ヴィンセント
「――最近、妙な視線を感じる」
俺がそのように呟くと、護衛対象であるアリアローゼ・フォン・ラトクルスは軽く口元を押さえた。
まさか、毒物を経口投与されたのか!? 慌てて彼女の口を押さえようとするが、それを防いだのは彼女の忠実なメイドである。
「そんなわけないっしょ、朝、一緒にご飯を食べたでしょう」
たしかに彼女の朝食には毒がないか確認済みだ。王立学院の寮の調理人たちは信頼が置ける人物たちであるし、アリアが口に運ぶ前に毒がないか魔法で確認している。
ならばなぜ口元を抑えたのだろうか、訝しがっているとマリーが答えを教えてくれる。
「もちろん、御懐妊じゃないわよ。もしもそうだったらマリーがあんたを細切れにする」
冗談――ではないだろう。彼女はラトクルス流忍術の使い手にしてお姫さま命のメイド、アリアを穢すものがいたら許すことはない。無論、俺がそのようなことをするわけがないが。
「アリアローゼ様が口元を抑えているのは笑っているのよ」
「笑う? どうして? 俺はなにもおかしいことは言っていないぞ」
「その天然ぼけなところに笑っているの。あんた、妙な視線を感じるって言ったでしょ」
「言った。アリアの護衛として看過できない」
「そりゃあ、仕事熱心だけど、その視線はあんたに向けられていることに気がつかないの?」
「護衛役を殺してからゆっくりアリアをどうにかするつもりだと思っている」
「んなわけないっしょ。視線の大半は女の子じゃん」
「たしかに。――でも、あらかたの女にはお断りの返事をしたぞ」
「あんたは鬼か!?」
そのように突っ込んでくるが、心に響かない。俺はアリアを護るためにこの学院に通っているので、女生徒に愛の告白をされても困るだけだった。だから告白をしてきた女子には、「おまえになど興味はない」とはっきり伝えていた。
ゆえに女子生徒からこのような視線を浴びせされる理由が分からない。
彼女たちを観察すると、陽炎が立ちそうなほどの熱量を感じる。以前、振った生徒も大量に含まれていた。――なぜゆえに、と悩んでいると、アリアが笑いを抑えながら教えてくれた。
「リヒト様は他人の感情に鈍感なところがありますね」
「それは自覚している。――戦いの場だと相手の心理を読んで戦えるのだが」
「それを日常に応用してください。彼女たちがあなたに熱視線を送っているのは、剣爛武闘祭デュオのせいです」
「なるほど、たしかに俺は優勝したしな」
「それだけではありません。圧倒的な力を持って優勝しました」
「逆にいえば本気を出さなければいけないほど強敵が多かったんだよ」
「そうですね。近年にないレベルの高さでした。しかし、それだけではありません。いえ、それよりも試合後の〝あなた方〟の見事な振る舞いがあなた方の人気に火を付けたのです」
「勝利者インタビューをすっぽかしたことがか?」
「それより少し先です」
「優勝者に送られる副賞の学食チケットを一日で使い切ったことか」
「それよりも少し前です」
「ふむ……」
軽く尖った顎に手を添え思考を巡らせると、華やかな舞踏会会場が脳裏をかすめる。
「ああ、そうか。あの迎賓館で行われた後夜祭か」
「正解です」
アリアは嬉しそうに微笑む。
「あのときに行われたリヒト様とエレンさんのダンスはこの学院で永遠に語り継がれそうなほど見事でした」
「そうか? 俺はダンスは苦手なんだが」
「技術の問題ではありません。ふたりの動きはまさしく一糸乱れぬもの。同じ生物かのように連動しており、礼節科の先生たちが驚愕していましたよ」
「まあ、小さな頃から一緒に居たし、エスタークの舞踏会では何度も踊らされたしな」
エスタークの城での出来事を思い出す。非嫡出子の俺は城では粗略に扱われていたが、客人が集まるときは〝最低限〟の扱いをしていることをアピールするために、舞踏会などに狩り出されることがあった。ただ、一族で煙たがられていることは有名だったので、親族はもちろん、家来の娘もダンスをしてくれることはなかったが。
そんな中、ためらいもなく手を取って踊ってくれたのが妹だった。俺のダンスのステップは彼女に合わせて鍛えられたと言っても過言ではないだろう。
「まあ、エレン様々だ」
「素晴らしい兄妹ですね。羨ましいです」
アリアにも兄弟はたくさんいるが、皆、いがみ合っている。王位を狙って争っているのだ。そんな中、俺たち兄妹のような仲睦まじい姿はまぶしすぎるのかもしれない。彼女の顔が曇ったので、話題を戻す。
「しかし、ダンスごときで人気になるとはな。この学院の生徒たちは暇だな」
その言葉に反論したのはメイドのマリーだった。
「それは違うっしょ」
彼女はそう断言する。
「もはやあんたの噂は性別、学年、学科、生徒教師問わず駆け巡っている。最強不敗の下等生って皆が噂してるんだから」
「過分な二つ名で」
皮肉気味に答える。
「実際、負けたことないでしょ」
「いや、負けっぱなしの人生だよ。特に父親にはぼこぼこだ」
「あのお方は規格外。王国一の――、ううん、世界最強の騎士なのだから」
「子供の頃から何度か稽古らしきものをして貰ったが、同じ人間とは思えない技量だった」
「まあ、でも父親以外には無敗でしょ」
「まあな、だからこうして生きていられる」
「面倒だからあんたが最強不敗ってことで話を進めるけど、それに目を付け始めた〝やばい組織〟がいるってこと」
「へえ」
「他人事ね」
「アリアとエレンの安否と幸せ以外に興味はない」
「マリーの名前はないけど」
「おまえは自分の身を守れるし、自分で幸せを掴めるだろう。それでどんな組織が俺に目を付けたんだ?」
その質問をするとマリーはやっと言いたかった固有名詞がいえると安堵する。
こほんと咳払いをすると彼女はもったいぶるようにその組織の名を言い放った。
「あんたに目を付けたのは、特待生の中でも上位の上位、上澄みしか入れない〝十傑〟よ。学院最強の連中があんたに興味津々みたい」
その言葉を聞いた俺は、
「ほう」
としか答えられなかった。興味がなかったということもあるが、実は十傑という存在をよく知らないのだ。その態度を見て精神的によろめくマリー。
「あんたの好奇心のなさは筋金入りだわ。てゆーか、あんたの妹ちゃんも十傑入りするっていうのに」
「そういえばそんな話もあったな」
妹のエレンを引き合いに出されるとほんのりとだが興味が湧き出る。なので俺は彼女に十傑という組織について尋ねた。
マリーは聞きしに勝る「横暴な組織よ」と十傑の負の部分から説明を始めた。
十傑のひとり、ヴィンセントは十傑の 中でも好戦的な性格で知られる。整髪料で固めた髪はハリネズミのようで、異世界のパンクロッカーに酷似しているが、性向もまさしくそれで、エキセントリックでアバンギャルドなことを好んだ。
かぶきもの、あるいはうつけもののようの構内を練り歩く。十傑の印を学内の生徒に見せつけるように。さすれば一般生はもちろん、特待生でさえ道を空けるのだ。
その様は痛快愉快で廊下の端で地虫のように己の存在を隠している下等生を見つけ、睨み付ければ震え上がるので、さらにヴィンセントの自尊心を満足させる。
下等生のグループが「目を合わせるな」とヴィンセントの視線から逃れる。
「おいこら、そこの陰キャ」
びくっと身体を震わせる下等生のひとり。
「チーズ牛丼ばっか食ってんじゃねーぞ。つうか、俺の分も買ってこい。三〇秒以内にな」
と言い放つと下等生の足下に銅貨を一枚落とす。銅貨一枚では買えません、などと反論することはできない。ぱしりを断ることも。下等生は平身低頭の態で、食堂へ向かった。ちなみに王立学院の食堂では牛丼のテイクアウトはできない。しかし、それでも彼は牛丼を買ってくるだろう。
脱兎の勢いで牛丼を買いに行く下等生を見てほくそ笑むヴィンセント。
「これだ、これ。これこそが〝選ばれたもの〟の特権」
特権を享受するヴィンセントから笑みが絶えない。
十傑は王立学院の生徒会、と揶揄するものもいるが、その権力はそのような言葉でかたづけられるものではない。
十傑は素行不良の生徒を退学処分にする権限を持つ。正確には学院上層部に報告する権利を持つのだが、その学院上層部も十傑を恐れているため、事実上、学院を支配しているのは十傑であった。各学科の予算配分、部活動の許認可、果てはトイレットペーパーの納入業者まで決められる。無論、そのようなアホなことに権力を使うことはないが。
ただ、それでも権力を持っているというのは人間の気分を高揚させ、際限なく気持ちを豊かにしてくれる。
ヴィンセントはその権利を確認するため、最近は入った新人の女教師に目を付ける。地方の王立学院を卒業したてで初々しい。ヴィンセントはこのような輩を見つけると〝可愛がって〟やりたくなる性質を持っているのだ。
蛇のような瞳で彼女に近づくと間近で舌なめずりをする。舌にはピアスがはめ込まれていた。
その異様な格好に驚く女教師、王都の王立学院は品行方正な生徒ばかりだと思っていたので、面を喰らっている。意を決して注意しようとするが、ヴィンセントの肩に十傑の印を見つけると表情をこわばらせる。
「この学院の教員の将来は約束されている。高額な給料に恵まれた福利厚生。――十傑に目を付けられずに勤め上げたいものですな」
とは女教師の指導教員である老魔術師の言葉だ。長年、学院で教鞭を執り続けてきた先輩の言葉であるが、彼は一度、十傑に逆らい閑職に飛ばされたことがある。いや、それは今もか。彼は水魔術の教諭なのだが、ろくに仕事が任されることはなく、一日の半分は教員室の外れで猫を抱いて過ごしている。
十傑に睨まればわしのようになるぞ、と身をもって教えてくれているのだが、女教師は彼の教訓をいかすしかないのだろうか、吐息がかかりそうなほど顔を寄せられると、髪の毛を値踏みされる。
「キューティクルが足りないな。俺がいいシャンプーを錬成してやろうか?」
「な、なにをするんですか!? あなたはここの生徒でしょう」
「立心偏のほうの性徒だよ」
「や、やめてください。か、彼氏にも触らせたことがないのに……」
そのまま腰に手を回し、シャワーが浴びられる場所まで連れて行かれそうになる。周りを見るが、誰も助けてくれそうにない。生徒はもちろん、教師仲間たちもだんまりであった。
(……田舎のおじいちゃんごめんなさい)
ぼとりと牡丹の花が落ちるイメージが脳内を支配するが、それを救ってくれたのは勇敢な女偉丈夫だった。
縁なしの眼鏡を華麗に着こなすお団子頭の女性が、ヴィンセントの肩を掴むと言った。
「王立学院校則九条三項、魔術的な意味のない華美な装飾品、ピアスなどの使用は禁じる」
凜とした表情に声、まるで戦乙女のようだが、ヴィンセントは怯まない。
「おお、これはこれは下等生寮の寮長兼礼節科の教師ではないですか」
「せ、先輩……」
涙目になりながら新人女教師はジェシカ・フォン・オクモニック寮長の後ろに隠れる。
「〝また〟女教師に手を出して他の十傑に軽蔑されるつもり?」
「〝また〟十傑と揉め事を起こして左遷されるつもりか?」
「…………」
ジェシカは沈黙する。
「昔、十傑と問題を起こして礼節科の副学科長長から臨時講師に格下げされた上、ゴミどもの寮長をやらされているらしいな」
「彼らは下等生ではあってもゴミではないわ」
「劣等種だよ。学院の汚物だ。オールドミスにお似合いだ」
「訂正なさい。三秒以内に」
「厭だよ。おばはん」
ジェシカ・フォン・オクモニックの手が降り上がったのはオールドミスに対してではない。自分の愛する寮生たちを侮辱されたがためだった。
そのまま振り下ろされればジェシカは寮長の職さえも失うことになるが、それでも僅かでも躊躇することなく、手を振り下ろした。
強力な平手打ちが鳴り響く――、ことはなかった。彼女の手を押さえたものがいたからだ。
「マリーからどんな組織か聞いたが、聞くまでもなく一発で分かったよ。こういうクズの集まりが特待生十傑なのか」
ジェシカよりも遙かに大柄で筋肉質の少年がまるで白馬に乗った王子様のようなタイミングで現れた。その甘いルックスもあってこの環境下に置かれた女子ならば誰でも惚れてしまうこと疑いないが、ジェシカが彼に惚れることはなかった。
なぜならばすでに惚れているようなものだからだ。ジェシカは彼を題材にした恋愛小説を一四本書き上げている。うち三作は原稿用紙三〇〇枚超の大作だった。
「リ、リヒトさ――」
様と言いかけた言葉を寸でで飲む込む。
真っ赤に染まった表情も冷静に繕う。
恋愛小説家パトリシア・ジョセフィーヌとしてはともかく、ジェシカとしてはリヒトに恋心を抱くことは出来ない。教師と生徒だからだ。
ただ、それでも理不尽な暴力から救われたことは礼を言わなければならない。
頭を垂れる。それに対するリヒトの反応は中世の模範的な騎士そのものだった。
「女性に暴力を振るう輩は見逃せない。ましてや己の師を傷つけるものを許すことは出来ない」
「ありがとう。――でも違うのよ。校則について議論していただけなの」
これ以上騒ぎを大きくしたくないための嘘であるが、その配慮はヴィンセントによってむげにされる。
「違うさ。このおばはんが俺のピアスにいちゃもんを付けてね。乳首に付けたものも見せろっていうんだぜ」
と言いつつ彼は着崩した制服の上着をはだけさせ、乳首を見せる。しっかりと乳首にもピアスは付けられていた。
「――まったく反省の色が見られないな」
はあ、とリヒトは溜め息をつくと、この学院に入学した手のことを思い出す。
「そういえばこの学院には決闘という制度があったな」
「あるね。教師、もしくは十傑の同意があれば、生徒同士は決闘で勝負を決めていいんだ」
ヴィンセントはこともなげに言い放つ。
「あのときは無許可だったが、今回は許可が下りそうだ」
「だ、駄目よ、リヒト・アイスヒルク。決闘なんてさせられないわ!」
「ミス・オクモニックならばそう言うと思っていました。しかし、許可を下せるのは教師だけではない」
ジェシカはちらりとヴィンセントを見るが、彼は得物の棍を振り回していた。
「久しぶりにイケメンの前歯を全部へしおれるぜ」
嗜虐的な笑顔を浮かべる。こいつ自身、イケメンと言い張って言い顔立ちをしているが、なにか劣等感でも持っているのかもしれない。
交互に腰の神剣に手を伸ばす。右手の聖剣ティルフィング、左手の魔剣グラム。
ティルは元気よく、
『お、やっと台詞を貰えた。うぇーい』
と訳の分からないことをのたまう。
グラムは、
『我の出番かな?』
と冷静に話を進めてくれる。
「今回は両方かな」
『つまり強敵ってことか』
「そういうこと。剣爛武闘祭で十傑の下位と対戦したことがある」
『氷炎の姉弟だね』
「そのときの経験則に照らし合わせればこいつは雑魚じゃない。強敵だ」
『でも神剣を持ってないよ?』
「神剣だけが武器じゃないさ。それにこの学院で頂点に上り詰めるのだからただの武器じゃないんだろう」
そのように纏めると、ヴィンセントはにやりとする。
「分かっているじゃないか。新進気鋭の下等生」
彼は演舞するかのように棒を振り回すと言った。
「これはたしかに神剣じゃないが、神器のひとつだ」
「それじゃあ、遠慮なく二刀流でいかせてもらおうか」
「おれの情報だとおまえさんは三刀流になったと聞いているが」
「なんでも知ってるのな」
「〝俺たち〟の間じゃ一番ホットだからな」
「エッケザックスは異空間に置いてある。背中に担ぐにも大きすぎる」
「なるほど、たしかに絵にならない」
ヴィンセントは苦笑を漏らすと、
「ここは邪魔が入るかもしれない。移動するぞ」
俺を決闘場へと誘う。ジェシカがなにも言わなかったのは、一度火が付いた男にはなにを言っても無駄だと知っていたからだ。
それに必ずリヒトが勝つとも信じていた。
(十傑の神棒使いよりも、最強不敗の神剣使いのほうが強いもの……)
己にそう言い聞かせるが、一抹の不安も感じるジェシカであった。彼女は万が一に備え、アリアローゼとエレンを探すため、校内を駆け回った。




