そーよそーよ」
「どこがですか。そのような箇所はありません」
「性格かな」
「兄上様の性格は世界一いいです。正義感に満ちあふれ、慈悲と慈愛に満ちています」
「でも、他人に興味がない淡泊な性格をしてるわよね。友達はクリードくらいしかいないし」
「……う」
「学院のほとんどの女生徒には好かれているけど、その代わり半数の男子生徒には憎まれている」
「…………うう」
「他人の誤解を解こうという行動も一切見られないし、協調性にも欠けます、と通信簿の欄に絶対書かれるタイプ」
「………………ううう」
エレンは振り絞るような声を出すしかないようだ。すべてが的を射た意見だからだ。
「仮に五〇パーセントの女子の票を取れたとしても五〇パーセントの男子の票が取れなければ意味はない。五一パーセント過半数の推薦状が必要なのだから」
「兄上様のように好き嫌いがはっきりするタイプは不利ということですね」
「そういうことだ」
「しかし、だからといって諦めるのですか?」
「まさか、ここまできて諦めるはずがない。学院に帰り次第、選挙活動を始めるさ」
「帰り次第? それじゃあ、遅いわ。マリーが先に帰って根回ししておいてあげる」
「さすがは王女様一の家来だ」
「多数派工作は得意分野よ」
えっへん、と胸を張るが、エレンよりも態度もサイズも大きいと指摘すれば、女性票をふたつ失いそうなので沈黙によって節度を守ると、マリーに工作を一任した。
「合点承知の助!」
とマリーは素早い動きで馬車に併走させていた馬に飛び乗る。最初から用意させていたようだ。ひらひらと舞うメイド服をなびかせながら最後にこのように言い放つ。
「女性票固めと、男性票の切り崩し、どっちがいい?」
「女性票固めで頼む」
「男性票の切り崩しは自分でやるのね。自信あるの?」
「ない。だから自分でやる」
「もっともな意見だわ」
くすりと笑うと、マリーは「はいよー」と駿馬に鞭を入れ、小さくなっていく。彼女の姿が見えなくなると、俺はその場に寝転び、体力を温存させる。見かけ上は〝まだ〟涼やかであるが、強行軍によって俺の体力は減っていた。今、眠らずに馬を駆けさせ、王都に戻っても焦燥した姿を衆目にさらすだけであった。
「大衆は疲れ切った指導者よりも、若く健康的な指導者を求める」
異世界にこんな話がある。
合衆国なる国でふたりの指導者が大統領の座を争った。ひとりは経験と自信に溢れた壮年の指導者、ふたり目はその対立候補で若く理想に燃える指導者。ふたりの支持層はくっきりと別れたが、勝利の決め手になったのは合衆国初の公開討論であった。
テレビなる魔法の箱の前で行われた公開討論、若い指導者はテレビ映えを意識したスーツを選び、化粧まで施して〝若さと健康〟を前面に押し出した。
一方、壮年の指導者は連日の演説で疲れ切っていた上、テレビ映りを軽視し、映えない地味な色のスーツを着て公開討論に挑んだ。
――結局、その公開討論がターニングポイントとなり、若い指導者、ジョン・F・ケネディが合衆国の代三五代大統領となるわけだが、この故事は参考にすべき先例であった。
「たしかに一週間というタイムリミットがあるが、だからといって無為無策に突っ走っても意味はない」
極論をいえば王女の命が無事ならば、蒼い蜘蛛の毒針がその心臓を貫く直前まで悠然としているのが俺たちの使命であった。焦って犯人を突き止められなければすべてが水泡に帰するのである。
「冷静な頭脳に熱い心、今必要なのはそのふたつだ」
高ぶる己の心を抑えながら、眠りにつく。
エレンも今は我が儘をいうべきときではないと自覚しているのだろう。横で静かに寝息を立てていた。俺はそんな妹の吐息を感じながら眠りにつく。
(……そういえば兄妹ふたりで寝たのは久しぶりだな)
エスタークの城に居たときは夜中に枕を持って俺の部屋に忍び込んできたものだ。僅かに懐かしさに包まれながら、眠りに落ちた。五時間五九分、理想的な睡眠時間を確保すると馬車は王立学院の敷地に駐まっていた。




