カスミ女医
深夜、姫様を医務室に連れ込むと、王立学院の医師は不平を述べた。
「こんな夜中に飛び込んでくるなんてなんと非常識な」
化学の実験用のアルコール・ランプで乾物の烏賊をあぶっている医師にいわれたくない。ちなみに彼女の名はカスミといって東洋人の女医師だ。
「女だてらに結婚もせずにぶらぶら暮らすには宮仕えが一番」
と王立学院の専属の医師になった女性で、向上心と探究心の欠片もない医師であった。ただ、その技術は確かで、授業や部活動で負傷した生徒をあっという間に回復させてしまう。
「魔法で回復させると自然治癒力が下がってしまう」
と得意の回復魔法は使わず東洋の怪しげな術で治してしまうのが彼女のポリシーだそうだが、アリア腕に浮かぶ模様を見ると、
「むむぅ」
と唸った。
「……やめてくれ、そんな親の葬式に出るみたいな顔をするのは」
「ならば親類程度にしておくか。しかし、いくら表情を取り繕っても事態が好転するわけじゃないぞ」
「それは分かっている。その蒼い蜘蛛はなんなんだ?」
「これは蒼蜘蛛から取り出した毒素だな」
「アズル・スパイダーってなんなのよ!」
食いかかったのは俺ではなく、メイドのマリーであった。
その失礼な問いにカスミ女医は冷静に答える。
「アズル・スパイダーとは南洋の孤島にいる特殊な蜘蛛だ。八本の足に蠍のような尻尾を持っている」
「話を聞くだけで猛毒を持っていそうだな」
「その通り。アズル・スパイダーは深遠なる眠りをもたらす霊薬の材料として知られる」
「深淵なる眠り?」
マリーが首をひねる。
「大昔、大病に冒された賢者が、擬似的な冷凍睡眠をするために、この薬を飲んで二七〇年後に目覚めたことがある」
「すごい」
「一万分の一に希釈すれば良質な睡眠薬にもなる。我が王立学院の教諭はストレスで不眠症の輩が多いから、医務室に来て処方を受けるものもいる」
「なんだ、ちゃんとした薬なんじゃない」
「それらは適量、適法に使えばだ。七七匹の蒼蜘蛛を捕まえて毒素を凝縮して煮詰めれば、徒にも恐ろしい劇薬の完成だ。二度と目覚めることのない深淵の眠りにつく」
「……死ぬということだな」
こくり、と頷く女医。
「そんなの許せない!」
「許せないもなにもすでに青蜘蛛の毒は王女の身体を蝕んでいる」
カスミははだけていたアリアのブラウスを破りさる。蒼い蜘蛛の模様は生きているかのように蠢いていた。
「今はまだ眠っているだけだが、この蒼い蜘蛛は徐々に動き始める。二の腕から肩へ、鎖骨に動いて胸部を伝い、やがて心臓にたどり着く」
「…………」
心臓にたどり着くとどうなる? などと無能な発言をするものはひとりもいない。
蒼い蜘蛛が蠍のような尻尾で心臓を一突きしたとき、そのものは永遠の死を迎えるに決まっていた。
「……いや、いやよ。そんなの許せない。そんなことは絶対にさせない。あんた、医者でしょ。なんとかしてよ。アリアローゼ様を救ってよ!」
カスミの襟首を掴み上げるが、不良女医はばつの悪そうに目を背けると、ぽりぽりと頭をかきながら、
「すまない」
と言った。つまり、自分の力ではどうしようもない、ということだ。
「そ、そんな……」
力なく崩れ落ちるマリーであるが、カスミは悪魔ではない。可能性については言及する。
「あたしの力――正確に言えば医療の力ではアリアローゼ様を救うことはできない。しかし、蒼い蜘蛛の力は邪法を駆使した黒魔術、その逆の力を駆使すれば救うことができるかもしれない」
「時間がない、まどろっこしく言わないでくれ」
「ならば単刀直入に。蒼い蜘蛛の毒は作成したものの血液さえあれば解毒薬を作れる」
「なんだ、方法があるんじゃない」
「ああ、蒼い蜘蛛の毒は七七匹の蜘蛛の毒を凝縮し、黒魔術を施した毒だからな。使用者の血液を混ぜ込み、毒性を上げる」
「じゃあ、毒を作った人物をとっ捕まえて腹をかっさばいた上に血を抜き出せばいいのね」
「そこまでしなくてもいい。それなりの量があれば血清は作れる」
ほっと胸をなで下ろすメイドさんだが、肝心のことに気がついていないようだ。カスミ女医は指摘する。
「簡単に言うが、誰が毒を放ったか、皆目見当が付かない状態なのだろう。そんな中、ピンポイントに毒を作ったものを探し当てられるのかね」
「そ、それは……」
言い淀むマリーであるが、返答をしたのは俺だった。
「するさ。してみせる」
「根拠は?」
「それしか姫様を救う方法がないからだ」
「単純明快」
にこりと相好を崩すカスミ、ぶっきらぼうな性格ゆえに竹を割ったかのような回答を好むのだ。
「それじゃあ、さっそく、犯人候補を探してくれ。ちなみにヒントは相当な実力者ってことだ」「これほどの毒を作り出すということは天才黒魔術師だ」
「つまり強大な魔力を持つものは全員、容疑者ってことか」
「そうなる」
「ここは英才が集まる王立学院よ」
マリーが不満を述べるが、カスミは冷静に説明する。
「少なくとも剣士科や聖職科の連中は容疑者から外してもいいのでは」
「まあ、基本的にそうなるが、世の中には聖魔両方の属性を使いこなす剣士もいるしな」
ジト目で見つめられるが、俺のような〝例外〟はいないと断言することはできないだろう。しかし、犯人はこの学院におり、それ相応の実力者ということだけわかれば充分だった。
「最強のやつから順番に問いただすまでさ」
「……まさかそれって」
マリーは口をぽかんと開ける。
「アリアをこんな目に合わせた〝黒魔術師〟ってのは天才なんだろう。そんな力を持っているのならば必然的にこの学院最強の連中に連なっているはず」
「そりゃそうだろうけど。でも、理由がないじゃない」
「たしかに十傑が姫様を殺す理由はない。今のところはな」
「もしかしたらなんらかの理由を持っているかもしれない、ってことね」
ふむ、と己の顎に手を添えるマリー、完璧には納得いっていないようだが、他に有力な容疑者がいない以上、俺の意見を否定するつもりはなさそうだ。
「わかったわ。マリーの配下のくのいちたちにも調べさせる」
「それは有難い。さすがはメイド忍者さんだ」
褒め称えるとカスミ女医も協力の旨を申し出てくれた。




