虎穴には入らなければ虎児を得ず
「アリア様が死の眠りに!?」
エレンが驚愕の表情を浮べる。
「ああ」
「それにしては落ち着いてらっしゃますのね」
「慌てれば敵の術中にはまるからな。彼女が狙撃されたのは俺の手落ちだ。だから最短かつ最善の方法で彼女の目を覚ます」
「目覚めのベーゼはしますか?」
「しない。必要ないからな」
「ならば協力しましょう」
ありがとう、と結ぶとさっそく、十傑の詳細を尋ねる。まずは構成メンバーから。
「まずは基本的なことから。十傑ですが、彼らは一〇人いません」
「十傑といっても一〇人いるわけではないのか」
十傑は定員が一〇人であってその席がすべて埋まっているのは稀という情報を得る。
ただ、深い話は得られない。妹も多くの情報を持っているわけではないようだ。
「十傑は得体の知れない組織です。新参の私にはなかなか情報を与えないのです……」
とは先日この学院に入学した我が妹の言葉だった。彼女は勉学も実技も天才級で、学院の上位一〇位以内と認められ、十傑にスカウトされたばかりだった。
本当は十傑のような面倒くさそうな組織とは距離を取りたかったらしいが、名門エスターク家のものが学院の上位に連なっていなくてどうする、と説得されて入ったのだ。
父の反対を押し切っての入学だったため、少しでも家の名誉になればいいと思ったとのことだが、彼女の向上心は役だった。十傑の情報が得られるのである。
妹のエレンはこほんと咳払いをしながら、十傑の誓約を話す。
「ひとつ、十傑会議で話された議題及び会話内容は誰にも話してはならない」
「ふたつ、十傑会議で話された議題及び会話内容は〝絶対に〟誰にも話してはならない」
「大事なことなので二回言ったか」
「そういうことですね。まだ会議には参加させてもらっていませんが、十傑になったとき、そのように念を押されました」
ちなみに十傑になると誓約の指輪を付けさせられる。白銀の指輪だが、制約を破ったとき、真っ黒になる仕掛けがされているのだそうな。
「秘密結社みたいだな」
「噂段階ですが、その歴史は学院の誕生以前とも」
「学院が生まれる前から生徒会もどきが?」
「この学院は彼らのために作られたという話があります」
「順番が逆だった、ということか。これは想像以上に権力を持っていそうだ」
「はい。十傑に対等に意見が言えるのは学院長クラスだけ。教師はもちろん、学科長ですら安易に口は出せないそうです」
「まるで創作に出てくるような秘密結社だな」
「言い得て妙かも。この学院の生徒会のような役割を負っていますが、それ以上の〝なにか〟を感じます。なにかとんでもない秘密を隠しているはずです」
「それゆえにアリアを殺そうとしているのか……。それにしてもまどろっこいが」
「まどろっこい?」
「ああ、蒼い蜘蛛を放った暗殺者は致死性の毒ではなく、遅効性の毒を放った。普通の暗殺者はそんなことはしない」
「たしかに。不確実な暗殺方法です」
『姫様の心臓に蜘蛛が到達するのは一週間、その間に解毒薬を盾に交渉を迫ってくるか、あるいは――』
「あるいは?」
「慌てふためく我々を見て笑っているか、のどちらかだ」
「そのような嗜虐心に満ちたものもいるということですね」
「可能性の話だがな。だが違う。おそらくだが、蒼い蜘蛛の人物は交渉を迫ってくるはず」
「ならばそろそろ接触がありますね」
「そういうこと」
そう言うと俺は自分の下駄箱を開ける。下駄箱の中は質量で満ちていた。ばさあ、っと手紙の類いが落ちてくる。エレンは呆れながら一通一通確かめる。
「恋文が七通、果たし状が二通、怪文書が八通というところですね」
魔法でスキャンするが、「どれも兄上様に恋をしている女生徒とその女生徒に恋をしている男子生徒のものです」と呆れた。
「いつものことさ」
で切り捨てようとするが、妹の美しい眉目がぴくりと動く。下駄箱に一通だけ、手紙が遺されていたのだ。その手紙は見るからに異彩を放っていた。
「兄上様、これは――」
「そうだな。黒い封筒に青い封蝋が施されている」
「封蝋の形は蜘蛛です」
「さっそく向こうからコンタクトを取ってくれたということか」
「そのようですね」
恋文の処理をエレンに任せると、俺はそそくさと手紙を開いた。魔術的な処理やトラップは一切されていなかったが、書かれた内容は苛烈であった。
「一週間以内に十傑になれ、そしてバルムンクを暗殺しろ。さすれば解毒薬をおまえたちに渡そう」
その文面を見てエレンは顔面を蒼白にさせる。
「どうして兄上様が十傑入りを!?」
「蒼い蜘蛛は十傑とバルムンクを敵対させたいようだ。俺を使って両者を争わせたいのかな」
「両者の仲はよくないということですね」
「ああ、これはマリーからの情報だが、バルムンクは学院長や学院教師を取り込んでいるが、十傑はそれが気に入らないらしい」
「十傑の権力は絶大です」
「どちらが学院で主導権を得るか争っているのかな。そして姫様の命を使って俺を動かそうとしている」
「なんたる悪辣で外道な人間なのでしょうか」
「毒使いとは総じてそんなものだ。しかし、これで姫様を暗殺する目的が分かった。そしてバルムンク侯は今回の件の犯人ではないと判明した」
「狂言、あるいは策略という可能性は?」
「バルムンク候とは三〇分にわたって剣を交えた。粗にして野の剣だったが、卑しさは皆無だった」
「そのような卑怯な真似はしない、と」
「ああ、彼の部下は分からないが、昨日の今日だ、バルムンク候の機嫌を損ねるような真似はしまい」
「となるとやはり犯人は十傑の中にいる可能性が高いですね」
「今のところ俺の十傑入りを知っているのは十傑だけだろうしな」
「十傑は秘密を保持することに固執しています。容易に情報は漏らさないでしょう」
「そういうことだ。というわけで容疑者どもの個人情報を教えて頂けないかな」
「もちろんですわ。まずは新しく十傑入りした可憐な美少女についてお教えしましょう。彼女の身長は一六二センチ、体重四九キロ、一五歳、スリーサイズは上から九九、五五、八八で、兄上様のことが大大大好きなOC(王立学院中等部生)なんです」
胸をくいっと出し、艶めかしいポーズをする。
「虚偽に紛れた情報をありがとう」
「むう、たしかにスリーサイズは盛っていますが、これからぼんきゅっぼんになるんです」
「統計的に女性の体型は一〇~一五歳くらいの間の生活習慣で決まるそうだ。まあ、まだ手遅れじゃないから頑張れ!」
「頑張ります!」
毎日牛乳を飲み、巨乳体操をするのだそうな。ちなみに巨乳体操とはクラスメイトの豊満な胸の持ち主から聞いたもので、タコ踊りに類似している。とても貴族の娘がするものではなく、毎晩、寝る前にくねくね踊っている妹を想像するととてもシュールだ。
「エレンのことはほくろの数まで知り尽くしている」
「あの日の夜に互いに全身のほくろを数え合いましたしね」
ぽっと頬を染めるが、誤解のないように言っておくと、互いに幼児の頃の話だ。それもエレンが無理矢理やらせたと補足しておく。
「問題なのは他の十傑だが、情報をくれるか」
「もちろんですわ」
と破顔する妹は包み隠すことなく教えてくれた。
「まずは兄上の知っている人物たちから。兄上と同じクラスに所属する。エルザードとエルラッハ姉弟」
「たしか特待生の二卵性双生児だったな」
「そうです。まあ、十傑は全員特待生なのですが」
「そうだ。しかし二卵性にしてはそっくりな顔立ちだよな」
「遺伝子の奇跡としか。私ももう少し兄上と同じ顔立ちに生まれたかったです」
「美人が台無しになるぞ」
「毎朝、鏡を見れば兄上様を見られるのです。幸せだろうなあ」
うっとりとしているとじっと見つめると、彼女はコホンと咳払いする。
「話がずれました。申し訳ありません。ええと、エルザードは姉、エンラッハは弟、氷炎使いの姉弟の異名を誇ります」
「それはよく知っている。剣爛武闘祭のときに手合わせした」
「なかなかの強敵でした我らエスターク兄妹の敵ではありませんでした」
「先日もあったが、やつらも十傑の新参で序列なるものが低いと聞いたが」
「はい。剣爛武闘祭の少し前に十傑入りしたようですね。序列は弟エンラッハが七位、姉のエルザードが八位です」
「意外だな」
「と申しますと?」
「いや、姉のほうが僅かだが実力が上だからだ」
「それはたぶん、弟を立てているのでしょう。姉は弟が大好きのようですから」
「たしかにシスコンだった」
「そのような生易しい関係性ではないですけどね」
と異議を唱えるが、エレンは詳細には触れない。エンラッハとエルザードは仲の良い姉弟であることは万人が認めるところだが、エレンの見立てによればエルザードはエンラッハに姉妹以上の感情抱いているように見える。これは同じ兄妹を愛するエレンだからこそ察した心の機微だが、エレンはそれを誰彼構わず吹聴するような娘ではなかった。
(――秘めたる想いを持つ同志だものね)
そのように結論づけるが、彼らは容疑者から外してもいいだろう。それは兄も同意見だった。
「剣を交えたから分かる。あのふたり、特に弟のほうは毒を使って暗殺を謀るような卑怯者じゃない。そもそもそんな器用じゃない」
「姉のほうも性格的にも能力的にも除外してよさそうですね」
「ああ、同様の理由でシスティーナも除外する」
「バルムンク家のものだからですか?」
「ああ、今回に限っては彼らの手は白い。だからバルムンクの娘である彼女も容疑者から外していいだろう」
エレンは「女の子には甘いのですね」と不満を漏らすが、俺の合理的な判断に不服はないのだろう。異論を差し挟まなかった。
「ちなみにシスティーナ嬢は序列六位です」
「中下位といったところか」
「そんなところです。彼女は優れた剣士ですが、魔法力に弱点を抱えています」
「能力的にも容疑者除外だな」
「はい。ちなみに九位は私です」
「おまえも除外」
「まあ、嬉しい。でも裸にして隅々まで調べてもいいんですよ?」
「遠慮しよう」
「一〇位は空席か?」
「はい。先ほども言いましたが、十傑は選ばれしものしか入れない組織。数合わせはひとりもいません」
「ということは必然的に五位から一位のものを探ればいいのか」
「そうなりますね」
「千近い王立学院生から容疑者が五人に絞れたぞ」
「さすが兄上様です。最強不敗なだけでなく、灰色の脳細胞もお持ちのようで」
「可能性を順番に消しているだけさ。それで序列五位以上の情報は知っているのか」
「もちろん、〝ほぼ〟全員自己紹介を受けました」
ほぼが気になるが、話の腰は折らない。
「序列三位はお兄様も会ったことあるかと思うので省きます」
「神職科の王子様、糸目のエリートだな」
「はい。アレフト様ですね」
「将来の主教猊下。聖属性のエリートだが、容疑者からは外さない」
「なぜ?」
「物事は表裏一体だからだ。聖属性の反対は魔属性、生の反対は死、物事はコインの裏表みたいなものだからな」
「白魔法を極めたものは、黒魔法にも精通しているということですか」
「ああ、なにかを極めるにはその対極にあるものも極めていることが多い。――それに」
「あの糸目の奥になにか秘めているような気もする。これは偏見かもしれないが」
「いえ、兄上様が怪しいのならばただの善人ではないはず」
エレンは全面的に俺を信じている。聖教のエリートよりも兄の言葉のほうが神の真理に近いのかもしれない。買いかぶりであるが、俺の直感がアレフトを危険視していた。
「まあ、アレフトは置いておいて、それ以外の序列上位はどうなっている?」
「五位はヴィンセント、この方ともすでに剣を交えていますね」
「ああ、なかなかの実力者だった」
「それではこの方も省いて序列四位から話します。彼はマサムネ」
「変わった名前だな」
「東方の蓬莱の国をルーツに持つ貴族です。浅黒い肌に髪を持っており、五郎入道正宗という神剣を継承しています」
「神剣使いか」
「はい」
「それは強敵そうだ。なるべくならば戦いたくないな」
「同感です。しかしもしもこのものが犯人ならば?」
「毒を使ったことを後悔させるだけ。ちなみに東方は毒の産地だ。附子って言葉を知っているか?」
「私とは無縁ですわ」
と強気のエレンだが、たしかにそうなので反論しない。
「附子とは東洋の大毒のことだ。東洋ではトリカブトから附子を取り出し、それを操る附子使いというのがいるらしい」
「彼の家系にもその暗殺者がいる可能性もありますね」
「そういうこと」
エレンは納得すると序列二位の名を上げる。
「続いて序列に二位、彼の名はフォルケウス」
「名前だけで強そうだな」
「はい。〝実質的〟に十傑最強と噂されています」
「実質という言葉は嫌いなのだが」
実質無料、一日コーヒー一杯、詐欺師がよく使う言葉だ。
「一応理由があって、序列一位のアーマフという人物は滅多に人前に顔を現さないらしく、他の生徒の前で戦闘をしたことがないのだそうです」
「それで実質というわけか」
「はい。十傑会議は二位から四位のものが取り仕切っています」
「十傑の一位ともなると重役出勤どころか、東洋のダイミョーやマハラジャのような生活ができるのかな」
「そのようですね。十傑の誓約に、互いに切磋琢磨し、最も賢く、最も強いものが序列一位となって他の十傑を導く、というものがありますが、一位のものがその誓約を果たしているそぶりはありません。それどころか下位の十傑でその姿をみたものはいません」
「謎の人物ということか。非常に興味深いな」
「謎と毒の相性は古来より良いとされています」
「ああ、話だけ聞けばそいつが一番怪しい」
「問題なのはその謎の人物にどうやってコンタクトを取るか、です」
「その通りだ」
「一応、十傑を続けていれば会う機会もあり、そのときに取りなしを頼むこともできると思いますが」
「今はそんな悠長な時間はない。残された時間は一週間を切っている」
「はい。アリアローゼ様の毒が心臓を貫く前に犯人を見つけなければ」
さて、どうすれば、とエレンは悩んでいるが、解決方法はすでに俺の中に存在した。
情報収集をしていたメイドのマリーが合流したので、彼女たちにそれを披瀝する。
「俺が十傑に入る。そして十傑の最上位になればいい。さすれば自ずと道は開けるはず」
朝食の卵の焼き加減を決めるよりもあっさりとした口調だったのでエレンは最初、飲み込めなかったようだ。しかし、その言葉の意味を理解したとき、眉をつり上げながら大きな声を上げる。
「「ええ~!」」
マリーの驚愕の声も重なり、美しい旋律を奏でる。美少女たちが上げるハーモニーは美しい、と冗談を言うが、彼女たちはその冗談を楽しむ余裕がないようだ。
「あれほど十傑入りを厭がっていたではありませんか?」
「虎穴には入らなければ虎児を得ず。敵の思惑に乗るのは癪だが、それしか方法がないのならば仕方ない」
「あんたは下等生じゃない」
「十傑は特待生しかなれないらしいな。しかし、向こうがなれといっているのだから問題はなかろう」
「先日、断ったばかりなのに、気変わりを許してくれるでしょうか?」
「許して貰うまでさ」
そのように言い切ると相棒のティルフィングを抜き放ち、剣舞をする。
その流麗な動きにふたり、特に妹はうっとりとする。
「この官能的で力強い剣士を欲しがらない組織などないでしょう」
と評してくれるが、その表現はともかく、〝実力的〟には断られる要素はないと思っていた。あるいはそれは過信なのかもしれないが、ともかく、今の俺には〝十傑〟に入る以外の選択肢は残されていなかった。




