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チュー

 デート当日、朝からめかし込む。

 マリーがびしっと指さす光景を思い出したからだ。

「女の子とデートするときはお洒落をするもの。いつも通りの格好で来たらしばくわよ」

 そういう概念は知っていたので、素直に従うが、俺は私服を持っていない。

 性格に言うとエスタークの城を出奔したときの服はあった。旅人の服だ。しかし、とてもお洒落とは言えない。

「機能性重視だからなあ」

 というわけで待ち合わせ時間前にアランの仕立屋に行く。

「あら、珍しいわね」

 同性愛者の仕立屋アランは腰をくねらせながら驚く。

「王都で知っている洋服屋はここしかないんだ」

「ここはお高いわよ」

「……そうなのか。まあ、王室御用達の店だしな」

「そ、でも、あたしとリヒトの仲、特別プライスで売ってあげる」

「それは有り難い――」

 と言いかけて尻を押さえる。アランは美少年の尻を触るのが好きだからだ。

 しかし意外にもアランは上機嫌で服を物色するだけで、俺の尻には目もくれなかった。

 どこか身体の具合が悪いのだろうか、と心配していると、彼(彼女?)は唐突に言った。

「デートの相手はお姫さまでしょ」

「分かるのか」

「あんたがデートしようなんて女、この世界にひとりしかいないもの」

「そうだ」

 なんのてらいも照れもなく認める。

「俺自身、ぼろを纏っていても気にしないのだが、彼女は王族だ。恥を掻かせるような格好をしたくない」

「いい心がけね。というわけでこれはいかが?」

 アランが提案してきたのは真っ白な襟付きのシャツと、黒いズボンだった。

「意外と普通だ」

 極楽鳥の羽があしらわれたシャツや熱帯魚何万匹を殺して作ったかのようなズボンが堂々と飾られていたので心配していたのだが。

「この店は変りもので有名なレディ・ジジから、フォーマルな紳士までやってくるからね。今日のあんたに必要なのは気取った服装ではなく、カジュアルなもの」

「有り難い」

「ちなみにカジュアルと言っても素材は最高級で、仕立ては王都一のものが行ったのよ」

「ああ、あんたの仕立ては最高さ」

 剣爛武闘祭の後夜祭で来たフォーマルなスーツは寸分の狂いもなくぴったりとフィットし、最高の着心地だった。

 試着することさえなくその服に決めると、代金を置き、試着室で着替え、出陣する。デートというものは男と女の戦争のようなもの、とアランとマリーが言っていたからだ。

「でも笑顔は忘れちゃ駄目よ。海だから」

「海?」

「うーみッ、って発音して御覧なさい」

「うーみッ」

 素直に従う。

 口の動きと筋肉が同期して自然と笑顔になる。

「ほうら、素敵な笑顔になった。その笑顔にとろけない女はいないわよ。あとは焦りすぎて連れ込み宿に連れ込むタイミングを間違えないように」

 やくたいもないアドバイスだが、素直に従うと、礼を言って約束の場所へ向かった。


 約束の時間より一時間早く来たのは習性だった。

 相手を待たせてはいけない――という性格だからではなく、護衛としての習性で、周辺の安全と地形を把握しておきたかったからだ。右手には花束を持っているが、実はボウガンを仕込んである。右手を伸ばすと短剣が飛び出る仕掛けも。神剣類は帯びていないが、亜空間からいつでも呼び出せるので叛徒(テロリスト)どもが出てきても対処することができた。

 辺りをキョロキョロと見回しながらアリアを待つ俺は、どう考えても浮いているようで、往来の人々の注目を浴びていた。その姿を見て遙か後方から双眼鏡で様子をうかがっていたマリーは、

「なんて無粋な男……」

 と呆れたそうだ。事実なので反論しないが。

 そもそも俺は待ち合わせ自体に懐疑的であった。

「同じ学院に通って同じ敷地で暮らして居るのに、なぜ、わざわざ街で待ち合わせなどしなければいけないのだろう」

 一応、それにも理由はあってマリーは得意げに言っていた。

「デートと言ったら待ち合わせっしょ。彼女はいつも時間通りに来るのに、今日はちょっと遅れているな。なにかあったのかな。そして、はあはあと息を切らせて走ってくる彼女。遅れてごめんなさい。いや、俺も今来たところさ。それにしてもその服、可愛いね。あなたのために選んでいたら遅れてしまって――」

までがセットらしい。果てしなくどうでもいい小芝居を思い出すと頭痛がしてくるが、たしかにアリアにも息抜きは必要だし、街を視察するのも王族の仕事、と割り切ってデートごっこに付き合うことにする。

 周辺の安全確認を終えた俺は花束を持ったまま待っているが、アリアは遅れてやってくることはなかった。それどころか約束の時間よりも三〇分も前に現れる。なんでも一秒でも遅刻したくなかったそうな。ある意味俺と同じ気質なようで似たもの同士と笑い合う。

 彼女は真っ先に花束に視線をやり、

「素敵なお花です」

 と笑顔で言った。

「これを渡すのは最後の最後」

「まあ、紳士。女性に荷物を持たせないのですね」

「いや、ボウガンを仕込んであるからさ」

 アリアはそれを冗談と受け取ったようで、

「うふふ、今日のリヒト様はユーモアも最高です」

 と笑った。

 冗談ではないのだが、と思ったが、このことにはそれ以上触れず、「デート」を開始する。アリアが腕を組んでくるが、それは拒否する。

「…………」

 アリアは泣きそうな顔になったが、弁明する。

「いや、腕を組むのが厭なのではなく、左腕を組んでほしいんだ。万が一、敵襲があった場合、利き手を開けておきたい」

「なるほど。リヒト様らしいですね」

 再び笑みを漏らすと左側に移動し、腕を組んだ。今度は胸も押し当ててくる。特別な意図はないようだが、アリアはエレンよりも胸が大きいので必然的に当たってしまうだけのようだ。

 胸という授乳器官は男にはないものなので、興味がないわけではないが、俺は紳士なのでできるだけ意識しないようにしながら歩き始めた。


 デートというものは男女がどこかに遊びに行くことを指す行為、辞書ならばそのように書かれているだろう。仕立屋のアランならば男女というという部分に食いかかるだろうが、世間ではそういうことになっている。

 だが俺はデートなるものをしたことがないので、どこに行っていいかまったく分からなかった。アランいわく、連れ込み宿は裏路地にあるらしいので、そこだけは避けるように歩いているが、困った俺はマリーに貰った手紙を開く。

「朴念仁のあんたのことだから、すぐにデートに行き詰まると思うけど、困ったらこの手紙を読むよう」に、と複数の手紙を渡された。

 さっそくだがそれを開く。

「デート開始三秒で困るのは想像の範囲内だった――」

 で始まるのは見透かされているようで癪であったが、藁にもすがりたい気持ちなのはたしかなので手紙を読み進める。

「そもそも待ち合わせをした時間に意味があるか考えなさいよ。正午に集まったんだから相手はおなかがすいているはず。小洒落たレストランかカフェでランチなさい」

 おお、そうか、と思った俺は先ほど周囲を散策したときにカフェがあったことを思い出す。たしかあそこはクラスの女子生徒が話題にしていたところだ。ガレットなる小洒落たものを出す店だったはず。

 さっそくアリアに「ガレットでも食べようか」と提案すると彼女はにこりと微笑む。

「女子たちの間で流行っていますね。――でも、ガレットではおなかに溜まりません」

 と街の定食屋を指さす。

 安くても美味くてボリュームが多い店だ。女子の姿は皆無で労働者たちでごったがえしている。

 変わった趣味のお姫さま――、というわけではないだろう。気遣いと心遣いで満ちあふれた彼女は、俺の胃袋がクレープの従兄弟のようなガレットでは満足できないと察してくれたのだ。たしかにあのような薄っぺらい食べ物を食べても俺の胃袋が満足するはずがなかった。

「しかし、初デートでこのようなところは……」

 マリーの手紙にも注意喚起がされていたが、アリアは微笑みながら言う。

「わたくしは市井育ちですよ。幼き頃はこのようなところで食事していました。久しく小洒落たものしか食べていないので昔を懐かしみたいです」

 そのような論法で俺を説き伏せる。なんと優しげな姫なのだのろうか。ほんのりと感動した俺は定食屋に入り、山盛りのミートスパゲティとラトクルス風豆スープを注文した。アリアの顔よりもうずたかく積まれているが、これで一人前である。

 ふたりでシェアし、九割は俺が食べたが一割でもアリアにしては食べたほうだろう。なんでも今日は気分が上がっているので食欲に満ちあふれているそうな。

 とても善いことだ。俺はお代わりを注文すると、それも速攻で平らげ、「ごちそうさま」と手を合わせる。ちなみにもう一杯行けるが、〝腹八分目〟が俺の座右の銘であった。


 デザートは別腹なのでふたりでアイスクリームを注文すると、そのままテラスに出る。川にせり出したオープンスペースでアイスを食べるのだ。

 立ちながら食べるのははしたないが、今日のお姫様はただのOC(王立中等部生)、市井の娘みたいなことをしたいのだそうな。アイスの容器をコーンにするだけで果たせる望みなので、叶えて差し上げると、アリアはにこりと微笑み、核心に触れてきた。

「リヒト様は十傑になられるつもりはないのですね」

「もちろんだ。俺はアリアローゼの騎士だからな」

「その忠誠心は嬉しいですが、十傑になれば下等生(レッサー)の不名誉をそそげますよ」

「そそぐもなにも下等生(レッサー)にはみずからの意志でなった」

「嘘。目立つと護衛の仕事に支障が出るからです」

「かもしれないが、名誉など不要だ」

「名誉があれば落とし子と蔑まされずに済むかもしれませんよ。――わたくしは王族ではありますが、無能者、妾腹と陰口を叩かれています。もしも十傑入りする実力があれば、それら汚名とは無縁でいられたかもしれません」

「かもしれないが、主であるアリアローゼ・フォン・ラトクルスがそれに耐えているんだ。その騎士が耐えられないとあったら世間の物笑いとなる」

「……リヒト様」

「気遣いはなによりも嬉しい。だが、姫様はなにも気にするな。ただ思うがままに生きてくれ。この国を改革するもよし、貧しいものたちに救いの手を差し伸べるのもいい。こうして普通の女の子として生きるのもありだ。ただ、どのような道を選んでも、全力で俺が守る。君の騎士として、生涯、君を守ることを誓う」

 主の前にひざまずくと、アリアは女王のように気高く俺の決意を受け入れてくれた。


 その後、遊園地、王都のシンボルの時計台、風光明媚なリバーサイドを散策し、デートを重ねる。その都度、マリーの手紙を読み、合間に買い食いをしたのは言うまでもないが、最期のデートスポットが終わると、マリーから与えられた手紙が残り一通となる。

「これは最後の最後に読むのよ!」

 と注意喚起されていた手紙だ。きっとろくでもない内容に違いないと思ったが、読まないわけはいかないので開く。

 すると彼女らしい文言で、

「デートの最後がチューっしょ、チュー!」

 と書かれていた。

 キスをしろ、という意味なのだろう。まったく、あのメイドは、と思った。ちなみにこの指令を実行しないとアリアを寮に入れない、と脅し文句まで付け加えてある。主になんということをするメイドなんだ、と思ったが、マリーの性格ならばありそうだ。

 俺はきょとんとしているアリアを見つめる。

 彼女の唇はリップを塗っていないのに桜色に煌めいていた。天使のように魅力的で、悪魔のように蠱惑的な唇だった。思わず見入ってしまうが、俺は彼女の家来にして護衛、今日のデートはあくまで〝予行演習〟なのだ。

 そのような結論に達した俺は、一計を案じる。

 アリアをとある場所に連れて行ったのだ。

 そこは恋人たちの定番のデートスポットで、「チュー」がいっぱいいた。


 デートを終えてアリアローゼが寮に戻ると、仁王様のように待ち構えていたマリーが尋ねてきた。

「アリアローゼ様、儀式は済ませましたか?」

 神妙な面持ちで尋ねてくるが、アリアには意味が計りかねた。

「儀式とはなんですか?」

「チューですよ、チュー。チューはしましたか?」

「はあ、チューですか……」

 なにを言っているのだろう、と思ったが、アリアはリヒトと最後に訪れた場所を思い出す。

「ああ、チューですか。いましたよ。たしかにいました。とても可愛かったです」

「可愛かった、ですか。格好いいとか素敵ではなく? ――まあ、リヒトが緊張しながらすればそう見えることもあるか」

 そのように納得すると、マリーは快くアリアを迎え入れた。

 さて、このような会話を見ると、リヒトとアリアが接吻(キス)をしたように聞こえるが、実はしていない。

 リヒトの計略が成功したのだ。

 リヒトが最期にアリアを誘った場所は、いわゆる動物カフェだった。その中でもハムスターやモルモットと触れ合えることを売りにしたカフェで、若い女性に大人気だった。

 チューチュー鳴く齧歯類と触れ合ったことをキスと勘違いさせる作戦は見事に成功したのである。


「はあ、いっぱいチューがして幸せでした」

「そんなにいっぱい、チューするなんて、意外と積極的なのね、どきどき……」


 認識が食い合うことのないふたり。この誤解は生涯続く。

 こうして俺とアリアの初デートは見事に成功するが、このような幸せな日常の裏で暗躍するものがいた。

 アリアが住まう特待生(エルダー)の寮を観察するのは、彼女と敵対するバルムンクに雇われた寮生。彼女は魔法の通信機器のようなもので報告する。

「アリアローゼが寮に戻ってきました」

 通信相手は冷徹な声でご苦労、と言う。

 ちなみに彼女のような密偵(スパイ)は学院にたくさんいる。

 バルムンク侯爵の権力と財力は、この国では最上位なのである。いくらでもスパイを養成できた。それに彼に忠義を尽くす執事はこの手の謀略に強く、学院にスパイ網を構築していた。

 アリアローゼと敵対するバルムンク派の魔の手は確実にアリアローゼに迫っていたのである。


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